25話 潜入
ジョンソンはとろんとした目のまま、迷うことなく屋敷までの道を歩いた。魅了の効き目がよほど強いのか、自分が何をしているのか疑問に思う様子すらない。
屋敷の正門には見張りが二人。裏手には荷馬車用の通用口があり、そこにも一人立っていた。
塀は見上げるほど高く、上端には砕いた瓶の破片のようなものが等間隔に埋め込まれている。よじ登ろうとした侵入者の手足を切り裂くための仕掛けだろう。
さらに周囲を観察してみたが、警備犬や見張り台のようなものは見当たらない。だが、それは警戒が甘いという意味ではなかった。高い塀と武装した見張りだけで十分だと考えているのだろう。
塀沿いを一周し終えたところで、ジョンソンの役目は終わった。
ダクネが首筋へ手刀を叩き込む。
「――――ッ」
ジョンソンは声一つ上げることなく、その場に崩れ落ちた。
シズナが慣れた手つきで襟首を掴み、人目につかない路地裏へ転がしていく。
「この様子だと、恐らく丸一日は目を覚まさないと思います」
まるで服についた埃でも払うように手を叩くシズナを見て、やはり彼女も鬼人族なのだなと妙なところで感心した。日本の女子中高生なら、おびえて立ち尽くすばかりだろう。
「一度戻るか」
俺たちはホムラたちと合流するため、中央広場へ向かった。
屋台街へ消えていたダークゴブリンたちは、串焼きを咥えたり紙袋を抱えたりしながら集まってくる。その姿は潜入作戦の実行部隊というより、祭りを満喫した観光客そのものだった。
当然、それを見たダクネは怒りに震えていた。
「お前ら、いつまで遊んでる」
「戦士長! 向こうにすっごく美味しい串焼き屋があるだよ……ごめんだべ」
凄まれた瞬間、ダークゴブリンたちは一斉に視線を逸らした。
その様子を見ていたルイが呆れたように肩をすくめる。
「あなた達は一度、規律というものを学ぶべきですわね」
「そういうルイも、さっき饅頭買い食いしてたっすよね」
「ま、マドカ! それは黙っていなさいと言いましたわよね」
顔を真っ赤にしたルイと、にやにや笑うマドカが掴み合いになりかける。
だが、ホムラが二人の頭を軽く小突くと、それだけで揃って黙った。
俺たちは広場の隅に腰を下ろし、夜を待つ。
時間がやけに長く感じる。
通りを行き交う人々も少しずつ減り、屋台の明かりも一軒、また一軒と消えていく。
やがて空が完全に闇へ沈み、屋敷の灯りもまばらになった頃、ダクネが地面に小石を並べ始めた。
「正面、西、東。三方向から仕掛ける」
短く言いながら、太い指で石を指し示す。
「オレたちは正面から突っ込んで騒ぎを起こす。見張りも兵士も、できるだけこっちへ引き寄せる」
「その間に、西と東から忍び込むと言うわけっすね」
マドカの言葉にダクネが頷いた。
屋敷の構造と敷地の広さから考えれば、地下牢があるなら西側の可能性が高い。
その予想に基づき、西はガザの救出、東は捕らわれた母親たちの捜索を担当することになった。
ホムラ、サイハ、ルイが西。
俺とシズナ、マドカが東。
配置を聞いたホムラが棍棒を肩へ担ぎ直し、不敵に笑う。
「牢を力でこじ開けるなら私の出番だな」
「ガザも喜ぶネ、たぶん」
組み立て式の槍を完成させたサイハが、穂先で地面を軽く叩いた。
子作りの権利だの胸の大きさだので毎日のように揉めている連中だが、こういう時だけは妙に頼もしい。
誰も弱音を吐かない。
誰も失敗を疑わない。
助けに行くと決めた以上、やるべきことをやるだけだと全員が理解していた。
俺はそんな仲間たちを見回しながら、小さく息を吐く。
胸の奥に張り付いていた緊張が、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
◆
「時間だ。各自、配置につけ」
ダクネの低い声を合図に、俺たちはそれぞれの持ち場へ散った。
正面から聞こえてくるであろう騒ぎを待つため、俺とシズナ、マドカの三人は屋敷東側の塀沿いへ移動し、その影に身を潜める。
目の前には見上げるほど高い石塀がそびえていた。上端には砕いた瓶の破片らしきものが埋め込まれており、月光を受けて鈍く光っている。まともによじ登れば、手足がズタズタになるのは間違いない。
「……問題はこれをどう越えるかだな」
「心配いりませんよ。これくらいでしたら、私たち鬼人族の跳躍力ならひとっ飛びです」
シズナは何でもないことのように言うと、俺の腰をがっしりと掴んだ。
「リョウジ様、少し歯を食いしばっていてくださいね。マドカ、先に行きます」
「了解っす。いつでもどうぞ」
マドカが軽く手を上げる。
その直後だった。
ドォォォォン!!
