76協会の要請
酸素が欠乏し、視界がぼやける。
気を失いかけた時、壊れたかと思うほど、勢いよく扉が開いた。
「そこまでだよ、リタ」
穏やかな声が耳に届く。リタが杖を止めて振り返り、見下ろしてくる声の主を仰ぎ見た。
「おっと。もう来てしまったのかい、ルーカス。折角の逢瀬の邪魔をするとは、良い趣味だね」
「その糸を解くんだ」
「……嫌だと言ったら?」
ざわりと総毛立ったルーカスから、魔力が溢れる。ロッドで床を小突けば、糸車よりも大きな槌が、リタの頭上に形成された。
リタは顔色を変えない、ルーカスの双眸が光る。
槌が揺れると同時に、首の拘束が解かれる。不意に自由になった呼吸に咽せ返る。
「冗談だよ、試して悪かったね。ブラッド君」
「死にかける事を冗談とは言わない。次はないからね」
「おお、怖い怖い。分かっているとも」
嵐が去り、空気が変わった。
「げほっ。一体、何なんですか?」
「さっきも言ったろう。君を知る為だと」
「今ので、何が分かると……」
無機質な笑みに、意味深な含みが加わる。
「済まないね。ブラッド君。もっと別の形で会わせなければと思っていたんだが、防ぎきれなかったようだ」
「君が邪魔立てするから、変装して入らなければならなかったんだよ」
「手続きをすっ飛ばすからだろう」
「そうだったかな」
ルーカスの歯に絹着せぬ物言い、普段の物腰とはまるで違う。
「お二人は仲が良いんですか?」
「そうだよ」
「いや、全く」
ーーどっちだよ。
満面の笑みのリタと、苦虫を噛み潰したようなルーカス。少なくとも旧知の仲ではあるようだ。
「まあ許してくれ。私も一度、彼を見ておきたかったのさ。聞けば罹患者だというしね」
「ご存知なんですか?」
「ごく稀にいるからね」
罹患者という言葉に、ルーカス自身も、驚いた素振りはない。
「大概、厄介な呪いが絡んでいるがね。恩恵を受ける者、災厄を引き受ける者。どちらも目にした事がある」
災厄。どうしても凶兆の印象がついて回る。
「特筆すべきは、皆、何らかの特異体質を持っている。呼び名は様々で、呪い憑き、曰く持ち、それに罹患者。揶揄や妬みの含まれる言い方は時代によって変化してきたのさ」
特異体質。デヴォンの、魔力が毒となり身を蝕むものも、それに当たる。だが、ギィザとどう関係があるのか、見えてはこない。
「呪いを受けた者には、因果があるとされている。君が見た霊体も、そうなのだろうね」
「筒抜けですね」
霊体の話は、シャウドに説明しただけだったのだが、そもそもギルドが隠し立てする事でもないか。
「ふふっ。噂が出回るのは早くてね」
「盗み聞きの間違いだろう」
二人の視線で火花が散りそうだ。
しかしすぐ、ロヴロへと向き直る。
「君の聞きたい事に全て答える事は、私には出来ない。しかし、答えは意図せずに降りてきたりするものだよ」
見透かされているようだった。デヴォンの言葉が思い出される。
敵対していれば、嫌でも知ることになる。
「さて、無駄話はこの辺にしておこうか。そろそろルーカスにどやされそうだ」
「分かってるなら、早くしてくれないかな。こっちだって暇じゃないんだ」
溜め息を吐き、呼吸を整える。ルーカスの声が一段と低くなった。
「デヴォン・ハウラ、それにオルガネオンについての情報は?」
「そう怖い顔をしなくても、ちゃんと収穫はあったよ。異教団程度である事しか分かってはいないけれど、それでも、拠点らしき場所は幾つか見つけた」
見るも無惨な少女の姿が浮かぶ。あんな男の事だ、予備の拠点を備えていてもおかしくはない。
「それから?他には何かないのかい?施設一つ潰した所で、拠点は他にも……」
「まあ聞いておくれ。内通者がいただろう?あの変な公爵だよ」
「ディーン公爵、だったかな?彼がどうした?」
「部下の話では、彼の魔力の痕跡が、そこにあったそうだ。手掛かりが残されている可能性は、他よりはあるだろうね」
既に襲撃は退けた。自分が看病されている間、もう次へ備えている。手腕とその判断の速さに舌を巻いた。というより、自分はどれだけ眠っていたのか、記憶にない。
「たかが公爵一人に、ここまで大掛かりな仕掛けを打てる筈もない。まだ内通者がいるか、或いは教団すら利用して糸を引いている者がいるか……」
