72二段構えの罠
「もう。そんなに暴れないで下さいよぉ」
「このっ……ちょこまかと……はぁっ!」
ルルが振るった白刃が、仄暗い部屋に光を反射した。
しかし、ラミアには当たらない。まるで独楽でも回るかのように、ひらりと避けられてしまう。狭い地下蔵のような場所で、よく器用に避けるものだ。
しかし、それも当然の事。そもそも、自身の動きが鈍いのだと、ルルが歯噛みする。
「もう。よく動けますねえ。痺れ薬、もう少しきつい物を頼むんでした」
「……くそ!卑怯者!」
「そうですよぉ。私は戦いなんて嫌いですもの。だから貴方もお友達のように、仲良く転がっていてくれませんかぁ?」
視線を足下へ落とす。一緒に飛ばされたノクトは、辛うじて意識を保っているが、薬をまともに食らって、戦える状態ではない。
私がやらなければ……。震える手に力を込める。
「お断り……よ!」
ルルの剣が空振る。踏み込もうとして足がもつれ、その場へ転んでしまった。
痺れ薬が効いてきたせいか、身体がうまく動かない。
本来なら殺されてもおかしくない場面。だというのに、ラミアには殺意が微塵も見られない。
それがルルには、気持ちが悪くて堪らなかった。
「何がしたいのよ、あんたらは……」
「ふふっ。そんなの、もうとっくにお分かりでしょう?」
「……狙いは、国宝の方か?」
ノクトの消え入りそうな声に、ラミアが目を軽く見開いた。しかしそれも一瞬のこと、すぐに感心したように、飄々とした笑みを取り戻した。
「あら。冗談半分で言ったのに。そんな状態でも、頭が回るのですね」
「……なんで国宝が出てくるのよ。暗殺は?」
「ふふっ。おかしな人ですねぇ。そもそも暗殺なら、予告状なんて無しに、黙ってやりますよ」
「……確かに」
「感心するな……阿呆」
ノクトが身をよじる。さり気なく杖を掴もうとした仕草を、ラミアは見逃さない。
ノクトの手から杖をひったくり、ぽいと部屋の隅へと放り投げた。
「もう。油断も隙もないですねぇ。危ない物はナイナイ、ですよぉ」
ラミアはさして怒るでもなく、子供に言い聞かせるような仕草で注意をしたかと思えば、部屋の汚れたテーブルへふわりと腰を下ろした。
「そろそろ帰ってきていい頃なんですけど、まだデヴォンさんが来ませんねぇ。個人的には、大量殺人なんて気が進まないんですけど」
「どういう意味だ?」
「そんな怖い顔しないで下さいよぉ。私が言ったんじゃないんですから」
地面に転がる二人の睨みを無視して、ラミアは地上の様子を想像する。
デヴォンの使う毒、それを昇華させての殺人。蒼星石の事が本当なら、出来なくはない話だ。
しかし団長の意図はどうあれ、魔術に長けた者まで殺しかねない案は気に入らない。
敵であれ、有益な者は生かしてこそ意味がある。だからこそ、目の前にいたこの二人は、毒の届かぬ地下へと拘束したというのに。
「そんな目で見るなんて、酷い人達ですねえ。地上に戻して、毒を吸わせてもいいんですよ?」
「ふざけないで……あんた達の思い通りになんてならないんだから」
「彼がいるから、ですか?」
ブラッドは国宝と共に隔離する。それも団長のお達しだ。罹患者を引き合わせる為か、それとも国宝への贄か、どちらにせよ理解に苦しむ。
「彼も面白い才能はあるんでしょうけれど、デヴォンさんに勝てるかと言われたら……うーん、残念ですが、難しいのでは?」
「そのデヴォンて奴は知らないけど……あの子はそう簡単には負けないわよ」
眼下から向けられる、揺るがぬ意志。思い入れの類ではない。どこか確信めいた物があるのだと、そう思わせるには充分だった。
