第三十一話 あなたのお好きなほうに
ジョナサンが話し終えるまで、思っていたより時間がかかった。
青い羽根の話から始めたはずが、途中で衣装へ戻り、キャサディの部屋へ移り、アプリコットが南部の水路を調べ始めた頃には仕事の話まで混ざった。
どれも一つだけなら、どうして離縁したいのかと聞かれて困る程度のことなのに、順に説明していくと、自分が何年も見てきたものだけは少し形になる。
アザリアは途中で口を挟まなかった。
リーフェル伯爵も急かさず、オルスタイン侯爵は時々確認を入れた。侯爵夫人だけは、キャサディの名が出るたびに卓上の扇を持ち直した。
「つまり」
最後まで聞いたリーフェル伯爵が、膝の上で指を組んだ。
「娘がアプリコット夫人を真似することそのものより、その真似が生活の中へ入り続けるのが苦痛なのですな」
「はい」
「そして、娘自身が何をしたいのか尋ねても、結局またアプリコット夫人へ戻る」
「そうです」
やっと通じた。そう思った途端、伯爵はアザリアへ向いた。
「なら、やめなさい」
ジョナサンは顔を上げた。アザリアも一瞬、目を丸くする。
「お父様?」
「服も、仕事も、子供の時期もだ。アプリコット夫人が何をしているかを基準にするのをやめなさい」
「……はい」
「新聞の記事も、必要以上に集めることはない」
「はい」
あまりに素直な返事だった。
リーフェル伯爵夫人も、娘へ言葉を重ねた。
「ジョナサン様が嫌だと何度もおっしゃっているのでしょう。あなたが悪気なくしていることでも、相手が嫌なら控えることはできますね」
「分かりました」
「それから、夫婦のことは先にジョナサン様へ聞きなさい。今回のように実家へ相談するなという意味ではありませんよ。ただ、何を考えていらっしゃるか分からない時に、こちらで答えを作らないこと」
「はい、お母様」
アザリアはそこでジョナサンを見た。
「ごめんなさい、ジョナサン様。わたくし、もっと気をつけますわ」
父も母も、それで少し息をつく。オルスタイン侯爵まで、息子へ向かって言う。
「まずはこれで様子を見ればいいだろう」
誰もおかしなことは言っていない。
妻が夫の嫌がることをやめる。夫は妻に何が嫌なのか説明する。分からなければ話す。
……それで直るなら、最初から苦労はしなかった。
ジョナサンはそう言いたかったが、何をどう言えばよいのか分からないまま口を閉じた。
*
翌朝から、アザリアは本当に変わった。
朝食に出す花を選ぶ時、以前ならアプリコットが春に好んでいた白い小花を指したところを、庭師が持ってきた三種類の中から黄色い薔薇を選んだ。
「こちらでよろしいですか?」
家政婦長に尋ねられると、少し考える。
「……ジョナサン様は、どちらがお好きかしら」
「若旦那様でございますか」
「ええ。食堂のお花ですもの。お好きなほうがよいでしょう?」
家政婦長は困った。ジョナサンが食卓の花に好みを言ったことなど、ほとんどない。
「私どもでは存じ上げません」
「では、聞いてみますわ」
その日の夕食前、アザリアはジョナサンを廊下で捕まえた。
「黄色い薔薇と白い鈴蘭なら、どちらがお好き?」
「何だ、急に」
「食堂へ飾る花ですわ」
「どちらでもいい」
「どちらかなら?」
「……黄色」
「分かりました」
それだけで、アザリアは嬉しそうに去った。
夕食の食卓には黄色い薔薇が飾られていた。悪いことではない。
*
翌日は茶だった。
「こちらとこちら、どちらがお好き?」
「僕はいつもの茶でいい」
「ですから、いつもの中でも、どちらがよりお好きなのか知りたいのですわ」
次は肉料理。
その次は寝室のカーテン。
客間の花瓶。
馬車の座席に置く敷物。
ジョナサンが夕食後に読む新聞。
休日に庭を歩くなら午前がよいか午後がよいか。
アザリアはもう、アプリコットの名前を出さない。代わりに、何でもジョナサンへ聞くようになった。
「あなたは、どうなさりたい?」
「どちらを選びます?」
「あなたがお好きなほうにいたしますわ」
父は満足した。
「よくなったではないか」
母も、少し警戒を解いた。
衣装部屋の鍵はそのままだったが、アザリアが無断で入ろうとすることはなくなった。必要があれば先に尋ね、駄目だと言われれば引き下がる。
家政婦長も、以前より仕事がしやすくなったと言った。
ジョナサンだけが、何か違うと思っていた。
以前は、アザリアが何を見ているのか分かった。
――新聞のアプリコット。
――舞踏会のアプリコット。
――研究所へ向かうアプリコット。
今は、それが見えない。
*
ある夕方、ジョナサンは寝室へ戻る途中で、アザリアの部屋の扉が少し開いていることに気づいた。
侍女が衣装箱を運び出している。
「何をしている?」
「あら、ジョナサン様」
アザリアは窓際の机で引き出しを整理していた。
「春物を少し片づけておりますの。もう着ないものもございますから」
「そうか」
通り過ぎようとして、机の上に新聞の端が見えた。
南部の水路についての記事だった。見覚えがある。
