第8話 政治と軍事
『ボルダールの攻略』
それは魔族たちにとって一つの踏破すべき標だった。
人魔の領域を別つライン城塞群は大陸の南端から北へとほぼ半分まで伸びている。
南は海。 北の端は前人未到ともいわれる峻険な山岳地帯。
2つの天然の壁と人口の城塞群が文字通り『化け物じみた』魔族の能力をもってしても容易には人間達の領域への侵入を許さない。
城塞群は拠点として兵力の常駐する『砦』と点在する砦を繋いで線とする『城壁』がある。
魔族の側からすれば人間の領域へ攻め込むには『砦』か『壁』のどちらかを抜く必要がある。
わざわざ兵力が集っている砦を攻撃するのは愚の骨頂。
常識的に考えれば壁を破壊するべきだ。
だが、それにしても楽ではない。
仮に1個所の壁を攻撃し始めれば直近の砦 ――― 南北の2個所からタコ殴りにされる。
砦へ挑めばさらに正面+南北2個所の3個分なのでもっとキツイ。
その場合は援護の部隊が来るのは壁の時よりも遅くなるが(純粋に距離が遠くなるため)、
砦は当たり前だが壁より強固な防御を誇るので援軍が来る前に落とすことは難しい。
時間切れで砦の駐留部隊と援軍に挟まれて包囲殲滅されるのがオチだ。
では援軍を足止めするために別の場所へ助攻を仕掛けるのはどうだろうか。
つまるところ、囮が先に攻撃を仕掛けて砦の駐留部隊をおびき出す。
そこに主攻 ――― 本命の部隊が砦を攻略する。
それならば主力部隊は砦の駐留部隊を相手にすればいいだけであり、
成功の確率は高いように思われる。
が、当然ながらその程度のことは相手も想定している。
よほどの阿呆でもない限り砦を空にするようなことはしない。
よって砦がA-B-Cと並んでいて、本命のB地点を攻撃するために
A-B間の壁を囮が攻撃しに行ったとする。
当然、砦A・砦Bから迎撃のための部隊が出る。
そこで兵力の減った砦Bと砦Cの間の壁を破壊するために主力を差し向けて
これを攻略するという戦術を採るわけだが、兵力が減っても強固な城壁の防御を抜くのは容易ではなく、
もたもたしているうちに万全の砦Cからの援軍によって撃退される。
これがライン城塞群が完成してから魔族の侵攻がことごとく失敗している経緯だった。
ちなみに砦Aを狙っても砦Cを狙っても同じことだ。
今の例では3つの砦だけだが、実際は100を超える砦が連なっている。
では砦Bを空にするためにA-B間、B-C間の両方に攻撃を仕掛けるのはどうだろうか。
そうした上で空になった砦Bを攻略してしまえばいいという考えだ。
悪くない考えではある。
実際、過去にも試みられているが ――― 結果は失敗。
理由は簡単。
例え駐留戦力を空にしても砦Bの後方には策源地としての町がある。
策源地には予備兵力が確保されており、それが穴をふさぐ。
何も奇をてらわない堅実な手段であるが、その『真っ当さ』こそが軍事には必要なのだ。
それでは、とさらに考えられたのが『端を狙う』作戦。
ライン城塞群の南北の端にあたる場所はそれより北、あるいは南に砦が存在しない場所となる。
つまり砦A-B-C……(以下略)の本当に端のAの部分を狙うというもの。
それならば少なくとも砦1つ分は援軍を考慮しないで済む。
ゆえに魔族側でも北と南の両端に関して検討が進められた。
その結果、まず北端を攻める案は諦められた。
北端に位置するノースアラス砦は北部の峻険な山脈地帯を利用する形で築城されており、加えて魔族にも十分な脅威である寒冷な気候も相まって非常に強固な防御を誇る。
それはもう、これを相手にするなら数が多かろうとも他の場所を狙う方がマシと思えるほどに。
そうなると消去法で南端の砦、すなわちボルダール砦の攻略ということになる。
南の端は海であり、地形的にも平野に分類されるため天然の要害としての機能は期待できない。
辛うじて砦の前を流れる河川が水掘りの役割を果たし、進軍を鈍らせる程度か。
そして砦自体の規模も他と比べて堅牢無比であるとか、火力堅固であるとか
