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【第七章:剣を継ぐ者】

 ハイ守備軍が国境線を押し上げ、東南の空を幾筋もの火線が切り裂いた。バイ王朝とトーテム・ゴブリンの辺境には、紫色の残骸が累々と横たわっている。  塹壕の中。負傷兵たちが担架で運ばれ、あるいは肩を貸し合いながら、敵軍の残骸を踏みしめていく。


「こいつら、マジでイカれてやがる。生物らしい感情なんて欠片もねぇ……」  木箱に腰を下ろし、人間の衛生兵から包帯を巻かれているゴブリンが毒づいた。


「今のところ、敵さんも大人しくなったようだがな」  肩に包帯を巻いたオールドマンは、穴の縁に背を預け、パイプを燻らせていた。視線の先には、エルフとハイエナ。 「腰を抜かしてねぇだろうな?」


 エルフは銃器を抱え、虚ろな目で地面を見つめたまま淡々と答えた。 「……何とか」


「ケッ、割に合わねぇ。こんな汚ねぇ仕事に何の価値があるんだよ」  ハイエナは不満げに舌を出し、穴の壁に寄りかかる。


「ゆっくり、待て……。今、まだ、ダメ。すぐ、たっぷり……暴れさせて、やる」  ハイエナ語でそう応じたオールドマンは低く笑い、遊び疲れて穴の底で丸まり、爆睡している双頭のトロルに視線を向けた。


「よし、戻るぞ。野郎ども、準備を怠るな。次の旅が俺たちを待ってる」  オールドマンは立ち上がり、服の埃を払うと、傍らのゴブリンに声をかけた。 「トロルは今日一日、お前に任せる。子供だと思って大目に見てやってくれ。あいつは聞き分けがいい」 「ついでに、そいつに似合う新しい武器でも考えてやってくれ。いつまでも肉弾戦ってわけにもいかねぇからな」


 白目を剥くゴブリンの肩をポンと叩き、残りの二人に視線を送る。 「休暇の間、せいぜい精を出せ。集合日には、全員の顔が揃うことを願ってるぜ」


 *


 ハイ領域奪還の勝報が議会に届いた。戦線が安定すると同時に、エルフ議長は最前線の防衛拠点へと急行した。  彼女は信じがたいといった表情で戦報を読み返し、出迎えたエルフの大隊長に問いかけた。


「……本当に、これほど容易く奪還できたというのですか?」


 直立不動の大隊長が即座に応じる。 「ハッ、議長。敵陣の深部で大規模な爆発が発生し、敵軍が防衛へと転換いたしました。残存していた守備隊も、新型兵器の援護により、極めて円滑に掃討を完了しました」


「……爆発?」


「はい。バイ王朝とトーテム・ゴブリンの領域方向から、地を揺るがすような轟音が。……その後、異種族を引き連れた人間と、それを追撃する敵軍が我々の防衛線へと撤退してくるのを確認しました。何とか、迎え撃つことができましたが」


 異種族を率いる人間――。彼女の脳裏に、あの議場での傲慢な男の姿が浮かんだ。


(――人間が異種族を……。まさか、あの粗野で不遜な男が……?)


 エルフ議長は矢継ぎ早に尋ねる。 「……その人間は、今どこに?」


「ハッ……最後に確認した際は、あちらの塹壕付近で休息をとっておりました」


 兵士たちの案内を頼りに、エルフ議長はやがて一軒の廃屋へと辿り着いた。  眉をひそめ、泥と汚れで原色すら判別できない布切れが、入り口を覆っているのを見つめる。


 躊躇った末、彼女は嫌悪感を露わにしながら、布の端を指先でつまんで跳ね上げた。  鼻を突く悪臭。視界に入ってきたのは、乱雑に散らかった薄気味悪い家具と調度品だった。


 部屋の主――宿を乗っ取った浮浪者のような風体のオールドマンは、入り口に背を向け、ボロボロのソファで悠然とパイプを吹かしていた。  夜風が敷居を越え、彼の後頭部を撫でる。そこでようやく、彼は入り口を塞いでいた布が捲られたことに気づいた。


 彼は振り返ることなく、ただ自然な動作で手をホルスターへ添えた。そのまま我が物顔で紫煙を燻らせ、風を楽しむ。  沈黙。  やがてオールドマンの手がホルスターから離れ、静寂を破った。


「外に立ってるのは、退屈じゃねぇか?」


「……私がここに立っていることに、気づいていたのですか?」


 来訪者が女性であることに、オールドマンは微かな意外性を感じた。彼は片眉を吊り上げ、遊び心を含んだ口調で応える。 「ついさっきな。……涼しい夜風に当たり続けるのも、あまり勧められたもんじゃねぇが」


「貴方……っ!」  その傲慢な態度に激昂したエルフ議長は、彼を問い詰めるべく、勢いよく室内へと足を踏み入れた。


 依然として背を向けたまま、オールドマンは平然と呟く。 「ほらな。あんたは今、生きてここに踏み込んだ。……目の前にあるものが、あんたを殺すことはねぇよ」


 我に返り、室内を見渡したエルフ議長は、再び嫌悪の色を浮かべて吐き捨てた。 「議会でのあの狂態。……その時から、貴方は文明の欠片もない蛮人だと思っていましたが。他人の家に平然と居座るとは、私の見解に間違いはなかったようですね」


「議会」という言葉に、オールドマンは僅かに眉を動かした。彼は興味深そうに首を巡らせ、その大物ゲストを真っ向から見据える。


 議長という高貴な身分でありながら、汚濁に満ちた部屋に肩を窄めて立ちすくむ彼女の姿。  この不潔な環境に、今にも飲み込まれそうなその様子を見て、オールドマンの胸中に複雑な感情が渦巻いた。  強烈な意外性と、どこかで見たような既視感。それらが交錯し、彼はこの女性エルフを一つの確信を持って「肯定」した。


