第十七話 僕が望んでいた妻
キャサディがベルチェスター家へ嫁いだ翌月、ジョナサンとアザリアも結婚した。
式は盛大に行われた。
フラクタル家との婚約を解消した直後ということもあり、招待を断る家がいくつかあった。けれどオルスタイン侯爵家とリーフェル伯爵家は、二人が長い迷いの末に互いを選んだのだと説明した。
アプリコットに責任がないことも、両家連名の書面で公表している。
それ以上、何を言われても仕方がない。
ジョナサンはそう考えていた。
式から三週間が過ぎる頃には、屋敷の中も落ち着いていた。
「今朝はこちらで召し上がっていただこうと思いますの」
アザリアが案内したのは、東側の小食堂だった。
朝の光がよく入り、庭の花壇が見える。窓辺には白と淡い黄色の花が飾られ、テーブルには乳白色の食器が並んでいた。
「ここを使うことにしたのかい?」
「ええ。せっかく日当たりがよいのですもの。朝はこちらのほうが気持ちよく過ごせますでしょう?」
確かにそうだった。
大食堂は客を迎えるにはよいが、夫婦二人の朝食には広すぎる。声も食器の音も響き、落ち着かない。
以前、アプリコットも似たことを言っていた気がする。
――普段の朝食は東の小食堂へ移したほうがよいのではありません? 大食堂を毎朝整えるには使用人の手も取られますし、冬はともかく、春から秋まではこちらのほうが暖かく――
そこから、窓の位置や配膳の順番まで話が続いた。
ジョナサンは途中で聞くのをやめた。結論だけ聞けば、小食堂を使いたいということだったからだ。
「どうかなさいました?」
アザリアが椅子へ座りながら尋ねた。
「いや。よい部屋だと思って」
「よかった」
彼女は、それ以上説明を加えなかった。
ジョナサンの好みを尋ね、気に入ったと分かれば喜ぶ。それだけで話が終わる。
何の花を選んだのか。なぜこの食器なのか。使用人の仕事がどのくらい減るのか。冬になれば別の部屋へ移すのか。
アザリアは、朝食の席でそこまで話さない。
ジョナサンは焼いたパンを取り、肩の力を抜いた。
「この茶も変えたのかい?」
「お口に合いませんでした?」
「いや。どこかで飲んだ味だと思って」
「以前からオルスタイン家へ納めている店で、選んでいただきましたの」
淡い香りの中に、少しだけ酸味がある。
「甘い菓子にも、朝のパンにも合うそうですわ」
「よく調べたね」
「奥方として、これくらいは当然ですもの」
アザリアは微笑み、茶へ少量の乳を加えた。
その量まで見覚えがあった。
けれど茶へどれほど乳を入れるかなど、珍しい癖でもない。
ジョナサンは気にせず、もう一口飲んだ。
結婚前、アプリコットとの暮らしを考えるたび、何かを決めるには長い話が必要だった。
式の日取り――招く客――新居へ入れる家具――領地と王都を行き来する時期。
アプリコットは一つ尋ねれば、その答えに必要な条件を三つ挙げた。ジョナサンが一つを選ぶと、その選び方では別の問題が起きると言った。
いつになれば話が終わるのか、分からないことも多かった。
アザリアは違う。
「今度の音楽会ですが、青いドレスでよろしいかしら」
「君が好きなものを着ればいい」
「ジョナサン様は、青がお好きでしょう?」
「君に似合うと思うよ」
「では、青にいたしますわ」
そうやってすぐ決まる。彼女は自分を立て、言葉を疑わない。
アプリコットに似た落ち着いた装いを好みながら、アプリコットのように反論を重ねることもない。
――自分が本当に望んでいたのは、こういう妻だったのだ。
ジョナサンは、ようやく分かった気がした。
*
午後には、オルスタイン侯爵夫妻が二人の部屋を訪れた。
侯爵夫人は新しく整えられた居間を見回し、満足そうにうなずいた。
「とてもよくなったわ。以前より明るく見えますね」
「ありがとうございます、お義母様」
ここは、キャサディが使っていた部屋だった。
