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第5話 言えなかった言葉、聞いてくれる声

 自分を変えようとして動き出した翌日。

 筋肉痛は幾分かマシになっていた。

 それなのに佐倉に「まだ続けるの?」とからかわれて。


 そんな賑やかさの後の静かな授業。

 でも、その中身はちっとも頭に入ってこなかった。


——ちゃんと聞いてくれて、ありがとうございました


 後輩の、あのときの後ろ姿が何度も浮かぶ。

 自分を変えようと思って、動いてわかった。

 俺は彼女に向き合えていなかった。

 だから、この授業のように言葉が頭に入らなかった。


——水瀬先輩に言えてよかったです


 本当に言えてよかったのか?

 俺は何も答えていない。

 それなのに満足だったのか?

 このままでいいのか?


 三度、シャーペンの芯が折れたところで俺は決心した。

 彼女に会いに行こう、と。



◆◇◆



 放課後、廊下を歩きながら考えた。

 いったい今更、どんな顔をして会えばいい?

 そもそも、もう終わったことじゃないか?


 それに——怖い。


 気持ちを伝えるのは、怖い。

 踏み込んだら深い傷をつけてしまう。

 あの紗雪のときみたいに。

 俺が近付くと、駄目なんだ。

 また壊してしまう。


 足が止まりそうになった。

 でも、どうしてかそれが違うと思った。


——告白してきた子の気持ちは、軽く扱わない方がいいよ


 佐倉の言葉が、何度も胸を刺していた。


——ありえないよ陽斗。自分で言わないと


 そう、俺は、言わないといけない。


 何度も立ち止まりながら。

 廊下の角を曲がったところで人にぶつかりそうになった。


「うぉっと!」

「きゃっ! あ、あれ、水瀬先輩」


 そう、まさかの尋ね人とばったり会ってしまった。

 彼女は俺を見るなり、はっとした表情を浮かべた。

 声が少しかすれた。


「あ……あの。今、少しだけ時間ある?」

「えっと……はい。大丈夫、です」


 後輩は少しだけ迷って、小さくうなずいた。



◆◇◆



 近くの空き教室に入った。

 扉を半開きにしておいて、彼女と向き合う。

 彼女は居心地悪そうに視線を逸らしていた。


「あの。あのさ、この間は、ごめん」


 とにかく何かを言わないと。

 焦りだけで口が動き始めた。


「俺は、その。自分の言葉で言わなきゃいけなかったのに……」

「……いいんです。もう、会長には謝ってもらいましたから」

「え、如月が?」

「はい。割って入ったのは悪かったって……」


 驚いた。

 でも、それ以上に。

 彼女の諦めたような乾いた笑いに胸が痛くなった。


「違う、そうじゃない、そうじゃないんだ」

「え?」

「お、俺が、俺が! 自分で、言うから……」


 怖かった。

 彼女に軽蔑されて、蔑んだ目をされることが。

 もう顔も合わせられないような関係になってしまうことが。


 冷や汗が出ていたかもしれない。

 唇も震えていた。

 でも、彼女は。ただ待っていてくれた。


「気持ちは嬉しかった……でも、ごめん。付き合えない」


 視線は彼女の足に向いていた。

 上履きだけが床の上にある。


「……よかったです」


 その言葉で、彼女の顔を見た。


「先輩の口から聞けて、よかったです」


 でも、その顔からは笑顔は消えていて。


「……ちょっとは、期待したんです、よ」


 彼女の声は震えていた。


「あんなふうに終わっても……ちゃんと、聞いてもらえたから」


 唇がへの字に歪んで。


「もしかしたらって、思ったのに……」

「ごめん」


 もう、これ以上、何も言えなかった。


「水瀬先輩にも謝られて、会長にも謝られて。じゃあ、私はどこに怒れば良いんですか、ひどいです」


 直視をしたくなかったのに。

 視線を逸らすことはできなかった。


「あ、あれ……あれ……ご、ごめんなさい」


 駆ける音。

 バタンと乱暴に閉められた扉。


 俺はその場にへたり込んだ。

 心臓の音がうるさい。

 瞼が熱い。

 胸が痛い。

 喉が詰まる。


 俺は、また……!


 呼吸が浅かった。

 視界がチカチカする。


 ただ。

 ただ、来る前にあった、胸の中の重いものだけが。

 少しだけ消えていた。


 目の前の床には、雫の跡があった。



◆◇◆



「こんさら~。今日ものんびりお話しましょ~」


>> こんさら!

>> 今日も来た

>> 癒やし枠さーらちゃん、たすかる


 流れるコメントに彼を探す。

 でも、まだいない。

 彼が遅れる時はたいてい何かあった時だ。


るーと> ただいま、さらさちゃん


「あ、るーとさん、こんばんは!」


 声が弾む。

 当たり前に来てくれるのが嬉しいから。


「来てくれてよかったぁ。今日は忙しいのかなって思った」


>> るーとニキ来た瞬間声やわらかくなったぞ

>> 古参待遇裏山

>> 温度差ぁ!


