10話 買い出しに行こう
野菜の件については——ひとまず、保留とする。
触れれば厄介な問題だが、今すぐ結論を出せる話でもない。
ただし、それとは別に、どうしても看過できない問題があった。
この村の主食が、野菜だけであるという事実だ。
もし、麦畑だけでも整え、小麦を安定して収穫できるようになれば話は変わる。
粉に挽き、焼けばパンになる。
それだけでも、食卓の風景は幾分か豊かになるだろう。
空腹を満たすという一点においても、精神的な安定という意味においても、効果は大きい。
——だが。
思考を進めれば進めるほど、避けて通れない欠落が浮かび上がる。
決定的に、足りないものがある。
タンパク質。
すなわち——肉だ。
野菜があれば空腹を誤魔化すことはできる。
腹が膨れ、胃が満たされる。
だが、それは一時しのぎにすぎない。
体は正直だ。力は落ち、疲れは抜けず、成長は止まる。
特に、子供にとっては致命的だった。
野菜だけでは、育ち盛りの子供の成長に影響がで出てしまう。
この村が“生き続ける”ためには——必ず、肉を手に入れる術が必要だった。
「うーん……」
俺は村を歩きながら考える。
「だが、な……」
魔物を狩るにしても、装備も経験も足りない。
この周辺は、あの死海が近いこともあって危険すぎる。
そこで――
俺は一つの提案をすることにした。
「一度、街へ買い出しに行こうと思う」
幸いなことに、この世界へ来て間もない頃、王城で大臣から手渡された金貨が十枚ある。
魔族と人族で貨幣価値が同じかどうかは分からない。
だが、シズナの話では――魔族の街において、金貨一枚あれば、ひと家族が半月は慎ましく暮らせるという。
十枚あれば……最低限の食糧は確保できる、か。
そう考えながら、俺は買い出し先について尋ねた。
「それで、俺はどちらの街に行けばいいんだ? 魔族の街? それとも人族の街?」
当然、この地は魔国領だと思い込んでいた。
だから、最寄りの街も魔族のものだと――。
だが、シズナは静かに首を振った。
「いえ。この荒野は、ご覧の通り……どちらの国にも属していません」
「え? そうなのか?」
「このような不毛の地を手にしたところで、本来は誰もどうすることもできません。ゆえに、魔国領でも人族の領土でもないのです」
なるほど。
奪い合う価値すらないと見なされた土地か――。
正真正銘の、未開拓地だった。
「じゃあ……やっぱり、近くに街はないのか」
「はい。この荒野には、街どころか村ひとつ存在しません」
淡々としたその言葉に、背中がひやりとする。
「ちなみに、この荒野って……広いのか?」
「そうですね」
シズナは少し考える素振りを見せてから、続けた。
「ここから西へ、徒歩で十日ほど進むと、ミガロと呼ばれる魔族の街があります。逆に、東へ十二日ほど進めば、アルティーナという人族の街に辿り着きます」
「……徒歩で?」
「はい。ただし――」
そこで一拍、言葉を切った。
「ここは“死の大地”と恐れられる荒野です。本来、この地を十日間も彷徨うということは……それすなわち、死を意味します」
「…………え」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
俺、そんなヤバい場所に村作ってるのか……?
そのときだった。
「上をご覧ください」
促されるまま空を仰ぐ。
――そこにいた。
冗談のように巨大な鳥。
翼を広げれば、軽く家屋を覆い尽くすほどの怪鳥が、村の上空を悠然と旋回している。
「あれは……」
「あれはロックバードという魔物です。昨夜から、ああして村の周囲を飛び続けています」
「……え、何のために?」
嫌な予感しかしない。
「おそらく――私たちを狙っているのだと思います」
瞬間、変な汗が背中へと流れ落ちた。
「で、でも……何で襲ってこないんだ?」
「……?」
シズナは不思議そうに首を傾げる。
「リョウジ様が、勇者の力で皆を守ってくださっているのではないのですか?」
「…………」
――え?
