第10話 もう、見ていられない
《うぇっぷ、女子と話を弾ませる方法ってのはなぁ——》
グロッキーの説明はとても論理的だった。
世の中のノウハウを凝縮しているのだから間違いはない。
きっとそのとおりにすれば上手くいく。
でも。
俺は世の中の平均値じゃない。
だから俺はグロッキーのアプリをスワイプした。
今朝は紗雪と会うことはなかった。
昨日のはただの偶然。
これまで通りだった。
——いえ。……どう、いたしまして
そんな簡単な話じゃないことは分かっている。
それでも、重しは今なら動かせそうな気がした。
◆◇◆
「おはよ、陽斗」
「おお、おはよう、琴葉」
「お、自然になってきたじゃん。リハビリ効果出てるね」
「いつまで患者扱いするんだよ」
「完治するまで」
「完治の基準が分からない」
教室についたばかり。
挨拶を終えた琴葉は妙にご機嫌だった。
「今日はどうするんだ、リハビリ」
「え?」
「いや、一日二日じゃ改善しないんだろ」
「おおー、ずいぶんと前向きだね」
「そりゃあ、琴葉先生のおかげだから」
実のところ、期待していた。
彼女のお陰で少しずつ変われている気がしたから。
でも琴葉はそんな俺をまじまじと見てから、首を振った。
「今日のリハビリはサポーターなし」
「え?」
「だって、ひとりで歩けたんだよ。なら、ひとりで歩かなきゃ」
「それはそうだけど……」
見放されたようで少し心細くなると、琴葉は溜息をついた。
「用事を作るところから自主練。あたしが毎回用件を作ってたら、ずっとあたしがいないと駄目になるじゃん」
「まぁ……そうだな」
「わかったら、ほら、自分で考えて」
しっしっ、と俺を追い払うような仕草をされてしまう。
邪険にされたようで少し面食らったが、これさえも俺に必要なことなのだろう。
琴葉は俺を相手にしたくないのか、頰杖をついて難しそうな顔をしていた。
俺は仕方なく自分でどうやって機会を作るか考えた。
◆◇◆
いつもは無意識に目を逸らしてしまう彼女の姿。
俺は改めて意識をして見た。
すっと背を伸ばして座る姿。
休み時間に生徒会役員に丁寧に指示する姿。
教師に頼み事をされて顔色ひとつ変えずに頷いて引き受ける姿。
遠くから見ている分にはやはり綺麗だ。
誰からも距離はあるけれど、その立ち振舞いに隙はなくて。
あれから紗雪がこうして前を向いて歩いていること自体はとても喜ばしかった。
同時に、その顔が曇らないかといつも心配だった。
どうかこれ以上悲しまないように——その俺の気持ちだけはずっと変わらなかったから。
紗雪と何度か目が合った。
いつもは俺が先に目を逸らしていた。
けれども今日はじっと見つめた。
紗雪は少しだけ驚いたように目を見開いて。
そして彼女から目を逸らしていた。
◆◇◆
——その……この前。服、見てくれて、助かった
ただの一言。それが胸の奥を温めて、そして同時に締め付けた。
彼が私に目を向けたきっかけは間違いなく彼女。
感謝こそすれ、恨むのは筋違いだ。
だからこそ苦しかった。
“るーとさん”として知っている彼の気持ち。
それを如月紗雪が知っている。
あれを、彼が嬉しかったと思っていることを。
そのこともまた、真綿のように首を絞める。
私は、彼の言葉を受け取ることができるの?
