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私になりたい令嬢に婚約者を奪われましたので、話の通じる方と幸せになります。  作者: さんけい


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第十六話 チェリーが廊下を二度走った

「……今、何と?」


 耳を疑ったとしてもおかしくはないだろう。


「婚約を申し込みました」

「それは分かりましたわ。なぜ、いきなり結論なのです?」

「先に結論を言ったほうがよいと思いました」

「誰が?」


 思わずまじまじと彼を見据える。


「あなたが以前、相手へ結論を先に求められたと言っていたので」

「わたくしが求めたのではありません。ジョナサンが、わたくしの話へそう言っていたのです」

「では、間違いですね」

「そこをすぐ認めないでくださいませ。こちらはまだ、気持ちが追いついておりませんのよ」

「なら、待ちます」

「今、ここで?」

「必要なら、別の日でも」

「そういう意味ではありませんわ」


 ヘルムートは黙った。本当に待つつもりらしい。

 私が何も言わなければ、いつまでもそのままでいそうだった。


「……理由を伺っても?」

「あなたと話していると、時間が短く感じます」

「話が長いのに?」

「長いからでしょう」

「それ、普通は逆ですわ」

「それから、意見が合わない時に、理由を聞けますし」

「意見が合うから、ではないのですね」

「合うこともあります」

「ずいぶん控えめな言い方ですこと」

「毎日すべての意見が合う相手など、存在するのですか?」

「存じませんけれど、求婚の席で先に申し上げることではないと思いますわ」

「でも、大事なことでしょう?」

「大事ですけれど」


 求婚なのに、まるで研究計画の確認だった。


「まだあります」

「はい、お聞きします」


 こうなったら全部聞くしかない。


「あなたは、自分より先に周囲の事情を考えすぎる」

「それ、褒めておりませんわね」

「美点でもあります。ただ、そのせいで、自分が何を望んでいるかを後へ回してしまう」

「わたくしが?」


 それは初耳だった。


「婚約を解消した時も、最初に考えたのは相手の家と評判と手続きだったのでしょう」

「それは――必要なことですわ」

「必要です。しかし、《《傷ついたかどうか》》を尋ねられて、《《分からない》》と答えたと聞きました」

「誰から?」

「あなたの父上から」

「……お父様は、どこまでお話しになったのです?」

「私が婚約を申し込みたいと伝えた時に、娘は先に頭で考えるから、答えを急がせるなと」

「もう、お父様へ話していたの?」

「昨日」

「わたくしより先に?」

「家同士の婚約ですから」


 それは正しい。……正しいけれど、少し腹が立つ。


「では、お父様は今日、わたくしが求婚されると知っていらしたのですね」

「はい」

「お母様も?」

「おそらく」

「チェリーも?」

「それはどうでしょう」


 扉の向こうから、何かが倒れる音がした。彼とともに振り向く。

 扉がゆっくり開き、チェリーが顔を出した。


「知ってるわ」

「何をしているの!」

「花瓶を倒しかけたの」

「なぜ扉のすぐ前に花瓶があるのです?」

「持ってたから」

「何のために?」

「お茶を持ってくる侍女についてきたの」

「花瓶を持って?」

「ああもういいでしょう、その話」


 チェリーが部屋へ入り、その後ろから母も現れた。


「ごめんなさいね。コッティ。ちゃんと二人でお話しできました?」

「皆様、最初から聞いていらしたの?」

「途中からです」

「どこから?」

「私と婚約していただけませんか、から」

「一番大事なところではありませんか!」

「だから入らずに待っていたのよ」

「待っていたというのは、扉の前で聞いていたという意味ではありませんわ」


 母は何も答えず、空いた椅子へ座った。


「それで?」

「何がです?」

「お返事は?」

「まだですわ。今、理由を伺っているところです」

「もう十分では?」

「お母様が決めることではありません」

「もちろんよ。でも、ヘルムート様はまだ何かおありなの?」


 ヘルムートが私を見る。


「話してよいですか」

「わたくしに伺うのです?」

「あなたへの求婚ですから」

「……続けてくださいませ」

「私は、あなたの話をすべて理解できるとは思っていません」

「まあ」

「分からないことは尋ねます。間違っていると思えば反対します。話を聞けない時は、あとにしてほしいと言います」

「ええ」

「その代わり、聞ける時には最後まで聞きたい」


 手帳をテーブルへ置く。


「あなたが正しいところだけではなく、間違っているところも。考えがまとまっている時だけではなく、途中で話が増えていくところも。意見が合うところだけではなく、合わない理由まで聞きたい」


