82鈴の音の誘い
訓練が終わり、夕陽が地平線に沈む頃、生徒達が宿舎へと戻るべく馬車へと乗り込んでいく。
皆一様に疲弊しているが、匣を開けた者はまだ居ない。
全員が乗り込むのを確認してから帰る予定だったが、そうはいかなかった。
鈴の音が耳に届いたからだ。
「ブラッド君。少しだけ残れるかしら?出来れば内密に」
同じような音が、モネにも届いた。視線を短く交わすと、小さく頷いた。
問題なし、行ってこいと判断する。
しかし内密とは……。
人目を避けよ、という意味ならば、周囲から分からぬ様、細工を施すべきだろうか。
「せんせぇ〜、早くぅ〜」
「あ、ああ」
エレノアの間の抜けた声。全員が疲弊しているなら、仮にバレても騒がれない可能性が高い。
馬車に乗り込む振りをして、魔法陣を二つ。乗った姿の残像を残しつつ、透明化を使ってその場を離れる。
ざっと確認したところ、怪しんだ者はいない。
ここまでは良い。もし尾行があっても、撒けばいい。
しかしこのまま、どこへ行けというのか。馬車を見送った頃に、その疑問に答えたのは、やはり鈴の音。
漂う音の出所へ、足が勝手に向かう。訓練所から離れ、暫く歩く。何度か人とすれ違ったが、気付かれた様子はなかった。
街の方へと向かうかと思われたが、音が変わる。
地下水路へ続く階段の前で、足が止まる。
そこへ降りろと、音が示している。
壁に掛かった角灯が、仄暗い地下を照らしている。足元を鼠が走り抜けて行く。この道で本当にあっているのか、心配になる。
幸いにも、音が反響する地下水路、後方から追いかけてくる者はない。
しかしこのまま、どこまで歩くのか。緩やかに流れる水の音に紛れ、鈴の音が響く。
「ッ?」
音が引き金となって、壁の石畳、その一枚に色が付いて見えるようになった。掌でぐっと押し込むと、静かに壁が崩れ、道が開けた。
隠し通路、随分と手の混んでいる。さらに暗くなった通路に、足を踏み入れる。
暗闇が背を押すように、通路を進む。鈴の音が強くなり、暗闇に光が差した。
抜けた先は、まるで見慣れぬ横丁の片隅。
昼間に見る街並みとはまるで違う。左右の壁が高く、見通しが悪い。あまり舗装されていない所を見るに、日陰者が集まりそうな場というか、はっきり言えば治安が悪そうだった。
透明化を解くのを躊躇していると、また鈴の音。横丁を通ってこいと言うのか。
注意を払いつつ、通りを抜ける。
抱いた印象通りというか、街中には後ろ暗い者達が生活していた。
露店では、老婆が曰く付きの魔具を売っている。
淫魔が営んでいるであろう酒場からは、虚ろな目をした男がふらふらと出てきたかと思えば、道端で倒れこんだ。
通り抜ける際に店内がちらりと見えたが、客の隣に座った淫魔が、桃色の吐息を吹きかけていた。媚薬というより、麻薬に近い気配があった。
取られたのが金だけならマシな方かも知れない。
更に一角では、ボロを纏った子供が三つのカップをシャッフルし、玉が入ったカップを当てる賭博を仕切っていた。
こんな場所とはいえ、興味を惹かれて目移りしてしまうが、下手に首を突っ込めば、面倒に発展することは明白だ。
静かに通り抜けようと、人だかりを避ける。人気のない狭い通りを横切ろうとした時、腕に感触が走る。
透けている体を的確に捕らえられ、面食らっている隙に、物凄い力で通りへと引き摺り込まれた。
相手は目深にフードを被っている。その下に凶器でも隠されていたら……。
透明化を解き、剣の柄に手を掛けると、身じろぎした相手から鈴の音がした。まさか……。
「ノエ……」
「しーっ」
指先が唇に触れる。フードから、悪戯っぽい視線が覗いている。
「説明は後。今は大人しく、ね」
固まっている体に、お揃いの外套を被せられ、腕を組んでくる。この華奢な体のどこからそんな力が出てくるのか。