自身は痺れ薬に侵されているというのに、他人の事で見得を切る、その様に、思わず微笑が漏れた。
「信頼されてるんですねぇ。でも所詮は子供です。死が目前に迫っては、まともに戦えないでしょう」
実際、そうやって戦意を喪失した者を何度も見てきた。子供ならば尚更……。
「信頼?バカ言わないで……」
ロヴロの地力は、幾度となく間近で見てきた。
その真価は窮地でこそ、強敵にこそ発揮される。
ーーまあ、本人は認めないかもしれないけど。
まるで、細胞が生を渇望しているような、静かに燃ゆる闘志を。
「私はただ……知ってるのよ」
ロヴロの実力なら。その気になれば、賊など相手にならない。言葉以上に雄弁に語るルルの自信に、ラミアの興味が唆られてしまった。
爛々と輝く瞳、歪に嗤う表情に、背筋が凍った。
まるで誰かが、宿っている。
「ふふっ。なんだか私も、戦いに参加したくなってきました」
錯覚というにはあまりに色濃い恐怖。行かせるわけにはいかない。
そう思った時には、ルルは駆け出していた。
麻痺した身体で、まともに戦える筈もない。分かっているがそれでも、受け入れ難い事実が、二人を襲った。
「……ああ、いけないいけない。抑えなくては、お二人まで殺してしまうところでした」
正気を取り戻した、様に装うラミアの声に、答える者はいなかった。
体が痺れているとはいえ、百戦錬磨の冒険者である二人が、何も見えずに意識を飛ばされたのだ。
攻撃と認識できたかどうかも怪しい早業。
それを放った本人はといえば、まるで御伽話に想いを馳せる幼子のように、テーブルに頬杖をついた。
「果たしてどちらが勝つでしょうか」
調子外れな鼻唄だけが、部屋に響いた。
●
翼を羽ばたかせ、距離を取りつつ魔術を放つ。
召喚された巨大なガザミの爪が、左右からデヴォンを挟んだ。
「ふん!」
肩から生えた腕が阻む。触れた部分から腐敗し、やがて爪は塵と化した。そして続けざま、球体に凝縮した魔力を飛ばしてくる。
旋回して回避、その死角から、前脚が伸びて右半身を強打した。
爪が肉に喰い込む。そして体内に流れ込んだ異物。
「うあああっ!!」
全身に激痛が走る。刺すような痛みに、体が強張る。
「はあ……はあ……。激痛だろう。毒の強度が増しているのが肌で分かるぞ」
「勝ち誇っている割には辛そうだな、デヴォン。薬の反動か?」
「お前もな。手甲の割れた腕、まともに動いていないぞ?」
実際、右手は使い物にならない。しかし魔術を撃つ分には支障はない。
変則的に速度を上げ、翻弄してくる。
羽の炎を使おうと、障壁で行く手を塞ごうと、全てを掻い潜ってしまう。
充血した眼が、魔力の流れを捉えているのか。
大きく唸り、空を蹴る。眼前に迫る腕と毒を、氷と魔力の壁で固める。
毒が凝固した上から、四本の腕が襲いかかる。
「お返しだ」
自分の放ったものより数段重いラッシュ。身体を強化しつつ、割れた瞬間から障壁を張り直す。
図らずも肉薄出来たこの状況。仕掛けるなら、ここしかない。
魔力を、ありったけ捻り出す。
四方八方に、大小様々の魔法陣が、二人を囲んだ。土壇場で繰り出したとは思えぬ物量。
「手数は賞賛に値する。だが……」
馬鹿が。そうデヴォンが吐き捨てた。
身を守る為の魔力を割くなど自殺行為。誰もが愚策だと思うだろう。しかし、その愚行を何度も食らったデヴォンには、見えていた。
「何度も食らわんぞ!」
視線が頭上へと向く。
頼みの綱、決定打となる魔法陣を、斬撃で掻き消した。
