78入国早々
馬車をゆりかご代わりに舟を漕いで、どれだけ経っただろうか。
一行は、王国の検問所に差し掛かっていた。十数台の馬車が連なり、かなり足止めを食らった筈だが、生徒達にはさほど苦ではなかったようだ。
それほど、ボルガ王国の景色は荘厳だった。一つ一つの建物が大きく、外観や装飾も見事なもので、自然と視線が吸い寄せられてしまう。
「うわぁ……凄く綺麗……」
検問所を抜けた途端、感嘆の声を漏らしたアレン、その言葉に異論は無かった。
金細工で出来た装飾や、大理石で出来た建造物、そのどれもが、王都の様式とは異なっていた。
王都が見慣れたから、という理由もあるだろうが、初めて見る街というのは、それだけで新鮮だった。何よりも印象的な物はーー。
「なんだか、躍動感がある街ですね」
「商業にかなり力を入れている国ですからね。看板や店先に飾る商品も、細工師が作っているそうです」
「へえ、面白いですね」
「きゃっ!!」
窓から顔を出していたエレノアが、小さい悲鳴を上げる。次いで大きな火柱が空に架かった。何の店なのかは分からないが、大型の馬車が四台並ぶ大通りが、赤々と照らされる。
その炎の出所は、どうやら小さなドラゴンの像のようだ。本物のドラゴンさながらに空を滑空したそれは、通りから離れた一際大きな建物へと飛んでいった。
「びっくりした」
「危ないから顔を出すなよ」
「いやいや、あんなことになるとは思わないじゃん。何よ、あれ?」
「見たところ、召喚屋でしょう」
さして炎に驚いた風もなく、ネネフィリアが聞き慣れない言葉を口にした。
「召喚屋?何ですか、それ?」
「その名の通り、使い魔を召喚し、契約する店ですよ。とは言っても、あれはただの演出でしょうけどね」
「使い魔って、院長の出すコウモリみたいなものでしょ?そんなの契約して何するの?」
「色々あるだろ。ワイトなら荷物の運送も出来るし、自分の目の届かない場所に送って情報を取ることも出来る。使い魔なら、もしやられても魔界に帰るだけで、また回復するだろうし」
使い魔と聞くだけで、やれることは多い。本人がしたくても出来ないことは、意外と多いものだ。
「ええ、なんか契約って怖そう」
「そうでもない。いや、そういう契約も無いことはないけど、体の不自由な魔術師が、屋根裏の掃除とか害虫駆除に使う人もいるくらいだし、下手な悪魔と契約しなければ、かかるのは魔力や金銭で済む」
「うわあ……先生、魔法の事になると人が変わるねぇ」
「そんな、あからさまに引くなよ」
随分と腹黒いイメージが付いているのか、説明も虚しくエレノアはまだ顔をしかめている。
「まあ、後ろ暗いお店は色々とありますからね。半分が天翼族の国というだけあって、魔族にも寛大ですから」
「確かに、さっきからいますね。翼が地面につきそうな人が何人か」
羽を折り畳み、地面を歩いている人が数人、買い物に勤しんでいるのが見えた。
「天翼族っていうから、ずっと飛んでるのかと思ってたけど、違うんだね」
「魔族と言っても、体力は無尽蔵ではありませんからね。自治権を持って、人と同じ生活をしているだけでも凄い事ですよ」
言われてみれば、王都ではあまり魔族には会っていない気がする。感覚が麻痺してしまっているが、そもそも自分のいた国には、魔族が生活しているのだろうか。
「ん?」
思索が消える。
ちくりと、首筋に刺すような感覚が走った。ネネフィリアではない。ならば今のは……。
「先生聞いてる?一体、どこ見てるの?」
「ああ、ちょっと考え事を」
「察するに、奥の歓楽街を眺めていたと思われます」
「歓楽街?」
「ええ。魔族が生活しているだけあって、淫魔や夢魔、所謂サキュバスの営む店や宿もあるそうですから」
「違います!そんな店知らなかったし!」
「うわぁ、急に必死になるじゃん、先生。仕事抜け出して行ったりしちゃ駄目だよ」
「しない!」
生徒の白い目が辛い。勝手に淫魔の話をしておいて、ネネフィリアはどこ吹く風だ。
変な空気にされるのは勘弁。そう考えた矢先、頭に違和感が伝わる。
見知った人間の、魔力の念波を感知したのだ。
「ブラッド、聞こえるか?私だ」
「聞こえてますよ、モネさん。今検問所を抜けました。楽しそうな街ですね」
「観光に来たんじゃないんだぞ?生徒の様子はどうだ?」
「街並みを見て浮き足立ってますよ。あと、白い目で見られてます」
