9話 ハート型のトマト
鬼人族との話し合いから、三日が過ぎた。
たった三日。
だが、この不毛の大地においては、季節が一つ進んだかのような変化があった。
まず――シズナを含めた鬼人族五十二名が、正式に【加治木りょうじ村の村人】となったことだ。
村人が増えたことで、【村作り】ギフトのレベルが2に上がった。
レベルが上がったことで新たに設置可能な施設も増えた。
――家屋(50)
――広場(60)
――池(30)
――屋外調理場(20)
――アパート(100)
――その他
さらに、村作りガイド――レタの、どうしても譲れないという強い要望により、村には一つの決まりが生まれた。
それは――
毎朝、女神像に祈りを捧げること。
例の、0ポイントで設置した謎の女神像である。
当初、俺は真っ向から反対した。
信仰は個人の自由だ。
ましてや、よく分からない女神像に、集団で祈れなど――冗談ではない。
するとレタは、どこから覚えてきたのか、
〈抗議の意を込めて、ストライキを決行します〉
などと言い出した。
【村作り】ギフトが使用不能になるという、あまりにも致命的な脅しである。
結局、シズナたちに事情を説明し、了承を得たうえで、毎朝の祈りが始まった。
女神像の前で、静かに手を合わせる鬼人族たちの姿を見ていると――
何となく、文句を言う気も失せてくる。
……まあ、精神的な支えになるなら、悪くないのか。
そう、無理やり自分を納得させた。
畑の数も、この三日でかなり増えた。
白菜、きゅうり、かぼちゃ――
食糧はいくらあっても困らない。
特に、この地では「余剰」が命を守る。
畑の水やりや収穫の管理は、マツナが自然とまとめ役になって引き受けてくれている。
年長者としての経験と、失われかけた共同体を再び束ねようとする意志が、彼女の背中から伝わってきた。
ただ一つ——どうしても拭いきれない引っかかりがあった。
鬼人族の人々が、あまりにも好意的すぎるのだ。
いや、好意そのものは有難い。村作りに尽力している身として、歓迎されることに不満などあるはずもない。
だが、その“好意”が、どうにも単なる感謝の域を越えているように思えてならなかった。
村の中を歩けば、視線が集まる。
それも、警戒や好奇心ではない。女性たちの目は妙に熱を帯び、こちらと目が合うたび、頬を染めて微笑む。とろりとした、粘度のある視線——そう形容するのが一番しっくり来た。
最初は、気のせいだと片づけていた。
命を救ったとか、生活を立て直したとか、その程度の理由で感謝が過剰になることもあるだろう、と。
だが、ある日を境に、その解釈は通用しなくなる。
「……村長様は、独り身なのですか?」
「その……決まったお相手は、いらっしゃらないのでしょうか?」
距離が近い。
必要以上に、近い。
肩が触れそうなほど身を寄せ、上目遣いで囁くように尋ねてくる。その声音には、探る色と、期待と、そして明確な“下心”が混じっていた。
いくら鈍感だと自認している俺でも、恋愛経験が皆無というわけではない。
二つ三つの修羅場を潜ってきた、れっきとしたアラサーだ。
彼女たちの仕草や視線が何を意味するのか——理解できないほど、未熟ではなかった。
しかも、その好意は女性だけに限らない。
男たちはやけに親しげで、些細な用事にも駆けつけてくるし、子供たちはまるで英雄を見るかのような目で懐いてくる。
必要以上の敬意、必要以上の親愛。
それらは日を追うごとに、じわじわと濃度を増しているように見えた。
【村作り】ガイド——レタの説明によれば、村の発展に必要な“信仰度”は、順調に上昇しているらしい。
信仰度。
聞けば、村人たちの俺に対する信頼度のようなものだという。
……本当に、そうだろうか。
信頼という言葉で片づけるには、あまりにも感情の向きが歪んでいる。
そもそも、俺個人への信頼が指標であるなら、なぜあんな女神像を村の中心に据える必要があったのか。なぜ、毎朝決まった時刻に祈りを捧げさせる必要があるのか。
信頼と信仰は、似ているようで、まったくの別物だ。
——もしかすると。
レタを、全面的に信用するのは危険なのかもしれない。
