80訓練初日
ラオスの馬車で送ってもらい、宿舎に着く頃には、既に夜の帳が下り始めていた。生徒や教師達に謝罪して回っただけなのに、生徒達の就寝時間を迎えた。
そして部屋に戻るなり、待機していたネネフィリアがこちらに頭を下げた。
名目上は付き添いであった事を思い出す。
「お帰りなさいませ、ブラッド様」
「お疲れ様です。もしかしてずっとここで待ってたんですか?」
「ええ、勝手に飛び出していくものですから。ここで待機しているようにと、アルフォンス様から伝達が」
「すみません、本当に」
「謝る必要はありません。私は同僚ではないので。ただ、飛び出した理由だけは、お聞かせ願えますか?」
迷惑をかけた以上、答えない訳にもいかない。今晩だけで何度も繰り返した説明を、もう一度復唱した。思い出すと冷や汗が出そうだ。
お叱りを受けたのはモネからだけではないが、怒り方が一番酷かった。まさか日が暮れるまでお説教が続くとは。
拳骨を食らった頭部が、まだジンジンと痛んでいる。
「鬼の形相って、ああいう顔を言うんですね」
「……さぞやお疲れでしょう」
「ええ、まあ色々と」
無表情のまま労って……いると思われるが、如何せん表情が変わらないので、意図を汲み取りづらい。
「それで、収穫はありましたか?宮廷魔術師団の団長と、王族の方とお話をしたのです。襲撃の非礼を詫びるだけで済ませるようには思えませんが」
「ああ、そうでした」
忘れてはならない疑問が、疲労で鈍い頭に浮かんだ。
「確認して欲しい事があります。ラドン・ディーンについて」
「詳しくお聞きしても?」
ラドン・ディーンについて、気付いた事は全て話した。ネネフィリアは時々頷きながら、どこからか取り出した羊皮紙に、情報を書き記していく。全てを書き留めてから、彼女は口を開いた。
「成程。ラオス様に話さなかったのは、良い判断でしたね。ブラッド様の良からぬ噂が増えたかもしれませんし」
「それを見越しての、迎えだったかもしれませんね」
王族が態々馬車を出した賓客となれば、そう簡単に手出しは出来ない。そんな狙いもあったのだろうと、ネネフィリアは推察する。
「それで、俺はこれからどうすれば?」
「リタ様に指示を仰ぎます。ブラッド様、少々お手をお借りしても?」
「構いませんけど……」
何に手を貸すのかと訝しめば、彼女は懐から紙切れを取り出した。折り畳まれたそれを広げると、魔法陣が描かれていた。
「これは?」
「転送用の魔法陣です。魔力を流せばすぐに使えます」
「何故、俺の手が?」
「私、殆ど魔術の素養がありませんので。いつもは魔石を使うのですが、ブラッド様がいるのでいらないと、リタ様が」
「また適当な」
「まあ、半分は冗談です」
まあ、別に減るものでもないし、構わない。テーブルに広げられた魔法陣に、手をかざす。
すると上に置かれていた羊皮紙が独りでに折られ、鳥の形へと変わった。
ネネフィリアが窓に近寄り、開け放てば、勢いよく飛び出して彼方へと消えた。
「これで明日には届くでしょう」
「随分と古典的というか……漏洩したりしないんですか?」
「その為に、あの羊皮紙を使うのです。内容は企業秘密ですが」
今までやってきているのだからと、特に気にかけてはいないらしい。窓を閉めたネネフィリアは、改めてこちらへと向き直り、深々と頭を下げた。
「お疲れのところ、長々とお話をさせて申し訳ございません。もし必要であれば、紅茶の用意など出来ますが……」
「ああ、有難うございます。でも、今日は大丈夫ですから」
「畏まりました。では、私は失礼致します」