そんなことはなく、極めて平凡である。
軍事的には極めて重要な場所であり、角を採れば有利というのはボードゲームでも実際の戦争でも常識でありながらどうしてこうなったのかと言えば、実に政治的な理由である。
砦の建造は人間達の各国がそれぞれ担当したのだが、極めて重要な端緒の砦を
どこが造るかという点において大いに揉めた。
人間側の3大勢力である神聖同盟、ノルト北部連合、ラシイスカ帝国はそれぞれの理由で
自分たちこそが相応しいと主張した。
神聖同盟は「自分達の陣営が最も対魔族戦争において経験豊富であり、また紋章機の保有数も多い。
従って魔族に対抗するために神聖同盟の砦を建造し、勇者を多数常駐させて対処すべきだ」と主張した。
ノルト北部連合は「防衛線の拠点となるならば築城技術に優れた我々が担当すべきだ。
最優先で狙われることが分かっているのだからこそ砦自体を強固にすべき」と提案する。
一方でラシイスカ帝国も「砦は守るためのものだが、魔族にドラゴンや大火力を発揮できる竜騎兵、高位の魔法使いが居る以上、防御力を高めるやり方は限界。
積極的に攻撃できる勇者の数も限りがある以上は兵器の質で補うべき。
最新鋭の魔導兵器を揃えられるこちらに任せればいい」と演説ぶった。
どの勢力にも一理あり、そして理があることだけが自分達に任せろという理由ではなかった。
『理』に加えて『利』。
城塞群の重要な拠点を任せられるということは、少なからず他に影響を及ぼせるということ。
人間たちも決して一枚岩ではない。
自らの所属するグループに益をもたらそうとするのは当然だった。
しかし、それ自体はは悪ではないが結果としては悪い方向に転がった。
まず北端はノルト北部連合が担当することになった。
こちらは純粋に豪雪地帯における活動のノウハウを一番持っているのが彼らだったこと。
固い岩山をくり抜いて砦の一部とするという高い築城技術を持つ彼らでなければ真っ当な砦が立てられるとは思えないような過酷な環境であったからだ。
それはいい。
これは無難に強固なものが出来上がり、結果として魔族が攻略を諦めるほどのものになったのだから。
だが南は揉めに揉めた。
残る一つを巡って神聖同盟と帝国は昼夜問わずの激論と裏工作を交わし、もうこれだと鶴の一声で決められる者もおらず ――― 結果として工期が大幅にずれ込む。
他の砦が完成しているのにその1個所だけが無防備ではさすがに狙われやすいとかいうレベルではないので
ここにいたってさすがに青くなった双方の担当者は妥協をする。
「仕方がないからここは2ヵ国共同で建造しよう」と。
結論から言うならこれが更なる悪手だった。
これは2ヵ国のアーマード・ギア(通称:AG)の運用に対する違いから起きた悲喜劇だった。
何しろ勇者と紋章機を主体に特化型AGの個人技でもって押す神聖同盟軍と
AGを集中運用して集団戦でもって少数を潰していく帝国軍ではまるで戦闘教義がまったく異なる。
その差異は砦そのものの運用法、ひいては設計にも大きな影響を与えるもので、
現場では設計の段階から衝突が多発した。
神聖同盟はまずもって砦はAGの整備、補給のための拠点となることを考えていた。
戦術の基本はAGという8mの人型をした機巧兵器であり、その基地としての機能こそ重視すべきと考えていた。
その為に格納庫や武器の貯蔵庫を広めにとり、砦そのものは『内部の物を守る固い箱』であればいいと考えていた。
対する帝国軍はAGは兵器体系の一部に過ぎず、それは他の兵器と連携して使うべきと考えていた。
具体的には砦はまずもって『火力を持った盾』であるべきであり、その盾の防御力を利用しつつ、
AGは陣地に籠って砦も接近してくる敵を叩く護衛役となるべきと考えていた。
そのため砦には各種の魔導兵器や新型の大砲を据え付け、強大な攻撃力を持たせようとしていた。
汎用のAGばかりで紋章機の保有数が少ない帝国がそれを補うために編み出した戦術だが、
