第13話 騙していてごめんなさい
すっかり日が暮れていた。
住宅街の一角、前に教えてもらった陽斗の家。
学校を出た勢いそのままで、ここまで来ていた。
そして、そのままインターフォンを押そうとして——指が止まった。
落ち着け、あたし。
いくら何でも考えがなさすぎる。
紗雪に啖呵を切ったことで、少しボルテージが下がっていた。
だから、この時間帯も、場所も、ありえないことに気付けた。
乙女らしくロマンチックな想像はしたことがある。
でも。
いざ、認めてしまったこの想いを前にすると、そんな理想など吐き捨てる程度のものだった。
戸建てを見上げれば、二階の一室に明かりがついていた。
たぶん、あそこが陽斗の部屋。
無事に帰っていてくれた——
そう思うと、ずっと痛かった喉が少し楽になった。
スマホを取り出す。
待ち合わせの時に交換したSNSの連絡先をタップした。
——明日。昼休みに時間とって。話があるから
いきなり、それだけを送った。
見上げた部屋の中で影が動いた。
——了解
それだけ返ってきた。
たった二文字のおかげで、抱きしめたくなるくらいにスマホが温かかった。
◆◇◆
——眠い
欠伸を噛み殺しながらの登校だった。
頭がぐらぐらしてまともに考えられない。
惰性だけで歩いていた。
思えば昨日の紗雪との対話が発端だ。
俺はやらかした。
目の前が真っ暗になった。
けど、琴葉が助けてくれた。
おかげで何とか家に帰れた。
でもそれで落ち着けるわけがない。
色々なことが頭をぐるぐる回った。
こういう時は、いつも、さらさに話を聞いてもらっていた。
だから配信時間にアプリを開いた。
ところが——
昨夜『雪乃さらさ』が突然に配信を終えた。
何の予告もなく、今日で終わります、と涙声で告げて。
それきり画面は戻らなかった。
考えようとすると、胸の奥が空洞みたいになった。
だから考えるのをやめた。
やめたはずなのに、眠れなかった。
ショック過ぎて寝られるわけがなかった。
紗雪の件もずっと心をかき乱していた。
明け方まで悶々として。
気付いたらウトウトしていたところで目覚ましが鳴った。
とても登校する気になれなかった。
でも、助けてくれた琴葉との約束が、俺を引っ張った。
だからゾンビのように操られたまま教室までたどり着いた。
「おはよ、陽斗。大丈夫?」
「……おはよ、琴葉……」
「眠そうだね、寝られなかった?」
「ああ、眠い……」
俺はそのまま机に突っ伏した。
注意されると思ったのに、琴葉は「おやすみ」と、俺を寝かしてくれた。
昼休みまではあっという間だった。
◆◇◆
前を歩く琴葉を追って歩く。
昼休み早々に起こされて、ふたりで廊下を歩いていた。
一連の出来事が何か解決したわけでもない。
それでも熱に浮かされたままの午前中に比べれば、妙に頭がクリアだった。
昨日が遠い昔のように思えた。
だけれども——
「陽斗、ここ」
「ああ」
がらがらと扉を開けて入ったのは空き教室。
昨日、約束した昼休みの時間だった。
「そうだ、琴葉」
「なに?」
「昨日は悪かった」
「また謝るの?」
「悪かったって思ってるから」
「言ったじゃん、あんたは悪くないって」
琴葉は腰に両手をあてて俺に胸を張った。
「今からね、あたしが悪い話をする」
「うん? 琴葉が悪い話?」
「返事はしなくて良い。黙って聞いてて」
彼女の真剣な表情に俺はうなずいた。
「昨日、紗雪に言った。あたしが、陽斗のことを好きだって」
「え……!?」
「ほら、黙って聞いて」
指を差されてしまう。俺はもう一度、うなずいた。
「陽斗も紗雪も不器用だけど、嘘はついてない。でも、あたしは違う」
琴葉はじっと俺を見ている。そこから俺は目を逸らせない。
「あたし“友達枠”が嫌だったの。誰かに譲って応援して。部活も、友達も、恋人も。笑ってたけど、影で泣いてた。自信がなかったんだろうね、“友達枠”ってところにいないと、嫌われると思ってた」
前に言っていた話だろうか。
今の琴葉からは信じられない。
「だから、高校になってから思い切り変わったんだ。高校デビューってやつ。あたしが主役になれば“友達枠”にはならないだろうって」
琴葉は俺に背を向けていた。
どんな表情をしているんだろう。
「でも。今度は皆、あたしを色眼鏡でしか見なくなった。カースト上位だからって擦り寄ってきて、見た目が可愛いからってだけで告白してくる。あたしが欲しかったのはそういうのじゃない」
……驚いたと同時に胸が冷えた。
俺も同じような感覚がなかったわけじゃない。
