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83口は災いの元

「良かったのですか?あの程度で」


 ロヴロが『ワープ』を使って帰還した後、ニアデルが切り出した。するとノエルは、不満気に頬を膨らませた。


「いいのよ。全く、試すような真似をするのは勝手だけど、私にさせないで欲しいわ」


 その気持ちは分からなくもない。

 公爵だか政務官だか知らないが、得体が知れないなんて理由だけで、脅威となる存在かを推し量れ、などと。


「国王を救った者へ向ける言葉がそれって、どうなのかしらねぇ……」

「聞かれてしまいますぞ?」


「何よ。ニアデルさんも、あの子が危険だって思うの?」

「そうですな。なんせ彼は……」


「珈琲が不味いって言ったから、なんて言ったら怒るわよ?」

「……」


 図星を突かれたのを誤魔化すように、カップを洗い出す。


 しかし、危険かどうか、か。


 そう問われれば、些か戦い慣れし過ぎているというのが、ニアデルの第一印象だ。万が一の為に急所は避けたが、奇襲を止めて顔色一つ変えなかった。


 それに、面と向かって珈琲を不味いなどと。

 太々しい餓鬼、それぐらいには見受けられたが、悪意があるかと問われれば……。


「はぁっ、もう!やってらんないわ。ニアデルさん!やっぱりお酒!強いやつ!」

「明日に差し支えますぞ?」


 若人の前で見栄を張るくらいなら、最初から飲んでいればいいものを。


「はぁ、もういいわぁ。勝手に瓶開けるから、グラスだけ頂戴」

「入れますので、お待ちを……」


 放っておいたら、一番高い酒を開けてしまう。焦って別のボトルを手に取る。木苺を使った果実酒を注げば、グラスを一気に呷った。


「ぷはぁ〜。もう一杯」

「もう少し味わわれては?」

「味わってるわよぉ」


 催促に呆れながら、ニアデルは酒を注ぐ。ちゃんと魔術師団に請求しなければ。


「しかし珍しいですな。赤の他人の実力を測るだけで、そこまで難色を示すとは。彼に特別な思い入れでも?」


 胡乱気な目を向ければ、上気した頬をニタリと緩めた。


「……ふふっ、聞きたい?」

「いえ、全く」

「んもう、何よその言い草。彼の事言えないわよ」


「やはり酒はもう禁止で」

「あ〜ん、嘘嘘。もう一杯だけ〜」


 全く。呆れた息を漏らしつつも、最後に一杯だけ入れてやる。理由に、何となく察しがつく。


 酒を飲む程度の自由があっても、罰も当たろうはずもない。



●



 討伐の為と伝えられた日時は丁度、生徒達の休日だった。戦闘に専念させる為か、残党の警戒が緩むタイミングなのか、細かい事は分からない。


 それでも、その日が来るまで、やる事は変わらない。あくびを噛み殺し、花びらの舞う訓練所の中を歩く。


 この国に招かれたのは、自分達だけではない。他校の生徒も同じように訓練を受けている。あまり締まりのない姿を見せる訳にはいかない。


 しかしどこの生徒も似たり寄ったりで、匣は開いてはいないらしい。

 エミリーやラインハルト、魔力量の多い者達でも、かなり苦戦しているようだ。


「痛っ……」


 訓練を眺めているだけで、ズキズキと頭が痛む。あれだけ引き摺り回され、気を張ったのだ。寝不足は当然だった。

 生徒達も、慣れない土地で神経を擦り減らしているのか、船を漕いでいる者が少なからずいた。


 本当に珍しい事に、エミリーも頭をふらふらと揺らしている。


 寝かせてやりたいが、訓練の最中。あまり眠そうにしているのは周りに印象が良くない。彼女の集中を絶やさないよう、近づく。


 前に回ると視線が合う。寝ぼけ眼が見開かれたかと思えば、頬が少し紅潮した。緩んだ顔を見られたくないと、両手で頬を軽く叩いた。


