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恋しあかばな  作者: 小糸
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ニライカナイからの手紙

 

 そして私たちの初夏が終わった。

 惠とはたった一度のキスだけで別れてしまったが、千葉に戻ってしばらくして、彼からの手紙がポストに本当に届いていた。

 大きな皺だらけの封筒をびりびりと破いて開けてみると中には濃いインクの英字新聞がぎっしりと詰め込まれ、それをきれいに取り除くと、見たことのある分厚い装丁の本が出てきた。

 インクの匂いに混じってかすかに感じられる、久方ぶりの惠の匂いに胸をつよく締め付けられながらも、私はその本を取り上げた。頁と頁の間に白い封筒がはさんであったが、それを読み始めることもできないうちに、表誌に書きつけられた手書きの文字を発見して号泣していた。

 “青から生まれた赤──僕の恋しあかばなへ捧ぐ”。


 ──ああ。


 愛を、感じる。愛に、さわれる。

 もう大丈夫だ、私は、人からあふれでる泉をちゃんと受け止めることができる。

 生きていける。生きていこう。


 生まれてきてよかったと、いつでも高らかに叫びながら。


  ***


 丹。

 しばらく振りだね。元気であることを願うよ。

 きみの住所は緋乃から聞き出した。別れてから気づいたんだよ。俺はお前の名前以外、住んでる場所も電話番号も通っている学校名も、なにもかも知らなかったんだ。

 お前だけに恋をしたんだな。付属物のなにもないお前に。

 情報が散乱してる現代ではとても珍しい、夜の道でいきなりむきだしの人と人とが対面したような、そんな貴重な出会いだったと思う。いまも、そう思ってる。会えてほんとうに、よかったよ。


 ところで、あれからずっと写真を撮り続けて、今回それがこんな風に形をとって出せることになりました。しばらくぶりで腕がなまってるかなあと思いましたが、それほどでもなかった。習慣は呪縛だな。恐ろしいほど、俺はやっぱり、写真が好きみたいだ。これがないと生きていけない。また写真をやりはじめてよかったと本気で思います、そしてこうなれたのはお前のおかげです。ほんとにありがとう。

 緋乃と界くんの写真が冒頭を飾ってんの、どうよ? なかなか力作だと思う。あの夫婦、もとがいいからさあ、写真うつりいいんだよね。この写真集のテーマは愛なので、ぴったりでした。愛ってイメージを具体化したようなふたりだもんな、彼等は。


 そう、他の奴らにはどう解釈されてもいいが、それでもお前だけにはこう主張しておきます、丹。

 この写真集はお前に対しての、俺の想い。

 受け取ってください、とは言えないから一方的に送りつけてみた。返品不可じゃないから、送り返してもいいよ。そしたらまた手直しして新しいのを送るからさ。


 俺はいまはアメリカにいます。ブロンクスとか、ニューヨークのスラムで人間を撮ってる。毎日結構、洒落にならないくらい危険な眼にあってるんだけど、それでも撮りたいものがあるんだ。


 人間。


 英語の飛び交う下町でタバコを吸ったり、ヤクをやったり、あるいはそれを密売したりしてさ、それでも人はそこにいるわけよ。死んだように眠ってる親の横でヤクを売ってる女の子。見事な連携プレーで俺たち旅人から金目のものを盗んでいく少年たち。俺は正義を主張したくて写真を撮っているわけじゃないから、貧しさとか、汚さとか、そんなものを誰かに見せつけてやりたいわけじゃない。ただたまらないんだな。ただこういう世界があるということを覚えていたい。これが人間だって。ここまでして生きて何の意味があるのか、きっと当人たちも気が狂いそうに悩んでいるだろうけれど、だからこそ命は尊いと。

 生は赤いと。

 そしてそんなアメリカの隅から、疲れ果てて帰ったボロイホテルの一室で、きみがいた島の初夏を思い出すんだ。

 かわいい丹。超綺麗な緋乃。瀬川くんのまっすぐな背筋、秀でた額。そしてそれぞれが、お互いを見つめる厳しい視線。

 全部遠い国の話のようで、そしてそれは事実だ。俺を無限に肯定し、勇気づけてくれる。


 そう。

 丹、きみのうたってくれたふぁむれうたが、僕がこれから歩いていく道を照らす。

 そしてそれと同じように僕がした何かが、あるいは今している何かが、君の冷たい肩を包めることを願う。

 この色で。角度で。視界で。切り取り方で。

 いつかまた会える。そうしたいと、思ってるから。


 家族を亡くして一人になって、自分が誰にも必要とされないんだと絶望したことが、お前にはきっとあるだろう。さみしくて、気が変になりそうなほど孤独になって、海の底に沈んでしまいたいと思ったことが。


 でも、覚えていて。俺は君を愛してる。

 どこにいても、何をしていても、ずっときみを愛してる。

 誰かからの君への愛を受け継いで、そしてそれに僕の愛を足し、これから尚、そうしていく。

 だから元気でいて。生きていて。花のように。

 また会うその時までにお前が枯れたら、俺がまた、咲かせてやるよ。


 僕の恋しあかばな。

 どうかきみが一度だけでも、きみがきみの人生に生きていることがうれしいと、生まれてよかったと、思えますように。

 慶良間で緋乃と瀬川君と別れたときのようなあの最高の笑顔を、もう一度見せてくれることがありますように。


 祈り続けています。


 ではまた。




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