74追憶の欠片
見たこともない風景が広がる。まるで絵本の切り抜きのような、チグハグで断片的な場面。
「済まない……どうか、私を許してくれ」
向かいに立つ男を見上げる。地を這うような姿勢から動けない。
汚らしい格好をした男の呻くような声が響く。
足元を見れば、数匹の飢えた野犬が唸り声を上げこちらを睨む。
ーーいや、止めて…………。
声が響く。自分ではない、か細い少女のもの。
ーーどうして…………私は助けたのに。
「済まない。命令なんだ。私にはこうするしか……」
男が震える手で、杖を振るった。奇妙な笛の音が上がる。
それが合図となり、野犬の目の色が変わった。
食らわんとこちらに走ってくる。身動きは取れない。瞼を閉じることもかなわない。
体に牙が食い込む。そして頭が割れそうな、少女の悲鳴が響く。
ーー痛い!痛い!痛い!
心の声か、それとも実際に漏れているのか、分からない。
全身が引き裂かれていく痛みが、追体験させられる。この恐怖から、目を背けることができない。
場面がブツリと途切れ、また視界が暗闇に沈んだ。地獄のような苦しみの中、呪詛のようなくぐもった声を、確かに聞いた。
未来永劫、呪ってやる、と。
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「はっ……はっ……」
当然ながら、見開かれた視界に獣はいなかった。
さっきと同じ姿勢で床に倒れていたが、呼吸も荒く、冷や汗で背中がびっしょりと濡れていて気持ちが悪い。
だがそれより、引き裂かれたと感じた四肢がある事実に、胸を撫で下ろした。それほどに鮮明な光景が、頭から離れてくれない。
「……済まない」
「ッ!」
今しがた聞いた声が、頭上から降りてきた。血の気が引くのを感じつつ、視線を向けずにはいられなかった。
揺蕩うように頼りなく揺れた影、獣を操ったさっきの男だった。
背景が透けて見える、霊体とも呼べる姿の男が、穏やかな声で話し出す。
「私の名はギィザ。呪縛を解いていただいた事、感謝する」
「呪縛って……」
何を言っているのか分からず、ただその男の顔を見つめるしか出来ない。
彼の視線が蒼星石へと移る。デヴォンが解放したのは、彼の魂だとでも言うのか。
「いや、それより……」
問題はさっきの記憶らしきものだ。あの少女の声、あどけなさはあったが、腹の中に巣食う者と同じだった。
何故あの光景を見せた?いや、勝手に流れ込んできたのか。
茨が確かに魔力を取り込んだ。しかし、今はギィザの周りで止まっている。
確かに聞いた、未来永劫呪うという呪詛を思えば、霊体といえど危害を加えないのは奇妙だ。
ーー余計な事を。
声が聞こえた気がした。
まるで呪縛を解くのを、ロヴロが邪魔をしたと言わんばかりだが、何もした覚えはなかった。
湧いてくる疑問、しかし答える声はない。
ギィザと名乗った男の霊体が、更に霞んでいく。天へ召されるとは、こういうものを呼ぶのか。
「待て!まだ聞きたい事が……ゔっ!」
目が灼けつくように痛い。魔力で張り裂けそうだ。
「済まない……どうか彼女を、救ってやってくれ」
声がはっきりと耳に届く。痛みが治まった時には、既に姿はなかった。
言いたいことを一方的に言って、消えてしまう。しかし目が痛み出した直前、ギィザの手には魔力らしきものが宿っていた。
あれは一体何だったのだろうか。
分からない。理解の及ぶ範疇を超えている。
今は、手の届く所から考えなければ。
デヴォンの亡骸が、視界に映る。どうにかして人を呼びたいが……。
院長のように使い魔を呼ぶ魔力もない。自分の体すら満足に動かせないロヴロに、担いで降りる余力がある訳もない。
思案している間、視線が宙を舞う。その時、デヴォンの違和感が目に止まった。
「痣が……消えてる」
毒の斑点はあれど、喉にあった百合の痣が綺麗さっぱり無くなっていた。ギィザが消えたのと同じタイミングで。
宿主。そんな言葉が頭に浮かぶ。デヴォンもロヴロと同じく罹患者だった。共通点があまりに多い。
「随分視線を向けておるな。何か気になる事でも?」
聞き覚えのある声。ようやく見知った人物が来た事に、深い息が漏れた。
「居たんですか、ハウゼンさん」
「酷いのう。これでも老体に鞭打って動き回ったんじゃよ」
息一つ上がらずによく言う……。
「街の様子はどうでしたか?毒は……それに陛下は?」
「ああ、お前さんのお陰で、浄化は完了じゃよ。死傷者は出てはいるが、それでも被害を考えれば少ない方じゃ。勿論、陛下もご無事じゃ」
