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第12話 友達をやめる

 胸が苦しい。

 脚が震える。

 全力で走ったからそうなる。

 でも、それだけじゃなかった。


「陽斗」


 両手を樹の幹について肩を上下させている彼。

 虚ろな顔をあたしに向けた後に、また下を向いた。


「……悪い、走らせた」

「そういうの、今はいい」


 傍まで寄る。

 互いに息を切らせたまま。

 肺の奥が、擦り切れたみたいにスースーした。


「話したくないなら黙ってて」


 未だ地面を見て呼吸を整えている陽斗に声をかける。


「でもあたし、ここにいるから」


 はぁはぁという吐息が夕闇に溶ける。

 通りに見える人通りが少しずつ減っていく。


「……ごめん、駄目だった」

「何が?」

「俺が紗雪に近付いちゃ、駄目だった」


 そう言った彼は、またあの苦笑いをした。

 それに、無性に腹が立った。


「あたしは、あんたの事情なんて知らない」


 だから、また言葉が止まらなかった。


「普段を見てれば、陽斗が悪いなんて思えない」

「だって、俺は……」

「だったら教えて。あんた、紗雪との間に何があったの」


 じっと見据えた。

 陽斗の目が少し泳いで、それから、あたしを見た。

 意識して表情を柔らかくして「座ろっか」とベンチを指した。

 ふたりで腰掛けて。また少し間があった。


「中学生のときの話」

「うん」

「紗雪が不登校気味になった」

「……うん」


 唐突だった。

 あの会長に、不登校なんて言葉が想像できない。


「ずっと仲が良かったから心配でさ。何度も家に行った」

「優しい」

「それで、励ましてた。俺がいるから、大丈夫だからって」

「うん」


 順当な話だった。

 親しい子が不調になればお見舞いにもいく。

 あたしだってそうすると思う。


「でも紗雪はぜんぜん良くならなくて」

「うん」

「それでも俺、毎日行ったんだ」

「うん」


 甲斐甲斐しい。

 陽斗らしい優しさだと思った。


「だけど……毎日行ったのが良くなかったのかな」

「…………」

「紗雪が暴れたんだ。『もう、来ないで』、『あなたが来るから』って」

「それ……」


 膝の上に置いた陽斗の手が震えていた。

 

「紗雪にものを投げつけられて。気付いたら家にいた。それから紗雪がまったく学校に来なくなって。しばらく後に救急車で運ばれたって」


 声が震えていた。

 その辛そうな表情を見ていられなかった。

 その手の上に、あたしの手を重ねた。


「俺が、壊した。紗雪を、壊した! だから、近付いたら駄目だった。駄目だったのに、また、同じことを……」


 震えが強くなった。


「違う」


 あたしは強くその手を握った。


「それ、あんたのせいじゃない」


 陽斗は首を振った。


「でも、俺が行ったから」

「行っただけ。励ましただけ」

「でも、俺が……」

「違う!」


 イライラした。

 どうしてか昂ぶって、目頭が熱かった。


「陽斗が、あんたが悪いって、誰が言ったの!」

「紗雪がそう言った」

「言ったの? 本当に? “悪い”って? “来ないで”って、だけだよね。あんたがそう思ってるだけ!」


 陽斗は言葉に詰まっていた。

 言葉が出ない以上に、あたしに驚いているようだった。


「なんで、なんでよ」


 悔しかった。


「なんであんな顔で笑ってるのよ。なんで自分のせいにしてるの。なんであんたが苦しんでるのよ!」


 どうしようもなく、悔しかった。


「あんたは、これっぽっちも、何も、悪いこと、してない!!」


 ただただ、頬が、喉が、熱かった。



◆◇◆



 陽斗は家に帰らせた。

 絶対に、真っ直ぐに、帰るように言い聞かせた。

 「明日、学校に来るんだよ」と送り出した。

 神妙な感じで「わかった」と、歩いて行った。


 心配だった。

 心配だけど、少し吹っ切れたような感じがしていたから、たぶん大丈夫。


 それより。


 あたしには行き先があった。

 お腹の奥がむかむかとしていた。

 彼にあんな顔をさせたことが、許せない。


 来た道をただ、早足に戻る。

 もう日は暮れかけていた。

 残っている生徒もほとんどいない学校は、ただ薄暗かった。


 でもきっとあそこ。

 直感がそう言っている。


 屋上へ向かう階段。

 誰もいない空間に足音が響く。

 

 その先。

 屋上手前の踊り場の上。

 そこに、腑抜けたように腰掛けた姿を見つけた。


「紗雪」

「佐倉、さん……」


 普段の、誰も寄せ付けないような凛とした氷の空気はそこになかった。

 ただの憔悴した女子が、顔を膝に伏せて、そこに座っていた。


「話があるんだけど」

「…………」

「あんたが嫌でも話すから」


 彼女の前に立つ。

 二段目に腰掛けた彼女を、ちょうどあたしが見下ろす位置になった。


「あたしがどうして来たかわかる?」

「……わかりません……」

「ふざけないで!」


 怒りが先に出た。

 声のトーンを抑えられなかった。


「陽斗にあんな顔させて。あんた、そんなに陽斗が嫌いなの!?」

「ち、違います、そんなわけ……!」


 紗雪はキッとあたしに非難の目線を向けた。


「なら、どうして後を追わなかったの!!」


 そんなことであたしが納得できるわけない。


「紗雪。陽斗は、あんたにずっと苦しめられてた。あんたの事情なんて知らないけど、全部自分のせいだと思ってた」

「……っ!!」

「あんたが登校できなくなったのも、倒れたのも、全部、全部!! なんで陽斗に誤解させたままなの!!」


 胸の奥から幾らでもマグマが湧いた。

 こんなに怒りを爆発させたのは初めてかもしれない。

 けど、そんなことはどうでも良かった。


「紗雪。あんたが陽斗を大事にしないのはよくわかった」

「っ、そんな……」

「じゃあなんで、陽斗があんな顔してるの!!」


 許せなかった。

 ただ、許せなかった。

 また、頬が熱かった。

 

「あたしなら……」


 紗雪はぐっと唇を噛んでいた。


「あたしなら、陽斗にあんな顔させない。あんな顔した陽斗をひとりにしない」


 あたしを睨むように見上げていた。


「もう、やめる」

「……何を、ですか」

「ふたりが好き合ってるなら応援しようって思ってた。でも」


 ひとつ、深く息を吸った。


「あたしはもう、友達をやめる。“いい人”をやめる。陽斗にあんな顔させるくらいなら、もう無理」


 紗雪は、はっとしたように立ち上がった。

 でも、もうあんたに付き合うつもりはない。


「さ、佐倉さん!」

「せいぜい悲劇のヒロインに浸ってて。あたし、陽斗のこと、好きだから」


 背を向けて駆けた。

 後ろで何かを叫んでいた気がするが、もう何も聞こえなかった。


 走りながら歪んだ視界を腕で拭った。

 校舎から飛び出して、夜の街を駆けた。


 陽斗。

 ひとりにしないから。あたしが、隣にいるから——



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