【第十章:Showtime(一)】
言葉を切り上げ、オールドマンは一行を率いて前線の塹壕へと歩き出した。 ふと振り返る。背後に、恋銃癖の姿がなかった。
「恋銃癖はどうした?」オールドマンは訝しげにゴブリンへ問う。
「あいつなら、恩師の教授を見つけたとかで、俺に一声かけて飛んでいきやがったぜ」ゴブリンは本陣の方角を指差した。
オールドマンは足を止め、残された面々を見回して小さく呟く。 「……タイミングが悪いな。影響が出なけりゃいいが……」 「ゴブリン。この後の作戦では、お前はベビーに張り付いて周囲の警戒を補佐しろ。俺とハイエナからは距離を保つんだ」 「で、お前だ、ハイエナ。……極上の、演技を、見せて、みろ」
ハイエナは一瞬きょとんとした後、ニヤリと口角を吊り上げた。 「ヘッ、死に損ないの、老いぼれめ。……目ぇ見開いて、特等席で、見てな」
オールドマンは満足げに笑い、再び歩き出す。 塹壕の後方で待機している砲車の列に辿り着くと、彼は容赦なく金属装甲をバンバンと叩き、けたたましい騒音を鳴らした。
騒ぎに気づいた乗組員たちが、一斉にオールドマンへ視線を向ける。 肩の軍外套を軽く直し、オールドマンは怒鳴りつけた。 「おい! 休憩は終わりだ! さっさとエンジンを温めて、塹壕の後方に並べ!」
乗組員たちは曹長の階級章を見て、訳が分からず顔を見合わせた。 「何モタモタしてやがる! 今すぐ動け!」
その剣幕に圧され、兵士たちは慌てて砲車を起動させる。 重低音を響かせて動き出した車列を引き連れ、オールドマンは塹壕へと向かった。
塹壕に到着するや否や、疲労困憊で生気のない穴の中の兵士たちを見下ろし、オールドマンは吠えた。 「全員出ろ! 武器を持って、砲車の前に整列しろ!」
兵士たちはまるでゾンビのように、恨めしげな目でオールドマンを見上げる。 だが、その階級には逆らえず、泥のように重い体を引きずって塹壕から這い出し、砲車の前に一列に並んだ。
無気力な兵士たちを睨みつけ、オールドマンは容赦ない罵声を浴びせる。 「てめぇらのそのザマは何だ! どいつもこいつも死に損ないのボロ雑巾じゃねぇか! 兵士の面構えすら残ってねぇ! 世界がてめぇらみたいなクズどもに希望を託してるなんて、完全に目が腐ってやがる! さっさと荷物をまとめて、家に帰ってママの腕の中で死にやがれ!」
怨嗟の目を向ける兵士たちの前を歩き回り、さらに怒鳴り散らす。 「いいか! 愛する家族に未来を残したいなら、そこで一歩も動かずに立ってろ! 自分が何のために最前線に立っているのか、その萎縮した脳味噌でよく考えろ! 『花火』が終わるまで、絶対に下がるな! 分かったか!」
「ハッ! 曹長殿!」 弱々しい返事。
「声が小せぇ! 蚊の鳴くような声で敵に媚びでも売るつもりか!」オールドマンが激昂する。
「ハッ! 曹長殿!」 今度は腹の底から絞り出したような怒声が返ってきた。
その気迫のこもった返答に、オールドマンは険しい表情のまま満足げに頷く。 「命令に背いた奴は、即刻軍法会議送りだ! いいな!」
「ハッ! 曹長殿!」
兵士たちの咆哮を背に受けながら、オールドマンは踵を返し、敵陣へと歩き出した。
「なんだよあのクソジジイ……こっちの気も知らねぇで……」 「次の瞬間、アビスのバケモノに喰い殺されりゃいいんだ……」 「ヘッ、あんな腐った骨、アビスだって吐き出すさ……」 「おい、声がデカいぞ……。それより、あいつの言ってた『花火』ってなんだ?」
背後から波のように押し寄せる不満と呪詛。 だがオールドマンは一度も振り返ることなく、部下たちを率いて戦線の境界へと進んでいく。
