86任務と白羽の矢
今日は生徒達の訓練は休み。皆、街に繰り出したり、部屋で寛いだり、思い思いの時間を過ごしているに違いない。
お陰で、ロヴロとモネの姿がなくとも、疑問を抱く者はいない。
内通者の捕縛。その為に駆り出された少数精鋭の面子。その筆頭が先陣を切っているが、その表情は険しい。
「ああ、面倒臭ぇなぁ、残党なんざ、パパッと潰しゃ良いのによぉ」
地面の泥濘みに足を取られながら、ザラが悪態をつく。ザラ以外の魔術師達は、彼女の性格を知っている故か、呆れるやら笑うやら。
これから奇襲を掛けようとしているとは思えぬ空気である。
「悪いな、妹が騒がしくて」
「いえ、粗野な言動をする人には慣れてますから」
「そうか。まあ、気を悪くしてないなら良い」
ベル・カーディナルは、最前線を行く妹を見て苦笑している。団長達が動くほどの任務。今更ながら気を引き締める。
団員達は慣れた手つきで生い茂った草木を掻き分け、湿原を進む。訓練されていて、地の利がある兵士達、足取りに迷いはない。
更に上空を一瞥する。天翼族の使う黒魔術が、気配を空気中の魔力に溶け込ませるように偽装。隠密性を高めているお陰で、団員は気取られる事なく動いている。
「はしたないですよ、ブラッド様。そんなふうに女性を見上げても、彼女達は隊服を着込んでいますから」
「別に覗いてるわけじゃないです。勝手にキャンドルで乱れた人の方が余程はしたないです」
「……今の発言はリタ様に報告いたします。謂れのない辱めを受けたと」
「いや、謂れしかないでしょう」
言いがかりも甚だしい。モネに助けを求めたいが、ここにはいない。万一、敵が逃亡した時に備え、後方支援に回った者達に混ざっている。
しかしーー。
ここにいるネネフィリアは、奇妙だ。これから戦さ場だというのに、緊張している素振りも見せない。戦い慣れしていると、立ち振る舞いが告げている。
「ブラッド、ストップだ」
「はい」
隣を行くベルの足が、木々の影で止まる。勿論、周囲の魔術師達も。視界の開けた先、湿原の様子を窺うように覗き込む。
辺り一帯の地面が水分を含み、もはや泥のよう。泥濘んだ湿地帯には、あまり見かけない蝶や甲虫が飛び回り、特有の植物が生えていた。
しかし、それだけだった。報告にあった隠れ家なんて、影も形もない。足跡すらも見当たらなかった。
情報が誤っていたのか。いや、そうではないと、ザラが舌打ちをした。
「面倒くせぇ。おい、ベスティ。仕事だぞ」
「は、はい」
恐らく予め段取りを決めていたのだろう。名前を呼ばれた気弱そうな男の魔術師が、バタバタと駆け寄ってくる。ずり落ちた眼鏡を押し上げ、杖を振る。
「どうだ?なんか見えるか?」
「人工物の気配は目の前にあります。でもこれは……」
ベスティが表情を曇らせ、言い淀む。感知を得意とする魔術師らしい。目の前に広がる空間と魔法陣の間を、視線が行き来する。
「何だよ、はっきり言え!」
「大声出すなよ、バレるから」
「……チッ」
ザラが大人しくなってから、ベルは続きを促した。
「それで、人工物ってのは、どんなもんだ?
「建物の輪郭があるんです。でも、どうにもはっきりしない。魔力で干渉してみても、扉らしきものもない」
「なら、どうやって入ればいい?」
「何か入る手順があるか、鍵になる物が外付けにあるか、だと思います」
「湿原ごとぶっ壊しちゃ駄目なのか?」
「それが出来ないから苦労してんだろう?馬鹿か」
「あ?」
喧嘩が始まりそうなところで、ふわりと空気が流れる。そして鮮やかな色の羽と共に、天翼族の兵が降りてくる。
「仕掛けないのですか?」
「仕掛けたくても、隠れ家が見えねえんだよ。ったく、こんなもんがあるなら、事前に教えてくれりゃ良いのによ」
隠れ家の場所が割れているのに、その入り方は分からない。しかしベルは、特段焦ってはいなかった。
「敵さんも用心深いんだろう。こういう手合いが、定期的に身を隠す手段を変えるのは良くある事だ。ベスティ、範囲を広げられるか?」
「出来ますけど……それだと魔力が……」
「敵に勘付かれても、身構える前に抑えれば問題ない」
「わ、わかりました」
自身を鼓舞するように、ベルは拳を打ち鳴らした。それを皮切りに、ベスティの魔力が増え、魔法陣の光が溢れる。湿原一帯へ巡らせるように、魔力が地を這う。空間を区切っていくと、目の前にある隠れ家の全貌が明らかになった。
「ッ!見えました。可視化します!」
色付けされた視界が共有される。小高い塔のような建造物、そして頂上から地面に向けて四角錐に伸びる、杭のような魔力の輪郭が、赤く照らし出される。
「これは、『五柱霞』。五箇所の楔形魔具に、同量の魔力を込める事で対象を隠す。所謂、隠遁術の一つです」
「隠遁術?なんか破る方法はあんのか?」
「解錠する為の方陣を外に大きく描くか、その強度以上の力で壊せば、結界は崩れる、筈です」
「なんだ壊せるのか。なら私が……」
