【トロル特殊編:イエローマークのせいで、なぜかフィルターがかかってしまった】
緑の海のような広大な草原。それは連綿と続く白雪の山々に囲まれていた。 東南側には険しい断崖と切り立った急斜面が唯一の出入り口として口を開けており、地形に沿った北東の方角には、まるで鏡のように澄んだ湖が静かに横たわっている。
今、その湖畔では、数人の熱狂的な影が固唾を呑んで見守っていた。 手にした重兵器を振るい、互いに血を流しながら殺し合う、二人の戦士の姿を――。
「フンッ!」
二振りの大鉈を構えたオークが鼻を鳴らす。自分より頭一つ分大柄なトロルの胴へ向けて、一閃を横薙ぎに放つ。 だが、棍棒を握ったトロルは、裏手でその一撃をやすやすと受け止めた。
(――右頭、持ちこたえろ! 俺がやる!)
相手が武器を引き抜こうとするのを見た左頭。 左腕を振り上げ、オークの巨体を力任せに殴り飛ばす。
(――左頭……俺、腹減った)
右頭はよろめきながら立ち上がり、不遜に自分を睨みつけるオークを眺め、その脳裏には、引き締まった肉がもたらすであろう極上の食感が広がっている。
オークはペッと唾を吐き捨てると、興奮したように獰猛に笑った。 「いいぞ、上等だ……。体が熱くなってきやがった。もっと楽しませろよ、トロル!」
(――俺も腹減ったぜ、右頭。こいつを仕留めれば、腹いっぱい食える……)
左頭はオークを凝視し、左手で棍棒に深く突き刺さっていた大鉈を引き抜く。 どうやって致命傷を与えようかと、算段を巡らせていた。
オークは不気味な冷笑を浮かべ、瞬時に地を蹴った。 猛獣のごとき速度で突撃を仕掛ける。 対する左頭も構えを取り、上半身をひねって大鉈を迎え撃つ準備を整えた。 オークの斬撃を受け止め、その隙に右頭がトドメを刺す。その連係を狙って。
互いに全力の一撃を繰り出そうとした、その刹那。 オークは絶妙なタイミングで上体を大きく反らし、鋭いスライディングでトロルの股下を潜り抜けた。 背後へ回り込む。 返す刀で身を翻し、トロルの背中へと跳躍した。
片手で右頭の三つ編みを掴んで引きずり回し、もう一方の手で大鉈を握りしめる。 そして、左頭の首元へ向けて、無慈悲に振り下ろした。
(――左頭!)
激痛が全身を駆け巡る。 左頭は大鉈を取り落とし、背中のオークを引き剥がそうと、その場で狂ったように回り始めた。 パニックになり、右頭に助けを求める。
(――右頭! 手が届かない! 早くこいつを引き剥がしてくれ!)
無理やり頭を後ろへ引っ張られた右頭は、棍棒を投げ捨て、右手でオークの腕を掴んで引きちぎろうとする。しかし、三つ編みを掴んだ手を絶対に離さないオークは、大鉈を何度も左頭の首へ叩きつけ続けた。肉を裂き、骨を断つ。――ドサリ。ついに、切り落とされた左の頭が地面へと転がり落ちた。
「左頭ぉぉーーーーっ!!」
それを見たオークは、勝利者の不敵な笑みを浮かべ、その背中を強く蹴り飛ばして跳躍した。 バランスを崩したトロルが、崩れ落ちるように地面へと突っ伏す。
「ハッ、ハァ! 雑魚め! 話にならんぜ!」 オークは周囲で観戦していた同胞たちに向けて両手を高々と掲げた。 そして転がっていた棍棒を拾い上げ、トロルの傍らへと歩み寄る。
トロルが這うように立ち上がるよりも早く、その背を荒々しく踏みつける。 勝利の凱歌をあげるかのように、棍棒を天へと突き上げた。 「俺は戦神に愛されし子! 力と栄光を!」
咆哮と共に、唯一残された右頭に向けて渾身の一撃を叩き込む。 バキリ、と鈍い音を立てて棍棒が真っ二つに折れた。
泥に塗れた右頭が、ピクリとも動かなくなったのを見届ける。オークは満足げに、地面に転がっていた左頭の髪を引っ掴んで持ち上げると、同胞たちの歓声に包まれながらその場を去っていった――。
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息苦しさに耐えかねて、這うようにして寝返りを打った。 強烈なめまいと吐き気に襲われ、泥を掴みながらどうにか体を起こす。 地面に膝を突き、キーンと響く激しい耳鳴りの中、ボクはただ苦しそうに乾嘔きを繰り返した……。
疲労と、何より体の左側に走る激痛。 ボクは無意識に、痛みの元へ手を伸ばして触れてみる。 指先に触れたのは、ゴツゴツとした硬い、妙な感触だった。 不思議に思い、その指が触れている場所へと恐る恐る顔を向けた。
左肩のあたりを、赤茶けた分厚い塊が覆っている。 ボクはそれを呆然と見つめ、爪を立てて、その不自然な塊を剥ぎ取ろうとした。 だが、次の瞬間、焼き付くような激痛が走った。
「ううっ……!」 痛みに耐えかねて、慌ててその塊を手で押さえる。 目尻から涙がボロボロと溢れ出た。 この不気味な硬い塊が何なのか分からず、底知れぬ恐怖がこみ上げてくる。 ボクは声を詰まらせ、泣きじゃくりながらポツリと呟いた。 「痛い……。怖いよぉ……」
鼻をすすりながら、顔を上げて周囲を見渡した。 視界に飛び込んできたのは、色とりどりに咲き乱れる美しい草花。 鋪道のように、青空を跨ぐように架かる、鮮やかな七色のアーチ。 一瞬にして痛みのことなど忘れ、ボクはうっとりと胸を躍らせて、パッと笑顔を咲かせた。
