↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/16

第9話 その一言は、誰のもの

「行ってきます」


 曇り空の下、家を出て数歩。

 いきなり胸の奥がざわついた。


 そこにいないはずの紗雪がいた。

 彼女は生徒会の用事などで早い時間に登校することが多い。

 会わないように時間をずらしていたはずなのに。


「おはようございます、水瀬君」

「おはよう、如月」


 何でもない挨拶。

 その目の前を通り過ぎる。

 それだけのはずだった。


 目が合った。

 その何かを訴えるような視線は、氷のそれではない。

 昨日、教室で視線を合わせたのは偶然で片付けられた。

 でもこれはそうじゃない。


 足が止まった。

 無表情だと思った紗雪の眉は歪んでいた。

 彼女が訴えようとしている何かが、俺をそこに留めた。


 紗雪の口が開きかけた。

 必要なこと以外の、言葉を交わすことを諦めたのはいつからか。

 それが俺と彼女との時間を凍らせていた。

 

「あの、……」

「……遅刻するぞ」

「……そう、ですね」


 不穏な空気が支配する間。

 これは会話と言えるのか。

 でも、こんな会話でさえ、今の俺達には重い言葉だった。



◆◇◆



「おはよ~陽斗」


 あたしはいつも通り、仏頂面で出てきた陽斗に生気を吹き込む儀式を始める。


「ああ、おはよ、佐倉」

「はい減点」

「……琴葉」

「よろしい」


 胸の奥に熱を感じる。

 我ながら名前を呼ばれただけで浮かれるとかチョロすぎる。

 これはリハビリ、おかしくなった友達のリハビリ。

 だから呼ばれたことに意味はない。

 意味はない……はず。


「なぁ、昨日、ふたりで帰ってなかったか」

「え、デート? 水瀬と佐倉が?」

「琴葉、彼氏いるんじゃなかったっけ?」


 クラスメイトが噂を立てようとする。

 彼氏がいるって噂はいつもなら便利。

 でも今だけは少し邪魔だった。

 今、そんな余計な話を広めないで。


「違う違う、リハビリしてたの」

「リハビリって、何の?」

「陽斗の人間社会復帰訓練」

「おい、ちょっと待て」


 陽斗が慌てて割って入っていた。

 クラスメイト達は「確かにお前の社交性はリハビリが必要だな」と笑っていた。

 

 落ち着いて席に座ったところで、改めて陽斗に向き合った。


「それでは今日のリハビリメニューです」

「まだバリエーションがあるのか」

「もちろん。それだけ重症だよね」

「…………」


 文句を言おうとして口を尖らせるも、言葉が出てこないところが可愛い。


「今日は用件もない会話ね」

「何だそれ」

「用がなくても話しかける練習」

「難易度高くないか?」

「だからやるんでしょ」


 普通そうで人畜無害——それが皆から陽斗への印象。

 でもそれは表面上の話。単なる陰キャというのとはわけが違う。

 陽斗は自分から踏み込んでする会話がほとんどない。

 それは会話が苦手という以前に、何かに躓いている印象だった。


 だから「彼女を作りたい」という言葉に耳を疑った。

 コミュ障改善から飛躍しすぎだったから。


「会長相手だと、用件がないと話しかけられないんでしょ」

「……まあ、うん」

「じゃあ、まずあたしで練習」

「お前で練習になるのかよ」

「なる。はい、それじゃ話を振ってみて」


 あたしの振りに陽斗は口ごもる。


 会話の流れができているときの受け答えは普通。

 だから、踏み込むことを覚えさせれば改善するはず。

 あたしはそう思っていた。


「昨日は、何を食べた?」

「昨日? えーと、晩御飯は——」


 そんなリハビリでも、他愛のない会話が嬉しかった。



◆◇◆



 朝から休み時間のたびに陽斗と会話した。

 彼から話しかけるよう目線で訴えてみたり。


 そうして自分で仕込んだというのに。

 声をかけられるたびにじわりと笑みが浮かぶ。


 違う、駄目だ。

 ふたりの隙間はずっと氷のように変わらない。

 それなのに、今日だって何度も視線を交わしていた。

 