刺繍台も絵も本も、彼女はすべてベルチェスター家へ持っていった。残っていたのは壁際の棚と、窓辺の長椅子くらいだ。
アザリアは壁を淡い緑色へ塗り直し、明るい木の机を入れた。
窓際には、新しい刺繍台もある。
さすがにキャサディが持っていたものと同じではなかった。脚の形も少し違う。それでも、部屋へ入って最初に目につく場所へ置かれていた。
「こちらの刺繍台も素敵ね」
「ええ、王都の職人へお願いしましたの」
アザリアは嬉しそうに木枠へ触れた。
「本当は、キャサディ様がお持ちだったものと同じ職人へ頼みたかったのですけれど」
「あの職人は、今は注文を受けていないそうね」
「ええ。残念ですわ」
侯爵夫人は気にした様子もなく、隣の本棚へ目を向けた。
「まあ。ずいぶん難しい本を読むのね」
「まだ、これからですの」
本棚には、歴史書や領地経営についての本が並んでいる。ジョナサンにも、題名しか知らないものがいくつかあった。
「少しずつ学びたいと思っています。オルスタイン家の者になったのですもの」
「感心だわ」
母親はアザリアの手を取り、その甲を軽く叩いた。
「無理はしないでね。あなたは嫁いできたばかりなのだから」
「はい、お義母様」
アザリアは素直にうなずいた。
アプリコットなら、そこで無理の範囲を尋ねただろう。
何を任され、何を覚える必要があるのか。いつまでに、どの程度できればよいのか。領地へ行く前に確認するものは何か。
アザリアは、まず分かりましたと答える。その柔らかさを、両親も気に入っているようだった。
「ジョナサン」
父親が、新しい机の上へ置かれた封書を示した。
「南部の放牧地について、リーフェル伯爵から書状が来ていたぞ。境界を整理するため、来月にも双方の管理人を集めたいそうだ」
「ああ。あとで見ます」
「アザリアにも関わる土地だ。二人で話しておきなさい」
「分かりました」
父親はそれだけ言い、母親とともに部屋を出ていった。
ジョナサンが封書へ手を伸ばすと、アザリアが先に取った。
「わたくしも、ご一緒してよろしいの?」
「もちろんだよ。君の持参した土地なんだから」
「でも、難しいお話でしょう?」
「管理人たちがまとめる。僕たちは、最後に決めればいい」
「それなら安心しましたわ」
アザリアは封書を机へ戻した。中身を確かめようとはしない。
話が簡単に済むのは、ありがたい。土地の管理についてまで長く話されては、せっかくの午後が潰れてしまう。
「今日は庭を歩こうか」
「嬉しいですわ」
アザリアはすぐに立ち上がった。
「新しく植えた花を見ていただきたいの」
「何を植えたんだい?」
「白い薔薇と、淡い紫の花です。あちらの庭に、よく似合うと思いましたから」
庭へ向かう途中、廊下の卓に新聞が置かれていた。
アザリアが足を止める。
「まあ」
社交欄に、ナイヤガラ侯爵家とフラクタル伯爵家の婚約が正式に決まったと載っていた。
ヘルムート・ナイヤガラと、アプリコット・フラクタル。
二人の婚約式は、現地調査から戻ったあとに行われるらしい。
「正式に決まりましたのね」
「ああ」
ジョナサンは記事を一度見ただけで、庭へ続く扉へ手をかけた。
「行こう、アザリア」
「お待ちになって」
彼女は新聞を持ち上げた。
「この記事、いただいてもよろしいでしょう?」
「構わないけれど、どうするんだい?」
「お祝いを選ぶ時に、必要になるかもしれませんもの」
アザリアは記事をもう一度読んだ。
「現地調査へ行かれるなら、アプリコット様は、今までと違うお支度をなさいますわね」
「そうかもしれないね」
「どのようなお召し物を選ばれるのかしら」
庭には、アザリアが選んだ白い薔薇が咲いている。
「今は僕たちの庭を見よう」
「ええ。そうですわね」
アザリアは新聞を畳み、自分の机の引き出しへしまった。