その時、ひらひらと鮮やかな羽をはためかせる、見たこともない不思議な生き物がボクの目の前を通り過ぎた。 その綺麗な生き物に目を奪われ、好奇心に駆られたボクは両手を伸ばす。 捕まえたい。純粋な衝動が体を動かした。
「ひらひら~」
羽をぱたぱたとはためかせながら、遠くへ飛んでいこうとする生き物。 ボクは嬉しそうにゆっくりと立ち上がり、両手を前に伸ばしたまま、夢中でその後を追いかけた……。
その小さな影を追いかけ、広大な草原をひたすら進む。 やがて、目の前に切り立った懸崖が聳え立っているのが見え、ボクはピタリと足を止めた。
生き物はそのまま崖の下へとふわふわと消えていく。 ボクはそれを寂しそうに見送り、がっかりしながら辺りを見回した。 その時、右手側に緩やかな斜面が続いているのを見つけた。
再び笑顔が戻った。 あの綺麗な生き物に追いつけるかもしれない。 そんな期待を胸に、ボクは坂道をトコトコと下り始めた……。
坂を下りきった場所。 地面からニョキニョキと生え、空へ向かって力強く伸びる太い棒が、ボクの視界を遮った。 その奥の、真っ暗で深い闇。 ボクは急に怖くなり、その場にすくんでしまった。 一歩も前に踏み出すことができない。
ヒュンッ! 突如として、空気を切り裂く鋭い音が鼓膜を打った。 何が起きたのか理解するよりも早く、ボクの胸元に、冷たくて長い「何か」がグサリと突き刺さった。
驚く暇もなかった。 同じ破空音が、立て続けに響き渡る。 ボクは恐怖のあまり頭を抱え、その場に丸くなって震えた。 シクシクと、涙が溢れて止まらなくなる……。
「う、うあぁ……あ、あああああん……っ!」
暗闇の奥から、鋭い耳を持った、見るからに恐ろしい顔つきの「お外の人」たちが次々と姿を現した。 体に深く突き刺さった何本もの矢の痛みと、冷たい視線。 ボクは自分が何か悪いことをしたのだろうかと、わけも分からず、ただ大声を上げてわんわんと泣きじゃくった。
「このトロル、どこかおかしくないか?」
「夢でも見ているのか……? あの残虐なトロルが地べたに座り込んで大泣きしてるなんて、信じられるか?」
「俺たち、やっぱり……こいつを片付けるべきか?」
彼らはヒソヒソと、ボクには理解できない異国の言葉で話し合っていた。 やがて、ボクを囲むようにじりじりと近づいてくる。 その威圧感に耐えかね、ボクはさらに声を張り上げて泣いた。
一人の男が、おずおずとボクの背中を何度かつついた。 彼らは互いに顔を見合わせると、ようやく敵意を和らげたように、ボクの手をそっと引いて立ち上がらせようとした。
ボクが涙目でその手を引く人を見つめると、彼は慌てて数歩後退した。 だが、すぐに服のポケットから不思議な包みを取り出し、こちらへと差し出してくる。
口を半開きにし、視線をボクから外さないまま、すり足で一歩、また一歩と近づいてきた。 ほんの数歩の距離まで来ると、彼は不意に足を止めた。
ボクは泣き止み、彼が何をしようとしているのか、ぽかんと見つめていた。 しばし無言の睨み合いが続いた後、彼は手にしたお菓子をパキッと二つに割り、その片方を自らの口へと放り込んだ。
それを見て、ボクもゆっくりと手を伸ばした。 彼がぎゅっと目を瞑り、顔を背けるのを見ながら、残されたもう半分を指先でつまみ取った。 指先のお菓子を、口の中へとそっと入れた。
ふわりと、甘くて香ばしい味が口いっぱいに広がった。 まるで新しい世界を見つけたかのような感動に、ボクはパッと笑みをこぼした。 彼はおずおずと目を開け、仲間たちと顔を見合わせた後、再びボクの手を優しく引っ張った。 そして、真っ暗な樹林の奥を指し示した。
ボクは立ち上がり、手を引いてくれる彼に大人しくついて行った。 辿り着いたのは、あの「空へ伸びる太い棒」の頭を切り落としたものが一列に突き立てられ、その奥に同じ木で組まれた頑丈な建物が並ぶ場所だった。
彼が空き地を指差すと、ボクはそこにちょこんと腰を下ろした。 その日から、彼らは毎日、地面に置いたご飯をボクの前へと押し出してくれるようになった。
やがて、ボクの首や手首に、冷たくて硬い輪っかを嵌められた。 そして、あの太い木で組まれた、大きな檻のような部屋へと連れて行かれた。 部屋の片側には、細い鉄の棒が等間隔にずらりと突き立てられていた。
夜になり、空が真っ暗になると、彼らは細い棒の間からご飯を差し入れてくれた。 そして朝になり、空が明るくなると、決まって他の見知らぬ人たちが細い棒の外側に立ち、ボクを珍しそうに眺めていた。
そんな、ある晴れた日のこと。 細い棒の向こうに、大きなお外の人が、ボクと同じくらいの二人の小さな見知らぬ人を連れて、ふらりと現れた。
髪の長い小さな女の子は、大きなお外の人の足元にしがみつき、何かを囁き合っていた。 もう一人の、短い髪の小さな男の子は、両手で細い棒をしっかりと握りしめ、ボクをじっと見つめていた。
ボクは嬉しくなって、にっこりと笑いかけた。 一緒に遊びたくて、両手をいっぱいに伸ばした。 けれど、手首の冷たい輪っかがガチャリと音を立て、それ以上前へ進むのを拒んだ。
ボクは輪っかの抵抗も気にせず、立ち上がり、力任せに一歩前へと踏み出した。
――キャーッ!