それは神聖同盟軍のそれとはやはり相違が大きい。
AGの格納庫や武器庫は特化型や紋章機の多い同盟軍式では多くのスペースを要する。
武器が多種にわたり、機体そのものも一点物が多いとなれば当然だった。
一方の帝国軍式では特徴がないのが特徴と言われるほどに汎用性を重視した結果、
AGの機体も武装も規格化が進み、整備の手間などは簡略化される傾向にあった。
そのためAGに裂くスペースは少なく、浮いた分を他の装備で補う事に使用している。
防御に関してもひたすら外壁を厚くし、そこに術式防御を加えて耐魔性能を付与する直接防御を重視する同盟軍方式と
一層の壁は薄くしても間に廊下などの空間をわざと設け、例えば内部でファイヤーボールのような魔術が炸裂したとしてもその一層だけで被害が収まるように設計し、
あるいはAGが動き回れるような曲輪を設けて敵戦力を削ることで攻撃を阻止し、被害低減する帝国軍方式。
その差はそのまま砦の設計の差となり、「AG用のスペースが狭すぎる」という同盟軍側と「そんなことより別の兵器を詰めろ」という帝国軍側。
「防御が薄い」という同盟軍側と「無駄が多い」という帝国軍側。
これでうまくいくならそちらの方がどうかしている。
結局のところ妥協と衝突とを繰り返してできたそれは控えめに言っても『まともな』代物になるはずもなく、
同盟軍式と帝国軍式が中途半端に入り混じって非常に使い辛いものとなってしまった。
ライン城塞群の唯一のウィークポイントはそうしたどうしようもない政治的ごたごたによって産み落とされたのだ。
そのあたりの事情まですべてを魔族側が知っていたわけではないが、他に比べてなんとなくちぐはぐで脆そうだというのは経験からも学んだ。
当然、そこを狙って攻める。
誰だってそうする。
が、いままで攻略には成功していない。
重要拠点に使えない砦を築いた人間たち以上に魔族が間抜けだったとかそういうことではない。
例え上層部がアレでも現場の指揮官レベルでは比較的まともだったという話。
彼らは完成したなんだか中途半端な砦を守るべく自らの権限の許す範囲で最大限の努力を払った。
その結果が ―――
「7回。 それが今まで退けられた回数ですな」
豹頭の宰相オセが告げるのは事実だ。
サンドリオンも応じる。
「存じております。 うち3回には近衛軍を率いて参加いたしましたゆえ」
そうでしたな、と宰相が告げる。
一呼吸置いてサンドリオンは言葉を重ねた。
「ゆえに知っているのです。 ボルダールの限界を。
先に申し上げた通り、今だからなのです姫殿下。
今なら近衛軍を動員すればボルダールを攻略できるのです」
「 ――― 相手は」
姫殿下と呼びかけられた少女は口を開きかけ、一度深呼吸する。
決して心中穏やかに告げられる名前ではないがゆえに。
「相手はあの『七英雄』。その最後の生き残りだとしてもですか?」
「七英雄、確かに」
逆にサンドリオンは何でもないことのようにその名を口にする。
「七英雄、勇敢なる拳 ――― 決戦の生き残り。
勇者レナート・サロフ、紋章機はアキレア。
ええ、よく知っています」
なにしろ、とサンドリオンは付け加える。
「かつては陣を同じくして共に戦った仲間ですので」
謁見の間に沈黙が落ちる。
この場に居合わせる誰もがサンドリオンの言葉を肯定も否定もできない。
15年前に魔族陣営に加わったというから、確かに時系列に矛盾はない。
だが、『共に戦った仲間』というのはどこまでを指しているのか。
ただ単に『元人間側で戦ったことがある』から『戦友として共に死地へ赴いた』という程度まで色々と解釈できる。
サンドリオンの経歴については不明なことが多い。
知れている過去は15年前の『決戦の後』に先代魔王が連れてきて臣下としたという程度だ。
なぜ優勢だった人間の陣営からあのタイミングで魔族側へ寝返ってきたのか。
なぜ人間でありながら魔族側へ付いたのか。
なぜ ―――
