68狂気の変貌
「お前、自分の足を……」
「お陰で痺れが抜けた」
魔力を流し、血液の形を変える。殺傷力を高めた血の弾丸、唸りを上げるほど回転力を加えたそれを、相手目掛けて弾き飛ばす。
「ぐっ!」
黒い魔力を体に纏い、弾丸を弾いた。王笏の攻撃を往なした魔術はない。
あれだけの威力の魔法を弾く代物、そうポンポンと撃てるものではない、筈。
畳み掛けるなら、今。
足に止血を施しつつ、魔力を撃ち出す。流れた血をそのまま糧として、二匹の蛇を形作る。不規則に地を這う攻撃に、デヴォンは迎え撃つ態勢を取った。
魔力が腕に集中し、膨れ上がる。それは猛獣を思わせる鉤爪となり、振り下ろされた。
「調子に乗るなよ、ガキが!」
風圧がこちらまで届くほどの衝撃波。床が抉れ、巨大な爪痕が刻まれる。蛇の一匹がいとも簡単に消え去り、血を撒き散らした。
残った一体に、魔力を注ぐ。
魔法陣を受けた蛇が、奇声を上げた。
姿が膨れ、強靭で太い身を持つ大蛇となり、床を力強く這った。
視界を遮っている内に、ポケットに手を忍ばせた。
ーー陛下との距離は充分、巻き込みはない。
非常時に備えた、火爆の魔法薬。
それともう一つ、計二本の小瓶を新たに作り出した蛇に咥えさせ、仕掛ける。
大蛇がデヴォンを中心に、とぐろを巻く。獲物を締め殺さんと、自分の身が削れる程強く締め上げた。
「馬鹿の一つ覚えが!」
くぐもった声。それに次ぐ部屋を揺るがす衝撃。
内側から湧いた爪の斬撃は、鋭さを増して大蛇を引き裂く。
媒介にした血液が弾け、術が解ける。そしてデヴォンは、魔力の残滓が残った返り血を大量に浴びた。
「馬鹿はお前だ」
「……!!」
小さな破砕音。デヴォンの背後に、魔法薬を咥えさせた蛇が回り込み、小瓶を噛み砕いた。
熱を帯びた混合液が、蛇から吐き出される。
発動する前にと、異形の腕が変形し、全身を覆う。
「喰らえ」
腕の返り血に触れた瞬間、混合液が炸裂した。
「ぐあああっ!!」
返り血がまるで誘爆していくように、爆撃が腕を駆け巡る。
「なんだ、何をした!?」
「ただの魔法薬だ。水銀を混ぜた、な」
付け焼き刃が上手く嵌まった。
血液に混ぜた魔力と、魔法薬の成分が反発し、威力を底上げする。
「ゔゔゔっ!!」
苦痛に悶えるように、腕を押さえる。
焼け爛れる異形の腕が軋み、肉が裂けるような、耳障りな音を立てる。
ーー再生?何にせよ、効いている。
痛む足を動かし、前へ。
両手で掴んだ赤剣を、相手の脳天へ向けて打つ。
「舐めるな!」
咆哮と共に大きく振り回された腕、爆撃ごと吹き飛ばすような勢いに、剣が圧される。
強靭な、レッドキャップの髪と鋼で錬成された赤剣が、悲鳴を上げる。
ーーまずい、折られる。
そう直感する受け太刀の手応えがあった。
押し返す方向を変え、受け流す。すれ違いざま、腕に爪が掠った。
傷口に走る激痛。しかし退く訳にはいかない。
相手が前のめりになった懐に、鋭い突きを見舞う。
「はっ!」
「ぐうっ!!」
鳩尾に向け、確かに剣を刺した。
ダメージが無い筈はない。
しかし魔力に阻まれ、貫通までは至らない。
得体が知れない魔力が、強く体に巻き付いている。
致命傷を負わせるまでどれだけ掛かるか。
魔力切れや、行動不能を期待出来るとは思えない。
これは、逃走も視野に入れなくては。
しかし、そうはさせてくれない。デヴォンの血走った眼がロヴロを捉えた。
「本当に、気に食わないガキだ。そんなに死にたいか!」
デヴォンの喉、痣が広がる。どぶのような淀んだ魔力が溢れる。
腕や爪など比べ物にならない。部屋を埋め尽くさん程に肥大し、纏わり付いてくる。
触れて無事という保証はない。
マリアの元へ駆け出し、その身を抱えて離れるのが精一杯だ。
