84夜更けの話し相手
「ああ、酷い目に遭った」
「それはご苦労様でございました」
ノエルのしごきが終わった後、宿舎の部屋へと戻ると、ネネフィリアは労いの言葉を述べる。相変わらずの無表情ではあるが……。
本当はそのままベッドに倒れ込みたいが、部屋に備え付けられたテーブルの上に乗せられた物、それから漂う香りに嫌でも意識がいく。
「ネネフィリアさん、それは何ですか?」
「アロマキャンドルです。露店で売っていましたので、気分転換にと」
「……満喫してますね」
「失礼な。まるで私が仕事そっちのけで遊んでいたみたいではないですか」
「違うんですか?」
「このキャンドルには、木妖精の鱗粉が含まれています。人間には疲労回復の効果があるのです」
木妖精。文字通り霊木に住まう妖精。しかし多量に吸えば、幻覚作用を引き起こす類のものだが、そこは、人間用に調整されているようだ。
「珍しい品ですね。もしかして俺の為に?」
「いえ、自分で使う為の実験用です」
「それは思っていても言わないで下さい」
訓練の時に傍にいないから、何をしているのかと思えば……。
考えるほど奇妙だ。彼女も捕縛の為に駆り出されるとは。あまり口に出すべきではないが、やはり気になる。
「そんな顔をせずとも、大丈夫ですよ」
「え?」
「私の行動は、殆どリタ様からの指示です。特に荒事に関しては、拒否権もありません。ただ、そこにいると認識さえしてくだされば、充分でございます」
まるで心を読んだよう。無表情に見えて、洞察力は鋭い。
時折影を見せる横顔を、つい食い入って見てしまう。
「どうかなさいましたか?」
「いえ、なんでも」
「……ああ、成程。そういう事ですか。申し訳ありません、理解が及ばず」
「は?」
いうと、おもむろに胸元のボタンに手をかけ、修道女のような服を脱ごうとする。突然の奇行に、思わず手首を抑えた。
「ちょっ、ちょっと!何してるんですか!?」
「ん?ああ、ご自身で脱がしたい、という事でしょうか?物好きですね」
「違います!」
ほんの少し、肌を露出されただけで、動揺が隠せない。なんだか顔まで熱くなってきた。
おかしい。自分だけでなく、ネネフィリアまで息が急に艶っぽくなり、目がトロンと蕩けてきた。
「一体、どうしたんですか?」
いや、気になる物はある。香りが少し変わった。この香り、どこかで……。
慌ててキャンドルを確認する。特におかしな点はなさそうだが、木妖精の鱗粉なら疲労回復だけで、ここまでにはならない。
「……ネネフィリアさん。これ、本当に木妖精の鱗粉だけですか?」
「……実はその……淫魔の露店で買った物でして……耐性が無いと催淫効果があるかも、と」
「何を買ってるんですか!?それに、そんなの人の部屋で焚かないで下さいよ!」
そうだ。あの裏通りの淫魔の店。あそこでも、似た香りを嗅いだ。
「人の部屋で焚かないと、実験になりませんから」
「訳のわからない事を……」
とにかく、このキャンドルの匂いを外に逃さなければ……。人を実験台代わりにした本人が催淫に掛かるなんて、とんだ笑い話だが、この状況はまずい。
名目上、介抱の為に控えているメイドを部屋に連れ込み、アロマを嗅がせて情事に及ぶ。そんな風に捉えられたら社会的に死んでしまう。
火を消してから窓に駆け寄り、錠を外す。
桃色の煙が、外へ霧散していく。暫くすると、動悸が収まってきた。
後は彼女を運び出せば終わり。肩を貸そうと近づいた時、部屋の扉を誰かが叩いた。
「は、はい!」
心臓が飛び出そうになって、声が裏返る。咄嗟に、ノブを魔力で固めた。
「ブラッドさん、シャルロットです。夜分にすみません。少しお聞きしたい事がありまして……」
「あ、ああ。ちょっと待っててくれ」
ネネフィリアに視線を移す。依然、息は荒い。声を殺して話し掛ける。
「ネネフィリアさん、声を出さないで下さいよ」
「ご安心を。あなたを辱める趣味はありません」
全く信用ならない為、透明化と消音を掛ける。そして扉前の魔法陣を解除してから、改めてノブを回した。
「お待たせ。どうした、こんな夜に」
「大丈夫ですか?汗が凄いですけど」
「えっと……ちょっと鍛錬を、ね。それより、何か用があったんじゃないのか?」
「はい。あの、ここではなんですので……場所を移しませんか?」
「ああ。分かった」
助かった。中に入っても良いですかと、続けられたらどうしようかと思っていた。ネネフィリアは、まあ放っておいても大丈夫だろう。
淫魔の作ったキャンドルなんて物を人に試したのだ。尻拭いは勝手にしていてもらう。
●
場所を変える為と案内されたのは宿舎の離れにある小屋。
組まれた柱の一本一本が丁寧に削られた造形は、まるで小屋自体が大木の一部のよう。
