77ボルガへ
地下室での看病から解放され数日。
その最中でも、リタからの仕事が頭から離れない。欠伸が漏れるのは緊張からか、それとも寝不足のせいか。
状況を整理すべく、朝陽に照らされた車内へと視線を巡らせた。
早朝、学院の一行は、馬車に揺られていた。車輪が回る音が響き、体にまで揺れが伝わる。
しかし、慣れてしまえばそこまで気にならない。馬車自体も広く、御者以外の五人が乗っても尚、余裕がある程だ。
生徒達の表情は決して固いものでもない。寧ろ遠征に期待を寄せているように見える。
対照的な心模様は、ロヴロ一人だろう。
内通者の捕縛、それも恐らくは戦闘になる可能性がある。加えて生徒を見るなんて、自分に務まるのだろうか。
それに、懸念がもう一つ。
ちらりと隣に視線をやれば、シスターのような黒装束を纏い、アンニュイな表情を浮かべた女性が一人、供をしていた。
背筋を伸ばして座る姿勢は、馬車の上だというのにぶれない。確か名をネネフィリアと名乗っていた。
「何か?」
「いえ、別に。もう少し寛いだらどうですか?なんか堅苦しそうというか……」
「どうかお気遣いなく。仕事の際はいつもこうですから」
仕事、間違ってはいないのだろうが、明言を避けるのは生徒への配慮か。
名目上、病み上がりの俺を補佐する為に城から派遣されたとされているが、彼女は決してメイドではない。
直属の上司はリタであり、今回の件の補助役である。内通者の素性を知る者を側に置き、サポートする、という判断なのだろうが。
恐らくはお目付役も兼ねている、とはルーカスの言葉。
疑いは晴れた、とは言ったものの、黒魔術を使う者を見定める意図もあるのだと、そう教えてくれた。
「取り敢えず横に置いておけば納得するだろうから、気にしないでほしい」
申し訳なさそうにルーカスに言われると、何も言えなかった。
ボルガ王国へ向かう馬車が列を成し、王都を離れて田舎道を通っていく。都とは違うのどかな風景が窓の外を過ぎていく。
広い草原を放牧された羊が走っている。喧騒から離れていくと、そんな風景も珍しいのか、女子生徒達は窓に顔を近づける。
それに倣い、外へと目を向ける。
「ねえ、ブラッド先生?」
「ん?」
艶やかな黒髪の生徒が、好奇の目をこちらへと向けてくる。泣きぼくろと垂れ目が特徴的な生徒、エレノア・アイゼンハウアーが身を少しこちらへ近づけた。
「これから行くボルガ王国って、どんな所なの?」
「知らない。俺も行った事ないし」
「そっかぁ、忘れがちだけど、先生も同い年だったもんねぇ」
悪いな、力になれなくて。そう口にしそうになった時、意外にも隣から声が上がる。
「ボルガ王国は、人間と天翼族、それぞれに王が統治する二つの領地を持つ国家です」
「二つの領地?」
「ええ。天翼族の国は人間のそれとは様相が異なるそうです。私も、目にした事はありませんが」
「お〜、メイドさん先生みたい」
「いや、彼女はメイドじゃ……」
「……」
無言で、足をぐりぐりと踏まれた。口裏を合わせろという圧が、靴底から伝わる。
その様をどう解釈したのか、冷やかすように、エレノアは笑みを浮かべた。
「先生、ホント女の尻に敷かれるの好きだねぇ。モネ先生にもパシられてるし」
「パシられてない。それに、尻に敷かれてもいない」
「え〜、そうかなぁ?案外そういうの好きなんじゃないの?」
「もうやめなよ、先生困ってるよ」
「だってアレンもそう思うでしょう?シグマとかにも遊ばれてるし」
「あれは違う」
反射的に口を突いて出た言葉に、女子達は顔を見合わせて笑った。華やかな空気に、男子生徒のドルトンは居心地が悪そうだった。
いつもと変わらぬ、平和な光景が広がる。あの戦いの後では、まるで違って見えるから不思議だ。
大規模な襲撃を経験したというのに、生徒達は平気なのだろうか。
「なあ、聞いてもいいかな?」
「なに?エッチな質問ならやめてよ〜」
「なっ、違う!ただ、襲撃の時の話を聞きたいだけで……」
「先生、必死すぎぃ」
「はぁ、もういい。ラックス、教えてくれないか?」