夜の静寂を引き裂くような爆音が正門側から響き渡った。
続いて聞こえてきたのは、ダークゴブリンたちの雄叫びだ。
「うおおおおおっ!」
「突撃だべぇぇぇぇっ!」
まるで野盗の襲撃か、映画で見たインディアンの突撃そのものである。
屋敷の中でも何事かと騒ぎになったらしく、複数の足音が慌ただしく正門側へ向かっていくのが聞こえてきた。
「よし、今です!」
シズナの脚が大きく沈み込む。
次の瞬間、身体が凄まじい勢いで宙へ放り上げられた。
「ひぃっ!?」
ふわりと浮くなどという生易しいものではない。
視界が一気に跳ね上がり、胃が置き去りにされる感覚が襲ってくる。
気づけば塀の上を越え、埋め込まれた破片などまるで障害にもならない高さを飛んでいた。
そして――トン。
信じられないほど静かな着地。
俺は東側の庭へ降ろされていた。
「し、死ぬかと思った……」
情けない声が漏れる。
少し遅れてマドカも軽々と飛び越え、音もなく着地した。
さすが鬼人族である。
「な、なんだお前ら!?」
庭を警備していた男がこちらに気づき、慌てて槍を構えた。
だが遅い。
マドカが一歩で距離を詰める。
戦斧を振るでもなく、柄頭を鳩尾へ叩き込んだ。
「ぐふっ――」
男は白目を剥き、そのまま崩れ落ちる。
「ふぅ……ここからが本番っす。二人とも気を引き締めるっすよ」
さらりと言うが、やっていることは十分すぎるほど恐ろしい。
「リョウジ様、こちらから中へ入れます」
シズナが指差した先には勝手口があった。
扉に耳を当てて内部の気配を確認すると、そのままドアノブへ手をかける。
拍子抜けするほどあっさり開いた。
「こんな立派な屋敷で、裏口の鍵もかけてないんすね」
「これだけの数の警備がいるから油断しているんじゃないか」
「雑魚をいくら集めても意味ないって分かんないんすかね?」
そんな会話を交わしながら、俺たちは屋敷の中へ足を踏み入れた。
中は異様なほど静かだった。
正門側へ人員が集められているのだろう。
遠くから怒号や金属音が微かに聞こえてくるが、この辺りには人の気配がほとんどない。
「立派なお屋敷ですね」
シズナが周囲を見回しながら呟く。
「里でシズナが住んでいた屋敷の方が広かったっすよ」
「そうなのか?」
「いえ、広さというより作りですね。こちらは人族らしい建築です」
やはりシズナは鬼人族の中でも相当な家柄だったのだろう。
祖母のマツナさんも、どこか育ちの良さを感じさせる人物だったしな。
廊下は無駄に広く、磨き上げられた床には燭台の灯りが反射している。
壁には高価そうな絵画や装飾品が並び、いかにも金を持て余した貴族の屋敷という印象だった。
「とりあえず、手当たり次第に見ていくしかなさそうっすね」
「そうみたいだな」
俺たちは目についた扉を次々と開けながら屋敷の中を調べて回った。客間、応接室、誰も使っていないらしい寝室。だが母親たちの姿はどこにもなく、捕らわれた人がいるような気配も感じられない。
「これじゃ広すぎて埒が明かないっすね」
マドカが小声でぼやく。
確かにその通りだった。このまま三人で固まって探していては時間がかかりすぎる。正面で派手に暴れているダクネたちにも限界があるだろう。
「手分けして探そう。マドカはあっちの棟を頼む」
「了解っす」
マドカは即座に頷き、別の廊下へ駆けていく。
俺とシズナは反対側の通路へ向かった。
静まり返った屋敷の奥から、どこか不気味な空気が流れてくる。
捕らわれた母親たちは本当にこの中にいるのか。
そんな不安を胸の奥に押し込みながら、俺たちはさらに屋敷の奥へと足を進めた。
そこにある部屋を片っ端から調べていく。だが、相変わらず母親たちの姿はどこにも見当たらなかった。
焦りが少しずつ募り始めた頃――。
〈主様、そこの机を調べてみましょう〉
とある部屋の扉を開けた瞬間、頭の中にレタの声が響いた。
普段なら適当に聞き流しているのだが、この時ばかりは耳を傾けていた。何かアドバイスがもらえるのかもと期待していた。
しかし同時に、レタが上機嫌の時には、大抵ろくでもないことしか起きない。
「書斎、か」
俺は部屋を見渡した。
壁一面に本がびっしり並べられており、部屋の奥には立派な木製の机が置かれていた。
「やっぱりダメか」
机の引き出しを開けようとするが、鍵が掛かっていた。
〈抉じ開けてしまいましょう〉
「お前なぁ」
〈どうせ侵入者なのですから、細かいことを気にしていては負けです、負け〉
「……っ」
レタに従うのはなんか癪だったが、俺はナイフを差し込み、力任せにこじ開けた。
バキッ!