「何の話だ?」
「いえ、なんでも。それよりこの声、どうやって送ってるんです?」
「馬車に備え付けられた魔具だ。乗る前に説明しただろう?」
「そうでしたっけ?」
そういえば、天井に蓄音機のような装置がある。それに、眼の形をした装飾品がこちらを見ている。あれで声を送る対象を選んでいるらしい。
「……まあいい。これから生徒達に、連絡を送る。先ずは国が用意してくれた宿泊施設に行くと伝えてくれ」
「分かりました」
「それと……」
声が一段と低くなる。今、何か言い淀む理由は一つしかない。
「あの女の事だが……何も妙な動きはないか?」
「ええ、今の所は特に、変なところはありません」
リタの差し金という説明は、教師陣には裏で通達されていた為、その疑問は当然と言えた。
「一応、お前の世話という名目だが、何をするか分からん。警戒は怠るなよ」
「警戒も何も」
ただのお目付役、その認識に間違いはないだろうに。協会嫌いはルーカスだけではないらしい。
「心配症ですねぇ。気遣い、有難うございます」
「ば、馬鹿!さっさと生徒に伝えるように!」
「待って下さい。もう一つだけ」
「……なんだ?」
照れを隠したいのか、少し声音が上擦っているのに気付かないふりをする。
この国に入った時から、肌を刺すような感覚が時折顔を出す。魔力と呼ぶにはあまりにもか細い、しかし確実に、何かある。
「馬車を護衛してくれる魔術師の方とか、いましたっけ?」
「いや、そんな者はいない。手配もされていないし、襲われるような事があれば、我々で守る手筈だ。何かあったのか?」
「いえ、まだ何も。とりあえず、生徒には何も言わないで下さい。折角の旅行に、水を差したくない」
「旅行?」
「あ、いえ……ちゃんと伝えますよ。それじゃあ、また」
「あ、おいこら!ブラッド!」
魔力をぶつりと切ると、意識が切り替わる。ほんの少し車内を見回せば、未だ浮かれ気味の生徒達。
その車内の壁に魔法陣をあてがうと、無口だったドルトンが怪訝な顔をした。
「先生、それは……?」
「ちょっとしたお呪いだ。馬車が揺れると、身を乗り出す奴が舌を噛みそうだから」
「ちょっとひど〜い。私そんな子供みたいな事しないし」
「いや、してたろ。それより、もうすぐ宿舎に着くらしい。招待されたとはいえ、授業の一環だ。そろそろ気持ちを切り替えてくれよ」
「はーい。アレン、着いたら荷解き手伝って〜」
「分かった分かった」
ぼやきつつ、各々気を引き締め始める。その様を見守りながら、馬車の扉の錠を外す。簡易的な魔法陣が彫られているが、内側から魔力を流せば簡単に外れるものだ。
走っている馬車の縁に足を掛け、身を乗り出す。
「ブラッド様!?」
「ちょっと先生!危ないよ!」
「野暮用が出来た。すぐに戻るけど、一応鍵は閉めといて」
いきなりの出来事に面食らい、ネネフィリアとエレノアが声を上げるが、何を言っているかはもう聞こえない。
馬車の速度は思いの外速く、街中に飛び降りた時には既に距離が開いていた。
大通りの人々が、突然の事に目を丸くしている。しかし用があるのは街の方ではなかった。
自身に手を翳し、『透明化』を使う。そして後方、上空へ注意を払いつつ、人混みに紛れる。看板代わりに動く幻影を抜け、出鱈目に店の合間を抜けていく。
土地勘のない街を駆け抜け、人通りの少ない裏路地へと潜り込む。人がいない事を確認してから、魔法を解除した。
直後、風の流れが変わったのを、周囲に流した魔力が感じ取った。
身を翻して立ち位置を変えれば、一本の矢が体を掠めて地面に突き立った。
石弓で射られた矢。その威力に、地面の床材が割れた。
「はぁ……こっちは遠征気分とはいかないか」
溜め息が零れる。まさか、入国直後にこんな事態に直面するとは思わなかった。
「さっさと出てきてくれませんか?こっちも仕事があるんで」
この国に入ってから刺すように感じたもの、あれは紛れもなく殺気だった。そしてその予感は、この急襲で確信に変わってしまった。
声を掛ければ、風切羽が頭上から降り注ぎ、旋風が巻き起こる。通りにいた天翼族のものと同じ、そして相次ぐ衝撃に砂埃が舞う。
咄嗟に覆った目を開いた時には、二人の人影が眼前に現れていた。
灰と黒の入り混じった髪の女と、眼鏡をかけた痩身の男。敵意剥き出しの気配に、静かに間合いを取った。