突如として、悲鳴と泣き声が響き渡った。 驚いた二人の小さな人は、慌てて大きなお外の人の後ろへと隠れてしまった。 周囲のお外の人たちが血相を変えて集まってきた。 部屋の扉が荒々しく開け放たれ、毎日ご飯をくれる男が、柔らかい棒でボクの腕を何度もパシパシと叩き、ボクがいつも座っている場所を厳しく指し示した。
ボクはひどく悲しくなり、おとなしくいつもの場所へと戻った。 それを見て、彼はようやく叩くのをやめた……。
その日を境に、細い棒の向こうに人が立ってボクを見ることは、二度となくなった。
ある暗い夜のこと。 二人のお外の人が偶然、細い棒の向こうを通りかかった。 彼らは、ボクには分からない言葉で愚痴をこぼし合っていた。
「クソッ、あのトロルの突然の暴動のせいで……臨時収入がパーになっただけじゃなく、隊長まで議会に罷免されちまった。完全に終わりだぜ」
「お前の情報は古いな。大博学者がこのトロルを引き取りたがっているらしい。あの獣を奴に引き渡せば、議会もお咎めなしにしてくれるそうだ」
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朝と夜が何度繰り返されたか分からない。 ある日、細い棒の前に一人の男が現れた。 彼は細くて長い棒を握りしめていた。その先端には、きらきらと輝く不思議な石があしらわれている。
やがてお家の扉が開かれ、その男がゆっくりとボクの隣へ歩み寄ってきた。 彼は優しく口角を上げ、ボクをじっと見つめた。 彼からは、これまでの人たちとは違う温かさを感じた。 だから、ボクも彼に向かってにっこりと笑い返した……。
それから、その人はボクをさらに大きなお家へと連れて行ってくれた。 毎日たくさんのご飯をくれた。 それだけでなく、ボクの左肩を覆っていたあの硬い塊を綺麗に取り除き、ひんやりとするお薬を塗り、細くて柔らかい糸で傷口を丁寧に縫い合わせてくれたのだ。
彼は毎日、ボクに向けて不思議な言葉を口にした。 そして、それを真似するように促してくれた。 同じように声が出せると、彼はいつも甘くて美味しいお菓子をくれた。 ボクは、この人が大好きになった。
朝と夜が移り変わる日々の中で、教えてくれた。 ボクも彼の声を真似するのが楽しくて仕方がなかった。 真似をするともらえる、美味しいおやつが大好きだった。
透明な壁の向こうに立つエルフを見つめ、何日も姿を見せない大博学者のことを、ボクは不安に駆られて尋ねた。 「はかせ……どこ? ボク、あいたい……」
壁の向こうで、ボクの面倒を見てくれるもう一人の優しいエルフが、どこか複雑そうな表情を浮かべて答えた。 「いい子で……待ってて。お仕事に……行ったの。すぐに……戻るわ」
やがて、見知らぬ者が現れ、ボクをぶーぶーに縛り付けて固定し、部屋の外へと連れ出した。 そして、そのままもっと大きなぶーぶーの中へと運び込まれた。 ボクの目の前には、エルフとはまったく違う見知らぬ男が座っていた。 彼の口元には、不思議な煙をぷかぷかと吐き出す、奇妙なものが咥えられていた。
「ドコ、イク……?」
ボクが不安そうに見つめると、その男は大博学者と同じようで、どこか違う、温かな微笑みを浮かべた。 そして、ボクの頭を優しく撫でながら、こう言ったのだ。 「いい子だ。ダディが、お前を『遊び』に連れてってやる。そこには、お友達がたぁくさんいるぞ……」