良い夢を。その言葉を最後に、部屋を後にする。音もなく扉を閉める所作に見惚れているうちに、一人部屋へと残される。
静まり返った部屋は、一人で使うにはかなり広い。ベッドも絨毯も、とても安物には思えない。外観は至って普通の宿舎だったというのに、まるで貴族の宿のようだ。
疲れからか、瞼が随分と重くなってきた。身をベッドに投げ出せば、身体がめり込むほど沈んでいく。
明日は魔術の授業の為、宮廷の魔術師団の訓練所へ行く予定となっていると、モネに叱られた時に知らされた。勿論、同行しなければならない。取り敢えず、目の前の仕事を一つずつこなすしかない。
悪意に晒されながら、自分に務まるのだろうかと疑念が湧きそうになるが、眠気で鈍った頭では、これ以上考えても詮のない事。
今はただ、柔らかいベッドの感触を堪能しながら、微睡みに身を委ねる。
●
訓練所、王城から少し離れた場所に、それはあった。
数十人の人間が入っても尚、余裕のある訓練所。学校の校庭など比較にならぬ広大な空間は、宮廷魔術師団が管理しているのだという。
闘技場を彷彿とさせる、吹き抜けの空間。その前方に、恐らくは宮廷魔術師を束ねる団長達が参列している。団員とは明らかに、纏う空気が違う。
更に二階にまで、視線を向ける。天翼族の者、風体からして冒険者の類の者、それに護衛をつけている男達は、身なりからして貴族だろうか。
興味本位の見物か、それとも将来有望な若者に、唾をつけたいのか、理由は様々だと、ネネフィリアに聞かされた。
王族の警護の中に、ルピナスとレナードがいるのが不穏ではあるが、いきなり仕掛けては来まい。
離れているというのに、目が合った。睨みつけられて、それとなく目を逸らす。
「先生、顔固いよ?」
「え?ああ、ごめん」
「別に謝らなくても良いじゃん。私も、人の事言えないし……」
隣にいたエレノアは、チラチラと視線を彷徨わせる。落ち着きなく泳ぐ目は、何かに怯えているように見える。
無理もない。品定めされていると感じても不思議はない。不快感を露わにする者もいるだろう。
ここは、気を紛らわす言葉でもかけてーー。
「上にいる人、超カッコよくない?あ、今こっち見てたかも……」
やる必要はなさそうだ。
何事かと気を揉んだだけに、肩の力が抜ける。
「なんだ、そんな事か」
「そんな事って何よぉ?生徒の恋路に茶々入れるの?」
「あー、うん。そうだな。良いんじゃないか?お似合いだよ」
「うわあ、棒読み。先生の癖にムカつく」
「どういう意味……」
「そこ!静かにしねえか!」
前方から飛んだ鋭い声に、びくりと肩が跳ねる。
猛獣のような猛々しい眼光が、こちらを射竦めていた。ついで周囲の視線も、一気にこちらへ集まる。流石にこの一瞬ばかりは、緊張よりも気恥ずかしさが勝った。
「……すみません」
「チッ!」
おまけに舌打ち。鋭い声を上げた中性的な顔立ちの魔術師を、昨日も世話になった魔術師が宥める。
「まあまあ、良いじゃない。見物客の方々も粗方集まったでしょうし、そろそろ始めましょうか」
ノエルは杖を振る。そして髪についた一つの鈴が、乾いた音を鳴らす。波紋として広がったその音は、聴く者全ての耳に、ノエルの声を届けた。
「ヤノス王国の皆様、お待たせ致しました。これより、合同訓練を開始致します」
さして魔力を込めていないのに、透き通る声が明瞭に聞こえる。聴覚に訴えかける魔術だが、嫌悪感はない。
「訓練とは言いましても、難しい事をする訳ではありません。あくまで、生徒の方々の魔術の強化、その一助となる為の交流です。あまり肩肘を張らずに、私達魔術師団との交流と思って頂ければ……」
説明の最中、小さな異音が確かに耳に届く。
