表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/16

第14話 夢の終わりに

 隣の席は空いていた。

 昼休みの終わりに、佐倉が早退した、と誰かが言っていた。

 今はひとりになれるほうが俺も楽だった。


 もはや授業は何も頭に入らなかった。

 あまりに考えることが多すぎた。

 

 雪乃さらさ。

 考えれば考えるほど、そうだと思い当たった。

 そんな馬鹿なと思いたくなった。

 そうでないと、もう、頭がおかしくなりそうだった。


 グロッキーを、とスマホを見て止めた。

 琴葉と下らない話を、と思っても隣に誰も居ない。


 相談先がない。


 紗雪の言葉。

 さらさの引退。

 琴葉の告白。


 誰にも話せない。

 誰にも、話すことじゃない。

 俺が考えることだ。


——あんたの言葉で聞かせて


 そうだよな、琴葉。



◆◇◆



 放課後。

 屋上の扉に手をかけた。

 たぶん、彼女がいる。


 俺は……向き合えるのだろうか。

 また、間違えてしまうんじゃないだろうか。

 

 止める間もなく変わっていく。

 周りが変わっていく。

 俺はもう、安心できる場所に居られない。

 居心地の良い夢は、もう、終わっていた。


 扉を開けた。

 強く風が吹き込む。

 外へ出た。

 

 彼女の長い髪が風に弄ばれていた。

 俺に気付いて、振り返った。

 その瞳は少し赤い。

 どこか憔悴しているように見えた。


「……やっぱり、紗雪、なのか……」

「はい。私が“雪乃さらさ”です」


 信じられない。

 信じたくない。

 本人から言われているはずなのに、腑に落ちなかった。


「待っていました。“るーとさん”」

「っ……! “さらさちゃん”……」


 普段より高い紗雪の声色。

 毎日聴いていた“さらさ”の声。

 間違いなかった。


「俺は……ずっと、お前と……話をしていたのか……」


 もう、何が正しいのか分からなかった。

 ずっと壊れると思って避けていた紗雪。

 その紗雪とずっと近くで話をしていた。

 俺の中の何が正しいのか分からなかった。

 

「ごめんなさい」


 紗雪は頭を下げた。

 深々と下げて……そのまま動かなかった。

 俺も、動けなかった。

 言葉も出なかった。

 また、風が吹き抜けた。


「最初は“るーとさん”が陽斗だと知りませんでした。でも、すぐに気付きました。あなたが大事にしている幼馴染の話をしてくれたときに」

「……あのとき、か……」


 紗雪の家に行けなくなった後。

 俺が見つけた避難先。

 “秘密の場所”で語った言葉だった。


「幼馴染に酷いことをしてしまった、壊れてしまった。そう陽斗が懺悔するのを、私は、ただ知らないふりをして慰めていました。“雪乃さらさ”として」

「…………」


 自分まで壊れそうだったあの時。

 親身になって聞いてくれたさらさは、確かに俺の救世主だった。


「あなたが如月紗雪に言えないことを……あなたが苦しんでいたことを知りながら、私は雪乃さらさとして隣にいました」


 胸の奥がぎしぎしと痛んだ。

 紗雪に聞かれたくない言葉があった。

 恥ずかしい言葉もあった。

 日常の他愛もない出来事もあった。

 どれもが……紗雪と知らずに渡していた。


「なんで……なんで、言わなかった。俺がどんな気持ちで話してたのか知ってたんだろ。知ってて黙ってたのか……」


 下唇を噛んだ。

 心の内を丸裸にされた気分だった。

 俺が睨みつけると、紗雪は目を逸らさずに答えた。


「はい」


 ただ一言。

 それは雪乃さらさの幻影を粉々にした。


「私は……あなたの優しさにも、弱さにも……甘えていました」


 紗雪の瞳から涙が零れ落ちた。

 それが何の涙なのか、俺には分からなかった。


「ごめんなさい……私は、ずっと……陽斗の心の傍に、居座っていました」


 また紗雪は頭を下げた。

 俺は……言葉が出てこなかった。


 またしばらくそのままだった。

 夕暮れが始まっていた。

 風は吹かなかった。


「もうひとつ。陽斗に伝えなければならないことがあります」

「……何だよ……」


 紗雪が頭を上げた。

 その表情は……氷のようで、どこか、覚悟を孕んでいた。


「聞いてください。私は中学のとき、両親が離婚しました」

「……なんだって?」

「両親が話し合って、お父さんが出ていきました。離婚前に、毎日、お父さんもお母さんも、毎日……大きな声で……喧嘩を、して、いて……」


 紗雪の声が滲んでいく。

 それは、俺の知らない真実。

 俺が思い出したくない以上に……彼女は……。


「おい、無理に思い出すな」

「いえ……ぐすっ、聞いてください。あの頃、本当に辛かったんです。毎日、消えてしまいたかった。学校に行けなくなって。でも、陽斗が励ましに来てくれて……」


 紗雪が不登校になった理由。

 ずっと知らなかった、理由。


「嬉しかったの。ずっと嬉しかった。でも……信じられなかった、の……。お父さん、出ていくのに『ずっと一緒』なんて言って。お母さん、喧嘩してるのに『紗雪は愛してる』って……。私が、大事なら……私を愛してるなら……なんで、なんでバラバラになっちゃうのって……」