そういった疑問は尽きない。
しかし、それに答えられる人々はもう居ない。
が、すべては15年前のあの一件収束する。
人と魔で行われたセントール平原での一大会戦。
魔族が大敗を喫したあの一戦。
未だに正式名称すら定まらず、単に『決戦』としか呼ばれないが、その敗北による影響は大きかった。
兵に大損害を受けただけでなく、名立たる将や指揮官として参加していた貴族たちを失った魔族陣営は内政の混乱と反乱の鎮圧、軍の立て直しに10年以上の歳月を要した。
その間に人間達はライン城塞群を築き上げ、箱庭の平和を手に入れた。
それを成したのが決戦に参加した8人の勇者たち。
人間を裏切ったと言われる1名を除く7人は英雄と呼びならわされた。
それが七英雄 ――― と言っても今も現役で居るのは1名のみ。
3人は決戦において戦死し、重傷を負い紋章機を破壊された3名は勇者として戦う力を失った。
しかもうち1名はその後に死亡しているため、明確に生き残ったのは半数以下という有様だった。
では『人類を裏切って魔族に付いた勇者』はどうしたのかというと、実のところ当の魔族たちにも分かっていなかったりする。
あの敗戦後の混乱の中でそんな事を気にかけている余裕などなかったし、それが真実ともわからなかった。
その後の内乱でもどこかの勢力が「これが勇者だ!」と見せつけるようなこともなかった。
その手にあれば使わずにはいられなかったはずの劇薬。
最強の戦力となりえたはずの勇者と紋章機はその行方を眩ませたまま。
人間達は言う。
「勇者が裏切った」のだと。
しかし魔族たちは疑問に思う。
「それは人間達の策略ではないのか?」と。
調べようにもご丁寧に全ての記録を抹消されているため、どんな人物だったのかも知れない。
ただ実際に刃を交わした者たちから断片的に紋章機の姿と能力がうかがい知れるだけ。
どこかに潜んでいて、機を見計らって奇襲でもされたらたまらない。
そう思っても探し出す術がない。
魔族領に現れたタイミングなどからサンドリオンが『そう』なのではという噂もあったが、本人はその点について何も言及していない。
さすがに正面切って「お前は勇者なのか?」と聞くバカはいなかった。
否定されても肯定されてもロクなことにならないのが分かりきっているからだ。
否定したならば「じゃあお前は何なんだ?」という突っ込みが入ることは明白だ。
唐突に魔王に連れられてやってきていつの間にか近衛を掌握し、魔王亡き今は近衛の武力を背景に強権を振るえる立場にある『元人間』。
はっきり言って怪しいことこの上ないし、できれば排除したいと思っている者も少なくないだろう。
魔王の眷族とはいえ、『元人間』の部分を快く思っていない魔族は多い。
特に近衛が睨みを効かせているせいで自分の権力を制限されていると感じる貴族たちならなおさら。
そこに何か『つっつける要素』があれば藪を棒でつついてみようというバカが出てきてもおかしくない。
サンドリオンの『正体』はそのつつかなくてもいい藪になりかねないのだ。
これは『勇者』であることを肯定されても同じことだ。
あの『決戦』において身内を失ったものは多い。
15年という歳月は長命な種の多い魔族にとって、恨み辛みを忘れる ――― 否、折り合いをつけるにしても短すぎる時間だ。
例えあの『決戦』の時には魔族についていたとは言ってもその前は敵だったのだ。
それ以前に『勇者』という存在自体を敵視する者も多い。
『元勇者』が『魔族の近衛軍を統括する』などという状況に反発するものは必ず出る。
それどころか近衛軍内部からも離反者を出しかねない。
そうしたらまた内乱の再開だ。
『人間』という外患に対処しなければならない現状でその様な内憂まで抱え込むのは誰しも遠慮したい。
そういった思惑から誰しもがその正体を『灰色』にしていた。
そう、これまでは。
できうることならこれからも。
従って奇妙な沈黙が生じることになった。
サンドリオンの言葉の意味を問うのはあまりに危険だ。