アプリコットとヘルムートの調査が紹介された記事で、隅には二人の小さな肖像まで載っていた。
アザリアはジョナサンの視線に気づくと、新聞を引き出しへ入れた。
「ああ、これですか?」
「まだ持っていたのか」
「新聞ですもの。読んだものを少し取ってあるだけですわ」
「コッティの記事だろう」
「ええ。でも、もうお話には出していませんでしょう?」
アザリアは穏やかに答えた。
「お父様にも言われましたし、ジョナサン様も嫌がりますもの」
「なら、捨てればいい」
「どうして?」
「真似をやめるなら必要ないだろう」
そこでアザリアは少し考えた。
「見ることと、真似をすることは同じではないでしょう?」
ジョナサンの返事が遅れた。
以前なら、ここでアザリアは「コッティ様の最近のお仕事を知りたいだけです」と続けただろう。
今日は言わない。
「着る服はあなたに聞きますし、お茶も、お花も、お部屋のことも、あなたがお好きなものを選んでおりますわ」
「僕が選べと言ったわけじゃない」
「でも、自分で決めると、また間違えるかもしれませんもの」
アザリアは引き出しを閉めた。
「でしたら、《《あなたに聞くのが一番でしょう》》?」
その言い方には、何の迷いもなかった。
ジョナサンが言ったことを守っているし、父にも母にも、それでよいと認められている。
「あなたがお好きなものを選べば、もう誰かの真似にはなりませんものね」
――何かが違う。
ジョナサンには分かる。
けれど、では何が違うのかと聞かれたら、また長くなる。
「……君は、《《自分では》》何が好きなんだ」
「わたくし?」
アザリアは机の上を見回した。
花瓶――読みかけの本――刺繍糸――小さな香水瓶。
どれも彼女が選んだもののはずなのに、答えはすぐには出なかった。
「そうですわね」
しばらくして、アザリアは笑った。
「ジョナサン様がお好きなものを、わたくしも好きになれたら嬉しいですわ」
彼はもう、それ以上何を聞けばよいのか分からなかった。
*
アザリアは記事を集めることをやめていなかった。居間や食堂には置かなくなっただけだ。
新聞にアプリコットの名を見つければ、自室へ持っていき、必要な部分だけ切り取る。
以前なら侍女へ「コッティ様のところを残して」と頼んでいたが、今は自分で切った。
衣装も同じだった。アプリコットが濃い青を着たという記事を読んでも、すぐ仕立屋へ同じ色を頼んだりはしない。代わりに、ジョナサンへ尋ねる。
「青と緑なら、どちらがお好き?」
ジョナサンが青と答えれば、青を選ぶ。それなら、誰にも真似だとは言われない。
アザリア自身も、うまくできていると思った。
夫は以前ほど怒鳴らなくなった。義母も、衣装部屋のことを言わなくなった。義父は、この頃はよくやっていると言ってくれた。
家の中が、少しずつ元へ戻っている。
その証拠に、夕食の席でも誰も自分を叱らない。
「今度の客間のお花、青いものにしてみようと思いますの」
アザリアが言うと、侯爵夫人がうなずいた。
「ええ。季節にも合いますね」
「ジョナサン様も青がお好きですもの」
「そうだったか?」
父が息子を見る。
「……まあ」
ジョナサンは曖昧に答えた。
青が特別好きだった覚えはない。聞かれた時、《《緑よりは青》》だと言っただけだ。
それでも翌週から、食卓には青い花が増えた。
ジョナサンの上着にも、アザリアが選んだ青いタイが添えられた。
寝室のカーテンまで、いつの間にか青になった。
アプリコットが今、好んで着ている色も青だった。
偶然だと言われれば、それまでだった。何しろ今回、選んだのはジョナサン自身なのだから。
*
季節が巡った頃、ナイヤガラ家では夜中に子供が泣いた。
アプリコットは目を覚まし、隣の寝台へ手を伸ばしたところで、先に起きたヘルムートが上着を引っかけるのが見えた。
「あなた、明日は朝が早いでしょう」
「君もだろう?」
「わたくしは午前の会議を一つずらせます」
「私は午後に寝る」
「午後も調査でしょう?」
「一時間なら空く」
泣き声がもう一度大きくなった。
「では、今夜はあなた。明日の夜はわたくし」
「明日の夜も泣くと決まっているのか」
「泣かなければ得をしますわ」
ヘルムートが笑いながら隣室へ消えた。
少しして、泣き声が小さくなる。
アプリコットは枕元の紙へ、翌日の予定を一つ書き直した。
朝の会議を一刻後ろへ。昼の資料確認はそのまま。夕方、ヘルムートに昨日の水路幅の続きを確認。
最後の一行を書いたところで、子供を抱いたヘルムートが戻ってきた。
「まだ三つ目の話が残っているぞ」
「覚えていらしたの?」
「昨日、君が忘れるなと言った」
「それでしたら、明日に」
「今でもいい」
「寝てくださいませ」
子供が小さく声を上げた。
「ほら」
「これは反論か?」
「たぶん賛成ですわ」
翌朝、二人とも少し寝不足だった。
それでも朝食のパンは焼かれ、水路の地図は食卓の端へ置かれた。
昨日の続きは、まだそこに残っていた。




