【第十四章:へへっ……お頭、やっと首を洗って待つようなデカいヤマを踏めるんで?/俺は起業した、引退だ。今日からお前が頭をやれ。/はぁ゛っ!?(ㄧ)】
ノルド戦線で、近代兵器を装備したとおぼしき深淵と遭遇してから数日。 それ以降、関連する情報はぷっつりと途絶え、敵方もこれといった動きを見せていなかった。
オールドマンは、遠方の前線野営地で少し気の緩んでいる兵士たちを眺め、微かな懸念を抱く。
(――あの緩みきった様子……。もし俺の読み通りなら、これからは一方的に敵を撃ち殺すだけの戦いにはならねぇぞ……)
めいめいに娯楽に興じ、談笑する兵士たち。 バイ指揮官やエルフ議会長との協議内容を頭の中で反芻し、オールドマンはふっと懸念を振り払う。そのまま、あの廃屋へと足を向けた。
(――まあ、いいさ……。今の状況も、決して悪いことばかりじゃねぇ。戦友同士の絆ってのも、同じくらい重要だからな。……これからは、出たとこ勝負で行くさ)
『――勇者団、不毛の砂漠における深淵勢力の掃討に成功。現在、勇者団はトーテムの疆域へと凱旋し、バイ戦線を支援すべく、北上を準備中――』
木箱の上の放送装置から流れる軍情をBGM代わりに、オールドマンは悠然と傍らのパイプを取り上げ、タバコの葉を詰めて火をつけた。 ぷはぁ、と淡い煙の輪を吐き出したその瞬間、入り口から聞き慣れた声が響く。
「よォ――。オールドマン」
狂特ゴブリンだった。
オールドマンはパイプを口から外した。 「この十日ばかりで、何か進展はあったか? 待ちくたびれて体がなまっちまいそうだぜ」
狂特ゴブリンは、やれやれと片方の肩をさすりながら首を回す。 「……一つの謎を解けば、さらに多くの謎が湧き出てくる。そんな状況さ」
「何だと……」
オールドマンが眉をひそめた瞬間。その言葉を遮るように、入り口から別の聞き慣れない声が割り込んできた。
「よォ――。こいつがお前みたいな頑固オヤジをチームに引きずり込んだ張本人か?」
獰笑ゴブリンが遠慮なく部屋に踏み込み、ずけずけと周囲を見回す。
「ガハハッ! こいつがお前を拉致った張本人か?」
ドワーフが顎を撫でながら、獰笑ゴブリンの後に続いて入ってくる。オールドマンの周りをぐるぐると回り、値踏みするように観察し始めた。
突然押しかけてきたドワーフ、エルフの学者、商人のゴブリンたち。 静かだったはずの廃屋が、にわかに騒がしくなり始める。
狂特ゴブリンは、観念したようにオールドマンへ説明する。 「……こいつら、金魚のフンみたいにまとわりついてきやがってな。どこのどえらい御仁が俺を拐ったのか、拝んでやりたいそうだ」
「あなたが、あの『扉』の建造物を発見されたお方ですか?」
エルフの学者が真っ先にオールドマンの前に進み出ると、恭しく敬礼し、こう言った。 「本当に、大いなる助けとなりました」
「意外だな。一見すると痩せた人間にすぎんお前が、あの『啓蒙者』を心服させるとはな……」
ドワーフは腰に手を当て、豪快に笑いながらオールドマンを見上げた。 「なあ、人間。俺のこの頑固な悪友は、生まれつき口が悪くてな。口を開けば毒を吐くのは天性のようなもんだ。悪気はないから、大目に見てやってくれ」
オールドマンは紙の図面を取り出した。 「ちょうどいい。学者様たちが揃っているなら、俺が描いたこの図面が実現可能かどうか、ちょっと見てくれねぇか?」
「どれ、俺が見てやろう……」
ドワーフが図面を受け取り、真剣な顔で中身を覗き込む。 「ほほう、こいつをお前が設計したのか? 実にとんでもねぇ代物だな」
「ハハッ! おい啓蒙者、お前がなんでそんなに大人しく従ってるのか、なんとなく分かったぜ」