口を挟めぬまま、あれよあれよと流されていく。まるで庭を歩くような足取り。そして誰にも会うことなく、ノエルはある店の中へと滑り込んだ。
「は〜い、もう喋っていいわよぉ?」
「あ、はい」
「もう、不用心ねえ。そんなに無防備に歩いてたら、悪い人に捕まっちゃうわよ」
フードを下ろし、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
見えない筈の身体に触れた、貴方の方が特殊なのでは?彼女の魔術が関係しているのか。
「ええ。今、まさに捕まってます」
「あらぁ、投げ飛ばしちゃおうかしら?」
「ごめんなさい」
腕を捻ろうと力を込められたら、冗談に聞こえない。
「そ、それより、なんでこんな回りくどい事を?」
「体裁、て言うのかしらねぇ。ほんと、面倒ってそこら中にあるのよ〜。人と会うのも一苦労なんだから」
「はぁ……」
「そんな時に、団員はこういう隠れ家を使うの。密談にはうってつけでしょう?」
隠れ家。確かに、ルピナスのような輩から逃げる時には助かりそうな場所ではある。どこに人の目や耳があるか分からないと、警戒するのも理解できる。
だが、目の前に広がる光景は……。
「隠れ家というには少し……」
閉店して手入れのされていない喫茶店。そんな感想が浮かんだ。
カウンターらしきテーブルには埃が積もり、棚のボトルはくすんでいるようにも見える。
「小汚いというか……」
「だから、誰も使わないのよ。それに、無関係の人間ではノブも回らないもの」
「そんな仕掛けが……」
「小汚くて、悪ぅございましたな」
嗄れた声が、カウンターから聞こえた。
しかし、誰の姿も見えない。
「今の声は……」
体に伝う魔力の気配。根源は、足元!
影が怪しく動いた。実体をもって浮かび上がり、襲い掛かってくる。
二人分の障壁に阻まれて、動きが止まる。影で相手を縛りつける魔術らしいが、先端が鋭く尖っている。
「あらあら、私まで守ってくれるなんて、優しいのね」
「言ってる場合ですか?」
手荒なもてなしをされているのに、表情を変えないとは。
そもそもここは魔術師団の隠れ家。攻撃に遭う筈がない。落ち着き払って、ノエルが話しかけた。
「もう良いでしょう、ニアデルさん。それと、店内のお掃除もお願いしていましたよねぇ?あんまり酷いと、また支援金が減りますけれど……」
声を聞いた途端、影が部屋全体を呑み込んだ。さらに暗くされ、目を閉じる。
ほんの数秒の暗闇が、パッと晴れる。
「えっ!?」
目を見張った。寂れた店内の汚れが消え、備品が整然と並べられている。
あの小汚い部屋が一瞬で……。
「手厳しいですな、団長殿」
カウンターから漏れる声、しかし今度はちゃんと人がそこに立っていた。
老紳士と言って差し支えない風貌。ベストをきっちりと纏った佇まいは、店主と呼ぶに相応しい。
顔は少々、無愛想ではあるが……。
「ふふふ。相変わらず早業ねぇ。見ていて飽きないわぁ。さ、ブラッド君、まずは座りましょう。ニアデルさん、珈琲を二つ」
「はぁ……少々お待ちを……」
促されると、腰掛けやすいようにと、椅子が勝手に動いた。腰を降ろすと、ニアデルはゆったりとした動作で、豆を準備し始めた。杖を振れば、役割を与えられたポットが、自ら水を汲み、火にかかりに行く。
「あの、何故あんな攻撃を?」
「それは失敬。店の悪口を言われてつい……」
「えぇ?あれは悪口では……いや、確かに失礼でした。すみません」
頭を下げるが、返事はない。聞く耳を持たぬと、応える代わりに豆を挽き始める。
ばつが悪そうな顔を見て、ノエルがくすりと笑う。
「気にしないで頂戴。こういう人だから」
「はぁ……あの、それでどうしてここに?」
「ふふふ。それは、珈琲を味わってのお楽しみ」
またそんな事を。どうにも悠長というか、勿体ぶるのが好きというか。
内密に動けと言ったり、裏通りを通らせたり、一体何から逃げている?
