死か3日しか
「ところで、人のいる場所ってわかるの?」
『私には生命活動を感知する装置が組み込まれている。半径10メートル以内の人間を感知できる』
「10メートルかぁ……狭いなぁ」
『半径だ。直径ならば20メートルになる』
「もう、そのくらいわかってるわよ」
『そうか』
鈴を肩に乗せたまま、アークはのしのしと道を歩いて行く。前に鈴が必死で逃げてきた道だった。
今は、その時のような恐怖はない。
ゾンビは鈴を追いかけて街から現れた。ゆえに今はこの道にゾンビはいない。
だが、だから怖くないわけではない。
「えへへ……」
『どうした?』
「なんでもない。ちょっと……ね」
『そうか』
「なんかアークってそればっかだよね」
『そうか』
「ほら」
『……』
ずし、ずし、重厚な足音だけが響く。
「……もしかして、怒った?」
『そんなことはない。気に入らないようなので言うのをやめただけだ』
「気に入らないわけじゃないよ」
『そうか』
鈴はまた笑った。
「……そういえば、今って何年?」
『西暦か? それならば2030年だ』
「にせん……さんじゅうねん……」
反芻するように、呟く。
自分が冷凍睡眠した2011年から、20年近く経っていることになる。
それでも、100年後などではないだけ気持ちが楽だった。
「そっか……そんなに経ってたんだ……」
『どういうことだ?』
「あ、言ってなかったね。あたし2011年に冷凍睡眠してたの」
『そうか』
「そうだ。このその間に何が起こったか教えてほしいな。……何でゾンビばっかりなのかとかも……」
『了解した。2012年4月、大牟田内閣誕生。消費税が10パーセントになる……』
「あ、いやいや、そんなに細かくなくていいから。っていうかやっぱりゾンビの理由だけでいいや」
鈴が苦笑して言う。
『こうなってしまったのは、1年ほど前からだ』
「えっ?」
想像していたより、遙かに最近だった。周囲の荒廃ぶりも、たった1年のこととは――
『ゾンビとは、そもそも万能薬として開発されたウイルスが突然変異したものに感染した者なのだ』
「万能薬……? とてもそうは思えないけど……」
腐り、ただれた姿を思い出し、少し胃酸が上がって来た気がした。
『そのウイルスは、寄生虫のように宿主の体調を整えようとする働きがあった』
「寄生虫って体に悪いんじゃないの?」
『種による。ものによっては花粉症を治したりすることだってある。そのウイルスは、まさにそちらに属するものだった』
「へえ……」
アークが語ったところによれば、そのウイルスは宿主が死ねば自己の増殖が妨げられてしまうために、がんをはじめあらゆる病気を治してしまうのだという。
「それがなんで……」
『突然変異だ。ウイルスとは突然変異しやすいものなのだ。インフルエンザにすぐにワクチンが効かなくなるのと要は同じ。トキソプラズマという寄生虫を知っているか?』
「知るわけないでしょ」
知るも何も、聞いたことすらなかった。
『猫の寄生虫だ。もとはネズミに寄生しているが、その脳を操り、猫に食べさせる。そして猫に寄生する。その上、猫にキスなどをすれば、人間にも感染する。感染した人間は性格が変わると言われている』
「うげ……」
鈴は猫好きだが、なんだか今後猫と接する際に気になりそうだった。
出来れば知らない方が幸せだったかもしれない……。
『前述の変異したウイルスはそのトキソプラズマと近い性質をもっていた。人間に感染し、脳を支配してしまう。その結果思考が奪われ、いわゆるゾンビと化してしまうのだ』
「そんな……」
鈴はアークの首にもたれかかるようにへたりこんだ。
「ところで、具体的にはどこに向かってるの?」
『ラボだ。この病気が発見され、その研究を行っていた施設になる』
「ええ? そこの方が危険なんじゃないの?」
『だが、最高クラスの衛生対策が施されている以上、そこが最も生存者のいる可能性が高い』
「なるほど……」
確かに、ウイルスによる感染ならば、その専門機関が一番ウイルスの侵入に厳しい。
「で、それどこなの?」
『久目市郊外だな』
「ん~、微妙に遠いなぁ。このペースで着くの?」
久目市は、この虹市からもっとも近い市だが、それでも数十キロ先だ。
このままのしのし歩いていては、数日かかる。
『車を調達する。出来れば土木作業用のトラックがいい』
「トラックかぁ……でも動くかな」
『ゾンビは運転などしないからな。ガソリンは残っているだろう』
そうこうしているうちに、一行は市街地に差し掛かっていた。当然ながら、ゾンビたちも集まってくる。それも一体や二体ではない。