獰笑ゴブリンがドワーフの手から強引に図面を奪い取り、一瞥する。 「実に興味深い設計だ……。実現は可能だが、まだツメが甘い部分が多いな」
「私にも見せなさい……。あとは数式と、合理的なリソース配分さえあれば……」
好奇心に駆られたエルフの学者が紙を奪い取るように引き寄せ、じっくりと検分する。やがて、彼は深く眉間を寄せ、オールドマンを睨んだ。 「しかし……これほどのものを設計した目的は何ですか?」
「軍事機密だ」
オールドマンは淡々と答えた。
エルフの学者は黙ってオールドマンを見つめた。やがて、彼は不満そうに肩をすくめ、追及を諦める。 「……分かりました。どうせ全ての種族が手を取り合っている。どこか一族が単独で台頭しようとしたところで、大した波風は立てられない。まあ、ないよりはマシ、といったところですか」
「で、そっちは……?」
オールドマンは、狂特ゴブリンへと視線を促した。
狂特ゴブリンは頷き、本題へと切り込む。 「この野郎どもに邪魔されたが――俺たちが爆破したあの『大元』についてだ。使われていた材質と動作プロセスの解析から導き出した結論だが、あれは『静滞空間』の生成装置だ」
エルフの学者が、示し合わせたように口を挟む。 「我々の議論における仮説ですが、零エントロピー状態において強大な衝撃が加われば、その空間は瞬時に『ガラス化』する可能性がある。ただし実証データはなく、あくまで机上の空論ですがね」
獰笑ゴブリンが肩をすくめた。 「だから言ったろ。ガラス化した空間こそが『扉』の正体だ。あのガラス化した空間をどうにかしてこじ開けさえすれば、扉は自然と開くのさ」
ドワーフも負けじと、大声を張り上げた。 「俺様はとっくに言ったはずだぞ! 衝撃を与えて大門ごとぶっ壊しゃあ、扉は勝手に開くんだよ!」
エルフの学者はドワーフを冷ややかに一瞥し、鼻で笑う。 「どれも空想の域を出ない、ただの推測でしょう。あなたが独断で実証する勇気などあるのですか?」
「う、ぐ……」
ドワーフは一瞬で言葉を詰まらせた。
狂特ゴブリンは、やれやれとため息を吐くと、真剣な眼差しを皆に向けた。 「俺の推測だが……これらは『深淵』、傷ついた空間のガラス化と密接な関係がある。零エントロピー空間が高圧電流のような衝撃を受け、ガラス化する。これは落雷が砂をガラスに変える現象と、本質的には同じ理屈だ」 「そして、ガラス化した脆い空間が何らかの衝撃によって破砕された時、その領域は別の次元の空間と『連結』を果たすんだ」
オールドマンは話を聞き終え、思考を巡らせる。 「……つまり、現段階ではまだ結論は出せない、ということだな?」
「こんな大層なこと、たった数日で答えが出るわけねぇよ。ま、残りの面倒な検証はこいつらに放り投げておきな」
狂特ゴブリンはオールドマンを見つめ、他の三人を指し示しながら片眉を上げた。 「それより、お前もホーリー・グロリア・キュリアへ南下する用事があるんだろ? 俺たちも同行する準備はできてるぜ」
オールドマンの微かな躊躇いを見透かし、狂特ゴブリンは不敵に笑う。 「こんな大掛かりな仕事、専門家どもが役割分担してやるべきだ。お前は余計な心配せず、プロの仕事に任せておけよ」
その言葉を聞き、オールドマンは口角を緩めた。 「いや……。今回は俺一人で南下する。お前はここに残り、この謎をきっちり突き止めてくれ。……それから、他の連中の面倒も頼んだぜ」
「はあッ!? 俺がベビーシッターに見えるかよ!」
狂特ゴブリンは思いっきり白目を剥いて抗議した。
「――チーム全体の知性の平均値を考えれば、間違いなくお前が適任のベビーシッターだ」
オールドマンは楽しそうに笑いながら、廃屋を後にした。 そのまま歩みを進め、野営地の通信天幕へと向かった。




