第8話 一緒に帰る、それだけ
「おはよ~陽斗~」
「ああ、おはよ、佐倉」
「違う」
にこやかな顔をしているのに佐倉の目が笑っていない。
もしかして……
「……琴葉」
「よくできました。リハビリだからね、サボっちゃ駄目」
「こんなのがリハビリになるのか」
疑問はある。
ただ、俺が避けてきた境界線の越境は、確かにリハビリかもしれない。
そう思って拒絶まではしなかった。
「はいはーい、本日のリハビリメニューをお伝えします」
「まだ続くのか」
「そりゃ一日で完治なんてしないよ。骨折だって治らないでしょ?」
「まぁ確かに」
抵抗するだけ無駄な気がしている。
こうして距離を詰められても佐倉にはさほど緊張はしなかった。
「で、今日は実地訓練ね」
「実地ってどこ」
「一緒に帰る」
「うん?」
一緒に……。
俺がひとりで帰るようになってから久しい。
そのほうが気楽だったから。
「それ、ただの下校だろ」
「そう、ただの下校を普通にできるかって話。だってあんた、その普通が難しいんでしょ」
「む…………」
違う、とすぐに言えなかった。
あいつと距離を置いてからはそれが自然だったから。
「目標はね、会話を続けること。あとスマホ禁止」
「グロッキー禁止か」
「うん。あたしがいるのに失礼でしょ?」
確かに話をしている相手がスマホを見ていたら良い気分はしない。
ひとりでいると見るのが当たり前になっていた。
佐倉にはよく見られていた、ということだ。
「じゃ、放課後にね。今日は授業が終わったら……」
佐倉に言われるがまま、放課後の約束が決まっていく。
いつものことだ。
こいつは勢いで人を巻き込むのが上手い。
俺は不思議と、それが嫌だとは思っていなかった。
ふと教室の中に視線を泳がせた。
紗雪が教科書に目を通していた。
背筋は伸びていて動きに無駄がない。
いつ見ても周りとは少し違う空気をまとっている。
目が合った。ほんの一瞬。
その長い睫毛の下から覗く深い黒。
あの頃から変わらないその瞳の深さ。
凛としたその内側に、少し胸が苦しくなる。
何か言うべきなのかもしれない。
一昨日のことも、この前のことも。
でも喉の奥が詰まる。何も出てこない。
何を言っても間違える気がした。
また彼女の顔を曇らせるだけな気がした。
だから俺は先に目を逸らす。
いつものこの距離は守れる気がしたから。
◆◇◆
いつもの下校路。
佐倉が隣を歩いているのはいつも通りじゃない。
「ねぇ、黙ってちゃ駄目。会話を続けようって言ったよね」
「何を話せば良いんだよ?」
「そうやって考えるから駄目なんじゃない?」
「じゃあ、どうするんだよ」
「目についたものを話題にすればいいの」
そう言って彼女は指を差す。
「あのコンビニの広告。どっちがいい?」
「どっちって?」
「新作スイーツ。シュークリームとプリン」
「シュークリームかな」
「どうして?」
「スプーンで食べるのが面倒」
「理由、実用面!? あたしもシュークリームだけど、せめて味でしょ」
少しの話題から広がっていく。
彼女の見ている世界はいつも明るい。
「……シュークリーム、買うか」
「え?」
「話に出たし」
「今、陽斗から誘った?」
「要らないなら止める」
「やめない! 行く!」
破顔したその表情が眩しかった。
こんなに喜んでくれるなら誘った甲斐もあるというもの。
近くの公園に立ち寄ってベンチで並んで食べた。
「あー、おいし~」
「そういえば佐倉は彼氏がいるんだよな。誘われるままにやってるけど、お前、いいのか?」
「え、今さら?」
「今さらだけど」
俺の質問に佐倉は少し可笑しそうに笑った。
「いないよ」
「いない?」
「うん、いるってことになってるだけ」
「どういうこと?」
彼女は残りをぱくりと口に放り込んだ。
「ほら。あたし、可愛いじゃん? 見た目だけで近付いてくる男子も多いから」
「ああ……」
自分で可愛いと言い切ってしまう佐倉。
でもそれは事実だし、そうなるよう努力している自負もあるのだろう。
「そういうもんなのか」
「そういうもんなの」
「なら、問題ないんだな」
「うん」
隠していたことを話したせいか、清々しいような横顔だった。
「……それだけ?」
「うん。良かったよ、お前に後ろめたいことがなくて」
「——陽斗ってそういうとこだよね」
佐倉はまだ赤くならない空を仰いだ。
「あたし、昔はさ~。いつも“友達”だったの」
「友達?」
「うん。ぱっとしなくて、いつも誰かの隣にいるような、地味な子」
「そうなのか。とても見えない」
懐かしむというよりも、触れたくない何か。
それは俺の中にあるものに似ていると思った。
「相談されて、応援して、気付いたら友達枠。好きだった人にも『いい子だよね』って言われるやつ」
「……それ、嫌だったのか」
「嫌だった。だから自分を変えたの」
彼女がどうして俺にそれを告白しているのかは分からない。
ただ、俺を信用しているのは確かなんだろう。
「そっか」
「えー、これだけ話したのにそれだけ?」
「いや、こんなの簡単に言えることじゃないだろ。俺は聞くだけだ」
「——ほんと、そういうとこ」
大きく伸びをした佐倉が、少しだけ寂しそうな表情をしたのが印象に残った。
その後、駅前のインテリアショップで小物を見たり。
ウィンドウショッピングを繰り返した。
佐倉の世界に同席する。
それだけで息苦しかった何かが、楽になったように思えた。
◆◇◆
その夜の配信でも、私は『雪乃さらさ』の声を作っていた。
るーと> コンビニのシュークリームが意外と美味しい
「るーとさんはシュークリーム! 美味しいよね、うんうん。ひとりで食べたの?」
るーと> 一緒に帰った友達とだよ
「いいねー、友達と。楽しかった?」
るーと> うん、楽しいというより気楽だった
「そっか。自然体でいられる友達って、大事だよね」
今日、食べたものがどうだった、という話。
それだけのつもりだった。
でも、彼は普段からひとりで帰る。
だから一緒に帰った相手は彼女しかいない。
佐倉さんは、陽斗の傍にいた。
ずっと止めていたはずの場所が、変わっていく——