そんな疑念が、ゆっくりと形を持ちはじめていた。
「シゲ爺、もう歩けるようになったのか?」
声をかけると、腰の曲がった老人——シゲ爺は、しわだらけの顔をさらにくしゃりとさせて笑った。
「ああ。なんか知らんが、最近は体の調子がええんじゃ」
「そうそう。うちの子もね、ここ数日、咳をまったくしなくなったのよ」
そう言って、若い母親が胸の前で手を組み、ほっとしたように息をつく。
シゲ爺は、ここへ逃れてくる途中で足を痛め、しばらく寝たきりだったと聞いている。
それがほんの二、三日前から、杖を頼りに立ち上がれるようになり、今ではその杖すら忘れたかのように歩いている。
喘息気味だった子供の症状が和らいだのも、同じ頃だ。
偶然——と片づけるには、あまりにも時期が重なりすぎている。
そして、その“変化”は、さらに分かりやすい形でも現れていた。
「ハッハッハッ――見ろ! この力を!」
広場の中央で、棘付きの棍棒を軽々と振り回しているのは、女戦士ホムラだ。
百七十センチを超える長身に、戦士らしい引き締まった肢体。いや、それどころか、動くたびに筋肉の張りがはっきりと分かる。
彼女は、シズナと共にこの集団を安全に導いてきた先導役の一人だ。
もともと怪力自慢の女戦士だったらしいが——
「……最近、明らかに強くなってます」
シズナが、半ば呆然とした様子でそう付け加えた。
「数日前から、膂力が一段階上がったみたいで……自分でも驚いているようです」
確かに、棍棒が唸りを上げて空を裂くたび、周囲の空気が震えている。
「シズナの方は、どうだ? 体に何か変化はあるか?」
そう尋ねると、彼女は少し考え込み、胸に手を当てた。
「二日ほど前から……体が軽い、と感じます。息も上がりませんし、疲れにくくなったような……」
ここまで揃えば、もはや偶然ではない。
この土地の影響か?
それとも、不毛とされていたこの大地が、鬼人族と意外な相性を見せているのか?
——いや。
脳裏に浮かぶのは、俺自身の持つ【村作り】というギフトだ。
原因として最も筋が通るのは、どう考えてもそれだろう。
「考えられる可能性としては……」
思考を整理する。
女神像に祈りを捧げたことで、女神の恩恵——いわば加護のようなものを受け、一時的にステータスが底上げされている。
あるいは、あの異様に巨大な作物を摂取した副作用。
「……」
こういう肝心な場面になると、例のガイドは決まって沈黙を守る。
——おい、レタ。
どっちなんだよ。
心の中で問いかけた、その瞬間だった。
〈お見事とだけ、言っておきます〉
短く、しかし妙に含みを持たせた返答。
……どうやら、当たりらしい。
となれば、鬼人族たちが俺に向けている、あの過剰な好意。
その正体にも、思い当たる節がある。
脳裏に浮かぶのは——あの、いかがわしいほど形の整った、ハート型のトマト。
あれを口にした瞬間、シズナの頬がはっきりと紅潮した光景が、やけに鮮明に蘇った。
「……野菜に、何か特殊な効果でも付いてるのか?」
半ば冗談、半ば本気でそう問いかけた。
〈何もないよりかは、良いと思いますが〉
どこか他人事のような返答が返ってくる。
——それはそうだ。
そうなのだが、だ。
効果を知らされないまま口にしているこっちの身にもなってほしい。
結果だけ見れば“良いこと”かもしれないが、知らずに踏み込まされるのは話が別だ。
正直に言って——恐ろしい。
「今すぐ、野菜の効果を全部教えろ!」
〈いいじゃないですか。みんな喜んでいるのですから〉
「……そうか」
一瞬、思考を止めてから、俺は淡々と言った。
「だったら、あの女神像を撤去することにする。問題ないな?」
〈……はぁ〉
深いため息。
ようやく“交渉”として認識されたらしい。
〈わかりました。では、主様に新たなスキルを伝授致しましょう〉
「……スキル?」
〈まずは畑へ移動してください〉
釈然としないまま、俺はガイドの指示に従い、小屋の裏手にある畑へと足を運んだ。
土の匂いが濃く、巨大な作物が不自然な存在感を放っている。
〈では、これよりスキル【鑑定】の使い方をレクチャー致します〉
「そんな便利なもんがあるなら、最初から教えろよ。なんで今まで黙ってた」
