【第十二章:智者(ちしゃ)(ㄧ)】
「よォ――。帰ってきたとは聞いてたが、やっぱ信じられねぇな。ホームシックにでもなったか?」
オールドマンの廃屋から村落へ戻り、戦時休息所として使われている民家へ向かって歩いていた狂特ゴブリン。ふと、聞き覚えのある声に呼び止められ、彼は足を止めて声のした方へと視線を向けた。
「少しは歯を磨きな。遠くからでもお前の口臭がぷんぷん漂ってきたぜ」
小走りで近づいてくる獰笑ゴブリンを見据え、狂特ゴブリンはごく自然に相手と拳を突き合わせた。
拳を下ろすと、獰笑ゴブリンはからかうように言った。 「大啓蒙者殿、ご機嫌いかがかな」
狂特ゴブリンは白目を剥き、再び歩みを進める。 「……そのふざけた呼び方はやめろ、兄弟」
隣に並んで歩きながら、獰笑ゴブリンは真剣な眼差しで親友を見つめる。 「おいおい、俺は本気で支持してるんだぜ。お前がもたらした論説は、まるで疫病のように部族の連中を感染させた。俺なんて、もう末期症状だ」
狂特ゴブリンは軽口で叩き返す。 「安心しな。いつか必ず、お前の墓石の前で積る話を語り明かしてやるよ」
「相変わらずだな。毒舌のセンスじゃ、誰もお前に敵わねぇよ」 獰笑ゴブリンは肘で狂特ゴブリンの脇腹を小突く。 「で? 久々の我が家の寝心地はどうだ?」
「首根っこを引っ掴まれて連れて来られなきゃ、帰郷なんて考えもしなかったさ」
ある民家の前に辿り着き、狂特ゴブリンは屋内へと足を踏み入れた。誰もいない室内を見回す。そこには、ベッドの上に横たえられ、ご丁寧に布団まで掛けられた『銃』だけがポツンと置かれていた。
「よォ――。俺の耳垢が詰まってるのか? お前みたいな頑固オヤジを引っ張ってくるなんて、一体どこのどいつにそんな大層な腕前があるんだ?」 狂特ゴブリンに続いて部屋から出てきた獰笑ゴブリンは、驚きを隠せない様子だった。
狂特ゴブリンは少し思案すると、やれやれと首を振った。 「ハッ。もし深淵の侵攻がなけりゃ、あの野郎は間違いなく全大陸から討伐の的にされる『魔王』だろうな」
「そりゃあ面白ぇ……」 獰笑ゴブリンは片眉を吊り上げる。 「ところで、これからどこへ行くつもりだ?」
「突然変異のエルフを探しにな」 人出で賑わう酒場を見据え、狂特ゴブリンは迷わずその方向へと真っ直ぐに歩き出した。
それを聞き、獰笑ゴブリンは信じられないものを見るような目を向け、親友をからかう。 「よォ――。どうやら追放されてから、お前の頭も随分と『突然変異』しちまったみたいだな」
狂特ゴブリンは酒場の扉を押し開け、遠慮なしに大声を張り上げた。 「おい! 恋銃癖!」
多種多様な種族が入り乱れる酒場の中。薄暗い隅の席で食事をとっていた恋銃癖だけが、勢いよく口の中のものを噴き出した。
恋銃癖は、向かってくる狂特ゴブリンを凶悪な目つきで睨みつける。 「このクソチビ猿……。わざわざ隣に来てから声をかけるって知恵はねぇのか?」
狂特ゴブリンは面白そうに目を細める。 「アルコールで脳味噌がイカれて、その自慢の尖った耳まで鈍っちまってるんじゃないかと思ってな」
「こいつがお前の言ってた『突然変異のエルフ』か?」 獰笑ゴブリンは片眉を上げ、どう見てもごく普通のエルフをまじまじと観察した。そして、友好的に手を差し出す。 「よォ、エルフ。俺はこいつの親友だ」
恋銃癖はやれやれと首を振り、カウンターの店員に向かって指を二本立てる合図を送った。狂特ゴブリンたちへ視線を戻す。 「……座れ」
「『陰性』の変異だからな、見た目じゃ分からねぇよ」 獰笑ゴブリンが我が物顔で席に着くのを見届け、狂特ゴブリンも向かいの椅子に腰を下ろした。そして、恋銃癖へ本題を切り出す。 「オールドマンの野郎が、お前のあの『教授』の件を片付けたいらしい」
恋銃癖は一瞬ポカンとし、訝しげに片眉を跳ね上げた。 「教授? オールドマンが教授の邪魔でもするってのか?」