 オールドマンは意味深な笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。 「戦場と政界。……接点はねぇように見えて、共通点は一つある。それは『脳(知略)』だ」


 そう言い残すと、彼は口角を吊り上げ、ソファから立ち上がった。くるりと向きを変え、エルフ議長に向かって堂々と直立する。


 その動作を見て、エルフ議長は溜息をつき、愚痴をこぼした。 「……少なくとも、今は軍人らしい風格に見えますね。どうして貴方のような人が、ホンヴァーシャの指揮官になれたのか、甚だ疑問ですが」


 オールドマンは、どこからか拾ってきた木製の椅子を指差した。 「指揮官、指揮官と……。所詮はただの階級だぜ」


「せめて形だけでも整えなさい。文明人らしく振る舞ってはどうなのです?」


 埃の積まった椅子に、エルフ議長は隠しきれない嫌悪を抱きながら周囲を見渡した。比較的清潔そうな布を見つけ、それを椅子に敷いてから、ようやく腰を下ろす。


 オールドマンもソファへ戻り、どこか懐かしさすら感じるその小言を聴きながら、不意に笑みを漏らした。 「……なぜだ?」


 エルフ議長は当然のように答える。 「議会であれほどの不遜な態度をとる必要はなかったはずです。実力を証明し、その才覚を示せば、貴方は今でも指揮官として遇されていたでしょうに」


(――何を考えてるんだ、俺は。このエルフとは、これが初対面だというのに……)


 オールドマンは一瞬だけ、落胆に似た沈黙に浸った。 「狂言だろうが、礼節だろうが……。俺は軍人として、成すべきことを成すだけだ。あんたは、俺が何を抜かそうが気にするのか?」


 エルフ議長は真剣な眼差しで説く。 「それが問題なのです。階級に従って報告すれば済むものを、貴方はわざわざ不遜な振る舞いを選び、議会に『傲慢な人間』を印象づけた。その結果、重用される機会を自ら潰した。私が見るに……」  彼女は不可解そうに首を傾げた。 「貴方は人間の中でも稀有な才気を持っている。なのに、なぜ議会に逆らってまで泥沼に潜るのです? なぜ栄誉ある指揮官たちと共に、光の当たる場所で戦おうとしないのですか?」


 その問いが放たれた瞬間。  オールドマンの眼前に、あの懐かしい書房、書類の積まれたデスク、そして対面で微笑む三王子の姿が強烈にフラッシュバックした――。


 オールドマンは突如として立ち上がり、埃を被った陳列棚へ歩み寄った。そこにある古びた軍刀サーベルを掴み取る。  ジャキッ、と鋭い抜剣音が響き、その粛殺とした気配にエルフ議長は顔を蒼白にさせた。


 オールドマンは軍刀を卓の上に平らに置き、遠い日の対話をなぞるように、静かに語り始めた。 「……名剣ほうけんをこれ見よがしに飾っておけば、いつか誰かがそれを観察し、隠れたさびを見つけ出すもんさ」


 あまりに突飛な行動。恐怖に硬直したエルフ議長は、その場から動くこともできず、ただ茫然と、縋るように頷くしかなかった。


 その呆けた反応を見て、オールドマンは老友ともを想うような慈愛の笑みを浮かべた。 「あんたのような人物も、この名剣と同じだ。誰もがその輝きを仰ぎ見、輝かしい未来へと導いてくれることを願っている。……だがな。その輝きを仰ぐ連中が、全員心服していると……あんたは断言できるか?」


 その言葉は、雷鳴のようにエルフ議長の心根を打ち据えた。  ハイ議会(至高議会)において、異種族連合に猛烈に反対した者たちの醜悪な顔が、脳裏を過る。  そう――彼らは前線の存亡など、端から関心がないのだ。ただこの『名剣』にいつしきりが浮き出るかを、引きずり落とす機会を虎視眈々と狙っている。


 張り詰めていたエルフ議長の肩から、力が抜けた。彼女の瞳は、暗く沈んでいく。


(――その通りだわ……。戦局の悪化を食い止めるために必死で結成した連合だというのに……。身内であるはずの議員たちは、理解どころか敵意すら剥き出しにしている……)


 深い思索に沈んだ彼女は、やがてゆっくりと立ち上がった。無意識にスカートの埃を払い、エルフ特有の優雅な礼を捧げる。 「……失礼しました。そろそろ戻らなければなりません。人間よ。……何か必要なものがあれば、バイ指揮官を通じて、あるいは直接私に連絡しなさい。貴方の力になれるよう、尽力しましょう」


 言い残し、エルフ議長はソファに座るオールドマンの傍らを通り抜け、屋外へと向かった。  彼女が敷居を跨ごうとしたその時、背後からオールドマンの問いが投げかけられた。


「あんたの剣が指し示す場所は――俺が身を潜めるに値する場所か?」


 彼女は反射的に振り返った。だが、そこには背を向けたまま、静かにパイプを燻らせるオールドマンの姿があるだけだった。  彼女は伏し目がちになり、解き難い困惑を抱えたまま、その場を立ち去った。


 オールドマンは静かに振り返り、誰もいなくなった入り口を見つめた。  いつか、この独特な女性エルフがこの問いの意味を理解し、答えを持ってくることを、彼は確信していた。


(――老友ともよ……。希望ってのは、いつだって最悪なタイミングと場所で、唐突に芽吹くもんらしい) (――この予測不能な未来は、お前さんが望んだ未来か?)

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