「魔法陣で隠したつもりだろうが、丸見えだ」
発動前に魔力を掻き消されては、術は発動しない。流石に見抜かれている。
敵はそういう聡明な男、だからこそ、活きた。
相手が上を見た隙に、障壁を捨てて前へ。
腕を掻い潜って、相手の体にしがみつく。
「なんだ?張り付けば腕が届かないとでも……」
否。デヴォンに悪寒が走る。しかしもう遅い。
まるで花火のように、大玉の火球が四方を荒れ狂って飛び回る。
逃げ道を塞ぐ。しかしそれは半分は見せかけ、本命は別だ。
黒い茨、眼から溢れる呪詛が、デヴォンを絡め取った。
花の痣が共鳴するかの如く、光が増す。拘束力が跳ね上がり、簡単には抜け出せない。
勢いは止まる事を知らずに、四肢を貫き、命を吸い上げる。
「ぐうっ!こんなもの……!」
「腐敗ならさせないぞ」
羽に宿る青白い炎を、茨へ。毒との拮抗状態を作り出す。
再生させる度、内に渦巻く呪詛が打ち震えている。痛みと不快感に呑まれそうだが、まだその時ではない。
きっと、行動不能にするまでには至らない。必ず抜け出し、反撃される。そうなれば、もう本当に身を守る術はない。ルシファーが舞い戻るより先に殺されるだろう。
「敵を欺くには、虚を衝く事に尽きる。しかしこの悪癖は、賢い相手にはあまり通じない。二度目がないからだ」
「何を下らん事を……」
「ならいっそ、一度策を見破ってもらえばいい。本命の、いや、本命に見せかけた魔法陣を……」
言葉の意図が、相手にも伝わったようだ。しかし、茨に抗う為、魔力を込めている今、そこまで意識は割けない。
「逆に言えば、撹乱の為に放たれた魔力には注意を払わなくなる。魔力を見極められる者なら、尚更だ」
四方八方に散りばめた火球。飛散したように見せ、上へと飛ばしたのだ。
それぞれの火球が辿った軌跡に、少しずつだが確かに魔力を残し、巨大な魔法陣を描き出した。
「離れて操作するのは、流石に骨が折れるな」
「まさか、そんな物……ただの虚仮威しだろう!」
「すぐに分かるさ」
ここまで遠く離れた魔力、半信半疑ではあった。それでも、徐々に光を増して迫り来るそれを見れば、離れ技が成功したのは、誰の目にも明らかだった。
「降りてこい」
陽の光すら霞むほどの質量。
見上げた誰もが、星が落ちてきたと錯覚した。
白魔術『星穿つ彗撃』。
これは、食らえばただでは済まない。
全身が、逃走を命じていた。緊急離脱の為、ラミアの合流地点に予め毒を塗布している。
普段なら何の造作もなく脱出出来る。その筈が、魔力が練れない。繭のように自身を覆う茨が震え、不気味に花を咲かせた。
その強烈な違和感が、デヴォンを襲った。
繋ぎ止められている?
まるで、蒼星石が、この場に留まることを望んでいるように、転移が出来なかった。
触れる全てを呑み込む奔流が、降り注いだ。
「何故だ……何故、私を拒む……」
声がよく聞こえない。
繭に直撃した衝撃音が、全てをかき消してしまう。
吹き荒ぶなんてものではない突風が、デヴォンを突き落とした。
あまりの威力に、術を放ったロヴロも巻き添えを食らった。爆発を抑える事も、自分を障壁で覆う事も出来ない。
それも当然の事。最早そんな魔力すら、残ってはいなかったのだ。
ーーまずいな、流石にやり過ぎた。
羽が消えていく。魔力切れなどいつ以来だろう。
身体が重いのは疲労か、それとも毒のせいか。
薄れゆく視界に、デヴォンが映る。
占星の間の上で、不自然に止まったように見えたが、最早頭が回らない。
目の前が暗い。力無く落ちていく感覚すら、薄れていくようだった。