店員が、なみなみと注がれた酒杯をテーブルに置き、立ち去るのを待つ。
狂特ゴブリンは酒杯を鷲掴みにし、一口煽ってから答えた。 「いや。お前の教授が研究してる代物に、あのオヤジが興味を持ったのさ」
「だから?」 恋銃癖は怪訝な表情のまま、狂特ゴブリンをじっと見据える。
「お前、一度教授んとこ行っただろ? だから、お前に何とかしろってお達しさ」 狂特ゴブリンは背もたれに深く寄りかかり、肩をすくめた。
恋銃癖はひどく嫌そうな顔をした。 「マジで教授には会いたくねぇんだよ。今のあいつは完全に神経質になっちまってて……性格まで常軌を逸してる」
狂特ゴブリンは、恋銃癖のただならぬ様子を観察し、尋ねた。 「どうやら、随分と険悪な雰囲気だったみたいだな?」
恋銃癖は口を尖らせ、深くため息をつく。 「教授の身に一体何があったのかは知らねぇが、人が変わっちまったのは確かだ。俺の知ってる教授じゃなくなっちまった」
「よォ、兄弟。お前がそんな多忙な身だとは知らなかったぜ。俺はここらで退散するとするかな」 酒杯を一気に飲み干した獰笑ゴブリンは、狂特ゴブリンの脇腹を小突いて席を立つ。そして、恋銃癖へ向かって一枚のカードを弾き飛ばした。 「兄弟。初対面で奢ってもらっちまったな。今後何か力になれることがあれば、俺を呼んでくれ」
去り際、彼は再び狂特ゴブリンへ振り返った。 「それから兄弟。お前らが何を企んでるのかは知らねぇが、俺たちの『専門分野』が活かせそうな時は、俺を忘れるなよ」
親友を見送った狂特ゴブリンは、再び恋銃癖へと視線を戻す。 「同じ穴のムジナ同士が反りが合わねぇなんて、到底信じられねぇな」
「お前のその言い草、明らかに言葉通りの意味じゃねぇだろ」 恋銃癖は背もたれに寄りかかり、手元のカトラリーをくるくると弄ぶ。
「お前が奴と会って何を話したのか、そいつは興味深いな」 狂特ゴブリンは腕を組んだ。
恋銃癖は記憶を辿る。 「最初はただ、教授に挨拶しようと思っただけだ。なにせ今、彼が率いる学者たちは、あの外来の紫色の生物について研究してるからな」
狂特ゴブリンが口を挟む。 「今はもう『深淵』って呼ばれてるぜ」
「そこ、重要か?」 恋銃癖はこれ見よがしに白目を剥く。 「元々のあいつは極めて理性的で、人当たりも良かった。だが今じゃ……ただただ吐き気がするだけだ」
「俺を自分のチームに引き入れようと、しつこく勧誘してきやがった。『この謎さえ解き明かせば、お前の妻は戻ってくる。あっち(・・・)の自分を殺しさえすれば』……だとな」
「ふむ……。お前は教授の戯言を信じるか?」 狂特ゴブリンは片眉を吊り上げる。
「何が言いてぇ?」 恋銃癖の眼光が鋭くなる。
狂特ゴブリンは淡々と答える。 「もし仮に、俺たちと全く同じ人間が、同じ世界に生きているとしたらどうだ。何らかの要因で、俺たちと奴らの間に『微妙な差異』が生じているとしたら……」
「……どういう意味だ?」
狂特ゴブリンが事の顛末と自らの推測を語り終えると。恋銃癖は、彼がテーブルの上に置いた二つの残骸をじっと見つめ、口を開いた。 「なるほどな……。つまり、この二つの残骸が、その鍵となる『媒介』である可能性が高いってことか?」
狂特ゴブリンは問いには答えず、顎を撫でながら思案に沈む。 「今一番厄介なのは、お前の教授がどこまで研究を進めているのかを把握しなきゃならねぇってことだ。問題は、どうやって奴の住処に忍び込むかだが……」
恋銃癖はしばし考え込むと、意地悪く口角を吊り上げた。その両眼には、ギラギラとした光が宿っている。 「行くぞ。だが、十分に覚悟しておけよ」
狂特ゴブリンを連れ、恋銃癖は巨大な円形の木造建築へと足を踏み入れた。慌ただしく行き交う学者たちへ軽く挨拶を済ませると、一直線に第一学士の部屋の前まで進み、コンコンと扉を叩いた――。




