↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/71

第14話 エドガー

エドガーは、レオンという男を嫌いではなかった。


むしろ、アステリアに来た当初から、かなり好意的に見ていた。


王都から派遣されてきた外交官。

侯爵家の三男。


身分だけを見れば、アステリアの人間から

距離を置かれても不思議ではない。


けれど、レオンは、自分の身分を理由に誰かへ命令することがなかった。

分からないことがあれば尋ねる。

意見が違えば、その理由を聞く。

七氏族の代表者と話すときも、相手の立場を軽く扱わない。


そして、自分が知らないことを、知らないままにしておくことを嫌う。


エドガーは、そういう人間を信用していた。


だから、レオンがアステリアへ来てしばらく経った頃には、

彼を「王都から来た外交官」ではなく、

「この島の事情を理解しようとしている客人」として見る

ようになっていた。


―ある日の会議で。


レオンは、北方の交易について、意見を述べていた。


「この条件では、アステリア側の負担が大きすぎます」


七氏族の代表が反論する。


「ですが、王都側も譲れないでしょう」

「だからこそ、別の条件を提示するべきです」

「どのような?」


レオンは海図を広げた。


「港の使用期間を短くする代わりに、修理施設の利用を認める」

「しかし、それでは――」

「アステリア側にも利益があります」


レオンは淡々と説明する。

押し付けるわけでもない。

自分の案が正しいと決めつけるわけでもない。

ただ、双方が納得できる場所を探している。


ダイアナが、その意見を聞いていた。


「……その案なら、受け入れやすいと思う」

「では、細部を詰めましょう」


二人はそのまま書類へ目を落とした。


エドガーは、少し離れた場所からそれを見ていた。


仕事の相性がいい。

そう思った。

二人とも、相手の話を最後まで聞く。

感情で押し切らない。


けれど、譲れないところは譲らない。


アステリアの頭領と、王都の外交官。

立場は違う。

それでも、仕事をする上で、互いを尊重できる。


エドガーは、それを好ましく思っていた。


―

レオンがアステリアに滞在する期間が長くなるにつれて、

エドガーは、彼のことを少しずつ知るようになった。


本を読む。

地図を見る。

港を歩く。

島民の話を聞く。

食事の席では、出された料理について余計な感想を言わない。


けれど、気に入ったものがあれば、二度目に出されたとき、

ほんの少しだけ表情が緩む。


そういう小さな変化を、エドガーはよく見ていた。


ある日、レオンが、古い航海記録について尋ねてきた。


「エドガー殿。この記録について、もう少し詳しい資料はありますか?」

「あります」

「拝見しても?」

「もちろん」


エドガーは記録室へ案内した。

そこでレオンは、古い航海日誌を何冊も読み始めた。

気づけば、予定していた時間を大幅に過ぎている。


「もう戻られますか?」


エドガーが尋ねると、

レオンは本から顔を上げた。


「もう少しだけ」

「承知しました」


その日の帰り。

エドガーはふと思った。


――この男は、本当にアステリアを知ろうとしている。


単なる任務なら、ここまでしない。

王都へかえれば、今回の交渉について報告書を書けば終わる。

それでも、彼は、ここにある記録を読んでいる。

海を知ろうとしている。

島の歴史を知ろうとしている。

エドガーは、少しずつレオンへの評価を変えていた。


悪くない。

そう思っていた。


そして、ある日、エドガーは気づいた。

レオンが、ダイアナを見る目に。


最初は、単なる敬意だと思っていた。


頭領としての能力への評価。

交渉相手としての信頼。


そう考えていた。

実際、それは、間違っていなかった。


レオンはダイアナの能力を高く評価している。

彼女の知識にも感心している。

海について話すときの姿にも興味を持っている。


けれど、それだけではない。


―ある日の午後。


執務室でレオンが書類を書いていた。

窓の外をダイアナが通る。

レオンの筆が、ほんの一瞬だけ止まった。


視線が上がる。


ダイアナが誰かと話している。

笑っている。

レオンは、しばらくその姿を見ていた。


そして、誰にも気づかれないように視線を戻した。


エドガーは、その一連の動きを見ていた。


もう一度、別の日。


ダイアナが会議室を出たあと、レオンが何気なく尋ねる。


「アステリア殿は、今日は港へ?」

「はい」

「そうですか」


それだけ。

けれど、その声には、わずかな変化があった。


――なるほど。


どうやら、好意以上のものをお持ちのようだ。



エドガーは、すぐには何もしなかった。

恋愛について口を挟むほど、無神経ではない。

それに、ダイアナがどう思っているのかは、まだ分からない。


レオンが想っているからと言って、ダイアナまで同じ気持ちとは限らない。

だから、まず、考えた。


レオンを、「男」としてではなく「迎え人候補」として。


もし、この男がダイアナの隣に立ったら、アステリアはどうなるだろう。

エドガーは、冷静に考えてみた。


王都との外交。

問題ない。

