第二十二話 お義母様も同じように
アプリコットとヘルムートの結婚式が行われたのは、それから半月後だった。
式には王立学術院の者も多く招かれた。婚礼でありながら、集まった客の半分ほどが南部水路や農地の話をしていたらしい。
「披露宴でも、お仕事のお話をなさったのかしら」
朝食の席で、オルスタイン侯爵夫人は新聞を広げた。
「アプリコット様らしいですわ」
アザリアがすぐ隣から紙面をのぞき込む。
記事には、ナイヤガラ侯爵家の次男ヘルムートと、フラクタル伯爵家の次女アプリコットの婚礼について詳しく書かれていた。
――式はナイヤガラ家の礼拝堂で行われた。
――新婦のヴェールは、ナイヤガラ侯爵夫人が自ら留めたという。
――婚礼後の祝宴では、侯爵夫人がアプリコットへ一族の首飾りを贈った。新しく家族となる者へ代々渡されてきた品で、中央には淡い金色の石がついている。
挿絵には、濃紺のドレスを着た侯爵夫人と、その隣に立つアプリコットが描かれていた。
「素敵ですわね」
アザリアは記事へ顔を近づけた。
「お義母様。こちらをご覧になって」
「見ていますよ」
「この首飾り、ナイヤガラ家のものだそうですわ」
「そう書いてありますね」
「アプリコット様へ、侯爵夫人がお贈りになったのですって」
侯爵夫人は茶へ手を伸ばした。
「婚礼の贈り物でしょう」
「わたくしたちの婚礼では、いただきませんでしたわ」
カップを持ち上げる手が止まった。
「あなたには、私から腕輪を贈ったでしょう?」
「ええ。とても嬉しかったです」
アザリアは自分の手首を見た。その日はつけていない。
「でも、あれは王都の宝飾店でお選びになったものでしょう?」
「そうですよ」
「この首飾りは、ナイヤガラ家で代々使われてきたものですわ」
侯爵夫人はカップを卓へ戻した。
「……家によって、贈るものは違います」
「それでは、オルスタイン家にも、代々の品はございませんの?」
アザリアの視線が、侯爵夫人の胸元へ落ちた。
今日つけているのは、小さな真珠の飾りだった。
「何かはあるでしょうけれど、今ここで話すことではありません」
「わたくし、一度見てみたいですわ」
「なぜ?」
「この家の者になったのですもの。どのような品が伝わっているのか、知っておきたいと思いまして」
言葉だけなら、おかしくはなかった。
嫁いだ家の宝飾品や衣装を覚えることは、女主人となる者の仕事でもある。
侯爵夫人は一度、夫を見た。オルスタイン侯爵は新聞の別の頁を読んでいる。
「……そのうち、必要な時に見せます」
「今日ではいけませんの?」
「朝食のあとには予定があります」
「午後でしたら?」
「アザリア」
ジョナサンが名前を呼んだ。
「今すぐでなくてもいいだろう?」
「見せていただきたいだけですわ」
アザリアは少し口を尖らせた。
「どれをいただくか、今から決めるつもりではありませんもの」
侯爵夫人の指が、カップの持ち手から離れた。
「……あなたへ贈ると決まった品はありません」
「でも、わたくしはこの家のお嫁さんですわ」
「嫁へ贈るものもあれば、娘へ渡すものもあります。家に残すものもありますよ」
「でも、キャサディ様は、もう嫁がれたのでしょう?」
「それが何です」
「でしたら、オルスタイン家の品は、わたくしが受け継ぐのでは?」
アザリアは不思議そうに尋ねた。
「コッティ様も、お義母様から首飾りをいただいたのですもの」
侯爵夫人は返事をせず、朝食を続けた。
*
昼過ぎ、アザリアは侯爵夫人の衣装部屋へやってきた。
先触れはなかった。侍女が扉を開けると、その後ろから当然のように入ってくる。
「お義母様。少しよろしいでしょうか」
「今、仕立屋と話しているところです」
衣装部屋には、秋の祝宴へ着るドレスの生地が広げられていた。
赤褐色と、深い緑。どちらにも金糸を使う予定だった。
「まあ」
アザリアは目を輝かせて卓へ近づく。
「祝宴のお召し物ですの?」
「ええ」
「ですが、濃紺ではないのですね」
「なぜ濃紺を?」
「ナイヤガラ侯爵夫人が、コッティ様の婚礼でお召しになっていたでしょう?」
弾かれたように、仕立屋が侯爵夫人を見る。
「うちの婚礼ではありません」
「でも、次の祝宴でわたくしと並ばれるなら、濃紺がよいと思いますわ」
「何の祝宴です?」
「結婚後、初めて大勢のお客様を招く祝宴です。わたくしたちも、そろそろ開いてよいでしょう?」
「まだ決まっていません」
「お義父様へ、わたくしからお話しします」
アザリアは生地を一枚ずつ持ち上げた。
「こちらでは、新聞の挿絵と雰囲気が違いますわね」
「新聞の挿絵へ合わせる必要はありません」