「お疲れ様です、ブラッドさん」

「調子はどう?」


 言いながら、エミリーの素首に魔法陣を小さく描く。『ヒール』で少しは頭が冴える筈。

 治癒の気配を感じたエミリーの肩が跳ねた。


「ブ、ブラッドさん!何を……」

「ちょっとしたお呪い。疲れが取れてなさそうだから」

「お、お気遣い有難うございます」


 こういう表情を見るのは久しぶりな気がする。あれ以来、落ち着いて話すのはこれが初めてだった。エミリーも、同じ連想をしたようだ。


「あの、ブラッドさん。お母様の事、本当に有難うございました」

「前にも聞いたよ」


 王城の地下、看病されている時にも聞いた。涙を流しながら、生きていて良かったと、何度も口にしていた、気がする。意識が朧げで、はっきりとは覚えていないが……。


「改めてと思いまして。それに、感謝してもしきれません」

「そうだな。大事に至らなくて良かったよ」


 あの惨状だ。どう転んでもおかしくはなかった。死者も少なからず出たのだから。

 思い出すとどうしても暗くなる。あまり良い体験ではなかっただろうし、それを引き摺るのは訓練に差し障る。本来の目的へと、エミリーの意識を戻す。


「それで、訓練はどう?やっぱり、開けるのは難しいか?」

「そうですね。ですがこの花のお陰で、コツが掴めてきました。自分の魔力を可視化出来るのは良い事ですね」

「どうしても、体感に頼る部分が大きいからね。俺もまだまだ、完璧ではないし」


「そうなんですか?てっきり、もう開けてしまわれたのかと」

「いや、それは流石に……」


 随分、買い被られたものだ。そう簡単に開くのなら、誰も苦労はしない。


「訓練そっちのけでお喋りか?」

「ひっ!」


 子犬のような声を上げたエミリーの顔が引き攣る。声の主を見遣れば、二人の魔術師が、睨みを効かせていた。


 中性的な顔立ちの男と、髪を肩口で切り揃えた女、それぞれに軽鎧を纏っている。


「すみません。以後、気を付けます」

「昨日も注意したぞ?」

「すみません」


 初日に壇上からお叱りが飛んだのも、確か彼女からだった。その印象が強かったか、頭を下げても尚、女の斬りつけるような視線が、ロヴロを捉えて離さない。


 殺気とは違うが、好意的なものでもなさそうな気配。早々に退散するのが吉と見た。


「じゃあ、シャルロットも頑張って。俺は失礼して……」

「待て、まだ話は終わってねえだろ」


 逃してはくれなかった。首根っこを掴んだ手は、とても離してくれそうにない。絡まれる筋合いはない、筈だ。


「ザラ、あんまり虐めるなよ。また団長にどやされるぞ」

「お前は黙ってろ、ベル。私はこいつに用がある」


 そう言って、ザラの緋色の瞳が、怪しい光を放つ。その気配、昨日と同じだ。

 エミリーを離すべく、肩を軽く押して突き放した。


 直後、首に向けて放たれた、鋭い蹴り。思わず抜刀し、峰で塞いだ。


 あまりにも純粋な攻撃意志のお陰で防げたが、重い。力負けするのは明らか。


 短い口笛が、ザラから漏れる。


「やるな。団員は大概、これで吹き飛ぶんだがな」

「意識の方が吹き飛びそうですよ」

「ははっ、面白ぇ!」


 足甲に魔力が凝縮されていく。初撃より強力な蹴りに、剣が圧倒される。


 力の向きを変え、受け流せば、横の地面に爪先が突き刺さった。


 風が逆巻き、砂埃が舞う中でも、追撃は止まない。ガンガンと、無遠慮に叩きつけてくる。


「オラオラ、やられっぱなしかぁ!?」

「ぐっ!」


 何故蹴られているのか分からないが、直撃は避けたい。それに周囲への被害も困る。


 まずは狙うは、軸となる足。