道中。ハイエナは笑いをこらえながら、オールドマンの『独壇場』を特等席で楽しんでいた。 一方のゴブリンは、恐ろしくて後ろを振り返ることもできず、オールドマンの横でぼやく。 「てめぇの底意地の悪さは俺への態度で十分理解してたが……まさかあそこまで底なしのクズだとはな……」
オールドマンは口角を歪めて鼻で笑う。 「少なくとも、あいつらに『怒りをぶつける的』を提供してやったんだ。呪われたって死にはしねぇよ。計画が上手くいって、あいつらも気分が晴れる。一石二鳥じゃねぇか」
塹壕の南端へ到達した一行。 オールドマンが遠く対岸に目を凝らすと、紫色のぼやけた影が静かに、そして確実に集結しつつあった。
敵陣の奥から微かな動揺の気配が伝わってくる。オールドマンは満足げに呟いた。 「さて、野郎ども。向こうの紫色のクソ野郎どもに、教えてやる時間だぜ……『フーズ・ユア・ダディ』ってな」
一行は塹壕を越え、焼け残った森の境界へと身を潜める。 オールドマンは後ろで待機しているトロルを振り返り、手招きした。 「ベビー。……かくれんぼ、だ。しゃがんで、ついておいで」
それを聞いたトロルは、満面の笑みを浮かべた。 無骨なガトリング砲を抱え、大きな体を丸めると、口の前に人差し指を立てて「しーっ」と無邪気なポーズをとる。
オールドマンは優しく頷き、そのまま敵の領域へと深く潜行していった。
荒涼とした地帯の中腹へ差し掛かった時。 隊列にいたハイエナが唐突に列を離れ、死に絶えた荒野へと猛然と駆け出した。
そして地面に転がる深淵の残骸の上へ飛び込み、全身の毛皮と装備が紫色に染まるまで、泥まみれになって転げ回り始めたのだ。
その突拍子もない奇行に、ゴブリンが慌ててオールドマンの傍へ寄る。 「おい! あのイカレ犬、何やってやがる!? 呼び戻さねぇのか!?」
足を止めたオールドマンは、ハイエナの様子を眺めながら薄く笑った。 「あいつなりの考えがあるんだろ。信じて任せてやれ。お前はベビーの護衛に集中しろ」
全身を紫色に染め上げたハイエナが合流するのを待ち、オールドマンはふざけた調子の貿易語で言った。 「お前……すっかり、あの、紫色の、クソ野郎どもと、瓜二つだな」
ハイエナは毛皮にこびりついた残骸を押し付けながら、自信満々に牙を剥く。 「俺は……プロの、役者だから、な」
悪臭を放つ紫色のハイエナを嫌悪感丸出しで見つめ、ゴブリンがオールドマンへ食ってかかる。 「おい、オールドマン。そろそろ目的を吐けよ。俺たちゃてめぇの腹の虫じゃねぇんだぞ」
「お前さんの優秀な頭脳なら、言わずとも分かると思ったんだがな」 オールドマンは淡々とパイプを吹かし、紫煙を吐き出す。 「俺たちは正にその『腹の虫(寄生虫)』さ。奴らの判断を狂わせ、連軍(俺たち)が反攻作戦の準備をしていると錯覚させるんだよ」
それを聞いた瞬間、ゴブリンは完全に死んだ魚の目になり、ぼやいた。 「……人間の軍隊が、よくてめぇみたいな外道を飼っていられたもんだ」
「お互い様だろ」
オールドマンはパイプを外し、灰を叩き落として腰のポーチへしまう。 両陣営を遠巻きに眺めると、狙い通り、双方の兵力が明らかに一箇所へ集結しつつあった。
「上等だ。敵さんも俺のシナリオ通りに動いてくれてる」 空を見上げ、オールドマンは敵の占領区へと足を踏み入れる。 「今のうちに奥まで潜り込んで、ぶっ壊す価値のあるオモチャを探そうぜ」