無数のゾンビたちが、『ああああ……』と千鳥足でのろのろと近寄ってくる。
「ひっ……」
『心配ない。しっかりつかまっているんだ』
アークは進路上のゾンビを手で振り払い、まるで歯牙にもかけず進む。
「す、すごい……」
先ほどまで自分があれほど必死に逃げていたのがバカバカしく思える。
相手は元人間であり、牙や爪もなく、身体能力は前より遥かに落ちている。
つまり、アークがいる限りゾンビたちは鈴に危害を加えることが出来ないのだ。
「でも……」
だが、だとするならば疑問が一つ残る。
「……逃げられないこともないくらいなのに、何でこんなにゾンビが……?」
映画では、基本的にゾンビに噛まれたり引っ掻かれたりしたら感染していた。
逆に言えば、逃げきれるのなら感染はしないということだ。
それでも感染しているということは――
『どうした鈴? 顔色が悪いぞ。体調が悪いのか?』
「……え?」
『顔面蒼白だ』
「あ、いや……うん。ちょっとゾンビが怖くて……」
『心配はいらないと言ったはずだ。私のデータベースには土木建築業ならびに土木作業機械のリース業の会社の位置も登録されている。すぐにトラックは見つかる』
話しながらも、アークはゾンビを蹴散らしていく。
『しかし、妙だな』
「どうしたの?」
『私の持っているデータ上のゾンビはここまで動きが素早くなかった』
「そう? 結構遅いと思うけど……」
事実、鈴でも逃げ切れるくらいの速度である。成人男性の走る速度に比べれば、相当に遅い。
『私が作られたのは発症のケースが報告されはじめてすぐだ。その時点ではのろのろとやっと動くレベルだった。だが見る限り、もうほとんど人間並みの行動が出来るようになり始めている。それに個体によっては腐敗の程度が少なく、動きの素早いものもいる』
「そういえば……」
群がる千鳥足のゾンビのほかにも、人間並みに俊敏なものもちらほら見かける。
考えてみると、鈴一人で逃げていた時にもやたら足の速いゾンビがいた。
『腐敗は変異したウイルスが繁殖のために免疫機能をマヒさせることから起こる。その腐敗が少なくなっているということは、体機能が回復し始めているということと考えられる』
「じ、じゃあ元に戻るってこと!?」
『わからない。それだけのデータがない。最も可能性が高いのは脳を完全に支配したウイルスが活動範囲を広げるために肉体を修復し始めたということだ』
「そんな……」
がくりと肩を落とす鈴。そんな鈴を乗せたままそのままアークはのしのしと歩き、建設会社の駐車場まで辿り着いた。
トラックも止まっている。長らく使われていないため、黄砂などが窓につき、まるできなこもちのように粉がふいていた。
『おおおお……』
やはりここにもゾンビはいた。ぼろぼろの作業着を着た男たちのゾンビだった。
元は屈強な作業員だったのだろう。だがアークの腕の一振りで面白いほど飛んで行き、建物の壁に叩きつけられていき、あっという間に排除された。
『トラックに乗るんだ』
アークはその肩からゆっくり鈴を下し、トラックのリアガラスを割ってドアを開けた。
「でも……カギがないけど……」
『これをカギ穴にさしてくれ』
アークの指先から、金属のワイヤーのようなものが伸びた。引っ張ると、掃除機のコードのようにどんどん出てくるので、そのままハンドル横のカギ穴に押し込む。
するとワイヤーがねじれ、ぶるん、という音と共にトラックのエンジンがかかった。
「やったあ! それじゃ早く行きましょ。音でまた寄ってくるかもしれないし」
鈴は助手席に腰を下ろし、言った。
『私は荷台に乗る』
「へ?」
『私の体では乗り込めないからな』
「じゃ、じゃあ運転は誰が?」
『君だ』
「無理無理無理!」
鈴は両手をばたつかせて叫ぶ。
それはそうだろう。年齢的にも、免許はもちろん運転などしたことなどあるわけがない。
おまけにこのトラックはミッションである。
『手順は教える。これしか方法がない』
言いながら、アークは荷台に乗ってしまった。
「そ、そんなこと言われても……」
『ギアを踏み、アクセルを踏みながら回転数が上がってきたらギアを離すんだ』
「もう手順の話!? っていうかどれがギア? これ?」
鈴は思い切り足を伸ばし、適当にレバーを踏んでみる。
『それはブレーキだ』
「わかんないよーー!」
『いかん。エンジン音を聞きつけて奴らが集まり始めた。早く行くぞ』
「そ、そんなこと言われても……」
慌てながら、ほとんど勘で車を操作する。
ぶるん! ふぁーん!