いや、何もしていないけど……。
というか、俺は勇者ではない。
そこで、ふと一つの可能性が脳裏をよぎった。
〈村への入場制限を設定させていただきました〉
やっぱりか。
〈具体的には、知能指数が一定以下の生物の立ち入りを禁止しています〉
……俺たちを怪鳥から守っていたのは、【村作りガイド】レタによるギフトの力だった。
「……それ、勝手にやったのか?」
〈ご迷惑でしたか?〉
一瞬考えてから、正直に答える。
「いや。むしろ、助かったよ」
「?」
こてん、と小さく首を傾げるシズナに、いまのレタとのやり取りを簡単に説明する。
すると――
「やはり、リョウジ様の力だったのですね!」
なぜか、目を輝かせて嬉しそうに言われた。
……いや、半分くらいはAIのようなガイドの力なんだけどな。
そう心の中で呟きつつ、俺は思う。
――シズナの俺に対する信頼度、ちょっと異常じゃないか?
しかし――困った。
この荒野は、ただ歩くだけで命を削られる土地だ。死の気配が砂と風に溶け込み、息をするたびに首元へ忍び寄ってくる。そんな場所を、武芸も魔法も持たない一般人の俺が、十日もかけて移動するなど、どう考えても現実的ではない。
無謀、という言葉ですら生温い。
「それなら、心配はいりませんよ」
不意に、澄んだ声が沈黙を破った。
「私の転移で行けますから」
「……そっか!」
思わず声が弾んだ。
そうだ、シズナにはあれがあった。魔法道具――距離という概念を無意味にする、切り札が。
胸に溜まっていた不安が、ふっと軽くなる。
「でもさ、そんなに頻繁に使っていいものなのか? 使用回数とか、制限があるんじゃないのか?」
便利なものほど、代償がある。そういうものだ。
「構いません」
シズナは迷いなく言い切った。
「使わなければ、どのみち宝の持ち腐れです。それに……」
一瞬だけ視線を伏せ、彼女は静かに続ける。
「こんな時のために、母はこれを私に託してくれたんです」
その言葉には、重みがあった。単なる道具ではない。彼女の過去と、想いと、覚悟が染み込んだものなのだろう。
「……そっか」
それ以上、何も言えなかった。
ならば、ここは素直に甘えさせてもらおう。徒歩で命を賭けるより、瞬時に街へ辿り着ける手段があるなら、それを使わない理由はない。
問題は――行き先だ。
魔族の街ミガロか、人族の街アルティーナか。
距離だけを考えれば、近いのは魔族の街ミガロである。
だが。
「リョウジ様が行くなら、アルティーナの方がいいと思います」
シズナは、はっきりとそう言った。
「そうなのか?」
「はい。本来、魔族と人族はあまり仲が良くありません。もしミガロで、リョウジ様が異世界から召喚された勇者だと知られてしまえば……」
そこで言葉を区切り、彼女は真剣な目でこちらを見る。
「おそらく、無事ではすまないかと。勇者とは、人族で言うところの“魔王様”のような存在なのです」
「……それは」
想像しただけで、背筋が寒くなる。
魔族に囲まれ、逃げ場もなく袋叩きにされる未来。考えたくもない。
「確かに、無事では済まないだろうな」
自嘲気味にそう呟いた。
だが、別の不安が浮かぶ。
「でもそうなると……シズナは人族の街に行っても大丈夫なのか?」
魔族である彼女が、人族の街に足を踏み入れる。その危険性は、俺よりもずっと高いはずだ。
「問題ありません!」
シズナは、なぜか胸を張った。
「このように、外套を頭から被っておきますので!」
そう言って、すっぽりとフードを深く被ってみせる。
「……うん」
正直、不安は拭えない。
その格好でどこまで誤魔化せるのかも分からないし、万が一が起きた時、彼女を守れる自信もない。
だが――彼女がいなければ、俺は一歩も前に進めない。
シズナには申し訳ないが、今はそれで手を打つしかなかった。生き延びるために、選べる最善を選ぶ。それだけだ。
こうして俺たちは、タンパク質を求めて、人族の街アルティーナを目指すことになった。