口が滑ったというならば迂闊に過ぎるのだろうが、果たしてこの男にそんな『可愛げ』があるのか疑問だ。
むしろ何かを仕掛けてきたと考えたくなるほどに。
なのでできれば早めに話を修正したいのだが ―――
「かつての仲間なら手の内も知れているから容易いと、そう近衛総帥殿は仰るか」
つつかなくていい藪をつつくバカが出た。
オセなどは今にも頭を抱えそうな所をなんとか留まっているため、非常にひきつった愉快な面相になっている。
「容易いなどとは言っていないな、ソル・ドラコニス卿」
「近衛軍だけで事足りるとはそういう意味では?」
沈黙を破ったのは銀髪の青年 ――― に見える存在だ。
髪の色に合わせたかのような純白の礼装。
所々に金の装飾が施されている。
華美と言えばそうだが、それ以上に目を引くものがあるのであまり問題にはならない。
「近衛だけで足りると言った覚えもない。
どうにも ――― 『誤解』があるように思えるのだが」
「誤解! 誤解かッ!」
青年がかぶりを振る。
絹のごとき銀髪が流れ、額の紅玉が覗く。
そして何より目立つのが突き出した2本の角。
一番似ている動物を挙げるなら鹿だろうか。
瞳も人間のものではない。
虹彩は赤く、瞳孔は縦に細長い。
大げさに振るわれた手は肌色ではなく、銀色の鱗に覆われている。
よくよく観察すると首筋にも同じく鱗が見えた。
「ならば問おう。 総帥殿は近衛軍の出陣回数と人間どもの侵攻回数をご存じか?」
そう言う青年の口元には人にはあらざる長い舌と牙がチラリとのぞく。
「今年ならば7回。 神聖同盟支配下の砦から5回。 帝国と北部連合から各1回。
ああ、同盟以外の後者はポーズと見るべきだろうが」
それで、とサンドリオンは前置きし告げる。
「近衛軍の出陣回数は侵攻回数と同じだ。 そうでなくては何のための近衛軍か知れたものではない」
「確かに、近衛の面目躍如と言ったところですかな」
「だから分からないのだ、ドラコニア卿。 貴官が何をそんなに ――― 気にされているのかを」
数秒の間は言葉を選んだか。
ドラコニア卿と呼ばれた青年はそれを気にすることなく答える。
「近衛軍は良く戦っている。 だが、近衛軍『だけ』が戦っている現状に問題があるのではないですかな?」
ことさらに『だけ』を強調されたために言いたいことを理解する。
(……ああ、まったくこれだから貴族という生き物は。 言うべきことが回りくどい)
サンドリオンとドラコニアの2人のやり取りを聞いていた姫は心底そう思うが、これも必要な様式と言えばそうなのだろうか。
つまるところ、ドラコニア卿が言っているのはこういうことなのだろう。
「このままでは面目が立たない、そう解釈してよろしいか」
サンドリンがそのまま訳した通り。
まあ、メンツとしなかっただけ言葉を選んだとも言える。
「侵攻に合わせての迎撃という任務の性質上、即応できる体制にある近衛軍が動くのはいい。
だが、『こちらから』攻めるのに近衛だけというのはいささか我々軍閥貴族にとっては怠慢に思えて仕方ないのだ」
「なるほど」
サンドリオンの返答は短い。
しかしながら「わかった」と安易には返さない。
理由は先にサンドリオン自身が言っている。
「今だから」という言葉に偽りはない。
今ならばボルダールに駐留する勇者は1名で済む。
だが ―――
「諸侯軍を編成するなら時間がかかり過ぎるのが問題だ。
その頃にはもう1名の勇者が戦列に加わっている可能性がある」
それが一番の懸念材料である。
何しろ存在は確認されたが能力までは知れていない。
そんな未知の戦力というのはこちらの戦力見積もりをする際に酷くやっかいだった。
例えば15年前の決戦で能力が判明している紋章機<アキレア>が相手であればある程度は対策が立てられる。
何に対して強く、何に対して弱いのかが知れているから。
紋章機も決して無敵の存在ではない。
