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【第十三章:一線を越える】

「なぁ、この考えが通用するか、ちょっと判断してくれねぇか?」 オールドマンは自身で描き上げた図面を、ガンマニアへと手渡した。

 ガンマニアは受け取った紙束に目を通すと、眉をひそめ、言葉を濁した。 「これは……。あのゴブリンに見せねぇと、何とも言えねぇな」

「ふむ……」 オールドマンは口を尖らせ、軽く頷く。

 ガンマニアは申し訳なさそうに答えた。 「すまねぇ。この分野は俺の専門外だ。多少の助言くらいしかできねぇ」

「あ、あの……すみません! こちらに『オールドマン』という方はおられますか?」

 オールドマンが狂特ゴブリンの行方を尋ねようとした矢先。入り口から、不意に見知らぬ声が響いた。

 入り口には、ドワーフの兵士が直立不動で立っていた。それを見たオールドマンは立ち上がり、扉口へと向かう。 「俺だが」

 ドワーフの兵士は即座に敬礼した。 「バイ指揮官の命により参りました。ご同行願います」

 オールドマンは意外そうに片眉を上げる。背後のガンマニアへ向かって顎で合図を送ると、単身ドワーフの兵士に続いて前線駐屯地へと向かった。

 大型天幕テントの前に到着した。 オールドマンが布簾をめくると、そこには居並ぶ高官たちに加え、戦略机の前に鎮座するバイ指揮官の姿があった。

「よォ、久しぶりだな、ともよ」 バイ指揮官が他の士官たちに目配せし、彼らが次々と天幕の外へ退出していくのを見届ける。オールドマンは遠慮する素振りすら見せず、バイ指揮官の真正面にどっかりと腰を下ろした。 「なんで俺がここにいるって分かった?」

「エルフ議会長と『扉』に関する協議を終えた後、密かに彼女から教えてもらったのさ」 バイ指揮官はひどく疲弊した表情を浮かべ、口元を引きつらせる。 「俺の頭上に特大のプレゼントを落としてくれやがって……本当に感謝するよ、この野郎……」

 オールドマンはニヤリと口角を吊り上げ、バイ指揮官が本題を切り出すのを待つ。

「……まあいい。本題に入ろう」 バイ指揮官は深くため息をつき、戦略机に視線を落として説明を始めた。 「つい先程、南から入った情報によると……深淵アビスとは異なる外見の敵が現れ、こちらへ向かって移動しているらしい」

「で?」 オールドマンは、バイ指揮官の指差す地図上の地点を一瞥する。

深淵アビスとは違う……。この情報をどう見る?」 バイ指揮官は手を引っ込め、両手で顎を支えながらオールドマンを凝視した。

 オールドマンも顎を撫でながら、戦略机をじっと見つめる。この情報は、彼の興味を僅かに引いた。 「そいつは、自分の目で確かめねぇと、真偽も価値も分からねぇな」

 バイ指揮官は背もたれに寄りかかり、言葉を継ぐ。 「だからこそ、さっきの士官たちと協議し、敵陣深くへ斥候を放とうと考えていたところだ」

「俺たちが行く。あの砲撃で敵に痛手を与えたとはいえ、無闇に深入りするのは得策じゃねぇ。石橋を叩いて渡るのが一番の良策だぜ」 オールドマンはそう言い残し、席を立とうとした。

 その背中に向け、バイ指揮官が慌てて声をかける。 「おい……。真面目な話、俺に支援できることがあれば何でも言ってくれ。俺たちはもう、敵同士じゃないんだ」

「安心しな。俺の要求はいつだって気分次第だ。プロセスは俺がやる。あんたは『答え』を書き込むだけでいい」 振り返りざまに不敵な笑みを浮かべ、オールドマンは布簾をめくって天幕を後にした。

