第8話 タペストリー
アステリアの公邸であり、頭領家の住宅である砦。
砦の大広間へ通されたとき、レオンが最初に目を奪われたのは、
正面の壁一面に掲げられたタペストリーだった。
深い藍色の海。
その中央には、銀の海鷲。
そして、その下に三本の波が描かれている。
左右には七つの異なる紋様。
それぞれが、アステリアを構成する七氏族を表しているのだと、
事前に説明を受けていた。
近くで見ると、古い折り目がいくつも重なっている。
ところどころ色が褪せ、補修された跡もある。
それでも、大切に残されてきたものだということだけは、
はっきりとわかった。
「そのタペストリーが気になりますか?」
声がして、レオンは振り返った。
ダイアナがいた。
「はい」レオンは正直に答えた。
「古いもののようですね」
「ええ、何代も前から残っています。
アステリアの歴史そのものです」
それだけ言うと、彼女は交渉の席へ向かった。
レオンも席に着く。
今日の目的は明確だった。
ベルナ港の商人たちが、アステリアへの寄港を望んでいる。
海賊被害が増えているため、可能であればアステリアの船団による
護衛も依頼したい。
王都としても、交易路の安全は重要だった。
ただし、アステリアは独立した島だ。
軍事的な影響力を持ち込めば、交渉は失敗する。
レオンは、そこを慎重に扱う必要があると考えていた。
「まず、商船の寄港についてですが」
ダイアナが口を開いた。
声は静かだった。
よく通る。
しかし、相手を押すような強さはない。
「条件を確認させてください」
「もちろんです」
「年間の寄港数」
「現在の想定では―」レオンが説明する。
ダイアナは途中で遮らなかった。
最後まで聞き、必要な箇所だけを質問する。
「積み荷の種類は?」
「主に穀物、織物、金属製品です」
「武器は?」
「原則として含まれません」
「原則?」
レオンは少しだけ目を細めた。
「例外について確認しておきたいと思います」
ダイアナは頷いた。
「では、武器の積み替えは認めません」
即答だった。
「商船の護衛をする場合も、アステリアの船が他国の軍事行動に参加すること
はありません」
レオンは黙って彼女を見た。
判断が早い。
しかし、独断ではない。
彼女の隣に控えているエドガーへ視線を向けた。
エドガーが書類を確認する。
その短いやり取りだけで、必要な情報が共有されていることがわかった。
「護衛については、どの程度の規模を想定されていますか?」
レオンが尋ねる。
「三隻まで」
「少ないですね」
「通常の商船なら大丈夫です」
「海賊がそれ以上の船を使った場合は?」
「その場合は、戦闘ではなく港への避難を優先します」
レオンは思わず尋ねた。「なぜです?」
ダイアナは少しだけ考えた。
「アステリアの船は、商船を守るためにあります。
戦争をするためではありません」
「しかし、護衛船が逃げれば商船が危険になる」
「だから、海賊を追い払うより、商船を安全な海域へ誘導する」
レオンは海図を見る。
アステリア周辺の海域。
複雑な岩礁。
狭い水路。
潮の流れ。
「なるほど」
彼は、そこで初めて気づいた。
アステリアは海そのものを防壁として使っている。
無理に敵を倒す必要はない。
海を知らない者を、危険な場所へゆうどうすればいい。
合理的だった。
「非常に合理的ですね」
レオンが言うと、ダイアナは少しだけ首を傾けた。
「合理的でなければ、島を守れません」
その言葉に、レオンはタペストリーを見た。
銀の海鷲。
七つの紋様。
それぞれが違う色。
違う形。
違う歴史。
けれど、一枚の布の上にある。
「七氏族は、この条件に同意していますか?」
「まだ全員の意見は聞いていません」
レオンは意外に思った。
「では、あなたが決められるのでは?」
「私一人で決めることではありません」
ダイアナは答えた。
「でも、頭領でしょう?」
「だからこそです」
彼女はタペストリーへ目を向けた。
「私は、この七つの家の上に立っているわけではありません
皆の間にいるだけです」
レオンは黙った。
その言葉が妙に印象に残った。
頭領という立場にありながら、自分の権限を誇示しない。
しかし、決めるべきところでは、迷わない。
「では、今回の交渉につては?」
「私が責任を持って、氏族会議へ持ち帰ります」
ダイアナは静かに続けた。
「そのうえで、七氏族が納得できる条件に整える」
「時間がかかります」
「ええ」
「王都としては、早期の合意を望んでいます」
「分かっています」
ダイアナはレオンを見る。
「だから、今日ここで無理に決めません」
その答えに、レオンは一瞬、言葉を失った。
交渉では、早く結論を出すことが有利になる場合もある。
けれど、彼女は早さよりも継続する仕組みを選んだ。
目の前の利益ではなく。
その先まで考えている。
「失礼……」
レオンは微笑んだ。
「少しあなたを見誤っていました」
「どういう意味ですか?
もっと感情的に島を守ろうとする方かと思っていました」
ダイアナはい一瞬だけ目を細めた。
そして、
「感情だけで守れるほど、アステリアは簡単ではありません」
静かな声だった。
その言葉の奥に、長い年月の重さをレオンは感じた。
彼女はこの島を愛している。
だからこそ、好き嫌いだけでは判断しない。
守りたいものが多いからこそ、一つ一つを天秤にかける。
レオンは再びタペストリーを見た。
古い布。
繕われた跡。
七つの紋様。
その前に立つダイアナ。
それまで、彼女はただの交渉相手だった。
アステリアの頭領、王都が交渉すべき相手。
けれど、今は違う。
この女性は、この一枚のタペストリーに織り込まれたものを、すべて背負っている。
七氏族。
港。
船。
そこに暮らす人々。
そして、過去から続く、この島の未来まで。
それでも、彼女はそれを重そうに見せない。
レオンは知らず知らずのうちに、彼女を目で追っていた。
合理的で、聡明で、それでいて冷たいわけではない。
むしろ、守りたいものが多いからこそ、冷静であろうとしている。
そのことに気づいた瞬間、レオンの中でこの島を知りたいという気持ちが
少しだけ変わった。
アステリアを知りたい。
それだけではない。
この島を背負っている、目の前の女性を、もっと知りたいと思った。