ノエルも同じく気付いたようで、視線が隣へと移る。
こんな場だというのに、ぶかぶかのローブを羽織り、船を漕いでいる青髪の少女に、ノエルは呆れて苦笑いを浮かべている。
「ん、んん!」
「ッ!!」
大きめの咳払いをした途端、体をビクリと跳ねさせる。少女が気まずそうにノエルの様子を窺う。
「モニカ〜。話はちゃあんと聞いていたわよねぇ?さあ、手筈通りに」
「……ノエル……目……笑ってない」
「ふふふ、何のことかしら〜?」
「わわ、分かってる……すぐ……やるから」
一つの鈴を鳴らそうとして、モニカと呼ばれた少女はまた身を震わせる。
慌てて杖を振るえば、幾つもの珠が魔法陣から転がり出る。
硝子のように見えるそれは、フヨフヨと宙を舞い、集まった者達の眼前で止まった。
一人に一つずつ行き渡り、皆その珠を見つめた。
「訓練にあたり、先ずは皆様に一つ夢を見ていただきます。夢とは自分の心を映すもの。己を知り、弱味を自覚するところから始まります。折角ですから、先生方も体験なされて下さい。第三魔術師団団長、モニカ・セリの魔術の一端を」
ノエルが言い終わると、再び目配せをする。モニカの魔法陣に呼応し、珠が光を帯びた。白昼夢に、意識が引き摺り込まれる。
●
目の前に誰かがいる。視界ははっきりとしているのに、身体の感覚はない。
黒い影が、誘うように人差し指を曲げた。体が引き寄せられ、抵抗が出来ない。目と鼻の先まで迫っても、相手の顔は黒く塗り潰されて窺えない。
顔の左側が、焼けるように痛んだ。また、あの魔力だ。
影が、笑った気がした。
蔦が、何処からともなく溢れて全身に巻きつく。
胸を締め付けられて、息ができなかった。
次いで耳をつんざく音、それは影の声だったのか。最早知る術はない。太い棘が腹を貫通した衝撃で、嫌でも意識が覚醒する。
●
「ぶはっ!!」
詰まっていた息を吐き出し、上半身を起こした。気付けば、身体が横たわっていた。
咄嗟に貫かれた部分を確認する。当然ながら傷はない。
夢と分かっているのに、体を貫く痛みには慣れそうにない。
背中越しに鳴る、涼しげな音色。それに人の気配を、今更感じ取る。
「お目覚めかしら、ブラッド君」
「ノエルさん?」
「ふふふ。全然起きないんだもの、そんなに目覚めたくない夢でも見たの?」
「いえ、そんな事は……」
冷や汗に気付いているのだろう。隣で座っていたノエルの手が、頭の上に乗せられる。
子供が悪夢を見た時に宥めるような手つきが気恥ずかしい。
「そ、それよりここは?」
ノエルの手を避けるように頭を動かすと、ソファとテーブルが置かれているだけの狭い部屋にいる事が確認出来た。
「ただの控え室よ。モニカの魔法が苦手だったのかしら、随分とうなされて、魔力も荒ぶっていたわ。無防備に寝かせておく訳にもいかないから、運んできたの」
「え、じゃあ他の皆は?」
「もう各々、訓練を始めているわ。まだほんの一時間ほどだけどね」
「そんなに、寝てたんですか?」
「そうよ〜。だからモニカも驚いていたわ。あの子の魔法、本来は五分かそこらで解けるように調節しているし、そもそも夢とは言ったけど、意識がぼんやりする程度の魔術だったのよ」
起きない子なんて、君が初めて。
意味深な囁き。しかしそれ以上は何も言わず、にこりと微笑むばかり。
「あの?」
「ふふっ。そろそろ戻りましょうか。団長が若い男を誑かしてる、なんて言われちゃいそうだもの」
「そうですね」
「ちょっとぉ。もう少しフォローしてくれてもいいんじゃない?」
既に訓練が始まっているならば、自分だけ寝ている訳にもいかない。
ノエルと共に、急ぎ部屋を出た。