静寂に包まれた道を抜け、正式にアビスの領域へと侵入した一行は、さらに北へと進む。 その時。ハイエナが姿勢を低くしたまま加速し、オールドマンを追い越していった。 それを見たオールドマンは即座に身を屈め、片手を挙げて後方の二人に待機を命じる。
ハイエナは太腿に差していたナイフを抜き取り、ゆっくりと立ち上がると、ゾンビのように硬直した動きで、足を引きずりながら前へ歩き出した。
遠方。紫色に染まったエルフ輪郭のアビスが、向かってくるハイエナに気づいた。 アビスは無機質な動きで腕を上げ、集結地点の方角を指し示す。
それを見たハイエナは、頭をガクガクと痙攣させるような演技を交えつつ進路を変更し、アビスと指定方向の間の死角へと、足を引きずりながら斜めに接近していく。
アビスとの距離が極限まで縮まった瞬間――。 ハイエナは猛然と身を翻し、後脚の爆発的なバネで跳躍。握りしめたナイフを、アビスの首筋へ向けて容赦なく叩き込んだ。
首に刃を深々と突き立てられ、アビスは不意の衝撃で地面へ崩れ落ちる。 ハイエナは得意満面な顔でオールドマンたちの方を振り向き、劇の終わりのようなお辞儀を披露した。
「おっと」 足元を見ると、アビスはまだピクピクと痙攣していた。ハイエナは首に刺さったナイフを引き抜き、再度脳天へ叩き込んで完全に粉砕する。
ナイフを収め、何事もなかったかのように振り返ると、再び深く一礼した。
一連の喜劇を見届けていたオールドマンは、脅威が排除されたのを確認すると、軽く拍手をしながら歩み寄った。 「よくやった、坊主。……見事な、即興芝居だ」
「ヨォ――ただの狂犬かと思いきや、案外プロの役者気取りじゃねぇか」 オールドマンの背後から現れたゴブリンが、トロルを連れてハイエナを横目でからかう。
ハイエナはゴブリンを指差し、牙を剥いて笑った。 「俺様の……熱演に、惹かれた、新参のファン(追っかけ)、だな」
「死ね」 ゴブリンは即座に白眼を剥いて吐き捨てた。
再び森の奥深くへと進む一行。オールドマンは常に上空と周囲の環境へ警戒の糸を張り巡らせていた。 やがて樹林を抜け、不自然に伐採された開けた空き地へと出た瞬間、オールドマンは手を挙げて部隊を制止する。
姿勢を低くして茂みに身を潜め、ゆっくりと前方を覗き込む。 そこには多種多様な種族の輪郭を持つアビスの群れと、その中心で建設が進められている巨大な建造物が聳え立っていた。
「ありゃあ何だ?」
アーチ状の未知の建造物を不審に見つめるオールドマン。 後方からゴブリンがトロルに待機を命じ、音もなくオールドマンの隣へ滑り込んできた。
視線を追い、ゴブリンは少し眉をひそめて答える。 「見たことねぇ代物だな……。門か? 奴らが何を企んでるかは知らんが、研究の価値はあるぜ」
オールドマンは少し考え、ゴブリンに提案した。 「あれを木っ端微塵にぶっ壊す。お前、その残骸から用途を割り出せるか?」
「てめぇ、白紙の答案用紙に正解を書き込めって言ってんのか?」 ゴブリンが特大の白眼を剥く。
反対側にいたハイエナが、口角を吊り上げて囁いた。 「ハッ……分からねぇモノは、とりあえず、爆破す。……あとは、即興、だ」
「てめぇらは筋肉でしか物事を考えられねぇのかよ」 ゴブリンはハイエナにも白眼を剥き、再び建造物を見つめ直した。 「……まぁいい。残骸を回収する時間を少しでも稼いでくれりゃ、あのイカれた建築物が何なのか、俺の頭脳でパズルをしてやるよ」
「厄介なのは、周りをうろついてる紫のクソ野郎どもの数だ。一人ずつ暗殺していくには多すぎる……」 オールドマンはハイエナを一瞥し、空き地の突破口を探るべく目を凝らす。