「五箇所同時にですけど……」
「あ?」
淡々と口にされた事実に、ザラが楔を睨んだ。
可視化された魔力の塊は、塔を囲う四角錐。ひとっ飛びで辿り着く距離ではない。それに魔力の質もかなり高い。恐らく鉄塊並みの強度。
「五つ同時か。よし、手分けして破壊しよう。どのみち、結界を破れば気取られるんだ。なら、確実に壊せる面子で……」
「失礼。少々、気になったのですが……」
戦闘の前とは思えぬ、少し場違いな声。背後で黙って聞いていたネネフィリアの進言に、全員が振り向いた。
嫌な予感がする。視線から外れようと体をずらそうとするが、両肩に手を置かれて身動きが取れない。
「その役割、ブラッド様に一任して頂けませんか?」
「はっ!?ちょっと、ネネフィリアさん。何を適当な……」
突然の提案に驚く一同。それを尻目に小声で糾弾すれば、耳元に吐息が掛かる。
「ブラッド様。私は貴方様の監視も兼ねております。この場で先陣を切り、仕掛けを破るという功績を上げれば、私の報告が楽に……いえ、報告に値する戦果となります」
「今、明らかに本音が混じりましたよね?」
「何のことやら」
やりとりを見て、ただの戯れかとベルの頬が緩む。しかし、ザラはすっかりその気になったようで、好奇の色に瞳が染まった。
「面白え。だったらやって見せてもらおうじゃねぇか。口だけだったら、姐さんにバラしちまうからな」
「正気ですか?こんな奴に任せるなど……!!」
話を聞いていたのだろう。上空から降りてきた天翼族の一人が声を荒げそうになった。声の主は勿論、ルピナスだった。
「そう邪険にしなくても良いだろう。力量があるから呼ばれている訳だしな」
「ですが……」
やるとは一言も言っていないのに、何故か自分が担う前提で言い合っている。恨めしげに、この状況を作った張本人を睨みつける。
「何ですか?」
「いえ、別に」
「ああ、先にご褒美が欲しいのですか?」
「いや、それは本当にいらないです」
こんなやり取り、敵前でしていて良いのか?いや、逃さないという自信の表れか。どちらにせよ、これ以上の遅延は避けたい。
それに、解除に人数をかけ過ぎるのも得策ではない。
「じゃあ、やるだけやってみます。結界が開いたら、どうします?」
「開く事前提かよ、面白ぇなぁ」
「茶化すな、ザラ。そうなったら向こうも当然、反撃してくるだろう。その辺は俺達に任せてくれ。暴徒の鎮圧には慣れている」
ベルはまだ友好的で助かる。他の魔術師も、ベルが言うならと了承した。
「では……」
未だ睨みを利かせているルピナスや、好奇の目を向けるザラの隣を通り過ぎ、少し前へ。
初見の隠遁術。さてどうしたものか。
息を深く吸い、意識の底へと潜る。
複雑な術式の暗記も実践も、幾度となくさせられた。変人の師匠のお陰で、この手の魔術を破った事もある。
無理にこじ開ける必要はない。結界とは魔術を丁寧に隙間なく折り重ねるもの。しかし人の創るそれには、必ず綻びが出来る。どんなに完璧に見えても、魔力の流れは一定ではない。
ほつれを生めば、後は勝手に崩れ去る。難解な術式のパズルを、紅茶を嗜みながら解く。そんな芸当を目の当たりにした事を思い出す。
ケミィであれば、きっと少しつつき回すだけで解除するのだろう。だがそこまでの事は、ロヴロにはまだ出来ない。
だから、それに適した者にやってもらう。
こういう餌が好きな魔獣は知っている。
楔の五箇所、そこへ合わせて五つ、魔法陣を浮かべる。
「黒魔術。本当に杖を使わずに……」
「話には聞いてたが、凄まじいな」
団員達からどよめきが起こる。感嘆したその声は、出てきた魔獣を見ると、困惑が混じった。
冒険者や魔術師なら、戦闘経験はあるであろう、弱く脆い、透明な粘性の魔獣が、ふよふよと楔へまとわりつく。
楔のある位置に、スライムが浮かんだその光景に、奇声を発したのはやはりザラだった。
「はあ!?スライムじゃねぇか!お前、ふざけてんのか!?」
「まさか。解錠中ですよ」
召喚術『魔喰み粘獣』。文字通り魔力を喰らう獣。力は無いが、それ故に感知されにくい。それに一度獲物に食らいつけば、なかなかその牙を離さない。牙、というにはかなり柔らかいが。
「こいつらは単体では弱いですが、魔力を喰らう速度は速い。更に特筆すべきは、捕食の速度に個体差がない事です」
「成程。タイミングを調整すれば、同時に楔を消し去るのか」
全員に可視化された結界、その色が次第に薄れていく。そして喰らい尽くす確かな手応えが、魔法陣を介して伝わる。
「解錠成功」
結界が、バラバラと崩れていく。霞が晴れるように、徐々にその塔が姿を現す。結界から放たれ、露わになった隠れ家から、禍々しい気配が溢れる。
「良くやった、ブラッド。直ちに制圧する。総員、俺に続け!」
「おっしゃあ!暴れるぜぇ!!」
闘気を滾らせた二人が駆け出す。団長を支援するように、後続が続く。
ザラが勢いに任せ、扉を蹴破る。それが、戦いの口火を切る合図となった。