決戦において何機も喪失しているし、その後の戦闘でも少なからぬ数が同じ憂き目を見ていることからもそれは分かる。
問題なのは『それでもなお』紋章機は最強の戦力であり続けていることだ。
それも人類側だけでなく人類・魔族を合わせた上での『最強』だ。
能力にもよるが、使いこなせれば魔族の最強戦力たるドラゴンを圧倒する。
決戦において12体のドラゴンが3機の紋章機によって蹴散らされたこともある。
虎の子のドラゴンを失い、一気に劣勢へと立たされた魔族側は結局その痛手を回復できないまま敗北した。
そこまで考えてふと気付く。
ドラコニア卿の種族は ―――
「勇者が増えている? 近衛総帥閣下はそれに何の問題があるというのか!」
ことさら大仰にそう断言する青年貴族にサンドリオンはガシガシと乱暴に自分の頭をかじると僅かに首をすくめた。
――― これだからドラゴンという奴らは。
口の動きがそう呟いたように見えたのは勘違いではあるまい。
魔術によって人に近い姿をとろうともそれはあくまで仮初。
その本質は災厄とも呼ばれる暴虐の化身だ。
紋章機と勇者の組み合わせには勝てないと言ってもドラゴンが弱いとかそういうことではない。
むしろドラゴンを相手取れる方が異常なのだ。
ドラゴンを相手取るには紋章機を投入するしかなく、他の戦力では容易に蹴散らされてしまう。
対して魔族も紋章機を相手にするなら自分達の最強の手札を切るしかない。
必然、勇者とドラゴンはよく対決するようになる。
陳腐な英雄譚のそのままに『邪悪なドラゴンを打ち倒す正義の勇者』の構図が容易く出来上がるのだった。
ドラゴンとは災厄の象徴。
打ち倒されるべき邪悪。
最後には『手ごわかったが勝った』と言われる存在。
つまるところ、敗者。
最強の魔獣と呼ばれるドラゴン種族には耐えがたいレッテルであろう。
ゆえにそれを払拭したがっており、戦場で打ち倒すというのはその最も現実的かつ有効な手段だった。
問題は、それを今やろうとしていることで。
「勝ち易きに勝つというのは戦術の基本と思っているが?」
「それは弱者の理屈であるとおもうのだが、いかがか?」
「誰もかれもがそうであるならば問題はないのだろうが。
生憎と軍を率いるということは単一種族のことだけでは済まされない。
皆が皆『龍の如く』猛くあるわけではない」
嫌味と当てこすりの応酬。
『龍の如く』とは比喩表現で『ドラゴンのように』猛々しいとか『ドラゴンのように』巨大なという表現をされる。
最期の言葉だけを聞いていれば褒めているように聞こえるが、その前に軍を率いるということは云々と言っている。
それを踏まえると、ようするに「周りも見えてない脳筋野郎」と罵倒したことになる。
ドラコニア卿の方も弱者の理屈云々の下りで「弱いからそんな余計なこと考えるんだろう」と言っているのでお互い様か。
(お互いに挑発にしてもいささか過ぎますね)
建前的には最上位であるはずの『姫』である彼女を差し置いて繰り広げられているあんまりな舌戦に頭痛を覚える。
ドラコニア卿の言は仮にも王家直属の親衛隊である近衛軍のトップに対して言うには礼節を欠いているし、
サンドリオンの返しも魔族内で有数の実力を誇るドラゴン種族の族長に対して言うような言葉でもない。
血の気の多い魔族なら殴り合いにでも発展しそうな暴言だ。
まるで相手が怒るのを狙っているかのような ―――
(というより狙っているのでしょう。 仮とはいえ主君たる姫の前で醜態をさらすのを)
互いに喧嘩腰なのはそのためか。
近衛のトップとは言え、サンドリオンは個人的な武勇では屈指の『低さ』を誇る。
魔術で人型を採っていて戦闘力がタダ下がりしているとはいえ、ドラゴンに勝てるはずもない。
ドラコニア卿も近衛の頭に喧嘩を売るということは、下手をすれば王家への反逆ととられかねない。
つまり互いに本気で殴り合いをするはずもない。
本気には違いないが方向性の異なる政治の喧嘩というわけだ。
そしてそれをやって見せる理由は ―――
ちらりと傍らの宰相にアイコンタクトを送る。