 母とチェリーが、急に静かになった。


「私は、あなたと話し続けたいと思っています。結婚していただけませんか」


 先ほどより、ずっと求婚らしい言葉だった。


「……最初から、そうおっしゃればよろしかったのに」

「長いので、結論を先にしました」

「長くて結構ですわ」

「では、返事は?」

「まだ一つ、確認があります」

「どうぞ」

「わたくしの話を聞くことが、今は珍しくて楽しいだけではありませんの? 結婚して毎日になれば、疲れることもあるでしょう。仕事で考えることが多い日に、わたくしまで長く話せば――」

「その日は、今日は無理だと言います」

「それで、わたくしが不満そうにしたら?」

「翌日、聞きます」

「翌日にもお仕事があれば?」

「その次の日に」

「その間に話が三つ増えたら?」

「一つずつ聞きます」

「六つになったら?」

「書いておいてください」

「あなたが忘れたら?」

「あなたが覚えているでしょう」

「随分と頼りになさるのね」

「あなたも、私が聞くことを当てにしてください」


 そこで言葉が止まった。

 ……今まで私は、相手が聞けるところまで話を短くした。話す前に選び、話しながら削り、退屈そうなら結論へ飛んだ。それを思いやりだと思っていた。

 ヘルムートは、全部聞くとは約束しない。聞けない日は聞けないと言う。

 反対もする。間違いも指摘する。

 それでも、続きはあとで聞くと言う。


「……分かりましたわ」

「何がです?」

「婚約をお受けします」


 ヘルムートが、少しだけ目を見開いた。


「本当に?」

「求婚なさった方が驚かないでくださいませ!」

「まだ質問が続くと思っていました」

「続けてもよろしいですわよ?」

「返事は変わりませんか?」

「質問の答えによっては、考え直すかもしれません」

「では、今日はここまでにしましょう」

「逃げましたわね」

「婚約が決まったあとで聞きます」

「ずるい方ですこと!」


 母が息を吐いた。


「おめでとう、コッティ」


 チェリーはすぐに立ち上がり、私の隣へ来た。


「よかったね。門扉が家に来るわ」

「その呼び方は今日限りになさい」

「では、ヘルムートお兄様?」

「まだ早いですわ」

「婚約を受けたでしょう」

「正式な書面を交わしておりませんもの」


 ヘルムートが手帳を開く。


「正式な婚約までに、必要なことを確認しましょう」

「今から?」

「あなたが先ほど、質問を続けてもよいと言ったので」

「求婚の返事をいただいた直後に、もう手帳を出す方があります?」

「忘れる前に」

「はいはい、まず、お茶を飲みましょう」


 母が呼び鈴を鳴らした。


「さあさあその前に、お父様へも知らせなくてはね」

「隣の書斎にいらっしゃるわ」


 そわそわとする母に、チェリーが声をかける。


「……やはり皆様、待っていらしたのね」


 廊下へ通じるもう一つの扉が開き、父とレニーが入ってきた。


「話はまとまったようだな」

「お父様まで聞いていらしたの?」

「聞いてはいない」

「では、なぜ今?」

「チェリーが廊下を二度走った」

「知らせに行ったのね」

「だって、決まったんだもの!」


 家族が一度に話し始める。

 婚約式の日取り――ナイヤガラ家への返事――現地調査へ行く前に済ませるか、帰ってからにするか。

 ヘルムートも手帳へ書きながら、父と話し始めた。


「ちょっと! お待ちくださいませ!」


 全員がこちらを見る。


「わたくしの婚約でしょう? わたくしを置いて話を進めないでください」

「もちろんだ」


 ヘルムートが、隣の椅子を引いた。


「では、最初から一緒に決めましょう」


 腰を下ろす。


「長くなりますわよ」

「長くて結構です」


 家族から、また笑い声が上がった。


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