「そうですか……良かった」
取り敢えずは一安心。しかし随分耳が早い。マリアを送ったのは学院の筈。
まさかとは思うが……。
「ハウゼンさん。ヘルハウンドを狩りながら、、学院まで行ったんですか?」
「ほっほっ。そんな訳なかろう。学院から伝令が来たんじゃよ。陛下、並びに教員、生徒の無事は確認されたと。ルーカスの魔術は便利じゃのう」
「生徒や教師の安否まで……」
何とも便利な使い魔だ。それに生徒の安否が分かれば、心配事は殆どなくなった。
「こういう事態の為に、管轄の人間は各々で把握する事になっとるのよ。そういう意味では、問題はこっちじゃなぁ」
「ギルドで何か問題が?」
警備隊や、矢面に立った者達の犠牲は少なくない。しかし、シャウドが言いたいのはそういう事ではなかった。
「ノクトとルルちゃんが、まだ見つかっとらんのじゃ。あの二人の事じゃ、後れは取らんじゃろうが……」
分断された時か。思えば、ラミアという女も姿を見せていない。状況的に戦闘に発展している可能性は否定できない。
「まあ、大事ないと願うしかないのぉ。感知の長けた者達で捜索しておるし、直に見つかる筈じゃ」
「捜索を手伝えれば良いんですが……」
「ほっほっ。気持ちだけ受け取っておくわい。それより……」
髭をしごき、シャウドの視線がデヴォンへと移る。
「其奴が毒を撒いた張本人かの?」
「はい。もう一人には逃げられてしまいました」
「いや、充分じゃ。城に結界を張られた中、ようやってくれた。ルシファーは、ちぃと予想外じゃったがのう」
「ははっ。他に手が浮かばなくて……」
「構わん。国宝と首謀者の亡骸を回収したとなれば、文句はあるまい」
国宝……。手の中にある蒼星石を見遣る。ギィザの影響か、中の魔法陣は消えてしまった。しかし、あの激闘の最中にあって尚、輝きを失っていない。
寧ろ、純粋な宝石となったように、澄んだ色へと変わった。
碌に力の入らぬ手で、シャウドへと差し出した。
「ではすみませんが、後はお願いします」
「うむ。確かに」
「その宝石を取り込んだ途端に、相手の力が増すのを見ました。それに、男の思念らしきものも。蒼星石とは、何か特別な力があるのですか?」
「魔力を宿す希少な鉱石は珍しくないが、思念はあまり聞かんな。じゃが、中に判読不能の魔法陣があった事は知っておったし、無関係ではないじゃろうな」
「そうですか……」
無理もない話。しかし何故デヴォンに解除出来たのか、聞く前に亡くなってしまった。今、これ以上は知りようがない。
「ところで、デヴォンはこの後どうなるんですか?」
「ん?まあ、検死はするじゃろう。此奴の属していた教団が、またよからぬ事をしないとも限らん。出来るだけ情報を集めなければならんからのう」
検死とは、要は解剖だ。当然の流れではあるのだろうが、しのぎを削った相手の死後がそれは、少し物寂しくあった。
「浮かない顔じゃな。何か、要望があるなら聞くぞい?」
「……いえ。ただ、普通に弔ってくれればそれで」
「変な事を言うのう。まあ、国の保有する墓地へ埋める事になるじゃろうが、お主、一応殺されかけたんじゃぞ?」
「そうですね。それでも、最期くらいは人として弔われて欲しいと、思っただけです」
「ふむ……」
シャウドは髭を扱くだけで、それ以上は何も言わなかった。
命のやり取りをした相手とはいえ、年端のいかぬ若造が抱く感情かと、小さく苦笑した。
それを誤魔化すように、話題を変えた。シャウドにとっては、そんな何気ない一言。
しかしロヴロには違った。次の言葉に、耳を疑った。
「時にお主、その顔はどうした?初めて会った時もそんなじゃったか?」
「え?」
「刺青じゃよ。あまり派手にやると、他の先生方に怒られるかも知れんぞ?」
刺青……瞳を見られた時にしか聞かない反応。嫌な予感がする。他者から見て明らさまな変化が、自身に起きている。
「あの、俺の顔、どうなっていますか?」
「変な事を聞くのう。気になるなら、確認したらどうじゃ?ほれ」
懐から手鏡を出したかと思えば、無造作に手元へ放った。
「どうも」
反射した顔を覗き込む。映っていたのは、生傷や血で汚れた自分の姿。いつもと変わらぬと思っていた痣に、変化が生じていた。
「痣が、広がってる?」
左の頬を這うような、蔦の痣が増えている。呪いの進行かと疑いたくなるが、瞳の花弁には変化は見られない。
先刻、ギィザが消える直前、何かしたのだ。これがどんな意味を持つのか、今は知る由もない。