 蹴りを繰り出した瞬間に、空いた手を翳した。ザラの足元の土を柔化させると、地面がぬかるんでバランスを崩した。


「うぉっと……!」


 ぐらついた体、その腹部に魔力を打ち込むべく、踏み込む。


 いや、浮いた足が力の向きを変えた。踵が、頭上に落ちる。


 『ブースト』を無理矢理にかけ、強引に体を離した。


 足甲が額に掠った。それだけで地面に叩きつけられそうだった。


 流れる血が目にかかる。その奥で、ザラは獰猛に笑い、足を泥濘から引き抜いた。


「良いねぇ。まだまだ壊れてくれんなよ?」


 大してその場から動いていないのにこの威力。走り回られたら厄介だ。


「ザラ、もうその辺でいいだろう」

 ベルと呼ばれた男が、ザラの肩を掴む。ザラはそれを、不服そうに睨め付けた。


「あぁ?ここからが良いとこだろうが」

「馬鹿。周りが怯えてるのが分からないか。そもそも団長が無闇に暴れるなと、念を押されただろう」


「知るかよ。戦わないなら、指でも咥えてな。私より弱い癖に」

「……なんだと?」


 ベルのこめかみが、痙攣した。キレやすいのはザラの方だけに見えたが、そうでもないらしい。今にも掴みかかりそうな勢いだ。


「少し調子に乗り過ぎだな、ザラ。なんなら今、ここで白黒つけてやろうか?」

「上等だ。そもそも第二師団に団長は二人もいらねぇんだよ」


 今にも喧嘩が始まろうと、空気がヒリつく。しかし、矛先が逸れたのは僥倖だ。


 幸い、二人共こちらを見ていない。

 狼狽するエミリーに合図をして、下がろうとしたが……。


「うっ……!」


 首筋に冷や汗が伝う。恐る恐る、後ろを振り向けば、ノエルがニコニコとこちらを見ていた。


 だが、目は全く笑っていないうえ、そっと鈴を鳴らそうとしている。害はないだろうが、見てしまった以上、無視も出来ない。


「あの、二人共……ノエルさんが……」

「「ッ!!」」


 二人の体が硬直する。ばつが悪そうな二人の間に沈黙が流れる。ノエルが近づくと、更に縮こまって見えた。


「あらぁ?随分と楽しそうねぇ」

「あ、姐さん……これは、その」


「人前では団長。何度も注意したわよね?」

「うっ……」


「それに勝手な戦闘も控えろと、再三注意したわよねぇ?」

「うぅっ……」


「ふふ、良いわ。昨日は深酒のし過ぎで、体を動かしたい気分なの。久しぶりに、二人に相手してもらおうかしら?」

「酒は団長の問題では……」


「ふふっ、ベル?あなたはザラの倍ね」

「冗談です!それに勝手に始めたのはザラで……」

「あ、てめっ!」


「言い訳すると訓練のメニューが増えるわよ?別室で、準備しておきなさい」

「「はい……」」


 二人はとぼとぼと奥へと消えていく。あの気性の荒そうなザラを完全に手玉に取るとは。その手腕に素直に感服する。


「さて……ブラッドくん?あなたは逃げるくらい出来たんじゃないかしら?」

「いや、流石にあの状況ではどうしようもないというか……」


「ふふ、それもそうね。でも、眠気覚ましにはなったんじゃない?欠伸してたの、見てたわよ」

「まあ、昨日の事が尾を引いてますかね」


「ふふ、なかなか刺激的な体験だったでしょう?」

「刺激……まあ、ある意味では……」


 あの珈琲の不味さは、そうそうお目にかかる事もないだろう。


「あの、ブラッドさん?」

「ん?どうした?」


 ザラの急襲から遠ざけたエミリーが、おずおずと戻ってきた。聞き辛そうに、口を開く。


「あの、刺激的って……団長様と何を……」

「え、いや……何をって言われても……」


 言葉に詰まる。残像を使った件は、モネがフォローをしてくれた。初日のように、どこかへほっつき歩きに行ったと。


 ノエルと会った事はそもそも内密。会話の事も濁さなくては。


