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67秘められた魔術

 顔に触れる、硬い感触。

 床に突っ伏していると気づき、身体を起こす。

 足下に真紅の絨毯が広がっているのを見るに、王城内だとは思うがーー。


「そうだ、陛下!」

「ここよ」


 振り返った先に、マリアはへたり込んでいた。側に転がった王笏、それに首に付けた首飾りの無事を確かめ、マリアはほんの少しだけ安堵の息を漏らす。


「ここは、占星の間ね。城の最上階の、星見の為の広間よ」


 マリアの無事は確認した。ならば次の懸念。

 あの場にいた、ルルとノクトの姿がない。ここまで用意周到なら、敢えて分断されたと考えるのが自然。


 相手の掌の上で踊らされるのは御免被る。今は合流か、退避が優先。


「とにかく、今はここを離れましょう。立てますか?」

「ロヴロ君、後ろ!」


 マリアの視線の先、ロヴロ自身の背後から気配が溢れた。へばりつくような歪な魔力。

 壁のシミ、そんな点が徐々に膨れ上がり、転送用の門へと変化した。


 現れたのは、血で汚れた白衣を羽織った、不気味な男。その頰には、まだ新しい生傷が浮かんでいる。


「久しいな。ブラッド、だったか?」

「デヴォン……!!」

 続く言葉を聞く気はなかった。


 『弾化』+『身体強化』を発動させ、一蹴りで背後へ。


「ッ!!」


 素首へ向け、抜き撃った一閃は、甲高い金属音と共に止められてしまう。

 白衣の内側に、薄い装甲。身体が固まった瞬間、杖が眼前に出されていた。


 閃光が杖先に灯る。

 魔弾!?