「わあっ!」
車は一気に発進、シートベルトをしていなかった鈴はハンドルに頭をぶつけ、クラクションが鳴った。
「いてて……もう!」
『とにかくここを出るんだ。道路に出てからは私がナビゲーションする』
「う、うん」
ぎこちない動きながらも、トラックは進み始めた。何しろ鈴の身長では足をアクセルやブレーキに伸ばすと、視界がハンドルなどに遮られよく見えない。
初めての運転に加えて不自然な体勢であるので、どこかチョロQのような動きで塀などにぶつかりながら敷地内を出た。その間にもゾンビは集まってくる。
『ファイア』
アークが腕を伸ばすと、手首から砲身が飛び出し、ミサイルのようなものを射出した。
それはゾンビたちの足元に着弾し、思い切り吹き飛ばす。
「す、すご……」
『そのまま道なりに進むんだ。大きい道に出たらまた指示する』
「ら、らじゃー……」
そうしておっかなびっくり車は走って行く。
「うわぁ……」
鈴は思わず声を漏らした。久目市についた一行を待ち受けていたのは、悲惨な街の現状だった。大火事でもあったのだろう。建物の多くが焼け落ち、その後を植物たちが覆い、まさに廃墟といった具合だった。
「こんな中で、ラボ大丈夫なのかな……」
『あの施設は郊外だ。火事の影響は少ないだろう』
「う、うん……」
一抹の不安を覚えながら、鈴は車を――だいぶ運転にも慣れてきた――ラボへと走らせた。
ラボは郊外、それも田畑や野球のグラウンドの側にあり、その姿は遠くからでもよく見えた。外観には蔦が巻きつき、ところどころ壊れているようにも見えるが――
「大丈夫かなぁ……」
ゲートは開きっぱなしになっていた。中へ車を進めてみるが、人の気配はない。
「ねぇ、アーク。生命反応がわかるんだよね?」
『シェルター内などセンサーを遮るものの中に入っていれば、反応しない。入ろう』
「ええっ!?」
ラボは、ホラー映画によくあるような廃墟、或いは廃病院にしか見えない。
次々殺されていくホラー映画のイメージが、鈴の中を駆け巡った。
『心配ない。私がついている』
半ばアークに押し切られるように、鈴はラボの中へと入って行った。
と言っても、入口の自動ドアは動かないので無理やり手でこじ開けたのだが。
とりあえず玄関ホールにはゾンビはいないようだった。
『インフォメーションのボードによれば、最高レベルのウイルス研究用のエリアは向こうだな』
のしのしとアークは進む。その後ろから、おっかなびっくり鈴がついていく。
廊下も人影はおろか気配すらない。
なんの障害もなく、一行はあっさりと研究エリアまで辿り着いた。
そしてそのドアを開き――
「きゃっ! な、何……これ……」
中には、死体。
死体死体死体。
白衣を着た死体が、いくつも転がっていた。
『ゾンビではないようだな』
「な、なんで……」
『わからない。情報が少なすぎる』
研究エリアは、ガラスに遮られた実験室と、それを観察する部屋、そしてコンピュータルームから成っていた。
『電力は来ていないようだが、私の電源を使ってコンピュータを再生してみよう』
アークの指先からコンセントプラグが出てきた。それをコンピュータの一台につなぐと、ぶうん、と音を立て、コンピュータが起動する。今度は別の指からケーブルを取り出し、ポートにつないだ。
「どうするの?」
『生きているネットワークがないか調べている。もしそれらがあるならば、生存者のいる可能性がある』
キーボードではなくポートからの直接入力なので凄まじい速度で情報が検索されていく。
『生きているネットワークを検知した』
「えっ!」
鈴は顔を綻ばせたが――
『しかし1年程度なら無人でも動く場所のものに限られている。詳しく調べてみねば生存者の有無は判断できない』
「……」
鈴はむくれてそっぽを向いた。
だが、アークがそれを気にした様子はなく、結局鈴の方が折れてまた向き直った。
『接続した。ここと交流のあった上位の研究機関のネットワークだな。情報を収集する』
ういいん、と低く唸りを上げたのは、アークの方だった。その機械の瞳を緑色の光が横に流れて行く。ポートを通じ彼の内部でデータ処理が行われているのだ。