「あら、酷い。あんなに熱い夜を過ごしたのに」

「ふえっ!?」

「ちょっと!いや、何もしてないから!」


 酷い悪戯心だ。事情を話せないのを良い事に。

 エミリーの顔がみるみる紅潮していく。


「冗談よ。可愛らしい王女様ね。何を想像したのかしら?」

「い、いえ……その……」


「性別が違えば、大問題ですよ。揶揄ってないで、匣を開けるコツでも教えてあげたらどうですか?」

「むぅ。今の発言は可愛くないわぁ。それに、教えるのはあなたの仕事でしょう?」


 ごもっとも。しかし、団長を務める者からの助言。

 気軽に聞く機会など、そう多くはない。エミリーの興味が上手い具合に逸れてくれた。


「あ、あの……ご迷惑でなければ、お聞きしてみたいです」

「あらぁ、そんなに真っ直ぐに言われちゃうと、弱いわぁ」


 そうねぇ……。

 顎に指を当て、思案する。普段は飄々とした瞳が、エミリーに注がれる。


「ふふっ。一つ言えるのは、結果だけが全てじゃないという事ね。魔術師としての基礎。授業の延長と思うくらいで良いのよ」

「同じ、と言われましても……」


「強いて言えば、意識に囚われすぎない事かしら」


 謎かけめいた助言に、首を傾げる。


「もう少し分かりやすく説明して欲しいって顔してますよ」

「い、いえ!そんな事は……」


「あらぁ、意地悪だったかしら?分かり易いお手本が傍にいると思ったのだけど」


 何故、こっちを見る。未だ頭に疑問符を浮かべるエミリーの頭を、ノエルがぽんぽんと叩く。


「あまり難しく考えないで。ただ魔法陣を描くだけが、魔術ではないわ。心の赴くままに杖を振るう。己の内に秘めた魔力は、きっと貴方に応えてくれる」

「魔力が……応える……」


 言われた言葉を呑み込もうとしているエミリーの頬に、ノエルは指を滑らせる。遅れて恥ずかしさがやってきたのか、顔を赤くしたエミリーがぱっと体を離し、深々と頭を下げた。


「あ、ありがとうございました!私、頑張ってみます!」

「頑張り過ぎは毒よ。自分に厳しいのも、程々にね」


 離れた場所にいる友の方へと、小走りで駆けていく。情報共有だろうか。二人残されて、ノエルが改めてこちらを向いた。


「可愛らしいわねぇ。随分思い詰めているようだけれど」

「助言が難しかったのでは?」


 本人に思い当たる節でもあるのだろうが、それにしても抽象的だ。あれで参考になったのだろうか。


「こういうのは、自分で気づかないといけないのよ。己の魔術を知覚し、心を見つめる。迷い、揺らぎ、躓き、そうやって少しずつ、心象に近づいていく。その道筋が、人を魔術師たらしめたりするのよ」


 実感の伴った響き。どこか暗い影を落としたように見えたのは、考え過ぎだろうか。


「今の、なんだかすごく、団長という気がしました」

「あらぁ、まるでいつもは適当で威厳がないって聞こえるのだけど?」


「それはもう。出会った時から振り回されてますから」

「ブラッド君、知ってる?午後からは剣術の訓練に移るのよ」


「ごめんなさい。調子に乗りました」

「ふふっ。もう遅いわ。貴方もザラ達に混ぜてあげる」


「いや、それは本当に勘弁……」

「駄目」


 屈託のない笑顔で、昨日のように引き摺られる。一つ違うのは、掴まれているのは首根っこである事。

 相変わらず払い退けられない。


 すれ違う団員達の青ざめた顔が、事の重大さを告げていた。まるで天に祈るような仕草をする者までいる始末。


 大人しくザラに蹴り飛ばされていた方が、よっぽど浅手で済んだとは、この時は知る由もなかった。

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