「でも、並んだ時に同じように見えたほうが素敵ですわ」
侯爵夫人は仕立屋へ生地を戻すよう頼んだ。
「……今日はここまでにしましょう」
「よろしいのですか?」
「ええ。また連絡します」
仕立屋と助手が生地を畳み、部屋を出ていく。
扉が閉じると、アザリアは衣装棚へ目を向けた。
「お義母様は、濃紺のドレスは、もうお持ちではありませんの?」
「持っています」
「見せてくださいませ」
「――アザリア」
「どれがよいか、わたくしが選びますわ」
そう言って、衣装棚へ手を伸ばす。侯爵夫人は、その手首をつかんだ。
「触らないで」
「お義母様?」
驚いたようにアザリアは目を見開く。
「私の衣装です。私が選びます」
「でも、わたくしたちが並ぶ時に……」
「あなたのために着る服ではありません」
「そんな、そのような言い方をなさらなくても」
アザリアは手を引いた。
「わたくしは、お義母様と仲のよい嫁と姑になりたいだけですのに」
「私の服をあなたが選ぶことが?」
「コッティ様のお義母様は、自らヴェールを留めてくださったそうですわ。首飾りも贈り、お隣へ立たれた。わたくしも、お義母様と同じようにしたいのです」
「同じように」と言いながら、アザリアは侯爵夫人を見ていなかった。
新聞に載っていた濃紺のドレス――一族の首飾り――嫁の隣に立つ義母。
アザリアが欲しがっているのは、そこに描かれた形だった。
「それでは、お義母様の宝石箱も、見せていただけません?」
アザリアが奥の棚へ目を向ける。
「オルスタイン家に伝わる品があるかもしれませんわ」
「……ありません」
「でも、先ほどは何かあると」
「あなたへ見せるものはありません」
「どうしてですの?」
アザリアは本当に分からないようだった。
「わたくしは、ジョナサン様の妻です。いずれこの家の女主人になります。それなら、お義母様がお持ちのものも、いつかはわたくしが管理するのでしょう?」
「あなた、私が死んだあとの話を、今なさるの?」
「そのような意味ではありませんわ!」
アザリアは慌てて首を振った。
「ただ、今から覚えておいたほうがよいと思っただけです。コッティ様なら、きっと――」
「やめて! もう、その名を出さないで!」
部屋の外で、侍女の靴が一度鳴った。侯爵夫人自身も、自分の声の強さに驚いた。
「お義母様……」
「……ここは私の部屋です。私の衣装も、宝石も、私が決めます。あなたが新聞の挿絵へ合わせるために使うものではありません」
「わたくしは、そんなつもりでは」
「では、どんなつもりです?」
アザリアの口が開いた。キャサディも、同じように尋ねたのだろう。
――私の部屋に入って、私の物を欲しがることが?
侯爵夫人は、その時のことを思い出した。
――アザリアがキャサディの部屋へ入り、嫁いだあとの部屋を使いたいと言った。
――刺繍台と同じものを欲しがった。
キャサディは何度も嫌だと伝えていた。それを自分は、もうすぐ家族になるのだからと笑って流した。
「お義母様?」
アザリアの声で、衣装部屋へ意識が戻る。
「……今日は出ていってください」
「でも」
「出ていって!」
侯爵夫人は呼び鈴を鳴らした。廊下に控えていた侍女が、すぐに入ってくる。
「アザリアを部屋まで送ってちょうだい」
「お義母様。わたくし、何か悪いことをいたしました?」
その問いにも覚えがあった。思い出すと背筋が寒くなる。
キャサディが、怯えた理由を説明した時、自分も似たことを言った。
――アザリア嬢は、あなたと仲よくしたいだけでしょう。
「今日は一人にしてください」
アザリアは侍女に促され、部屋を出ていった。
扉が閉じ、侯爵夫人は衣装棚の前に立った。
棚の奥には、母親から受け継いだ髪飾りがある。結婚の日につけた品だった。
いつかキャサディへ渡すつもりで、大切にしまっていた。だが娘は急いで嫁ぎ、その話をする時間もなかった。
「……奥様」
残った侍女が、少し離れたところから呼んだ。
「鍵を――」
「はい?」
「この部屋の鍵を替えてちょうだい!」
「ですが、奥様がお留守の際には、若奥様が――」
「入れないで!」
侯爵夫人は宝石棚の扉を閉じた。
「……ああ、私がいない時は、誰も入れないでちょうだい」
鍵穴へ差した鍵が、うまく回らない。一度抜いて、向きを確かめる。
キャサディも、あの部屋で同じことを考えたのだろうか?
母親が鍵を開けさせるかもしれない。だから、自分の家を出るしかないと。
「キャサディへ、使いを出して」
「何とお伝えしましょう」
「……会って話したいと」
鍵が回り、小さな音がした。