きな臭い話を、人目を忍んでするのも理解は出来る。しかしーー。
「その話、聞いてしまって良いんでしょうか?」
「ああ、良いんだ。君への疑いは晴れたから」
「また糸に何か仕込んだな。性悪め」
「手っ取り早いだろう?ほんの少し記憶を見ただけさ」
あっさりととんでもない事を。別にやましい事はない筈だが……。
「安心して良いよ、こんな協会如き……失礼。協会に手出しはさせないから」
「君、今如きって言わなかったかい?」
「ちゃんと言い直しただろう?」
「……まあ良いさ、本題に戻るよ。他に内通者の可能性があるなんて言ったけれど、少なくとも一人は割れていてね。できれば、気取られる前に捕らえたい」
「そんなもの、他にさせれば良いだろう?暗部の好きそうな仕事じゃないか」
「君は本当にうちが嫌いなんだねえ。それが出来るならそうしているよ。少なくとも、この国にいるならね」
「また面倒を押し付けようという腹か」
「仕方ないだろう、適任なんだから。それに、今回の騒動で、そちらも動きがあっただろう?」
笑みを深めると、ルーカスは唸るような声を上げ、こめかみを揉んだ。
「地獄耳め」
「それが取り柄だからね」
「えっと……」
「ああ、ごめんごめん。実は今回の騒動で、ディーン公爵のいた国、ボルガ王国から書面が届いてね」
説明の口調はいつも通りの、教育者としての物言いになった。
「今回の襲撃に公爵が加担してしまった、そのお詫びとして、人員の派遣や物資の支援を約束すると。それに、友好の証として、有望な魔術師を招いて、訓練して下さると」
「物資の支援は分かりますけど、変な提案ですね。魔術師を招くって……」
「そうでもないよ。自国の訓練を曝け出すというのは、それなりにリスクもある。特に、ボルガは珍しい国だからね。どうせ学院も補修しないといけないし、授業が止まってしまうよりよっぽど良いだろう?」
「君に言われると、素直に喜べないな」
確かに。自分への攻撃といい、それだけの為に来るとは思えない。ならば、態々ここで話す理由は……。
「さっきの内通者がいるのは、ボルガ王国の中ですか?」
「君は本当に理解が早くて助かるよ。君やアルフォンス君には、内通者の捕縛に手を貸してもらいたくてね」
「ただの捕縛だろう?そんなことに、うちの教員を借り出そうと?」
「まさか。一人なら捕まえて終わりなんだけどね。恐らく、待ち構えられている。でなければ、こんなあっさり見つかるようなヘマはしないだろう」
もしそうなら、戦闘は避けられない。ルーカスは快諾する気はなさそうだ。
「相手は王城へ堂々と侵入した連中だよ。何を考えているか分からない以上、こちらの手数は多いに越した事はない。教師という身分なら、国に入っても怪しまれないしね」
「そんな事、僕が許可を出すとでも?」
「拒否権はあるさ。学院への締め付けがきつくなっても構わないならね」
「無茶苦茶な事ばかり。偶には自分で仕事したらどうだ?」
「やっているよ。だからこそ、君達にこうやって依頼しているだろう?」
依頼……強要に近いと思ったのは黙っておこう。
口を噤んだ事を承諾とでも捉えたように、リタはベッドから腰を上げる。そして改めて、ロヴロへと真っ直ぐに向き直った。
「さて、私はそろそろ行くとするよ。またねブラッド君、話せて良かったよ」
「あ、はい」
「こういう勝手は、今回だけだよ、リタ。次は本当に容赦しない」
「分かっているよ、君もしつこいね」
部屋を出ていくまで、ルーカスは視線を外さない。そして扉が閉まってから、深い溜め息を吐いた。
「ごめんね。まさかリタ自身が来るとは思わなくて」
「そんなに珍しいんですか?」
「ああ。いつも部下を使うから、滅多に出てこないんだよ」
「部下って……彼女は、自分を協会の末端だと」
言えば、妙な沈黙が流れた。そして目を丸くしたかと思えば、ルーカスはおかしそうに笑った。
「はははっ。そうか、知らないんだね。教えてないから当然か。いや、彼女の気まぐれかな」
「何の話ですか?」
呆気に取られていると、ルーカスは一つの事実を口にした。
「彼女は、リタ・カレアネ。魔術協会の理事長だよ」