全身が震えるほどの悪寒、これは今殺すしかないと、本能が告げる。左目の疼きに、身を委ね、呪詛を紡いだ。
黒魔術『獄黒の薔薇』。
胸を締め付ける威圧感が、再び目を醒ます。
腕に巻きついた茨が伸び、何本もの鞭となってデヴォンに巻きついていく。しかし、魔物相手の時とまるで手応えが違う。
「おかしい」
ギチギチと縛り付けているのに、動きが止まらない。それどころか、魔力を吸い出している気配すらない。
「生命を奪う、か。罹患者らしい、邪な力だな」
しわがれた声、さっきまで喋っていたデヴォンの声とどこか違う。
立ち込めていた黒い魔力が晴れていく。
姿を現した姿に、全身が総毛立つ。
生物の根源的な恐怖に、足が震えた。
蒼星石から解き放たれた魔力を纏い終わった体躯は、まるで巨大な狼そのものだった。
蒼い双眸が、ギロリとこちらを睨め付ける。
勝てない。
そう冷静に頭が働く。剣を交えてどうこうなる次元ではない。
内に巣食う化け物に身を委ねた結果は、たった今目にした通り。
無理矢理にでも、増援を呼ぶか。今すぐ逃げるか。
腕の中で、マリアの肩が小刻みに震える。
無意識のうちに抱き寄せていた事に、今更ながら気がつく。そこでようやく、彼女の顔をしっかりと見た。
得体の知れぬ敵に怯え、命の危機を感じながらも、女王として屈するまいと、対峙しようとしている。
彼女は恐らく、戦う事を選ぶだろう。そう言い切れる気迫と覚悟が、彼女にはあった。
しかし、その覚悟はきっと、無為に終わってしまう。予感してしまった。ここでロヴロ自身が討たれ、そしてーー。
「陛下。少し乱暴ですが、あなたを学院へ転移させます。腕の立つ魔術師がいる所です。きっと安全でしょう。こいつは俺がなんとかします」
「何言ってるの、ロヴロ君!そんな事したら……」
マリアは望まないだろう。
子供一人を犠牲にするなんて。そう顔に書いていた。
だがこれだけ爆発や衝撃波が起きているのに誰も駆けつけてこない。他の者達も、足止めを食らっていてもおかしくない。
援軍を期待するのはあまりに楽観的過ぎる。
眉間に皺を寄せたマリアに、微笑む。
「陛下。理由は言えませんが、俺はそう遠くない未来に死にます。でも、あなたの死よりは、きっと軽い」
「未来?」
理解できよう筈はないが、それでも疑問を飲み込み、言葉を続けてくれる。
「いえ、そんな事ないわ。人の命に貴賤なんてないもの」
「……」
きっと本心であろう言葉。慈愛の滲んだ声に、つい笑みが溢れる。
人がついてくるのが分かる気がする。
故に尚更、自分と共に討ち死にさせる訳にはいかない。
マリアの手を取る。そしてすかさず、床へと魔法陣を張り巡らせる。
「すみません。身勝手ですが、どうかご無事で」
「ロヴロ君!」
転移の光が強くなり、マリアの姿が消える。転送を邪魔するかと思ったが、存外あっさりと送り出せたものだ。
視界の端でたてがみが揺れた。
次の瞬間には、爪が視界を覆う。
反射的に張った障壁が、ただの一裂きで、まるで何もなかったように崩れ去る。
下から斬り上げた抜刀は、厚い毛皮を滑るだけ。
最高硬度の魔術で貫けるのか、出来たとして、どれだけ魔力を使うのか、まるで分からない。
そんな筈はないが、無尽蔵かと思えてくる程に魔力が漲っている。勝つイメージがまるで湧かない。
思考がまとまる暇もなく、風が舞う。魔力感知に映った、見えぬ刃の影。
無数の爪撃が、縦横無尽に襲いくる。
『弾化』と『ブースト』で逃げ回っても、避けきれない。
「遺言はあれで良かったか?」
「わざわざ待ってくれるとは。姿だけじゃなく、精神まで男前になったか?」
「減らず口を。どのみち誰も逃げられんというだけだ」
「どういう意味だ!」
「さあな。今は自分の心配をしたらどうだ?」
狼の姿でも分かる、歪んだ笑み。
出し惜しみはしない、攻める。




