第十四話 私の持ち物に触れないでください
「なぜ? 今日は……」
「お支度を手伝いたい、と」
「だから、今日はお断りしたはずです」
「ですが、奥様がお通しするようにと……」
侍女が言い終える前に、扉が開いた。
「キャサディ様?」
アザリアが顔を出す。薄い杏色のドレスだった。私が今日着ているものより、少し明るい。
髪は片側を細く編み、後ろでまとめている。学術院へ出かけた日に私がしていた髪形と、よく似ていた。
「あら」
アザリアの目が私へ向く。
「アプリコット様もいらしていたのですね」
「キャサディに招かれましたの」
「そうでしたの。わたくし《《も》》、結婚のお支度をお手伝いしたいと思って参りました」
「必要ありません」
キャサディはすかさず言った。
「でも、もうすぐ姉妹になるのですもの」
「なりません」
鋭い言い方に、部屋の中から音が消えた。アザリアは瞬きをし、小首をかしげる。
「ジョナサン様と結婚すれば、わたくしはあなたの義姉でしょう?」
「その前に、私はベルチェスター家へ嫁ぎます」
「それでも、家族であることは変わりませんわ」
「変わります」
「キャサディ様」
「私の持ち物に触れないでください」
アザリアの手は、扉の近くに置かれた箱へ伸びかけていた。
言われて、ゆっくり引っ込む。
「何か誤解をなさっているのではありません? 私はただ、仲良くしたいだけですのに」
「それなら、部屋へ勝手に入ってこないでください。今日は必要ないといいました」
「奥様からは、入ってよいと」
「ここは私の部屋です」
「でも、嫁がれたあとは空くのでしょう?」
キャサディの横で、侍女の手が止まった。アザリアは何が問題なのか分からないようだった。
「日当たりがよくて、素敵なお部屋ですわ。刺繍台もありますし、窓から庭も見えます。ジョナサン様と結婚したら、私のお部屋にしてもよいかしらと、奥様にお尋ねしていたところなのです」
キャサディが刺繍台の前へ立つ。
「いいえ、これは持っていきます」
「まあ。でも、ベルチェスター家にも新しいものはあるでしょう?」
「これは、コッティ様からいただいたものです」
アザリアの視線が刺繍台から私へ移る。
「アプリコット様から?」
「キャサディが気に入ってくれましたので、同じ職人へ頼みましたの」
「では、同じものを、もう一つ作っていただくことはできます?」
「なぜですの?」
「素敵だと思いましたから」
「ご自分のお好きな意匠を頼まれては?」
「でも、アプリコット様がお選びになったものなら、間違いありませんでしょう?」
アザリアはそう言って笑った。
悪意は見えないし、嫌味でも、挑発でもなさげだ。
本当に、よいものだから同じものが欲しいと言っている。
「お断りします」
答えたのはキャサディだった。
「これは私のものです。似たものを作るかどうかは職人とコッティ様がお決めになることですが、《《私の部屋を見て、私と同じものを欲しがる》》のはやめてください」
「あら、どうして、そのような言い方をなさるの?」
「嫌だからです」
「私は、あなたと仲良く――」
「私の部屋に入って、私の物を欲しがることが?」
「そんな意味ではありませんわ」
「では、どんな意味です?」
アザリアの目が、私へ向いた。助けを求められているのだと思う。
いつもの私なら、二人の言い分を分け、どこで受け取り方が違ったのかを説明しただろう。
けれど今は、キャサディの部屋だ。
「アザリア嬢。今日はお帰りになったほうがよろしいですわ」
「アプリコット様まで?」
いかにも心外そうな声だった。
「キャサディは、入ってほしくないと最初に伝えております。お手伝いも断った。それでも入ってきて、本人の前で、空いたあとの部屋が欲しいとおっしゃったのです。仲良くなりたいのでしたら、まず相手が嫌だと言ったことをやめるべきでしょう」
「私は、奥様の許可をいただきました」
「侯爵夫人が使ってよいとおっしゃったのは、キャサディが嫁いだ後でしょう。今、この部屋へ入ってよいという許可ではありませんわ」
「でも、もうすぐ空くのに……」
「まだキャサディが暮らしております」
「荷物はほとんどありませんでしょう?」
「荷物が少なければ、その人の部屋ではなくなるのですか?」
「そうは言っておりませんが」
「では、今日はここまでですわ」
アザリアの唇が少し尖る。十九歳の伯爵令嬢というより、欲しい玩具を断られた子供のようだった。
「では、ジョナサン様に相談します!」
「なぜ兄に?」
キャサディが尋ねた。
「私がこの部屋を使ってよいか、ジョナサン様からもお願いしていただきます」
「私が出たあとのことなら、ご自由に」
「では、よろしいのですね」
「私の物をすべて運び出したあとなら」
アザリアは再び刺繍台を見た。
「それも?」
「これもです」
「同じものを作っていただけるなら――」
「……もう、本当にお帰りください」
キャサディの声が、先ほどより低くなった。
アザリアはしばらく立っていたが、やがて小さく頭を下げた。
「今日は、皆様がお疲れなのだと思います。日を改めますわ」
自分が拒絶されたとは、最後まで考えなかったらしい。
扉が閉じる。
廊下を離れていく足音が聞こえてから、キャサディは侍女へ言った。
「刺繍台を、今すぐ運び出して!」
「ですが、馬車の手配が」
「借りてちょうだい! ベルチェスター家へ連絡して、今日中に!」
「はい」
侍女は慌てて部屋を出る。
「キャサディ……」
「ごめんなさいごめんなさい…… コッティ様の前で、あんな言い方を」
「謝らなくてよろしいですわ。あなたの部屋ですもの」
「両親へ何度言っても、分かってもらえませんでした。荷物を先に運び出すなんて、嫁ぐのを楽しみにしているのね、と」
「楽しみでもあるのでしょう?」
「はい。でも、それだけではありません」
キャサディは、空き始めた部屋を見回し、一度ぶるっと身体を震わせた。
「私、今夜から、客室で寝ます」
「そこまでしなくても」
「鍵を替えても、母が開けさせると思います」
「なら、わたくしたちの家へいらしては?」
考えるより先に言っていた。
「婚約式まででも構いませんわ。ベルチェスター家へすぐ移るのが難しいなら、フラクタル家に。ご両親には、花嫁支度をお手伝いすると説明できます」
「……よろしいのですか?」
「もちろんです。お父様とお母様には、わたくしから話します。チェリーもよろしいでしょう?」
「うん。私の隣の部屋が空いてる」
チェリーはすぐにうなずいた。
「アザリア嬢には、場所を教えないほうがいいわね」
「フラクタル家だとは分かりますわよ」
「それでも、一人では入れないでしょう」
キャサディの目に、ようやく少し力が戻り、肩の力がぬける。
「では、お願いします」
「今日からいらっしゃい。必要な衣装だけ持って、残りはベルチェスター家へ運べばよいでしょう。こちらで仕立屋も呼びますし、正式な支度については――」
「コッティ様」
「はい」
「今日は、最後まで聞きます」
「まだ何も申し上げておりませんわ」
「これから長くなると思って」
「それはそうですけれど」
チェリーが笑いながら、持っていくドレスを箱へ入れ始める。キャサディも手を動かした。
婚約式まで、あとひと月。
けれど彼女がオルスタイン家を出たのは、その日の夕方だった。
そして刺繍台を載せた荷馬車が、最初に門を出た。