 外へ出た直後。オールドマンは、待機していたガンマニアと鉢合わせた。 「ん? 都合よくこんな所にいたな?」

 ガンマニアは肩をすくめる。 「今は特にやることもねぇしな。ついてきて状況を把握しておこうと思ったのさ」

 オールドマンはガンマニアの肩をポンと叩き、歩き出す。 「野郎どもを集めな。仕事の時間だ」

 廃屋へ戻ったオールドマンは、手早く装備を整えると、『クズの真髄』を背負い、部屋を出ようとした。

 外には、既に招集された狂特ハイエナと、トロルを引き連れたガンマニアの姿があった。

 メンバーを見回し、オールドマンは片眉を上げる。 「今度はゴブリンの野郎が遅刻か?」

「あいつなら、今他の学者連中と一緒にあの残骸を研究してるところだ。今回は来られねぇだろうな」 ガンマニアが説明する。

「分かった。今回の任務は、情報の真偽を確かめる偵察だ」 オールドマンは少し思案し、役割分担を指示し始めた。 「ガンマニア。お前は安全な場所から、遠距離で俺たちの脅威を排除してくれ。俺とベイビー、ハイエナの三人で深く潜り込み、目標ターゲットを探る」

 続いて、狂特ハイエナへ視線を向ける。 「もしその噂が『高脅威』だと判断したら……即座にその芽を摘み取るぞ」

「お前は賢いベイビーだからな」 オールドマンはトロルを見上げ、口角を上げて人差し指を唇に当てた。

 トロルは意図を理解し、嬉しそうにオールドマンの動作を真似る。 「シーッ、しずかに〜」

「作戦は以上だ。行くぞ」 オールドマンは仲間を引き連れ、南東の塹壕へと歩を進めた。

 塹壕の前。会議を終えたばかりのエルフ議会長が、防衛線に立つ兵士たちを慰問していた。

 ふと、南の塹壕へと向かう巨体に目を留める。よく見れば、それはオールドマンたち一行だった。彼女は歩み寄ろうとして、足を止める。

(――あの様子だと、任務に赴くところかしら? まさか、『扉』の位置を特定したの……?)

 遠ざかるオールドマンたちの背中を見つめ、エルフ議会長は思索に沈んだ……。

(――私も、彼らのために何かするべきではないかしら? 何だかんだ言っても、彼らは既に多大な貢献をしてくれている……)

 迷いを抱えつつも、エルフ議会長はゆっくりと歩み出し、オールドマンたちの後を追った。

(――単に扉を破壊するだけなら、遠くから観察していても問題ないはず。少なくとも彼らの行動パターンを把握しておけば、今後の人員配置や支援にも役立つわ) (――彼らの後方に控えている分には、脅威度はそこまで高くない。私の能力なら、不測の事態にも十分対応できるはず……)

 熟考の末、エルフ議会長は決意を固めて歩調を速める。オールドマンたちの背後を、静かに尾行し始めた。

 道中、エルフ議会長の表情は極度に張り詰めていた。鋭い視線で絶え間なく周囲を警戒し、敏感な尖った耳は、どんな微かな葉擦れの音すら逃さない。

 やがて、前方を歩く狂特ハイエナの動きに異変が生じた。 オールドマンがトロルをその場に待機させ、狂特ハイエナと共に姿勢を低くして前進していく。

 それを見たエルフ議会長は息を殺し、自らも身を屈めて様子を窺った。

 オールドマンは、狂特ハイエナの警戒する方角へと視線を向ける。 遠方――紫色の輪郭を持つ異質な小規模部隊が、まるで『要人』を護衛する近衛兵のような陣形で、先ほど爆破された扉の方向へと進軍していた。

 オールドマンは思わず眉間を寄せた。 護衛されているその深淵アビスは、これまで遭遇してきた個体とは明らかに外見が異なっていたのだ。軍外套コート制帽キャップのような輪郭。護衛の兵士たちもまた、背の高い帽子の輪郭を持ち、背中には先端に刃のついた長尺物を背負っていた。

 ガサッ……。

 遠くから、草むらが微かに擦れる音が響いた。 エルフ議会長の神経が張り詰め、咄嗟に振り返る。背後の遠方から、一体の深淵アビスエルフが飛び出してきた。奴の手には既に限界まで引き絞られた弓が握られており、不意を突いて一筋の暗矢あんやが放たれた。

 エルフ議会長は体裁など構わず、傍らの樹幹の裏へと身を投げ出した。同時に、両手へ急速に氷晶と火球の魔力を収束させる。

 だが、エルフ議会長が身を翻して反撃に転じるよりも早く。一条の火線が、深淵アビスエルフへ目掛けて突き刺さった。

 ズガァァァンッ!!