知らない顔で、勇気を出して踏み出した、その言葉を。
ぽきり、とシャーペンの芯が折れた。
芯をノックする間、浮き足立つ感覚は消えなかった。
◆◇◆
イライラした。
何にイライラしているのか分からないことが、余計にイライラした。
もう後押しはしたくなかった。
視線を交わし合っている姿に諦観も少し湧いた。
でも、陽斗も紗雪も、動こうとしない。
イライラした。
ほら、やっぱり、そこなんじゃん。
だったら隙間なんて見せないで。
あたしで練習してもそこには届かない。
たぶん、あの二人でしか触れない場所。
イライラした。
昼休みに廊下で立ち話をしそうな瞬間があった。
でも視線を交わすだけで通り過ぎていた。
放課後になったすぐ。
部活に、帰り支度に忙しい教室の中。
生徒会へ向かおうとする紗雪と、荷物だけ整理する陽斗。
またお見合いをして、そのままだった。
イライラした。
くっつくなら、くっついて。
そうすればあたしも諦められる。
でも。
もし二人が向いている方向が違うなら。
もし陽斗が、もう会長を見なくていいと思えるなら。
そのときは——
そんなことを考えた自分が嫌だった。
嫌だったけれど、そうなって欲しかった。
だからあたしは彼の腕を引っ張った。
「陽斗、ストップ」
「何だよ」
「自主練はどうなったの?」
「気長にやるよ」
「それ、絶対に明日も同じこと言うよね」
あたしはいつもの愛想笑いをしていない。
陽斗はあたしの本気に気圧されたようだった。
「今日、会長と話して」
「……また一言か」
「ううん、ちゃんと。あんたが抱えてることを話してきて」
「……お前……」
陽斗は難しい顔をした。
あんたが難しいのは分かってる。
でもあんたが逃げ続ける限り、これが続く。
「無理だ」
「無理かどうかじゃない。あんた、ずっと会長のこと見てるじゃん」
「……見てない」
「見てる」
逃げてる理由は知らない。
でも、たぶん、逃げていいことじゃない。
「見てるのに何も言わない。話したいのに話さない」
「…………」
「それで平気な顔して、あたしと笑ってる。あんた、それで良いの?」
——言い過ぎた!
気持ちが先走りすぎた。
背筋が冷えた。思わず口を抑えそうになった。
陽斗の眉が歪んでいた。
「……俺は、また間違えるかもしれない」
「うん」
「また紗雪を傷つけるかもしれない」
「うん」
その名前の呼び方に胸が少しだけ痛んだ。
でも今はそこに触れない。
「だから……」
「——だから、そのままにしてる。でもあんたはさ、変わりたいんじゃないの? 彼女を作りたいって言ったよね」
陽斗はうつむいた。
その歪んだ顔を見るとさらに胸が痛む。
それでも言葉は止まらなかった。
「間違えないとは言わない。でも、あたし相手に練習したのは間違えないためじゃないよね」
「…………」
「間違えても、そこで終わらせないためでしょ。だから後輩にも謝りに行ったんでしょ」
彼の逡巡。
そして彼は小さくうなずいた。
「……俺だって、話せるなら話したい」
「よろしい」
あたしは陽斗の両肩を掴んで目を見据えた。
「今日の16時45分。本校舎屋上で待ってて。紗雪はあたしが呼んでくる」
◆◇◆
もう、止まれなかった。
もう、止まらなかった。
だから生徒会室から出て来た会長を捕まえるのは簡単だった。
「佐倉さん、用事とは何でしょう」
“氷”の視線。
明らかにあたしに思うところがある。
だからこそ止まらない。
「あたしじゃない。用事があるのは陽斗」
「……え?」
「紗雪も、陽斗に言いたいことがあるでしょ」
「……ありません」
「嘘」
氷のくせに、目を丸くするなんて分かりやすい。
「昨日、今日。陽斗をずっと見てたよね」
「…………」
「二人とも見てるだけ」
「……佐倉さんには、関係のないことです」
紗雪は顔を背けた。
急過ぎるだろうけど、拒否するのは許さない。
「関係ある」
「え?」
「陽斗があたしと話をしてるの、気になってるでしょ」
その指摘に紗雪はまたこちらに視線を戻した。
氷の表情ではなかった。
代わりに眉間にしわが寄っていた。
「それ、あんたと話すためだから」
もう言って良いことかどうかも考えたくなかった。
「私、と……」
「そ。うまく話せないから、そのリハビリ。陽斗は努力してんのに、あんたは逃げるの?」
彼女は何かを言いかけて、口を閉じた。
あたしにはそれで十分だった。
「くっつけって言ってるんじゃない。陽斗とちゃんと話して」
そうして、渋々ながらうなずいた紗雪を連れて歩く。
長い階段を登って、屋上の扉を開けた。
屋上から見える、始まったばかりの夕焼けが眩しかった。
陽斗の影に向かって紗雪を押し出して、あたしは扉を締めた。
階段を降りる足取りが重かった。




