騎士仮死黙示
少女の名前は、三十木鈴。
彼女は幼い頃から、体が強い方ではなかった。
それでも普通の生活を送っていたが、2010年、13の誕生日を迎えようかという直前、現代医学では手の施しようがない、遺伝子に起因する不治の病を発症した。
以後、1年近く闘病を行ってきたが、症状は悪化の一途をたどり、余命いくばくもないことを告げられた。
そんな折、新開発された冷凍睡眠の話を聞いた。
不治の病もおそらくいつかは治療法が確立される。
ゆえに、その未来まで仮死状態にすることで病気の進行を止め待つという装置だった。
いつでもそうだが、日本では新薬や新しい医術は認可されるまでに時間がかかる。
それを待っていては間違いなく死ぬ。
彼女はダメもとで開発した医療機器メーカーに頼み込んだ。
もちろん違法行為であり、人体実験のそしりを受けることになるメーカーは渋った。
だが、死に直面した少女の執拗な必死の頼みに、ついに折れることになった。
秘密裏に取引先の病院の一室に冷凍睡眠装置を設置し、彼女をそこで眠りにつかせた。
そして――
「……タチの悪い映画みたい……」
目を覚ました彼女の前に居たのは、腐敗した人間――即ちゾンビだったのだ。
解凍直後のぼんやりした頭に降りかかった異常事態何が何だかわからない鈴ではあったが、病院から逃げ出し、廃墟の影で一息ついた頃ようやく落ち着いてきた。
「ええと……今って……未来よね」
辺りを見るが、少なくとも2011年などではないようだ。
管理する人間がいないためか、汚れ、植物やコケが生い茂り、或いはひび割れ、全焼や半焼した建物も多い。むろん電気も通っていない。
どれもそれなりの年月を感じさせる。
「それで……B級映画みたいにゾンビが溢れてて……」
もう、涙も出ない。
むしろ、
「はは……」
乾いた笑いが出た。
冷凍睡眠する時、不安だった。両親や友だちとも会えなくなるかもしれない。
だが、放っておいても病気で死ぬ。
だから、勇気を出して冷凍睡眠に臨んだ。
目覚めたときの、幸福な未来を夢見て。
なのに――
「こんなのって……ないよ……」
俯く鈴。
その耳に、またしてもあの音が聞こえてきた。
それも、一つではない。
ぺた。ぺた。ぺたぺたぺたぺた……
「もう、やだよっ!」
鈴は起きあがり、走り出した。既に周囲にはたくさんのゾンビが集まって来ている。
市街地の方に向かえば、だれか生きている人がいるかもしれない。
しかし、間違いなくゾンビはもっと多いはずだ。
とにかく今はここを離れることが先決だった。建物の少ない方へ逃げて行く。
アスファルトを突き破り、ところどころ草が生えている道をひたすら逃げた。
その後ろからのろのろとゾンビはついてくるが、捲けない速さではない。
だが、走り通しで速度はどんどん落ちて行く。
一方ゾンビは無限の体力だ。
その差は縮まっていく。
「はぁはぁはぁ……」
必死で走る。そこでふと鈴は思った。
全力で走ったのはどれほどぶりだろうと。発症してから、一度も走っていない。
冷凍睡眠の直前には、もうベッドから起きあがることすらできなかった。
だが、今は走っている。走れている。
不思議だった。
走るなんて夢のまた夢だったはずなのに。
走るのは苦しい。
だけど、どこか気持ちが良かった。
治っている。走れる。
こんな絶望的な状況でも、それだけが嬉しくて。
走った。力の限り走り続けた。
それでも、ゾンビは追いかけ続けてくる。
足の遅いゾンビが捲かれ、その代わり足の速いものだけがついてくる。
どうやら腐敗の具合に比例するらしい。腐敗が少ないものは動きが速い。
ぺたぺたぺたぺたぺた……ぺたぺたぺたぺたぺたっ!