 深淵アビスエルフが粉々に崩れ去る。一瞬呆気にとられたエルフ議会長だったが、即座に我に返り、周囲の警戒レベルを限界まで引き上げた。

 一方。突如として閃いた光が、オールドマンと深淵アビスの小隊の注意を引いた。深淵アビスの兵士たちは、即座にあの異質な深淵アビスを護衛しながら、その場からの離脱を図る。

 眼前の敵が撤退していくのを見るや否や。オールドマンは背後のトロルへ向かって声を張り上げた。 「ベイビー! シャボンだ、俺の方向へ向かって、ぶっ放せ!」

 言い終えると同時、オールドマンと狂特ハイエナは瞬時に地面へ伏せる。 ヒュンッ、ヒュンッ! 眩い火線が連続して二人の頭上を掠め飛んでいった。

 しばらくして、オールドマンが再び吠える。 「ベイビー! シャボンは少し残しておけ、後で遊ぶぞ!」

 砲撃が鳴り止む。 オールドマンは素早く身を起こし、遠方を見渡した。そこには人影は一つもなく、残骸すら欠片も残されてはいなかった……。

(――クソッタレが……。仕留め損なったか……)

 状況を整理すべく帰還の途につこうと、オールドマンは傍らの狂特ハイエナへ顎でしゃくった。 「行くぞ。撤退だ」

 その直後。 別の一条の火線が、再びエルフ議会長の頭上を切り裂いた。 その火線に注意を引かれ、オールドマンは樹幹の陰に縮こまっているエルフ議会長の姿にハッと気づいた。

「敵が近づいてきたら、どいつもこいつも撃ち殺せ」 オールドマンは手にしていた『クズの真髄』を狂特ハイエナへ預けると、一直線にエルフ議会長の下へと歩み寄った。

 道すがら、その場で待機しているトロルへの指示も忘れない。 「ベイビー、家に帰るぞ。紫色のガキどもが来たら、シャボンをプレゼントしてやれ」

 エルフ議会長が口を開くより早く。 オールドマンは容赦なく彼女の尖った耳を引っ張り上げ、強引に引き摺りながら怒鳴りつけた。 「この野郎ッ! 俺たちも大概イカれてるが、お前はそれ以上に頭のネジが吹っ飛んでやがる! ここがお前の来るような場所か!? あぁ!?」

「ああっ……痛い痛い痛いッ……!」 耳をきつく抓り上げられ、エルフ議会長は涙目になりながら、身をよじって小刻みな足取りでオールドマンについていく。

 道中、オールドマンの胸は激しく上下していた。彼は一切手を緩めることなく、激しい剣幕で説教を続ける。 「お前にもしものことがあったら、この防衛線全体がどうなるか分かってんのか!? 他種族の議会長どもが、お前と同じように前線へ出てくるとでも思ってんのか!?」

「光は光の当たる場所にいりゃあいいんだよ! 泥水をすすりたきゃ、まずは俺の許可を取れ!」 エルフ議会長を引き摺り回し、連合軍の塹壕が間近に迫ったところで、オールドマンはようやく手を離した。

 エルフ議会長は真っ赤に腫れ上がった耳を押さえながら、弁明しようと手を伸ばした。だが、仲間を引き連れ、一度も振り返ることなく野営地へと歩き去るオールドマンの背中を見て、彼女はがっくりとその手を下ろした。

 オールドマンが大型天幕テントに戻り、布簾を荒々しくめくる。 中で目を閉じて休んでいたバイ指揮官が、ゆっくりと目を開けた。

 オールドマンのただならぬ、重苦しい表情を目にし、バイ指揮官も真剣な顔つきへ変わる。 「おい、オールド……。どうした? お前がそんなツラをするのは初めて見たぞ」

「ああ、確かに特殊な深淵アビスと遭遇した。だが、不測の事態が起きて奴らは逃げやがった。俺たちも一旦撤退するしかなかったのさ」 戦略机の前にどっかりと腰を下ろしたオールドマン。パイプを咥え、足を組み、片手を机の上に置きながら思案に沈んでいる。

