71肉弾戦
「さて、そろそろ動き出しよるのう」
抑え込んでいた檻が、バキバキと音を立てて崩れた。
同時に放たれた、針の如き体毛を、本調子となった障壁で阻む。
「せっかちな奴じゃのう」
「ふざけた真似を!拘束中に殺さなかった事を後悔させてやる!」
怒りに目を見開いた狼が、口元に魔力を溜め始めた。まるで光が歪曲したとさえ思える凝縮した魔力。
「避けて!」
「ほいほい」
『ブースト』で飛び上がった刹那、一筋の光線が放たれた。ジュウッと音を鳴らしたそれは、石壁を焼き切り城外へ。
良く見える、敵の動きが。
魔力を放ち、硬直した隙に、飛び込む。剣を右目へとお見舞いすれば、鮮血が噴き出した。
「ゔっ!」
攻撃に回した分、防御が薄れた。
更に魔法陣を描き、撹乱の火球を飛散させる。
「ほっほっ。体も温まってきた。儂もいっちょ暴れるかのう」
「ああ、それなんだけど、ルシファーは戦わないで」
「えぇ…なんでぇ?」
「王都に放たれた、ヘルハウンドは猛毒を蓄えてる。強力な解毒が必要なんだ。ルシファーには、そっちに専念してほしい」
「ふうん、久方ぶりの戦さじゃったのに。まあ、そういう事なら任されるかのう。じゃが、役割が逆じゃないかの?」
確かに、戦力だけを見れば、ルシファーに相手をしてもらうのが妥当ではある。
しかしーー。
それではいけない。あの痣を見ると、何故かそう思ってしまう。見て見ぬ振りは出来ない気がする。
「いや、あいつは俺がやる」
「勝てるのか?」
「誰の魔力を借りていると思ってる?」
「ほっほっ。言うてくれるわい」
ルシファーは老体とは思えない身軽さで、崩れた壁から外へ飛び出した。そして空中に浮いたまま、魔法陣を描き出していく。
「さて、そんじゃ一丁やるかの」
練り上げられた魔力が、色付いて見えるよう。
青白い炎へと変わったそれは、城を中心に拡がり、そして町中へと弾け飛んだ。悪魔を象ったような形状の炎が踊り、街中へと治癒の炎を飛ばしていく。
一部始終を見届け、デヴォンが口を開いた。
「随分と舐めてくれるな。悪魔を呼び出しておきながら、相手をするのはお前とは」
剣を鞘へ納め、魔法陣を浮かべる。
漆黒の手甲と足甲が、手足を覆う。
黒魔術『深淵甲』。
身体が熱い。黒魔術のせいではない。魔力が昂っている。
迸る魔力を地面へ放つ、ほんの僅かな一蹴り。
デヴォンがそう視認した瞬間には、その巨体が宙に浮いていた。
「がはっ!」
遅れてやってきた、鳩尾への衝撃。その目にも留まらぬ早業に、目を剥いた。
「さっきの話を聞いてなかったのか?ルシファーの魔力は、俺の中にもある」
「そうか……なら魔力ごと圧し潰すまでだ!」
打ち上げられた巨体が降りかかる。
魔力で硬く形作られたスパイクがこちらを向く。
拳を固め、向かえ打つ。
覆い被さる相手へ、ラッシュを繰り出した。
骨が軋むような重みも、スパイクが体を突き刺す痛みも無視して、打ち込み続ける。
「っうらぁ!」
回転と威力が、打ち込む度に増していく。爆発にも似た音が、打つ度に響いた。
そのダメージは、確実に体内へと蓄積されていく。
「ゴフッ……」
先に音を上げたのはデヴォンだった。
血反吐を吐いた、ように見えた。
だが実際に吐かれた物は、不気味な色のヘドロ。
地面に落ちたそれから、床を焼くような異音がした。
またしても毒。いや、酸?
揮発した空気を少し吸うだけで、酩酊しそうになる。しかしその直後、青白い炎が俺の身を包んだ。
デヴォンの身体が、鎧のように固めた魔力を囮にし、離脱を試みるが、させない。足甲に力を込めて飛び込み、ラッシュを繰り返した。
強靭な腕を弾き、打つ。回り込み、尾を引っ張って体勢を崩し、打つ。牙を肩に食い込ませながら炎に身を包み、打つ。
目まぐるしい殴打と治癒を、幾度となく続けた。
気がつけば、肩が上下していた。息が苦しい。更にルシファーの炎が燃える度、その時間が長くなっている。
撒き散らした毒の濃度が上がり、治癒に掛かる時間と魔力が増しているのだ。
勝負を急がなくては。
崩れた壁から外を一瞥し、ルシファーを見る。炎を扱いながら、ご丁寧にこちらへと防壁を張っている。
毒の発生源に、蓋をするように。
拳を止め、相手と距離を離す。
デヴォンと自身の状態を、今一度把握する。
軽く二百は打ち込んだ。デヴォンとて無事な筈がない。立ち上がってくるが、先刻よりは疲弊している。
「なんだ、もう終いか?」
「まさか」
意識を集中し、魔力を練った。背に黒い光が走り、身体を覆う翼が生える。
黒魔術『堕天使の落翼』。
羽の一枚一枚が、蒼炎で燃えているそれを羽ばたかせ、天蓋の外へと飛翔する。
空を裂くとはこの事。頬を撫でる風で、切り傷ができそうだ。
振り返った頃には、占星の間が遥か下方にあった。
しかし、あの禍々しい魔力は嫌でもーー。
いや。魔力が、消えた……?
「空の上まで来て、何をするつもりだ?」
「ッ!!」
すぐ後ろから、寒気がする程悍ましい声がした。振り返った先、空中に、デヴォンが既に待ち構えていた。障壁の応用で、足場を作っている。
「どうやってここまで」
「毒を塗布した人間を追うなど簡単な事だ。しかし、正直驚いたよ。ここまで消耗させられるとはな」
魔法陣を浮かべたデヴォン。それは簡単な転送用の魔法。
予め用意したであろう薬品が入った試験管が、デヴォンの周囲を漂いだした。
獣声を上げると、その奇怪な薬が全て、独りでに体内へ取り込まれていく。
「やはり、あまり気分の良いものじゃないな」
身体が膨れていく、否、骨格が変わっているのだ。
耳障りな音を立てながら筋肉が肥大し、魔獣の姿へと変化する。
更に全身の毛が黒ずみ、肩から腕が二本増え、首が双頭となった。
「まるでキメラだな」
「なんとでも言うがいい」
デヴォンが吠え、魔法陣が現れる。そこから大量の蝿が湧き、取り囲んでくる。
羽を広げ、炎の渦を作って灼き切る。
空を踏んだデヴォンが、熱を物ともせず眼前へ。
カウンター気味に繰り出した拳が、相手の爪を割り、腕を弾き飛ばす。
その筈だった。
攻撃を受けた途端、手甲から不意に魔力が漏れた。煙のように霧散し、まともに食らった。
翼を使っても尚死なぬ拳圧に、身体が吹き飛んだ。
「深淵甲にひびが……」
このでたらめな魔力、まだ上がるのか。
深くなったデヴォンの笑みに、戦慄が走った。