木材が嫌な音を立てて割れた。
「あちゃ……壊しちゃったか」
立派な木材を使用していることから、かなり高価なものだったのだろうと推測する。
元サラリーマンの俺の額に嫌な汗が滲んだ。
「あとで弁償しろとか言われないだろうな」
言われたところで払えるものがないのだけど……。
「なんだこれ?」
中から出てきたのは、一枚の羊皮紙だった。
赤い封蝋には見覚えのない紋章が刻まれている。
「リョウジ様、それは……!」
横から覗き込んだシズナが目を見開く。
「これが何か分かるのか?」
「恐らく領地割譲の勅許状です。王家の印が押されています」
言われて改めて見てみる。
確かに封蝋や署名欄には、いかにも権威がありそうな装飾が施されていた。
「名義は誰になってるんだ?」
「ダンガン=ガーミン、と書いてありますね」
聞いたことのない名前だったが、おそらくこの街の領主なのだろう。
会ったこともないし、顔すら知らない相手だ。
〈主様、そこにペンがありますね〉
「だからなんだよ?」
〈この際ですから、ちゃちゃっと主様のお名前に書き換えちゃいましょう〉
「は?」
思わず声が漏れる。
「そんなことして何の意味があるんだよ」
〈意味ならあります、名義変更です〉
まるで近所の回覧板でも書き換えるかのような軽さだった。
「いやいやいやいや。何言ってんだお前。そんなのは法的に無効だろ」
〈私には関係ありません。ですから、問題ありません〉
「問題しかねぇよ!」
だが、レタは俺の意見をまるで聞かない。女神像を建てなければストライキを起こすと言った時とまるで同じだった。
つまり、こうなったレタは止まらない。
〈さあ、早く〉
圧が凄い。
「こんなことしてる場合じゃないんだけどな……」
俺は半ば投げやりな気持ちで机の上のペンを取った。
そしてダンガン=ガーミンの名前に棒線を引き、自分の名前を書き加える。
刹那――。
〈おめでとうございます。新たな村の獲得に成功しました!〉
「は?」
〈アルティーナを加治木リョウジの村(2)に登録しますか?〉
「ちょっ、ちょっと待てぇぇぇぇぇぇ!?」
思わず叫んだ。
シズナが驚いて肩を震わせる。
「リョ、リョウジ様? どうかなされたのですか?」
「いや、違うんだ! すまん」
〈おめでとうございます〉
「なんでアルティーナが俺の村になるんだよ! つーか村じゃないだろここ! 街だろ!」
〈細かいことを気にしてはいけません〉
レタは気にすることなく話を続けた。
〈村は多い方が何かと便利ですので、こちらで登録しておきますね〉
「あ、ちょっ――」
返事を待つ気すらなかった。
頭の中で何かが勝手に処理される感覚が走る。
〈登録完了です〉
「勝手にするなよ!」
ぱっぱかぱーん。
さらに追い打ちをかけるように、頭の中で場違いなファンファーレが鳴り響いた。
どこかのゲームのレベルアップ演出そのままである。
しかも新しい機能まで増えていた。
「……なんで今なんだよ」
頭が痛くなってきた。
ロキソニンを持っていないことが悔やまれる。
とりあえず、考えることをやめよう。
〈勅許状は大事に保管していてくださいです〉
レタの声は心底嬉しそうだった。
俺は深いため息を吐きながら勅許状を懐へしまう。
すると廊下の様子を窺っていたシズナが、はっと顔を上げた。
「リョウジ様!」
「どうした?」
「マドカです! 母親たちを発見したようです!」
「本当か!?」
胸の中に溜まっていた重苦しい不安が一気に吹き飛ぶ。
「参りましょう」
「ああ!」
俺とシズナは書斎を飛び出した。
正門の方角からは今も激しい怒号と破壊音が響いてくる。
ダクネたちの体力も無限ではない。早いところ母親たちとガザを救出してずらからなければ。
俺たちは急ぎ足で廊下を駆け抜け、マドカの待つ部屋へと向かった。




