85見るべきは
人影は、観念したように暗がりから姿を現す。
見慣れた二人の姿に、手から力が抜けた。
「ほら、ばれてた。最初から普通に行けば良かったのに」
「仕方ねえだろ、あいつらが隠れてろってうるせえんだから」
ばつが悪いと頭を掻くジン。
二人の姿に動揺を隠せず、エミリーは堪らず立ち上がった。
「ど、どうして二人がここに!?」
「いやあ、ごめんごめん。二人の姿が見えたから、ちょっと気になって」
「ど、どこから聞いてたんですか?」
「聞こえてたら、近づいてばれたりしないよ」
「そ、そうですか……」
エミリーが胸を撫で下ろす。確かに、聞かれていたとなると恥ずかしい気持ちもわかる。
「二人だけか。てっきり、色恋沙汰の好きなガレットかアイゼンハウアーの差し金かと思った」
「なっ!てめえ、心でも読んだのか!?」
「いや、只の当てずっぽう」
しまったという表情。誰でも図星を突かれたと分かる。
「誘導尋問すんな、クソが!」
「お前にそんな事する必要ないだろ。どうせ自分からボロを出すんだから」
「このっ……!」
とはいえ、あの二人は明日、花びらの量を増やしてやろう。
「まあ許してあげてよ。そういう話が好きな年頃だから」
「あ、あの!私は別にそういう意味で呼び出したんじゃなくて……!」
「分かってる分かってる。ほら、ロヴロって魔術にしか興味ない朴念仁だし」
「おい」
軽口を叩きながら、二人も合流してテーブルを囲んだ。
見知った面々。だというのに……。
学院で教えていたのが、随分前のよう。つい目を細めたのは、角灯の光のせいではない。
「で?もうやったのかよ?」
「や、やったって……まだ何もしてません!」
「二人共、言い方」
こちらの心境は知る由もないジンは、やはり要件を急かした。途端に、エミリーの顔が林檎のように赤く染まった。
「あ?何言ってんだ?その手に持ってるもんだよ」
「へ?あっ……」
当然ながら、その手に握られていたのは封力匣。
「それ開ける為に呼び出したんじゃねえのか?」
「ああ、そ、そうでした。はははっ……」
顔の紅潮が治まってくる。エミリーには申し訳ないが、ジンの無遠慮な物言いのお陰で、重い空気が和らいだ。
「シュナイダー、たしかモニカ団長に教わってなかったか?」
「気負うなって言われただけだ。そんだけじゃ、よく分かんねぇよ」
「ラインハルトは?」
「うーん、一応団員の人達に聞いてはいるけど、あんまり。成功した人がいないから、どうにもピンと来ないって生徒が多いかな」
ラインハルトの言葉は間違っていない。その模索の時間も糧となる、そういう趣旨の話だった筈だ。
だからあまり手を貸しすぎるのは、却って成長の妨げとなる。
しかしーー。
エミリーと目が合う。さっきの話の後だ。未だ不安げに、瞳が揺らいでいる。
以前にも、こんな事があった。コカトリスの試験の時、手本を見せると息巻いて、結局は困惑させて終わった。
今なら、少しだけ分かる気がする。思えばあの時から、似た悩みを抱えていたのだ。
また、あんな顔をさせてしまうだろうか。彼女に何かもたらす事が叶うのか、分からない。
「……ラインハルトの言う通りだな」
「え?」
「いや、何でもない」
自分は、魔術にしか興味がない。自分でもそう思っていた。いや、そう思うようにしていた。
真に見るべきは魔術ではなく、魔術師。そんな言葉が、頭に浮かんだ。
「エミリー、テーブルの上で、匣を握ってくれないか?」
「へ?はい」
テーブルに置かれた立方体を、エミリーは両手で優しく包んだ。その上から片手を重ねる。
「あ、あの、ブラッドさん?」
「集中」
「は、はい」
空いた手は、別の魔法陣。見慣れたであろう花びらが、小屋の中に舞い踊る。
「わっ!」
「おい!いきなり出すな!」
トラウマとなっているのか、三人が身を強張らせた。反応が可笑しくて、笑みが溢れる。
「慌てなくても、反応しないよ。まだ魔法を使ってないし」
「ああ、良かったです」
「わざとだろ、てめえ!」
「この魔法陣、団員の人達が出していたけど、いつの間に教えてもらったの?」
「あれだけ見てれば覚えるだろう」
「覚えないよ、普通」
「んな事、出来るか!」
「ブラッドさん……それは流石に……」
三者三様に呆れられたが、気にせずに匣へと向き直る。エミリーも、手元へ静かに意識を向けた。訓練の後にしては、集中力がある。