それでも、話を聞いていると、もやもやした。
頑張って変わった結果、やっぱり自分を見てもらえないなら……。
「……あんたはさ、隣の席になったあたしを特別扱いしなかった。あたしが目立つからって迎合もしないし、ギャルっぽいってだけで敬遠もしなかった」
出会った頃の話。
確かに俺は琴葉を明るい奴だな、くらいにしか思っていなかった。
そういうレッテルが、俺にとっては何の価値もなかったから。
「もしかするとあんたが会長に首ったけだったせいかもしれない。でも、あたしにはそれで十分だった。見た目が可愛いとか、クラスの中心にいるとか。そんなのはあたしじゃない。あたしはずっと佐倉琴葉だった」
…………。震えている声が、重かった。
「出会ってすぐから、あんたのことは気になってた。でも最初はね、陽斗と紗雪がくっつくと思ってた。お互いに気にしてるし、幼馴染って聞いたし。学校で話をしないのは照れてるだけなのかなって思ってた」
言葉にされてみて、考えた。
確かに俺は紗雪を見ていた。
話はできなかったけど、紗雪とはよく目が合っていた。
「だからあたしは、いい友達のふりをしてた。あんたに良い顔をしようと思って。彼氏がいる安全な女子ってふりをして、ずっと隣にいた」
……俺にはずっと、琴葉は仲良くしてくれる女友達だった。
「リハビリもそう。一緒に帰ったのもそう。あんたの傍に居て良い理由を作ってた。無害なふりをして」
琴葉の脱ぎ去るヴェールは、俺に重く被さっていく。
俺は。
そんな彼女の好意を、ほんとうに気付かなかったのだろうか。
「でもね、あたし、もう無理。陽斗、あんたが好き」
琴葉はまた、俺を真っ直ぐに見据えていた。
「だから友達もやめる。あたしは友達枠じゃない。カースト上位の人気者でもない。佐倉琴葉は、水瀬陽斗が好きです……騙していてごめんなさい」
琴葉は頭を下げた。
俺は……すぐには言葉が出なかった。でも、口は動いた。
「……琴葉。ありがとう。でも、今すぐは答えられない、考えさせてくれ」
「——もちろん。即答なんてしたら、怒ってたよ」
琴葉は少し笑っていた。
「あんたの言葉で聞かせて。明日のこの時間に、この場所にいるから」
「ああ、返事をするよ」
俺に軽く手を振ると彼女は教室を出ていった。
◆◇◆
白昼夢のようだった。
何が起こったのか、分かっているはずなのに実感がなかった。
受け取った言葉に、俺は答えなければいけない。
それだけは分かった。
こういうとき、俺はいつも相談していた。
無性に誰かに話したかった。
情けないくらい、すぐにそう思った。
いつもなら、さらさに話していた。
まとまっていない言葉でも彼女は拾ってくれた。
俺に何かあれば、話す前に気付いてくれることさえあった。
あの紗雪の事件の後。
ずっと塞ぎ込んでいた俺の心の隙間を埋めてくれた『雪乃さらさ』。
当時、彼女はまだ立ち上げ直後で、ほかに常連の視聴者はいなかった。
貸し切りチャットのように、毎日、お互いに言葉を重ねた。
俺の辛いことも、嬉しいことも、全部、さらさと分かち合った。
俺が「ただいま」と打つと、彼女は必ず「おかえり」と返してくれた。
いつの間にか、そこが俺の逃げ場所になっていた。
辛いことも、嬉しいことも、誰にも言えないことも。
俺は画面の向こうへ、少しずつ預けていた。
でも、もういない。
雪乃さらさは、現実に戻ると言って、消えてしまった。
——ごめんね、みんな。
——急で、本当にごめんなさい。
——雪乃さらさは、今日で終わります。
——私は、現実に戻ります。
——ずっと話を聞いてくれて、ありがとう。
——心を預けてくれて、ありがとう。
——みんながいてくれて、幸せでした。
——本当に、本当に、ありがとうございました
さらさの涙声で、配信は終わった。
ぷつりと切れたまま。その後は何も映らなかった。
信じられなかった。
何の予告もなく、さらさがいなくなってしまった。
毎日、当たり前にあったはずの空間が、夢のように消えてしまった。
心の一角に、ぽっかりと、大きな穴が空いてしまった。
ずっと、変わらず、そのまま続くものと思っていたのに——
「…………?」
ポケットを叩かれたような気がした。
違う、これは——スマホだ。
スマホが震えていた。
俺に連絡をする人は多くない。
誰だろう、と思って画面を開いた。
目を疑った。
それは配信アプリのDM。
終わったはずの夢の世界からの通知。
>> 放課後にもう一度、屋上に来てください
>> from 雪乃さらさ