「はい。と言っても、そんなに大した事はしてませんよ。あんな事がなければ、お祭りの日でしたからね。店を回っていたら爆発音がして、あっという間に魔獣が現れて」
魔獣、正確には蠅の大群だ。自爆してくる化け物がわらわらと溢れ出てくるなんて、普通は慌てふためいてもおかしくはない。
「皆はその場にいたのか?」
「私は妹達といましたよ。それでも、近くに冒険者の方がいたので、実害はありませんでしたけど」
「そうか。怖かっただろう」
「まあ、ちょっとパニックになってましたけど、すぐに院長の影が飛んできましたから。学校に避難してからは、怪我人に回復薬を配る為に、走り回っていたくらいしかしていませんし」
緊急時に、他が為に動ける。誰にでも出来る事ではない。
「強いな、君は」
「まさか。先生の方がよっぽど強いですよ。陛下を庇いながら、一人で戦っていたんですよね?」
「あ、私もその話聞きたい。どうやって敵を倒したの?」
エレノアまで話に乗っかってくるが、言葉に詰まる。経緯はどうあれ、人の命を奪ってしまった事に変わりはない。
そんな凄惨なやり取りを生徒に聞かせる訳にもいかない。
視線を彷徨わせている内に、蝋燭の火を消した時のように、灯りが消えた。そして車輪の揺れが大きくなり始めた。
「わっ!な、なに!?」
アレンの声が上ずる。その問いに答えたのは、ネネフィリアであった。
「モーグ坑道に入ったのでしょう。魔石の原料となる鉱石が採掘される、貴重な坑道です。今も地下の方では採掘作業が行われているのでしょう」
説明してもらえるのはありがたいが、こうも何も見えないのでは話し辛い。手をかざして灯りを灯そうとしたところで、手首を掴まれた。
「なんですか?」
「今は暗い方がよろしいかと」
「?」
頭に疑問符が浮かんでいると、ほんのりと馬車の中が明るくなった。窓に顔を近づければ、坑道を形成する岩壁の至る所から、淡い光が放たれていた。
既視感のある青い鉱石。
早朝だというのに、まるで星空の下にいるような幻想的な光景が、一面に広がっている。
「綺麗……」
溜め息を漏らしたのはエレノアだっただろうか。陳腐な表現だが、その通りだと思った。
「この魔石の、一際純度の高い物を加工した物が、国宝の首飾りに使われています。ご覧になったでしょう?」
「そうでしたか。言われてみれば、少しだけ似ていますね」
見ていると、心が落ち着くよう。そんな不思議な感覚を、この光はもたらしてくれる。
「あ、その話聞いた事ある〜。指輪にも使われるんだよね」
「そりゃあ、魔石なんだから使われるだろうな。魔力補充か、ルーンでも刻めば……」
「そういう意味じゃないよ。もう、分かってないなあ」
エレノアが大仰に天を仰ぐ。どうやら的外れな回答だったらしい。
「指輪って言ったら結婚指輪だよ。女子の間ではすっごく人気なんだよ」
「結婚って。幾つだよ」
そんな事知ってる方がおかしな話だ。学生にされてもまるで説得力がない。
「はあ。先生って意外と子供だね。女の子はね、いつでもロマンチックな恋を求めるものなの」
「ロマンチックっていうより、お花畑って感じじゃないか?」
「うわあ、彼女いなそう」
「ほっとけ」
辛辣な言葉に、アレンは堪らず吹き出した。無口だったドルトンまでも。反射的に視線をやれば、ぱっと口元を抑えた。
「すみません。確かに先生、魔法のことしか考えてなさそうだったから」
「それ、謝る気ないだろ」
「これは、エミリーも苦労するよね」
「何でそこでシャルロットが出てくるんだ?」
「ん〜、べっつに〜」
「腹立つな、その顔」
俺の悪態なんてどこ吹く風、アレンとエレノアは顔を見合わせ、色恋の話に華を咲かせ始めた。鉱石の放つ輝きを見て、魔石よりも宝石を連想し、そこから恋愛に派生するというのは理解し難いと思ってしまう。
これが普通なのだろうかと、考えかけて思考を放棄した。
野暮な事を考えるのはやめよう。今はただ、この風景を眺めていたいと、固い椅子へ体を預けた。
生徒の喧騒を聞きながら、柔らかい光に包まれながら、馬車に揺られる。戦闘とはまるで縁遠い、ありふれた日常が眩しい。
王国まではまだ遠い。緊急時でもないならと、もう一度微睡みの中へと沈んだ。




