第二十六話 わたくしも欲しい
「でしたら、わたくしたちもそろそろ考えてよろしい頃ですわね」
ジョナサンが何を、と聞き返すと、彼女は迷いなく子供だと答えた。
「同じ年に生まれれば、アプリコットの子供とも一緒に学ばせられますわ」
「ナイヤガラ家が、そんな約束をすると思うか?」
「わたくしからコッティ様へお願いすれば、喜んでくださると思います」
「なぜ」
「同じ時期に母親になるのですもの。お話も合うでしょう?」
まだ生まれてもいない子供たちの予定が、アザリアの中ではもう組まれている。
ジョナサンは今日は休むと立ち上がった。アザリアも当然のように寝室へ同行しようとし、腕へ手をかける。
「……一人で寝る」
「子供が欲しいのです」
「そういう話をしているんじゃない」
「では、何のお話です?」
ジョナサンは答えに詰まった。
子供を望む妻へ、何が不満なのか。言葉へすれば、アザリアのほうが正しく見える。
「僕たちは、まだ二人でうまく暮らせてもいない」
「毎日一緒に朝食をいただいて、お客様もお迎えしておりますわ」
「僕は別の部屋で寝ている」
「お仕事がお忙しいからでしょう?」
「君と一緒にいたくないからだ」
アザリアの手が、ゆっくり腕から離れた。
「どうしてですの?」
自分はよい妻になろうと努力している。夫の好きな料理を選び、仕事も理解しようとし、義母とも仲よくしている、とアザリアは言う。
「母上は衣装部屋へ君を入れないために鍵をつけたのだ」
するとアザリアは少し考えた。
「では、勝手に入ったことを謝ります。次からは先に伺いますわ」
「そういうことじゃない」
「ジョナサン様は、いつもそうおっしゃいますのね。でも、どういうことなのかは教えてくださいません」
「教えても君は、都合のよいところしか聞かないじゃないか。君は僕を見ていないんだ」
そう告げると、アザリアは白と桃色の花、青い縁取りの茶器、杏の菓子を挙げた。彼の好きなものを知っている、と。
「それは、アプリコットが選んでいたものだ」
「でもそれは、あなたがお好きだったから、コッティ様も選ばれたのでしょう?」
「客や季節に合わせていただけだ」
「でも、その時あなたは喜んでいらしたのでしょう?」
「昔はな。……今は見るたび、君がまた真似をしたと思う」
アザリアの顔に、ようやく戸惑いが出た。
もう名前は出していない。義母にもそう言われたから。そこまで答えたところで、何かよい考えを見つけたように手を合わせる。
「では、子供のことも、コッティ様とは関係なく考えましょう。夫婦が子供を持つのは普通のことでしょう?」
「君は僕との子供が本当に欲しいのか?」
「もちろんですわ。あなたは、わたくしの夫ですもの」
「僕だから、欲しい?」
「夫婦なのですから、あなたのお子様でしょう?」
問いへ答えているようで、答えていない。
ジョナサンは今夜は帰ってくれと告げた。アザリアは、いつなら話せるのか、明日か明後日かと予定を決めようとする。
返事を避けるほど、子供の時期がアプリコットから離れてしまうと急かした。
「……僕は、今は子供を持つつもりはない」
「では、いつならよろしいの?」
「考えていない」
「では、一緒に考えましょう」
明日には侯爵夫人へ相談し、医者や乳母を頼む家も調べたいと言う。
まだ何も決まっていないと止めても、準備は早いほうがよいと返ってくる。
「やめてくれ!」
廊下にいた侍従が、少し離れた場所で足を止めた。
アザリアは目を見開き、それから小さくうなずいた。
「今夜は、これ以上お話ししないほうがよいのですね。では、明日にいたします」
扉が閉じると、ジョナサンは鍵をかけた。
*
翌朝、食堂へ入ると、アザリアは侯爵夫人と子供部屋の話をしていた。