むしろ、強くなる。


交易。

レオンは実務能力が高い。

問題ない。


七氏族との関係。

彼は相手の話を聞ける。

少なくとも、今までの様子を見る限り、

特定の氏族だけに肩入れするような人間ではない。

問題ない。


そして、何より、アステリアの統治権を奪おうとする気配がない。

ダイアナの判断を尊重している。

それは、迎え人として非常に重要なことだった。


エドガーは窓の外を見た。

港では、船が出ている。

その先に、海がある。

アステリアは、閉じた島ではない。

けれど、簡単に外へ開いてしまえば、独立を失う。


だからこそ、外から来る人間には、島を支配するのではなく

島と外の世界をつなぐ役割が必要だった。


レオンならできるかもしれない。

エドガーは、そこで初めて、レオンを「迎え人候補」として考え始めた。


けれど、一つだけ、問題がある。

本人が、まだ正式には何も望んでいないことだ。

アステリアに残りたいとも、ダイアナと結婚したいとも、言っていない。

それどころか、王都に戻ったら、侯爵家の三男として、

これまで通りの人生に戻る可能性もある。


エドガーは、それを理解していた。


だからこそ、無理に動かすつもりはなかった。


ただ、少しだけ、彼がアステリアを知る機会を増やしてやることにした。


―翌日。


エドガーは図書室で一冊の本を手に取った。

旅行記だった。

北方の港から南方の国々まで巡った男の記録。


港。

市場。

船。

人々の暮らし。

遠い土地の風景。


エドガーは、ページをめくった。

そして、ダイアナがこの本を好んでいたことを思い出した。

幼い頃から旅行記を読むのが好きだった。

外の世界を、本の中で知るのが好きだった。


エドガーは本を閉じた。

これなら、仕事の資料として渡しても不自然ではない。

そして、もしかすると、ダイアナと話すきっかけにもなる。

その程度のことだった。

少なくとも、エドガー自身は、そう考えていた。


―その日の午後。


レオンは執務室にいた。


「ヴァレンティス卿」

「エドガー殿」


エドガーは本を机の上へ置いた。


「こちらを」


レオンが表紙を見る。


「本ですか?」

「旅行記です」

「なぜ、私に?」

「先日、古い航路について尋ねておられましたので」

「ええ」

「関連する資料を探していて見つけました」


レオンは本を手に取った。

表紙を眺める。


「面白そうですね」

「各地の港についても詳しく書かれています」

「ありがとうございます」

「仕事の参考にもなるでしょう」

「そうですね」


エドガーは、それだけで部屋を出ようとした。


「エドガー殿」

「はい」

「こういう本を、よく読まれるのですか?」

「私より、ダイアナ様の方がお詳しいかもしれません」


レオンが顔を上げる。

エドガーは続けた。


「ダイアナ様は旅行記がお好きです」

「……そうですか」

「以前から」


レオンは本を見る。


「知りませんでした」

「仕事の話だけでは、分からないこともありますから」


それだけ言って、エドガーは部屋を出た。


―夜。


レオンは本を開いた。

最初は、仕事のためだった。

けれど、読み進めるうちに、

ダイアナなら、この港をどう見るだろう。

そんなことを考えていた。


北方の市場。

彼女なら、交易品の種類に気づくだろう。

船の構造。

きっと、細かいところまで尋ねる。


南方の港。

彼女は、いつか行ってみたいというかもしれない。


レオンは本を閉じた。

自分でも分かっていた。

もう、この本を読む理由は、仕事だけではない。

この本に書かれていることを、ダイアナと話したい。


ただ、それだけだった。


―翌日。


レオンはエドガーを訪ねた。


「昨日の本ですが」

「はい」

「興味深い本でした」

「それは何よりです」


レオンは少し迷ってから言った。


「アステリア殿も、この本を読んだことがありますか?」


エドガーは答える。


「ええ」

「そうですか」

「もし感想をお聞きしたいのでしたら、

 本人に尋ねられてはいかがでしょう」


レオンは、少しだけ笑った。


「そうします」


エドガーは頷いた。

それ以上は言わなかった。


レオンが部屋を出たあと、エドガーは窓の外を見た。

港には、今日も船が出ている。

ダイアナは知らない。

レオンが、自分に向ける気持ちを。

レオンもまだ、その気持ちを、彼女に伝えようとはしていない。


今は、それでいい。

エドガーは、そう思った。

迎え人を選ぶのは、ダイアナ自身。

けれど、もし、レオンが自分の意志で、この島に残りたいと

思う日が来たなら、その時は、彼を迎え人候補として、

正式に考えてもいい。


アステリアの未来にとって、そして、ダイアナ自身にとって

悪くない選択だと思えた。


エドガーは、静かに書類へ視線を戻した。

仕事は、まだ残っている。


恋の行方を決めるのは、自分ではない。

ただ、良い人間が、良い場所に立てるように、少しだけ道を整える。

それくらいなら、してもいいだろう。


エドガーはペンを取った。

いつものように。

何事もなかったかのように、仕事へ戻った。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。