備えられた長椅子に腰を下ろせば、気配に反応して、角灯が独りでに火を灯した。
「綺麗なところですよね、ここ。この中にいると、そよ風が耳に心地いいんです」
向かいに座ったエミリーが、髪を耳にかけながら、開けた窓の外を眺める。相変わらず、絵になる姿だ。
「それでどうした?こんな夜に呼び出して」
「ええっと、その事なんですけど……」
呼び出しておいて、当の本人はもじもじと煮え切らない。とはいえ、なんとなく予想がつく。寝巻き姿に似つかわしくない気配は、ポケットから漂っている。
「察するに、ノエルさんの説明で分かった気がしたけど、いざやったら上手くいかない……と?」
「えっと……はい……」
観念して取り出したのは、やはり封力匣。
当然ながら、開けられた形跡はない。
そもそも、直接的な助言を避けたのだから、そうなって当然だ。
「つまり、具体的な助言をしろよ、減るもんじゃないし……と」
「いえ!そういう訳では……!!」
「良いよ。別に言わないから」
「本当に、違うんです!きっと私のやり方が悪いからで……」
「分かってるよ。揶揄い甲斐があるなあ、シャルロットは」
「ブラッドさんっ!!」
「ごめんごめん」
とは言え、折角ノエルが自分で気付かせるようにと言ったのに、なんというべきか。
だが、さっきの騒動のせいで、思案が纏まらない。しかし、沈黙も気まずい。
「なんだか、こういうのは珍しいな。態々、夜に呼び出してまで、聞きたいなんて……」
考えなしに溢れた言葉、しかしエミリーは少しだけ、身を強張らせて見えた。会話の糸口を探すように、探りをいれる。
「もしかして、匣は何かの口実だったりするのか?」
「ええっと……」
聞けば、視線が宙を彷徨う。気まずいのか、それとも記憶を手繰っているのか。
やがて、観念したように項垂れた。
「そう……ですね。上手く言えないんですけど……どこから、いえ、どう言えば……」
「良いよ。夜は長いから」
促すと、胸の内を整理するように、呼吸を一つ。そして、ぽつりぽつりと話し出した。
「……ブラッドさん、襲撃時のお話は、お聞きになりましたか?その……私達が避難していた時のこと」
襲撃時。エミリー達三人の行動は、シャウドから耳にした。
「聞いたよ。避難の手伝いをしたんだって。あの状況で他人を助けるのは立派だと、ギルドのお偉いさんが言ってた」
しかし、エミリーは首を横に張った。
「そんな良いものではありません。実際のところは、衛兵の方々の指示に従っただけで、本当は足が竦んでいました。きっと二人も同じだと思います」
当たり前だ。あの状況で平気でいるなんて、そう出来る事ではない。
「別に、恥ずかしい事じゃない」
「いえ、違うんです。私が嫌だった事は、怖気づいたからではありません。何よりも嫌だったのは……」
俯きかけていた顔が、こちらを向く。
思い出された光景のせいか、少し瞳が潤んでいるが、視線は外れなかった。
「ほっとしてしまったんです。解毒され、避難が完了した時、お母様の安全を確認した時に。もうこれ以上、恐ろしい事は起きないって。間違っても、自分が杖を振るう必要はないんだって。冒険者や衛兵の方々、それに、ブラッドさんが命を張っている時に、私は……」
固く握りしめた手が震えている。拳に涙が落ちた。
「私は、自分が傷付くのが怖かった。それが、何よりも辛かったんです」
柄にもなく、戸惑ってしまう。
例え王女だとしても、まだ子供だ。ここまで思い詰めなければならないなんて、そんな事ある筈がない。
しかしそれを、軽々に口にして良いほど、自分は彼女を知らない。
「私は、そんな卑怯な自分を変えたいんです。でも、その為に何をすれば良いのか分からず……そんな時に、団長様が来て下さったので……」
「話を引き延ばしたかったけど、心中を見透かされたみたいで、つい離れてしまった、とか?」
頷いた。まあノエルを前にすれば、そうなる気持ちも分かる。
殊勝な心掛けだと、素直に思う。恐怖に晒され、弱さと向き合って尚、前を向こうとしている。
きっと並大抵の事ではない。ましてや学生の身で、どこまで出来るか、何が出来るかも不明瞭なまま。
暗闇の中を手探りで進んでいる、そんな頼りない背中が、つい浮かんでしまった。
何かしてやりたい、しかし、何が出来るというのか。そもそも答えを、自分が持ち合わせているとは思えない。
だが、無下にしたくもなかった。つい、沈黙が流れる。静寂を破ったのは、小屋の外だった。人の気配を感じ取った。
「誰だ!?」
エミリーに座っているよう、手で合図をする。もしまた面倒な手勢なら、荒事は避けられない。
魔力を込める手に、緊張が走った。