東側の角部屋なら朝は明るく、庭も見える。家具の注文には時間がかかるから、早く決めたいらしい。
「おめでたなの?」
「違う。アザリアが勝手に話しているだけだ」
「勝手ではありませんわ。昨夜、二人でお話ししました」
「僕は、今は考えていないと言った」
侯爵夫人も、妊娠してからで間に合うと止めた。アザリアは、アプリコットならもう準備を始めているかもしれないと言う。
「……その名前を出すのはやめなさい」
「でも、同じ頃に母親になれたら素敵だと思いません?」
「子供は、誰かへ合わせて作るものではありません」
ではいつがよいのか。夫婦で決めることだと返されると、アザリアはジョナサンが考えてくれないと訴えた。
二人きりでは部屋から追い出される。朝食の席で話すしかない。
そこへ侯爵も入り、結婚した夫婦ならいずれ跡継ぎが必要だと言った。
「僕は、今は望んでいない」
「なぜだ」
父親まで同じ問いを返した。
「夫婦仲がうまくいっていない」
「外からは、何の問題もないように見えるが」
「中では違う。話が通じないんだ」
「アザリアは今、普通に話しているじゃないか?」
父親にはそう見える。少なくとも、その件については。
食卓へ座り、子供が欲しいと言う若い妻。返事を避け、別の部屋で寝ている夫。
どちらに問題があるかと問われれば、答えは決まっていた。
アザリアは目元へ手をやり、自分は嫌われているのかと尋ねた。
「急に言われたからジョナサンも戸惑ったのだ。少し時間を置け」
侯爵がなだめる。
「どのくらいです?」
「それも夫婦で話せ」
「二人で話しても、ジョナサン様は途中でお部屋から追い出してしまいます」
侯爵は息子へ、妻の話くらい最後まで聞けと言った。
「最後まで聞いても同じです」
「聞く前から決めるな」
「聞いたんだ! 何度も!」
給仕をしていた侍女が、パン籠を抱え直した。
侯爵夫人は、この話へ親が入れば難しくなるだけだと夫を止めた。
衣装部屋の鍵を替えた理由も、アザリアが何を見ているのかも分かっている。それでも、妻が子供を望んでいるという話へ口を挟むことはできない。
「ジョナサン。今夜は早く戻りなさい。きちんと話せ」
「何を話せばいい」
「お前の妻だろう。自分で考えろ」
ああ、両親は自分に問題を投げたのだ、と彼は思った。
*
それから数日、アザリアは毎晩ジョナサンの部屋へ来た。
疲れているなら明日。予定があるなら週末。扉を閉めても、翌朝には朝食の席で続きが始まる。
――子供部屋の壁は淡い黄色がよい。ジョナサンが青を好むならそれでもいい。
――以前使われていた子供部屋を見たい。
――古い揺り籠を修理できる職人も調べたい。
ジョナサンが止めるたび、アザリアはまだ注文していない、調べているだけだと答えた。
「どうして、そこまで嫌がるのです? わたくし、あなたと家族になりたいだけですのに」
「もう家族だろう」
「では、なぜ子供を望んでくださらないの?」
「君が欲しいのは、僕との子供じゃない」
「あなた以外の方との子供など、望んでおりませんわ」
「そういう意味じゃない」
また同じ言葉になった。
アザリアは涙を拭い、分かるように話してほしいと頼んだ。
その時、ジョナサンの頭に浮かんだ顔があった。
前提から順に話し、言葉を選び、相手が分からなければ別の例へ置き換える。自分が面倒だと遮っても、何を伝えるべきかを考え続けた女。
「今日は戻ってくれ。明日、話す」
「本当に?」
「ああ」
アザリアが部屋を出ると、ジョナサンは呼び鈴を鳴らした。
「明日の午後、学術院へ行く。ナイヤガラ家へ先触れを」
「どのようなご用件でしょう」
「アプリコットと話したい」
侍従は少し間を置き、翌日の欄へナイヤガラ家の名を書き込んだ。