 反射的に上体を逸らす。だが、身体の動きが異様に鈍い。


「これは……!?」

「学ばん男だな」


 デヴォンの顔が嗜虐に歪む。


 魔弾はなかった。灯された光はフェイク、身体の力が抜けていく。

 原因の小さい生物が、視界の端にちらつく。


「この部屋に数匹、魔酔蚊を放っている。魔力の高い者を襲うように指示をしてな。しかしーー」

「麻酔蚊……」


 麻酔蚊の体液……確か……。


「常人ならすぐにでも意識をなくすんだがな、やはり罹患者か」

「また……それか」


 鬱陶しい呼び方をする。好き好んでそうなったのではない。


 力が上手く入らない。地面に這いつくばるしか出来ぬところを、容赦無く畳み掛けてくる。


「そうだ。お前には焼かれた恨みがあるんだったな!」

「ぐっ!」


 腹に蹴りがめり込む。呼吸が止まる程の凄まじい威力に、絨毯の上を転がる。次いで吐き気が押し寄せ、口の中に鉄の味が滲んだ。


「げほっ!」

「ロヴロ君!」


「おっと陛下、動かないで頂けますかな。あまり手荒にするなとのお達しでね」

「馬鹿な真似はよしなさい。こんなことをして、逃げられるとでも思っているの?」


 こんな狼藉を働く者達だ、そんな脅し文句で退いてくれる手合いではないのは明白。

 マリアは自身の虚しい抵抗に、歯噛みするしかなかった。


「流石は陛下。睨んでも絵になりますな」


 へらへらと笑いながら、マリアへと近づいていく。一歩一歩、少しずつ追い詰めるような足取りは、この状況を楽しんでいるようで、それが心底、腹立たしかった。


「くそっ……待て……」

「黙ってろ、お前は後でちゃんと殺してやる。だが今はーー」


 長刀の鋒が、マリアの肌の上をするりと滑る。首元で鈍く光った刃が、首飾りの接ぎ目を斬り落とした。国宝のネックレス、蒼星石が転がる。


「こっちに用がある」

「無礼な!それがどんな代物か分かっているのですか?」


「いや、お分かりでないのは陛下の方です。それは元々、我々が持つべき物だ」


 デヴォンは、緩慢な動きでそれを拾い、宝石だけを外して握り締めた。そして魔力を流し込むと、呼応するように蒼星石が光り出した。


「どういう事なの?」


 独り言が、マリアから漏れる。

 長い間、発動した形跡のなかった魔法陣が、何故デヴォンによって動き出したのか、と。

 古い皮膜が剥がれるように、石の厚い表面が剥がれ落ちる。


「ーーー!」


 途端、胸が締め付けられる程に濃い魔力が、部屋中に溢れ出してくる。際限など無いかのように。


 しかしそれより何より、視界に飛び込んだ光景に、目が離せなくなった。

 まるで心臓を掴まれたような不快感が押し寄せる。


 男の喉に、先刻まで無かった筈の痣が。


 百合を象った紋様が、狂い咲いた。


 蒼星石から解き放たれた何かが混ざり、デヴォンの魔力が飛躍的に上がった。


「蒼星石が……これは一体……」

「ははっ、ははははっ!素晴らしい!この力、想像以上だ!」


 あの石が何なのか、こいつ等が何をしたいのか、皆目分からない。分かるのは、状況が悪くなっている事だけ。


 止めようにも、体は依然として重い。そしてこの、腹の底から湧き上がる、悍ましい感情が、冷や汗が、まるで止まってくれない。


 何とかしなくては。

 その一念に突き動かされたのは、寧ろマリアの方であった。


 デヴォンが石に気を取られている隙にと、覚悟を決めたマリアは王笏をゆっくりと動かし、狙いを定める。

 魔力が集まり、高熱を帯びる。敵を穿つ強力な砲撃が、音もなく放たれる。


 背中を取った。そう確信した一撃はしかし、デヴォンの体を逸れて天井を穿った。


 屋根を砕く轟音が弾け、焼け焦げた瓦礫がガラガラと崩れ落ちてくる。

 そのどれもが、不思議とデヴォンを避けた。


「ほう。簒奪の血筋にしては良くやりますな。それに、王笏も国宝だった。侮れない威力ですな。悪魔から力を借りていなければ、風穴が空いていたのは俺の方だったでしょう」


「簒奪?それに悪魔?一体、何の話をしているのですか?」


 マリアの問いに、デヴォンは憐憫にも似た情を向ける。


「何も知らぬとは、嘆かわしい。いや、それも当然か」

「何をしようと、貴方達は国宝を盗み、民を傷つけたのです。今にも、ここに冒険者や衛兵が押し寄せてきますよ」


「おめでたい事を。そうさせない為の仕込みをしたに決まっているでしょう。だからこそ、あんな勇者気取りの馬鹿なガキを拐かしたのですから」


 勇者気取り、一人の顔が浮かぶ。

 過去に、マリアに求婚してきた妙な男。


 追い払った時はなんとも思わなかった。しかし隣国の女王へのしつこい求婚。それが一度追い返されただけで、その後の話は聞かなかった。


 すんなり諦めた事への違和感はあったが、まさかこんな事態を招くとは。


「尤も、あいつはただの、ラミアが城に細工する為の囮。お陰で今日の潜入は楽にいった。あの男も今頃、俺の部下が始末しているでしょうが」

「なんですって……」


「何故そんな顔をするのです?あんな器の小さい男に迫られる心配がなくなったのです。感謝して欲しいくらいですな」

「貴方達は、人の命を何だと……ゔっ」


 デヴォンの、歪な魔力で変色した腕から、殺意が迸る。それがマリアの首を絞めた。まるで赤子の手を捻るように。


「ああ、五月蝿い。あまり喚かないで貰えますかな。うっかり喉を潰してしまいそうになる」


「陛下……」


 片腕で、マリアが軽々と持ち上げられる。それは蒼星石の力なのか。だが相手の力の根源など、些末なもの。


 そんな事より、今はーー。


「計画にはありませんが、どうせなら民衆の前に、女王の首を晒すのも一興でしょうな。その方が、我々の名を広める良い見せしめとなるでしょう」

「……うあっ……ゔぅ……」


 過去の光景が、重なる。

 シーを危険に晒してしまった、あの戦闘を。

 地下の研究施設で息絶えていた、少女の亡骸を。


 ーーこれ以上、奪わせてたまるか。


 深く深く突き刺さる、確かな殺意。それを感じ取ったのは、他でもないデヴォンであった。


「ッ!!」


 蒼星石からの魔力を受け、力が湧き上がった身体。だというのに、その強化された肉体が斬り落とされる感覚に、思わず手を離し仰け反った。


 血で染まったような刃が、虚空を斬り裂く。身体が怖気た事実を、デヴォンは受け入れられずに固まっている。


 ーー何故、動ける?


 揺らぐ瞳に映るのは、ふらふらと立ち上がるロヴロの姿。


 魔界での、ルルのスパルタが活きた。


「魔酔蚊の分泌液は、血液に溶ける。なら、血を抜けば良い。もっと不意を突くタイミングで使いたかったけどな」


 対策を知っている者なら、魔酔蚊の対策は難しくはない。

 だが言うは易し、驚くべきは赤黒い刃、その出所。デヴォンの顔が理解出来ないと曇った。


 剣が貫通し、鮮血を垂れ流す脚が、そこにはあった。


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