豹頭の獣人は心得たもので『ほどほどに』して制止に入る。
「貴官らの熱意は軍人として得がたきものである。
が、姫殿下の御前である。 控えられよ」
宰相の言葉にサンドリオンは一礼し下がる。
ドラコニア卿も「失礼いたしました」と告げて一礼。
とりあえず双方言いたいことは言ったようだ。
それならばあとは決めねばならない。
「双方の言い分は理解した」
なるべく威厳を保つようにゆっくりと口を開く。
告げる内容は真っ赤なウソだが、とりあえずそう言わねば話が進まない。
これは軍事作戦の話『ではない』。
サンドリオンが近衛だけで速攻をかけさせろと言うのも、ドラコニア卿がうちにも一枚かませろというのも、軍事的にはそれなりの整合性がある。
速攻案ならサンドリオンの主張するように勇者の揃わない今のうちに容易く砦を占領できるかもしれない。
逆にドラコニア卿の案では近衛軍+諸侯軍で戦力を優越させれば勇者の一人くらい問題にならずに攻略できるかもしれない。
どちらもそれなりに理はあるが、それでいて今はさしてその点の重要性は高くないのだ。
実にやっかいなことに
『事前に説明された所によれば』どちらを採用しようともそれなりに戦えるというのが軍部の判断だった。
こうして彼らが言い争いを演じている最中にもボルダールへ散発的な襲撃が行われているはずだ。
それを担当するのはかの城塞群と領地を接している貴族の仕事だったが、やる気のない攻撃をとりあえず『昼夜問わず』仕掛けていればいいと通達してある。
夜は種族によってはむしろ動きやすい時間帯であったし、本気で攻め落とせと言われたわけでもないので相手も心得たものだった。
要塞の武器の射程外から吠えまくる、夜間にこっそり近づいて見張りを2・3人殺して逃走、たまに大勢で攻めるふりなどの嫌がらせを行っていた。
無論のこと砦側からも反撃はあるので損害皆無とはいかないが、真っ向からぶつかるよりはマシということだ。
王家に対しては「こっちも頑張ってます」というポーズになる。
酷い出来レースもあったものだ。
そんなダラダラとした消耗戦に付き合わされる兵もたまったものではないだろうに。
ほとんど戦果らしい戦果をあげられるとも思えないが、提案したのはサンドリオンだというから、まあそれなりに意図があるのだろう。
( ――― 神経戦、と言っていましたか)
作戦に対して承認を下すのに説明を聞かされたが、ほとんどチンプンカンプンだった。
たまにサンドリオンは意図のつかみにくい作戦を提示してくるので軍部でも首を捻ることがあるとは言っていた。
結局、それが外れたことがないので良しとしているらしいが、いいのだろうか。
(ともあれ、ここで選ぶべきは軍事作戦の重要性ではなく、政治のバランス)
近衛だけでも攻略できるとサンドリオンがいうなら『そう』なのだろう。
だが、それでは『近衛が勝ちすぎる』という懸念ができる。
近衛=王家ならばそれも問題ない。
が、近衛を抑えているのは何を考えているのかいまいち不明なサンドリオンという正体不明の男。
正直なところ、先代魔王の崩御以来、魔王の不在が続いている現状で誰かに力を持たせすぎるのはまずい。
そう言う意味でサンドリオンは現状、『勝ちすぎ』だ。
近衛を率いての内乱制圧。
非公式戦果ながら勇者の撃破。
人間領への浸透と諜報。
一番上以外は近衛総帥の仕事ではない気がするが、とにかく彼と敵対し嫌うものたちですら認めないわけにはいかない。
サンドリオンは軍人としては有能だと。
それが政治家としての有能とイコールで結ばれないのは良いのか悪いのか。
ともあれ、その有能さゆえに今回はその進言を退けねばならない。
「今回に限って言うならば ――― 」
珍しくサンドリオンが感情を表に出して表情を変えるのを伺いつつ、彼女は思う。
これは珍しく荒れるかもしれない、と。
今回は難産でした。
次あたりで魔族サイド終わりで第10話からようやっと戦争パートです。