「今日はさ、会長に一言、話しかけてみようか」

「は?」

「一言だけ。今日も姿勢いいねでも、書類ありがとでも、何でも良いから」

「無理だろ」

「ううん、考えてみて。今日、頑張ったでしょ? 温まってる今ならいける」


 だというのに。

 あたしは彼の背中を押した。

 言いたくない言葉が口から出ていた。


「はいこれ」

「何だよ、このプリント」

「提出物。生徒会へのね」

「……なんでお前が緑化委員の提出物持ってるんだよ」

「友達のパシリ。ほら、よろしくね~!」


 あたしはもう、陽斗が会長を見て見ぬふりをしているのを、見ていられなかった。



◆◇◆



 生徒会室の扉の向こう。

 彼が入って行ってから聞き耳を立てていた。

 罪悪感もあったけど、今さら離れられなかった。


——緑化委員の書類を預かったから

——はい、お疲れ様です、お預かりします。


 必要最小限の会話が終わった。

 ここで言えるかどうか。


 静寂。

 会話もなく、すぐに出てくるのかと思った。

 でも声が聞こえてきた。


——如月

——はい


 言った!

 陽斗、頑張れ。


——その……この前。服、見てくれて、助かった

——いえ。……どう、いたしまして


 会長の声色は、いつもより柔らかく聞こえた。

 胸の奥がちくりとした。


 そして靴音。

 扉が開く前に、あたしは少し離れた場所まで移動した。

 それから、失礼します、と扉を閉めて歩き始めた彼を呼び止めた。


「お疲れ様!」

「うおっ!? なんでこんな場所に」

「ほら、リハビリだし、理学療法士だし」

「急に専門的になったな……」


 呆れたように苦笑いする彼は、心なしか明るく見えた。


「で?」

「言ったよ」

「聞いてた」

「盗み聞きかよ」

「患者の動作を見ないと適切なアドバイスもできないし」

「なんだよそれ」


 気恥ずかしいのか髪をかく陽斗。


「すごいよ陽斗、昨日より一歩どころか十歩前進!」

「一言だけだけど」

「その一言が難しい相手だったよね。進めたんだから」


 褒める。

 褒めただけ、苦しかった。

 だから言葉で壁を作っていたのに。


「ああ。助かったよ、琴葉」


 その瞬間に息が詰まった。


「……今」

「うん?」

「いや、何でもない」


 

◆◇◆



 陽斗が踏み出した。

 あたしはそうしてほしかった。

 我慢できなかった。

 だから背中を押した。


 陽斗はやり遂げた。

 踏み出せずくすぶっていた彼が動けた。

 それはとても喜ぶべきこと。

 あたしはとても嬉しくて、苦しかった。


 陽斗があたしの名を、自然に呼んだ。

 胸が温かくなった。

 それが、紗雪との架け橋への礼だったことが痛かった。


 “友達”のふり。

 リハビリ。

 応援したい。

 応援したくない。


 ひとつだけ、分かっていること。


 あたしは、彼があんな顔をするのを放っておけないの。



◆◇◆



 少しだけ良いことがあった。

 私の口調が明るくなってしまうのも自然だった。


>> さーらちゃん、ご機嫌

>> 癒し効果高い


「えへへ、分かっちゃう?」


るーと> 良いことあったんだね


「うん。ちょっと疎遠だった人と、お話できたんだ」


>> それは良かった

>> うん。幸せは皆でおすそ分け

るーと> 俺も今日、距離のあった人と話せたんだよ


「あ、るーとさんもなんだね! 服選びありがとうって」


るーと> え?


「あ! あ、ごめん! ほら、前に服を買いに行く話をしてたから、それと勘違いしちゃった」


>> そういえば、るーとニキそんな話してた

>> さーらちゃん記憶力すごい

>> これが古参待遇かw


 冷や汗が出た。

 何とか誤魔化せたかな。


るーと> その、服を買いに行った友達のおかげで、話せたんだよ


「へ、へぇ? そうなんだ~」



◆◇◆



 うまく誤魔化せた。

 たぶん。でも、動揺しすぎた。


 彼が誰と帰ったのか。

 誰に助けられているのか。

 今日、私に一言をくれた理由まで。


 その全部が、佐倉さんだった。

 踏み出してくれた彼の一言が、嬉しくて、苦しかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。