「ち、違うよ? みんなにもやわらかいよ?」


>> いつものるーとニキとのめおと漫才

>> それな


「こら、変な方向に盛り上がらないの!」


 それから、いつもの雑談を始めた。

 食べたものの話。

 スマホケースの話。

 でも、彼の反応が悪い。

 話を振ってみよう。


「るーとさん、どうしたの? いつものキレがないよ~」


>> たしかに。さーらちゃん鋭い

>> るーとニキどしたん


るーと> 今日、この間の告白された子に会いに行ったんだ


「え、そうなんだ、会いに行ったんだ」


 驚いた。

 私が割って入ったせいで止まってしまったのに。

 陽斗は自分で動かしに行ったんだ。


るーと> うん、あのとき自分で言えなかったから


 胸がちくりとした。

 彼にこうして負わせてしまったことへの自己嫌悪。


「そっか。うん、その気持ち、大事」


>> 真面目回か

>> 彼女作る発言の実装?

>> さらさ先生もーど


「あはは、先生じゃないよ~」


 リスナーの人たちのアットホーム感が優しい。

 暗くなり過ぎずに続けられる。


るーと> 行く直前まで、やめようかと思ってた

るーと> でも、俺の言葉で言わないと駄目だと思って


「それ、すごく大事なことだと思う」


 それから、彼は一部始終を少しずつ語った。

 その度に相槌だけが流れる優しい時間が続いた。


るーと> ちゃんと断った

るーと> でも泣かせた

>> あー

>> それ残る

>> つらたん


「うん、残るよね」


 重かったんだね、陽斗。頑張ったんだね。


「向き合うとさ、後からじわじわ来るよね」


>> そう、じわる

>> 沁みる


「でもでも。それだけ相手の気持ちをちゃんと受け取ったってことじゃないかな」


るーと> 断ることより

るーと> 言ったあとにどんな顔をするのかが怖かった


「……るーとさんって優しいんだね」


るーと> 優しい? 泣かしたぞ


「でも、ちゃんと言えたんでしょ」


 そう、言えたのが偉い。逃げなかったから。


「だったら私は、優しさのほうが勝ったんだと思うな」


>> 優しさのほうが勝った 良い

>> しみる

>> つ【染み抜き】

>> るーとニキ、素直に褒められとけ


「ほら、るーとさん。みんなも言ってるよ。今日は褒められる日です」


るーと> 褒められ慣れてないんだけど


「では今から訓練開始です」


>> おれら強制参加草

>> 待ておれらも褒められる奴

>> さーらちゃん褒めて褒めて


「みんなー! 生きてるだけでえらーい!」


 そこからコメント欄を拾いながら雑に褒めていく。

 「今日も来てえらい」

 「コメントしてえらい」

 「見てるだけでもえらい」

 そんな他愛ないやり取り。

 彼の反応も少しずつ戻っていった。


るーと> こういうの、さらさちゃんには、話しやすい

るーと> まとまっていなくても聞いてくれるし


「……そっか。そう言ってくれるの、嬉しいよ」


>> 訓練継続?

>> あ、今照れた?

>> てぇてぇ警察です


「うるさいなぁ、みんなもう」


 照れる。彼との関係を揶揄されると。

 でもそれが心地良い。


「でも、話してくれるのは嬉しいよ」


 そう。

 画面越しなら、私たちはいつもこうして話せる。


「私も、るーとさんが来てくれると少し元気になるし」


>> えー、おれらもいるじゃん

>> 古参待遇だって


「もちろん、皆もだよ」


るーと> 俺も役に立ってるのか


「うん、かなり! だから今日は、るーとさんも自分のことを褒める日です」


るーと> 自分を褒めるって?


「とーぜんです。自己肯定、大事! あははっ」


 私のリスナーはそう多くない。

 そんなすごく人気があるわけじゃない。

 でも皆が楽しんでいる。

 彼と作ってきた、この小さな空間が大好きだ。


るーと> そういえば明日、友達と服を買いに行くことになった

>> お?


「へ、へぇ。いいじゃん……その友達って、女の子?」


るーと> うん

>> 告白断ってデートだと

>> るーとニキ青春してる

>> さーらちゃん、声固まった


「か、固まってないよ? 服選び大事だもんね、うん、大事」


 驚いちゃった。

 あの話、だよね。


るーと> ところで、昔から知ってる相手ってさ

るーと> 近いはずなのに踏み込むのが怖いってことない?

るーと> 下手なこと言って、今あるものまで壊れたらって


 突然の彼の言葉。

 今度は一瞬、頭が真っ白になった。


「え……っと。ある、かも」


 そう、だよね。


「大事だから、怖いんだよね」


るーと> うん。たぶん、そう



◆◇◆



「おつさら~。今日も来てくれてありがとう」


 配信を終えてヘッドセットを外す。

 部屋の静寂が、どこか解放感を与えてくれていた。


 るーとさんは、さらさには話してくれる。

 怖かったことも、痛かったことも、預けてくれる。


 彼の深いところに触れられるのが、たまらなく嬉しい。

 でも、彼の目に映っているのは——


「優しさのほうが勝った、か……」


 昔からそうだよね。

 あの時もそうだった。

 私もそうなれたら良いのに。


——こういう話、さらさちゃんにはしやすい。


 チャットログを眺めた。

 自然と笑みが浮かんだ。

 何度も目で文字をなぞる。


「嬉しかったなぁ」


 そう、嬉しかった。

 でも、同時に痛かった。

 彼が心を預ける先は『雪乃さらさ』。

 如月紗雪じゃないのだから。


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