 いつもと勝手の違うオールドマンの様子に、バイ指揮官は急いで問い詰める。 「……何か、厄介なものでも発見したのか?」

 オールドマンは戦略地図を睨みつけ、重々しい口調で答えた。 「……ある程度の覚悟はしておいた方がいい。もし……俺の推測が外れてなけりゃあ、この戦場の局勢は、根底から覆ることになるぜ」

 その時、天幕の布簾がそっとめくられた。 「……申し訳ありません。お邪魔いたします……」 エルフ議会長が顔を覗かせる。

 深い罪悪感に苛まれた顔で、エルフ議会長はオールドマンの傍らへと進み出た。そして、深く頭を下げて心からの謝罪を口にする。 「あの……オールドマン。本当にごめんなさい……。私の無知のせいで、あなたの計画を台無しにしてしまって……」

 オールドマンはエルフ議会長をじっと見つめ、しばらく呆気にとられていた。やがて細く紫煙を吐き出すと、淡々と返す。 「……もう済んだことだ。手はいくらでもある。生きてさえいりゃあな」

「ええと……俺は何か見落としているか?」 バイ指揮官が、怪訝な顔で二人を交互に見遣る。

「『不測の事態』だ」 オールドマンは、エルフ議会長を親指で指し示した。

 自分に向けられた親指を見て、エルフ議会長は気まずそうに視線を逸らし、指先で真っ赤に染まった頬をポリポリと掻いた。

 あえて言葉にしないその場の空気から、バイ指揮官もだいたいの察しがついた。彼は無言でエルフ議会長を見つめ、傍らの椅子を手で示して着席を促す。

 エルフ議会長が席に着くのを見届けると、バイ指揮官は真剣な面持ちでオールドマンへ問いを戻した。 「先程の言葉……どういう意味だ?」

「完全には断定できねぇ。奴らはただ撤退しただけで、一切反撃してこなかったからな。だが……俺たちが遭遇したのは、『火器かき』を装備した深淵アビスである可能性が高い」 オールドマンは、バイ指揮官を真っ直ぐに見据えた。

 それを聞き、バイ指揮官は一瞬虚を突かれたように固まり、やがて眉間を深く寄せて思案に沈んだ。 「……現在、俺の元に上がってきている戦報では、火器の兆候は一切確認されていない。敵の攻勢は依然として冷兵器と魔法によるものだ。だが……その可能性を完全に排除することはできないな……」

 オールドマンは、戦略机をトントンと指先で叩き続けていた。不意に顔を上げ、尋ねる。 「バイ王朝は、斥候部隊を解体したか?」

「今はまだだ。だが、上層部にはその思惑があると聞いている」 バイ指揮官が答える。

「斥候は残しておけ。現代の兵器を配備しろ、奴らの偵察能力が必要になる」 オールドマンはそう言い切ると、エルフ議会長へと視線を向けた。 「ハイエルフの方はどうだ? まだ残存の遊撃部隊がいるはずだろ?」

 唐突な問いに、エルフ議会長は一瞬言葉を失った。精鋭遊撃隊の残存人数の報告を思い返し、無意識に指輪を撫でながら答える。 「ええ……生き残りはいますが、人数はそう多くはありません」

「残存兵を今すぐ指導役として回せ。遊撃隊の編成を早急に立て直すんだ。急げよ」 オールドマンは二人を見据え、言葉を続ける。 「可能なら、斥候と遊撃小隊を統合しろ。現段階での兵力編成も根本から見直し、不測の事態に備える必要がある」

「……お前ら。仮想敵を『俺たちと同等の装備・編成を持つ軍隊』として想定し直せ」

「……分かった」 バイ指揮官はひどく疲れた様子で顔を拭うと、オールドマンへ向き直った。 「ともかく、貴重な情報に感謝する」

 伝えるべきことは全て伝えた。オールドマンが腰を上げ、その場を離れようとした時、バイ指揮官が続けて問いかけた。 「……お前はこれから、どうするつもりだ?」

 オールドマンは振り返り、バイ指揮官へ答える。 「もう少し、事態が進展するのを待つ。俺が望む成果モノを手に入れたら……南へ下り、ホーリー・グロリア・キュリアへ向かう」

 言い残し、オールドマンは布簾をめくって天幕を後にした。 そこには、バイ指揮官とエルフ議会長の二人だけが残された――。

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