「どう?」
『そちらの研究機関のコンピュータが予測した現在の生存者は0だ』
「え?」
『このウイルスは感染力が桁違いで、感染者の増殖は等比級数的であり、1が2に、2が4に、4が16に、16が256に、256が65536に、65536が4294967296になる。あくまで単純計算でだが、一週間もあれば全人類が感染することになる。有効な治療法もなく一年が経過した。ゆえに生存者は0という予測だ』
「う……そ……」
それはつまり、全人類がゾンビ化したという事――
『あくまで計算上だ。シェルター等にこもっていればその限りではない』
「で、でも……」
『治療薬が完成していれば問題はない』
アークはそう言ったが、鈴にだってわかっていた。
もしそんなものがあるならば、今頃ゾンビだらけになってなどいない。
『向こうの機関の治療薬に関してのファイルはネットから切り離されているようだ。こちらのコンピュータを検索する』
幽霊のように青ざめた表情のまま、鈴はアークの体ごしに画面を覗き込んだ。
たくさんのウインドウが開いては消えていく。
「なに……これ……」
『研究日誌のファイルを探している』
やはり高速でファイルの整理と検索が行われていく。
『これだな』
【・2029年4月1日
エリキシルウイルス‐A2型の研究の結果、感染から発症までおよそ72時間――即ち3日間であることが判明。また、接触感染及び飛沫感染ではなく空気感染であると判明。
感染は等比級数的に増大し、現時点で国民の80パーセントが感染していると考えられ、その圧倒的な感染力に対し、治療薬の開発は明らかに間に合わない。
抗生物質に耐性菌が生まれるように、どんな病でも人類を絶滅させることはできない。
必ず対抗できる免疫系をもつ人間がいるからだ。
だが、このウイルスは違う。
赤血球に擬態し、脳に侵入する。ゆえに免疫系をすり抜けてしまう。
そうして意識だけを奪い、脳を支配するのだ。
あと一週間もたたないうちに地球の全体に広がるだろう。
我々も感染していることが発覚した。
しかし、ゾンビにはなりたくない。我々は薬品で脳を破壊するつもりだ。
この記録を見る者がいるとは思えないが、残しておく。
我々の無力を許してほしい】
「……」
『治療薬は出来なかったようだな』
「な、何でそんなに冷静なの! 空気感染するんだよ! ……だったら……だった私は……」
鈴は顔面を真っ青にし、叫んだ。
『私はそのように作られた』
「で、でも……」
『検査機械があるようだ。気になるようなら調べてみるか?』
「……」
鈴は浮かない顔のまま、促されるように検査キットを扱った。
血を抜き、シャーレに移し、電子レンジのような機械――これも電源はアークから――に入れてしばし待つ。
そうして出た結果は――
・《陽性》
「あ……」
予想していた通りの結果。
しかし、その衝撃は計り知れなかった。
その場にくず折れ、へたり込んでしまう。
感染が目覚めた時だとすれば、今日を入れてもあと3日で自分もゾンビになってしまうのだ――
『大丈夫か』
「……」
鈴は答えない。鈴からの要請がないためアークも喋らない。
静寂が場を支配した。
と、そこに――
『ううううう……』
白衣を着たゾンビが部屋に侵入してきた。どうやら自殺しなかった研究員もいたらしい。
『鈴、私の後ろに隠れているんだ』
それでも鈴は答えない。動かない。
それにアークは怒ることもなく、のしのしとゾンビの方に向かい歩いて行き、いつものようにその拳の一振りで吹き飛ばした。
『ここは危険だ。脱出するぞ、鈴』
やはり鈴は動かない。
『やむを得ない。生命保護を最優先する』
アークは鈴を持ち上げ、そのまま空いた手で壁に拳を打ち込んだ。
轟音とともに壁が粉砕され、大きな穴が出来た。アークはそこを身をかがめくぐっていき、また壁があれば粉砕する。
「な、何を……」
流石に鈴も口を開いたが、
『保護対象の協力なしで遠回りするのは危険だ。最短ルートで脱出する』
「ちょ、ちょっと……」
鈴の言葉などお構いなしにアークが壁をぶち割り、外に脱出したのだった。