自分が与えられる物は、きっと多くはない。
というより、これしかない。この体験が、魔術の可能性が、少しでも彼女の糧となることを願って……。
舞っていた花びらが勢いを失い、手や身体に落ちてくる。
「おい、それじゃ魔力が……」
「練れる。皆、難しく考え過ぎだ」
息を深く吸い、吐き切る。エミリーもそれに倣った。やる事は自分一人の時と変わらない。魔力を流すだけ。
「魔力も体の一部と思えば良い。体内で圧縮し、留める。心臓から流れる血液を、腕から掌、指先から匣へ流し込んでいくイメージだ」
「……はい」
エミリーから魔力が迸る。溢れそうになる魔力に蓋をするように、制御する。
目で分かる程の、魔力の質量。それが花びらの側を通過しても、爆ぜることはない。
そして掌に行く前に、魔力を留める。エミリーの手首を軽く掴んだ。
「まだだ。これでは足りない。魔力が足りないなら、送り込む量を増やす。でも悠長にしていたら、匣が閉じる。だから、手首に留める事と新たに送り出す事を、同時にこなす」
「は、はい!」
魔力の溜めが溢れぬよう、抑え込む。エミリーの額に、じわりと汗が滲む。テーブルがカタカタと揺れ出した。
二人も固唾を飲んで見守る。そうしている事、数十秒。当の本人は、もっと長く感じただろう。匣を握るエミリーの手が震えだした。ここらが潮時。
「魔力が出口を求め、腕が痛む。それが今の限界、くらいに覚えておけば良い。増幅させては流し、留める。この繰り返しを体で覚えていく。杖に変わっても、やる事は変わらない」
「ブラッドさん……もう……」
「よし」
手を離す。堰き止められた魔力を、一気に押し流す。握り込んだ匣の中身が、圧し潰す程の魔力を……。
流し込まれた衝撃を受け切り、魔石が反応し、魔力の反動が返ってくる。
「きゃっ!」
「おっと」
反動で仰け反ったエミリーを、ラインハルトが支える。咄嗟に、花びらを消したお陰で、爆発音はしなかった。
「ありがとう、ライ……」
「どういたしまして。それより、封力匣は?」
三人の目が、テーブルに注がれる。
残念ながら、その堅固な扉が開く事はなかった。
「失敗……ですか?」
「そうでもない」
落胆しかけるエミリーに、匣を回転させて見せた。光った魔石は四つ。一つ光らせるのが大半の中としては、充分な成果である。
「おお、凄いじゃないか、エミリー」
「マジかよ。絶対開かねぇようにされてると思ってた」
疑いたくなるのも無理はない。しかし、少し手を貸したが、魔力量に細工は一切していない。即ち、純粋にエミリーの力。本人は呆然と、自分の手を見つめている。
「今の感覚を忘れないように」
「はい!」
実感が遅れてやってきたか、少しだけ頬が緩んだ。
魔術は、心に起因する。しかし伸び悩んでも、足を止めても、魔術は決して離れる事はない。
魔術の向上、その実感は必ず、術師の心へと還る。その循環がエミリーの、ひいては生徒達の拠り所となれればと、そう願う。
「すげぇけど、なんでお前が開けねぇんだ?」
「うわぁ、単細胞だなぁ」
「あ?」
「折角、いい空気だったのに……」
「まあまあ、それがジンの良い所だから」
「フォローになってねぇんだよ!」
二人の言い合いの中、エミリーは静かにこちらを見つめている。少しは、伝わっただろうか。
「ほら、もう夜も深い。そろそろ布団に入ったらどうだ?」
「そ、そうですね。色々、ありがとうございました!」
「それから、今やった事を明日、他の生徒達にも教えてあげてくれ。全員でなくても良いけど、きっと良い刺激になる」
「わ、分かりました!やってみます!」
「体良くサボろうとしてない?」
「してないしてない」
茶化してはいるが、二人共、試したくてうずうずしているのが隠しきれていない。恐らくは、部屋に戻って実践だろう。
思い思いに挨拶をして、三人は小屋を後にする。エミリーは最後まで、深々と頭を下げていた。
「少しはうまく行ったかな……」
一人残され、漸く深い息を吐き出す。
自分の魔術を鍛えるのとはまるで違う。
背もたれにだらりと体を預けると、別種の疲労感が襲ってきた。
しかし、自分だけの時とは違う充足感があった。彼女もそうであったと、そう願いたい。
小屋に再び訪れた静寂が、労うように優しい風を運んだ。