「ひっ……」
もう走れない。しかし、手が伸びてくる。
鈴は体を捻ってかわそうとしたが、道を踏み外してしまい斜面から転げ落ちてしまった。
崖というほどではない。だが、全身をすりむき、また背中を強打して呼吸が一瞬止まる。
「う……ぐ……」
『あああ……』
上からはゾンビたちも転げ落ちてくる。
鈴が痛む体を無理やり起こすと、その眼の前に建物が見えた。
かなり大きい。もとは何かの工場だったのだろう。
蔦に覆われ、苔むしているが、僅かに灯りがともっているようにも見える。
「ひ、人が……?」
鈴は這いずるようにその建物に向かった。
かつては鉄のゲートで閉じられていたのだろうが、それもひしゃげ穴が開いている。
そこに体を潜り込ませて彼女は中に入る。
ゾンビたちは我先にとその穴へと入ろうとするためにすし詰めになり、肉がえぐれようとも前に進もうと蠢いている。
もう倒れそうになりながらも鈴は建物の入口に向かう。
「あ」
やはりドアの横には赤色灯がついている。つまり、電力が供給されているということ。
一縷の期待を込め、鈴はドアの前に立った。
鈴を感知し、自動ドアが開く。やはりきちんと電気が通っている。
「だ、誰か、助けて下さい!」
入るなり鈴は叫んだ。
「あたしは人間です! ゾンビじゃありません! だから、助けて……」
しかし、返事はない。施設内は静まりかえっていた。
「だ、誰か……」
泣きそうになりながら、鈴は施設内を歩きはじめた。
観葉植物がいくつか置かれているが、誰も管理していないのか枯れている。
中はかなり広い。テニスコートが四面くらいはゆうに入るだろう。
突きあたりのドアをくぐると、機械の工場なのかベルトコンベアがあった。ただ、動いてはいない。
奥の方に大きな機材や、組みたてかけの材料なども見える。
更に奥の壁には銀色の騎士の鎧がまるで磔の罪人のように鎖で吊るされていた。
その鎧は相当に大きかった。
もし人間が纏うものなら、中の人間は三メートル近くなくては寸法が合わない。
「なんだろう……あれ」
鈴はそれに向かい近づいて行く。
ぶぅん、
「……?」
奥から小さな音がした、ように鈴は感じた。
「誰か……いるんですか……?」
おそるおそる鈴は進み、鎧の前まで着いたが、その中に誰かいるわけでもないらしい。
「誰も……いないんだ……」
ぺたんと鈴はその場にへたりこんだ。
一度止まってしまったら、もう立っていられなかった。走り通しだった足は、棒のよう。
と、そこに、ぺたぺたぺたとあの音が近づいてくる。
ゾンビたちだ。あのゲートを無理やり通って来たせいか、体中傷だらけだが、痛覚すらないのか構わずわらわらと近寄ってくる。
鈴は動けない。動かない。
「……もう、どうでもいい……」
どうせ自分は死んだようなものだ。たまたまちょっとそれが延びただけ。
だから、今さら――
ぽろ、涙が零れ落ちる。
「……え?」
諦めた、はずなのに。
でも――
「やっぱり……死にたくない」
呟いた。
「死にたくないよお……」
呟いて、気づいた。
「やっと病気から解放されたのに、こんなところで死にたくなんかないよおおっ!」
『ああああ……』
ゾンビたちは鈴の叫びなどお構いなしに走りよってくる。
白目をむき、涎を垂らしながら。
「いやああああああああああああああっ!」
鈴の声は誰にも届かない。
いや――
『WOOOOOOOOOOO!』
重低音の声が響き渡る。蒸気が噴き出し、金属の破砕音とともに、何かが飛び出した。
「え?」
めきゃあ! 鈴に迫っていたゾンビが吹っ飛ばされた。
ごきゃ、しゃがっ! 次々とゾンビが吹き飛ばされる。
あっという間にゾンビたちは壁に叩きつけられ、動かなくなった。
「だ、誰……?」
蒸気で覆われた視界。僅かに見えるのは、大きな影。
『怪我はないか』
蒸気を切り裂き、差し出されたのは巨大な手。白く輝く、銀の手だった。
「あの……鎧?」
鈴は、その手を取って立ち上がる。
「え? きゃっ……」
すると、そのままひょいと持ち上げられてしまった。乗せられたのは、大きな肩だった。
『心配はいらない』
フルフェイスの兜から、緑色に光る目がウインクをした。
「ロ……ロボット?」
『肯定だ』
「誰が操縦してるの……?」
『私は自律型だ』
「自律……型?」
『人工知能により動く、パイロット及びオペレーターを必要としないタイプの機体だ』
「そう、なんだ……」
鈴は顔を曇らせた。パイロットがいないということは、人がいないということ――
「でも……何で助けてくれたの?」
『私は発病者から人間を守ることを命令されている』
「誰に?」
『制作者だ』
その言葉を聞いた鈴は顔を輝かせ、
「その人に会わせて。お願い」
『それはできない』
「え?」
『彼らは全員発症した』
「……!」
息を呑む声が、自分でも聞こえた。
「そんな……じゃあ、他に人は……?」
『少なくともここにはいない。人が危険にさらされれば私が起動するようになっている。逆に言えば今起動したということは人がいなかったということでもある』
鎧ロボットが正確に事実を言えば言うほど、鈴の顔は曇っていく。
『どうした? 大丈夫か。怪我をしていたのか?』
「……」
『返事がない。危険だ。医療機関へ向かわねば。データによれば最寄の病院はすぐ側……』
「ダメっ! 大丈夫だから!」
鈴は鎧ロボットの首にしがみついて叫んだ。
病院はゾンビの巣だった。あんなところには戻りたくない。
『そうか』
「……病院はいいけど……これからどうするの?」
『私は人間の命令に従うようになっている。上位系統の指令者がいない以上、あなたの命令が私の行動を決定する』
「あたしが……決めるってこと?」
『その通りだ。私は命令通りに行動する』
「どんなことでも?」
『性能の範囲内でならば』
それを聞いた鈴は額に指を当てて考え始めた。
どれくらい時間がたったのだろう。その間、鎧ロボットは一言も声を発しなかった。
「あたしを、人間のいるところに連れて行って」
『了解した』
鈴を肩に乗せたまま、鎧ロボは歩きだした。
「あ、そういえば……」
『何だ?』
「あなたの名前は?」
『私の開発コードはGD‐1。開発者は、アークと呼んでいた』
「アークね。あたしは鈴。よろしく」
『了解した』
感情なく、アークが言う。
「もう、雰囲気ないんだから。せめて愛想よく言ってよ」
『善処する』
答えたアークの声はやはり感情のない無機質な声で、
「ははっ、はははっ」
鈴は、久しぶりに笑顔を見せた。