しかし今は、ニアデルの仕事を待つしかなさそうだった。
秒針が時を刻む音を聞きながら、ぼんやりと眺める。
ポットの湯が沸くと、ニアデルの手元へ。挽いた豆に湯をかけ、ゆっくりと抽出していく。
棚から降りてきたカップに珈琲が注がれるまで、数分。珍しい光景のお陰で、不思議と退屈はしなかった。
「砂糖とミルクは?」
「えっと……」
「お願い」
言い終わるよりも前から、すでに杖を振っていた。聞いた意味があるのかと問いたくなるが、そんな事は出来る筈もない。
カウンターの下から出てきた瓶が二つ。それに向けて、新たに杖を振るった。
硝子細工のような匙が、ミルクを一掬い。
その色が、土でも混ざっているかのような焦茶色で、あまりに食欲を唆られない。
角砂糖も橙色で、気味が悪い。それに魔法陣を描くタイミングも、なんだかきな臭い。
「はい、ブラッド君の分」
「いや、俺は……」
ニアデルの視線が鋭くなる。断れる空気ではない。腹を括るしかなさそうだ。
差し出された姿だけなら普通の珈琲だが……。
恐る恐る、一口だけ啜る。
「ゔっ……」
不味い。見た目通りと言うべきか……。
いや違う。味はどうでも良い。味覚を刺激された途端、脳裏に情報が流れ込んでくる。
内通者の逃げた先、匿っている胃教団の根城の場所、構成員の数。果てはそこを叩く為の人員のリストまでもが次々と。
「これは……」
「面白い珈琲でしょう?下手に漏らさなくても、必要な情報を秘密裏に伝えられるのよ」
「ええ、本当に。恐れ入りました」
驚くべきは、流れ込んできている情報の波に、脳の負担を感じない。頭痛くらいしてもおかしくなさそうなのに。
理由はきっと、ニアデルの魔術に他ならない。ひょっとしたらあの材料にも、魔法植物が使われているのかも。
嫌悪感が好奇の目に変わったのを、ノエルは見逃さない。それに、ニアデルもほんの少し、頬を緩ませた。
「お口にあったのなら、何よりですな」
「あ、いえ。コーヒーは不味いんですけど……」
「……やはり穴の一つや二つ開けても……」
「支援金……」
「冗談ですよ、全く」
これだから味の分からない奴はと、毒吐く声が聞こえてきそうだった。
「あの、これは質問とかって?」
「うーん、あんまり、お勧めはしないわぁ」
それはそうか。態々こんな方法で伝えた意味がなくなってしまう。記憶を整理するべく、呼び起こす。
流れ込んだ情報が示すのは、内通者及び異教団の残党を拘束、若しくは討伐せよというもの。リタ達が予想した通り、やはり待ち構えられているのか。
依頼というより、強制だが、一応報酬も出るとの事だ。奇襲を仕掛ける手筈ではあるが、人数が多い為、戦闘が予想されるとの事。
しかし疑問はまだある。討伐の人員の中に、モネとネネフィリアの名前もある。
ということは、あの二人も別の方法で同じ様に説明を受けているのか。
しかしモネはともかく、ネネフィリアまで。既に素性がバレているのか、それともこちらから要請したのか。
「随分と念入りですね。上からの命令なら、もっと協力的でも良いのに……」
「ふふっ。どこも一枚岩ではないもの。あなたの学校でだって、皆が同じ思想なんて事、ないでしょう?」
「まあ、それは確かに」
「こんな事をしなくても済む方が良いのだけど。これがこの街のやり方なのよ。肩身が狭くて嫌になるわ」
「強い酒でもご用意致しましょうか?」
「大丈夫よ、ありがとう」
しがらみと言ってしまえばそれまでだが、国の行く末を憂いているような目は、事態を楽観視出来ないと語っていた。
「さ、全部飲み干して頂戴。残したら怖いわよぉ。私の部下が残した時なんてもう……」
「い、いただきます」
聞かぬが仏。ニアデルの眉間に皺が増える前に、残りを口に運ぶ。
聞かなければいけない情報は聞いた。ノエルの意図を全て理解は出来ないが、収穫は充分だ。
しかし今日一番の苦痛が、珈琲を飲み干す事だとは思いもしなかった。