〈……鑑定、と唱えてください。声に出しても、出さなくても構いません〉
……あ、完全に無視された。
これ以上問い詰めても無駄だと悟り、俺は小さく舌打ちしてから呟く。
「鑑定——」
その瞬間だった。
「……おっ?」
視界に映るトマトの上に、文字情報が浮かび上がる。
【トマト 効果:魅了(小) ハート型のトマトを食べると、土地の主に好意を抱く 効果時間:24時間】
「……なんだ、これ……!」
思わず声が裏返る。
知らなかったとはいえ——
俺は、こんな危険物を鬼人族に平然と食わせていたのか。
頭を抱えずにはいられなかった。
謝罪? 弁明? いや、それ以前に何と言えばいい。
「ほ、他の野菜は!」
立て続けに視線を走らせる。
【じゃがいも 効果:筋力上昇(小) 筋力1.5倍 効果時間:24時間】
【白菜 効果:疲労回復(小) 自己再生能力向上】
【きゅうり 効果:速度上昇(小) 素早さ1.5倍 効果時間:24時間】
【かぼちゃ 効果:耐久値上昇(小) 防御力1.5倍 効果時間:24時間】
「……全部かよ」
すべての野菜に、何らかの効果が付与されている。
しかも内容は、完全に戦闘用の強化だ。
とんでもないドーピング野菜である。
幸い、効果はほとんどが二十四時間で切れる。
これ以上口にしなければ、致命的な問題にはならない——はずだ。
「……何か、問題でも?」
その日のうちに、俺は鬼人族の大人たちを集め、すべてを正直に話した。
責められる覚悟はできていた。怒号や非難を浴びることも想定していた。
だが——
「……いや、だから、そのトマトを食べると魅了にかかるんだ!」
「……」
「俺に好意を抱くようになるんだぞ!? 不本意だろ!?」
「いいえ」
即答だった。
「……は?」
思わず聞き返す。
「――いやいや、さすがにキモいだろ! アラサーのおっさんが惚れ薬みたいなトマトを作って食わせてるんだぞ!」
シズナは一歩前に出て、真っ直ぐ俺の目を見つめた。
「嫌ではありませんし、気持ち悪くもありません」
「……」
言葉が出ない俺をよそに、マツナも静かに続ける。
「この村の村長であり、我らの命の恩人であられるリョウジに好意を抱くことの、何が問題なのでしょうか?」
さらに——
「というか、雌が強く、優秀な雄に惹かれるのは自然なことだと思うぞ」
「……?」
「むしろ私は、トマトを食べなくても、いずれはリョウジの子を孕むつもりだ」
「――――っ!!?」
ほ、ホムラ!?
何を、何を言っているんだこいつは!
やはりこれも魅了トマトの影響か!?
「……ホムラ姉さんは、敵」
気がつけば、シズナの周囲から、明らかな殺気が立ち上っている。
待て待て待て。
話が、完全におかしな方向に進んでいる。
そんな俺の混乱など意にも介さず、マツナは淡々と言い切った。
「我々には、リョウジがもたらしてくれた恵みを破棄するつもりはありません。以前にも申し上げた通り——リョウジにその気があるのであれば、何人でも妻を娶っていただいて構わないのです」
……女神像、撤去どころの話じゃなくなってきた気がする。
「それに……野菜をすべて破棄してしまえば、私たちは何を食べて生きていけばいいのですか?」
静かな問いだった。
だが、その言葉は、刃物のように現実を突きつけてくる。
「……それは、そうだよな」
俺は短く息を吐いた。
理屈の上では、危険性を孕んだものは排除すべきだ。
だが、この村において“食糧”が野菜だけなのも事実。
結局のところ、俺たちは野菜を食べるしかない。
それがどれほど異様な力を宿していようと、腹は空くし、命は日々消耗していく。
「ただし……」
俺は一拍置き、全員の顔を見渡した。
「ハート型のトマトだけは、できる限り口にしないでくれ。あれは……色々と面倒だ」
言葉を濁したが、真意は伝わったはずだ。
あとから「あれはあなたが食べさせたからだ」などと、妙な言いがかりをつけられるのは御免である。
責任の所在を曖昧にしない。
余計な火種を抱え込まない。
命を賭けた異世界だろうと、その辺りの感覚は変わらない。
——これもまた、長年組織の中で揉まれてきた、サラリーマンとしての処世術なのだ。