 紗雪は、ずっと俺を見ていた。

 両目を真っ赤にして涙しながら、ずっと、俺を見ていた。

 俺はただ、胸をじくじくと痛めながら、そこから目を逸らせない。


「ずっと怖かったの。全部、信じられなくて。陽斗が嬉しくて、怖かったの! だから、お父さんが出ていった日、ぐちゃぐちゃになって、言っちゃったの! 陽斗が来ちゃうから、嬉しくなって、信じたくなって、辛いのって……!!」


 声は何とか言葉の響きを保っていた。

 紗雪の、さらさの声でなければ、聞き取れなかったかもしれない。

 それは鋭利な刃物のように俺の胸に突き刺さっていく。

 

「陽斗に……ぐすっ、怪我を……させちゃって。私、私、自分が許せなくて。全部、嫌になって、消えちゃいたくて、薬をいっぱい飲んじゃって……」

「紗雪……」


 あれは……。

 あの言葉は、紗雪の、悲鳴だったのか。


「でも、それは俺が行ったから」

「違います」

「でも」

「違います」


 紗雪の視線が強くなった。

 強い意志が見えた。


「ごめん、なさい……ずっと陽斗を苦しめて……。私は、ずっと、陽斗の傍に居たかった……。陽斗、あなたは何も悪くない、の。私が、弱かったから……」


 紗雪はずっと震えていた。

 それでも彼女は止まらない。


「私が、ずっと……あなたにそう思わせてしまったの」

「俺の、せいじゃ、ない……」


 紗雪はうなずいた。

 それでもまた、俺にしっかりと、真っ赤な目を向けた。


「私、陽斗に会えなくなってから、ずっと真っ暗だった。少しでも明るさが欲しくて、しばらくインターネットで現実逃避してた。そうしたら、VTuberを見つけたの。楽しそうに配信する人たちが明るく見えて……」

「……それで、“雪乃さらさ”を……」

「そう、です。私が逃げ込んだ先でした」


 紗雪は、それでもまだ、言葉を紡ぐ。


「明るい声を出していれば、明るくなれる気がしました。皆が楽しんでくれたら、私も楽しい気がしました。だから、私は“雪乃さらさ”になりました。でも、最初は誰も来てくれなくて……」

「……俺、か……」

「はい」


 紗雪の言葉は、ひとつひとつ、俺の胸の奥へ積もっていく。


「“るーとさん”が陽斗だって分かったとき、嬉しかったんです。まだ繋がっていられる、傍にいてくれるって……。だから、ずっと、そのままにしたかった、明るく楽しい夢を見ていたかった。私は、夢が終わるのが、怖かったんです……」


 ずっと、俺は……。


「俺は、お前の夢の中で、踊らされていたんだな……」

「……っ、はい、そうです……」


 紗雪の表情はもう、崩れていた。

 眉は歪み、口も歪み。頬はずっと光っていた。


「いつか、陽斗に言わないといけないって、弱いままの私じゃ駄目だって……。だから、ずっと勉強も運動も、全部、全部、頑張ったのに……。ぐすっ……強くなれなかった……あなたには……言えなかったの……」

「…………」


 そして彼女は、また頭を下げた。


「ごめんなさい。ずっと、あなたに隠していて、ごめんなさい。許してほしいなんて言いません。ずっと、苦しめてしまって……ほんとうに、ごめんなさい」


 強い風が吹いた。

 彼女にかける言葉なんて見つからなかった。


「私は、ずっと、間違えていました。だから、佐倉さんをあなたが見ても、何も言えません……」

「……どうして琴葉なんだよ……」


 不意に、紗雪が笑った。

 すべてを諦めたように、口だけが笑っていた。


「私のことを軽蔑しても良いです。ただ……これだけは知っておいてください」


 その言葉が、ただ俺の胸に響いた。


「如月紗雪は、水瀬陽斗が好きです。ずっとずっと。あの頃から、ずっと」



◆◇◆



「来てくれて、ありがとう」


 紗雪は、俺の言葉を待たずにそう言い残して背を向けた。

 彼女が立ち去る直前。

 俺はその背中に「明日、またここで」と告げるのが精一杯だった。

 静かに「はい」と答えた紗雪の返事は、ただ細かった。


 俺はそのまま動けなかった。

 ただ、そこに立ち尽くした。

 星空が見え始めて、施錠をする音が聞こえ出したところで、ただ慌てて下校した。


 帰宅して、ルーチンのようにやることを済ませて。

 自室に戻って。


 俺は混乱したまま止まっていた思考を動かした。


 琴葉。

 さらさ……紗雪。

 

 ふたりは、俺にその心を告げた。

 偽りないものを教えてくれた。

 俺は……受け取れるのか。

 返せるのか。


 ちらりとスマホを見た。

 もう開こうとは思わなかった。


 ずっと、俺が見ないようにしていたもの。

 それは正しさに隠した、俺の本心だったのかもしれない。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