第44話 新しい朝
結婚式の翌朝。
朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。
ダイアナはゆっくりと目を開けた。
窓の外から、海鳥の声が聞こえる。
遠くで波が砕け、砦の下を吹き抜ける風が、庭の木々を揺らしていた。
アステリアの朝だった。
いつもと変わらない。
そう思って、隣へ目を向けた。
カイルが眠っていた。
ダイアナは、しばらく彼の顔を見つめた。
眠っているカイルを見るのは、初めてではない。
けれど、こうして同じ寝台で目を覚まし、すぐそばに彼の寝顔があるということが不思議だった。
額にかかった濃い栗色の髪。
閉じられた目。
普段はよく動く口元も、今は静かに緩んでいる。
起きている時のカイルは、良く笑う。
人の話を聞く時には、相手の目をまっすぐに見つめる。
何かを考えている時には、少しだけ眉を寄せる。
そして、ダイアナが思いがけないことを言うと、琥珀色の瞳を瞬かせてから、あの人懐こい笑顔を浮かべる。
その顔を、これまで何度見てきただろう。
けれど、今は目を閉じて、すぐそばで眠っている。
ダイアナは、そっと視線を下げた。
おおきな肩が、掛布の下にあった。
自分の隣にいる人は、こんなにも大きかったのだ。
もちろん、以前から知っていた。
カイルの体格がよいことも、広い肩幅も、船の上で重いものを軽々と運ぶ腕の強さも。
それでも、こうして寝台に横たわっている姿を見ると、改めてその大きさを感じた。
彼の腕は、ダイアナのものよりもずっと太い。
手も大きい。
指を重ねれば、自分の手などすっぽりと包まれてしまう。
その腕が、今は自分のすぐそばにある。
ダイアナは、自分の手をそっと伸ばした。
カイルの手に触れる。
大きくて、温かい手だった。
指先で彼の手の甲をなぞっていると、眠っていたカイルの指がわずかに動いた。
ダイアナは、いたずらを見つかったような気持になって手を引こうとした。
けれど、その前にカイルの手が彼女の手をつかんだ。
目を閉じたまま、指を絡めてくる。
「………起きてるの?」
ダイアナが尋ねると、カイルは低く笑った。
「今、起きた」
そう言って、ようやく目を開けた。
寝起きのせいか、いつもよりぼんやりした顔をしている。
ダイアナはその顔がおかしくて、笑みを浮かべた。
「何がおかしい?」
「いいえ」
「そういう顔じゃないだろう」
カイルは身を寄せ、彼女の顔を覗き込んだ。
近い。
そう思った瞬間、ダイアナは自分が彼の腕の中にいることに気づいた。
いつの間にか、カイルが彼女を引き寄せていたのだ。
大きな腕が背中に回り、彼女の身体をすっぽりと包んでいる。
ダイアナは彼の胸に手を置いた。
厚みのある胸板の下で、心臓が規則正しく動いている。
こんなに近くで、この人の鼓動を聞いてる。
そして、この人は自分の夫なのだ。
「……不思議ね」
「何が?」
「あなたが、私の夫だということ」
カイルは一瞬、黙った。
それから、ダイアナの顔を見つめた。
「まだ、実感がないのか?」
「少しだけ」
「俺はある」
あまりにもきっぱりと言うので、ダイアナは目を瞬かせた。
「そうなの?」
「そうだ」
ダイアナは目を閉じた。
窓の外では、波が寄せては返していた。
今日も港には船が出る。
島の人々は仕事を始め、エドガーは政務に取り掛かり、マリーはきっと朝から忙しくしているだろう。
自分にも、やるべきことはある。
頭領としての仕事は、結婚したからと言ってなくなるわけではない。
けれど、今だけは、もう少しだけ、この腕の中にいたかった。
「カイル?」
「何だ?」
「もう少し、このままでいてもいい?」
彼は答える代わりに、彼女を抱き寄せた。
「好きなだけ、そうしていろ」
ダイアナは笑った。
こんな風に誰かに身を預けることが、こんなにも心地よいとは思わなかった。
自分より大きな身体。
温かな腕。
胸に伝わる鼓動。
そして、何よりも、彼がここにいるということ。
昨日までは、結婚するという未来を思い描いていた。
今朝は、その未来の中にいる。
ダイアナは顔を上げ、カイルを見つめた。
「ねえ、カイル」
「今度は、何だ?」
「私たち、本当に結婚したのね」
カイルは一瞬きょとんとしたあと、声を立てて笑った。
「昨日から、ずっとそう言っているだろう」
「わかっているわ。でも……」
ダイアナは言葉を探した。
うまく説明できない。
ただ、うれしかった。
これから何度も朝を迎え、何度も食卓を囲み、時には意見を違えて、それでも同じ場所へ帰ってくるのだと思うと、胸の奥が満たされていく。
「……うれしいの」
ようやく、それだけ言った。
カイルは笑うのを止め、彼女の頬に手を添えた。
「俺もだ」
短い言葉だった。
けれど、その声には、何のためらいもなかった。
やがて、二人はもう一度、静かに身を寄せ合った。
朝の光が少しずつ部屋を満たしていく。
海の音は絶え間なく続いていた。
二人の人生は、今日から始まる。
そしてダイアナは、隣にいる大きな身体と温かな腕を感じながら、これから先も、この朝を何度も思い出すことになるのだろうと思った。
自分がカイルの妻になったことを、初めて心から実感した朝として。




