19話 新たな居場所
ガザと子供たちがダクネによって保護され、村にやって来てから数日が経過した。
最初こそ骨と皮ばかりで、死の荒野の砂にまみれていた彼らだったが、今では見違えるほど元気になっている。
その理由は間違いなく、この村の食卓にあった。
「う、美味ぇ……! 何度食ってもこの美味さは異常だ……! 身体の奥から力が、こう、じわじわと湧いてきやがるぜ……! 大将! この村は一体どうなってやがんだ!」
詰所の食堂で、ガザは山盛りにされた白菜ととうもろこしの特製スープを豪快に口へ運び、感動のあまり肩を震わせていた。
その隣では、魔族の子供たちも小さな口をいっぱいに開けながら、村の皆で手塩にかけて育てた野菜のフルコースを夢中で頬張っている。
「おいしい!」
「ねぇ見て! お肉も入ってる!」
「こんなの初めて食べた!」
無邪気にはしゃぐ子供たちの姿は、数日前までの怯え切った様子が嘘のようだった。
……相変わらずうちの畑の野菜たちは、食べた者にデタラメなバフ効果を発揮しているらしい。
ただのスープのはずなのに、まるで高級な回復薬――ポーションでも飲んだかのように、ガザたちの顔にはみるみる健康的な血色が戻っていた。
痩せ細っていた腕には少しずつ肉が付き始め、子供たちの瞳にも生気が宿っている。
「おかわりあるからね。たくさんお食べ」
マツナさんが柔らかな微笑みを浮かべながら大鍋を差し出すと、子供たちは嬉しそうに器を掲げた。
人間も魔族も関係なく、ただ飢えた者を温かく迎える。
実際に飢えを経験した鬼人族の人たちだからこそ、似たような境遇のガザや子供たちを放っておけないのだろう。
そんな光景を見ていると、この村を作って良かったと心から思える。
俺はそんな村の日常が、やはり好きだった。
だが、ふと気づく。
ガザは美味そうに飯を食い、村の者たちと気さくに言葉を交わしてはいるものの、その眼だけは時折鋭く村の様子を観察していた。
通りを行き交う鬼人族の戦士たち。
小さな身体を忙しなく動かしながら働くダークゴブリンたち。
笑いながら洗濯をしている女たち。
元気よく走り回る子供たち。
そして、この村の村長である俺自身のことも。
シズナと話している時も、ベンゾウと仕事について相談している時も、のんびり畑をいじっている時でさえ、ガザは遠くからこちらを見ていた。
俺が誰と話し、何を決め、どう振る舞うのか。
まるで何かを測るように、その目は細かなところまで見逃そうとしない。
ガザは見極めようとしているのだと思う。
この村が本当に信用に足る場所なのかを。
そして俺が、子供たちを任せるに値する人間なのかを。
そんなある日の夜だった。
見回りの途中、子供たちの寝所となっている詰所の一室の前を通りかかった時、小さな泣き声が聞こえてきた。
俺は足を止め、その部屋をそっと覗き込む。
部屋の中では何人かの子供たちが寝苦しそうに身をよじっていた。
「ママ……どこ……?」
「あいたいよぉ……ママ……」
まだ幼い子供たちが夢の中でうなされている。
その傍らではシズナが静かに腰を下ろし、一人一人の背中を優しく撫でながら子守唄を口ずさんでいた。
昼間は笑顔を見せていても、夜になると隠していた寂しさが顔を出す。
どれだけ安全な場所に辿り着いても、失った家族が戻ってくるわけではないのだから。
俺は何も言えず、ただ静かにその場を離れた。
翌朝――。
食堂にはいつも通りの賑やかな空気が流れていた。
だが、ふとした拍子に子供の一人がぽつりと呟く。
「このお野菜、すっごく美味しいね」
その子は手にしたパンを見つめながら、少しだけ寂しそうに笑った。
「……でも、ママの作った硬いパンも、また食べたいな……」
その一言に、食堂の空気が僅かに静まり返った。
隣でフォークを握っていたガザの身体がぴくりと強張る。
ゴロツキのような強面が苦しそうに歪み、握り締めた拳には血管が浮かび上がっていた。
「……クソッ」
掠れた声が漏れる。
「合わせる顔がねぇ……」
その呟きには、底知れない後悔と苦渋が滲んでいた。
守れなかった者たちへの後悔。
救えなかった者への罪悪感。
そして、そんな自分自身への怒り。
俺はシズナと視線を交わし、小さく頷く。
そろそろ聞かなければならないだろう。
ガザたちに何があったのかを。
「ガザさん。あとで少し、話をいいですか?」
ガザは数秒だけ黙り込み、それから静かに頷いた。
「……ああ」
そして酒焼けしたような低い声で続ける。
「オレもちょうど、大将に話したいことがあったんだ」
それから場所を村長室――といっても、俺の家屋のリビングなのだが――へ移した。
窓の外では夕陽が沈みかけており、村のあちこちから夕食の支度をする音が聞こえてくる。俺は井戸から汲んできた冷たい水を差し出し、ガザは礼も言わずにそれを受け取ると、ごくごくと喉を鳴らしながら一気に飲み干した。
「隠してても仕方ねぇな」
空になった木のコップを机へ置き、短く息を吐いたガザがこちらを見る。
「……大将。あんた、あの子供たちの母親がどうなったか気になってるんだろ」
確かに気にならないわけではなかった。だが、無理に聞き出していい話なのかとも思っていた。
「アルティーナの街では、ガザさんと子供たちだけが荒野流しにされたんですよね? あの時、広場には母親らしき女性の姿は見当たりませんでしたから。何か事情があるんですよね」
俺が慎重に言葉を選びながら尋ねると、ガザは椅子の背もたれへ身体を預け、しばらく黙り込んだあと、ぼんやりと天井を見上げた。
「……オレは風来坊でね。あの街に立ち寄った時、偶然見ちまったんだ。領主のクソ野郎どもの私兵に腕を掴まれて、屋敷へ連れて行かれそうになっていた魔族の女どもをな」
そう言いながら握り締められた拳には力が入り、節くれ立った指が白くなっている。
「オレは昔からこういうのを見過ごせねぇ性分なんだ。だから連中の後を付けて、夜になってから領主の屋敷に忍び込んだ。なんとか助け出そうと思ってな」
そこでガザは一度言葉を切り、思い出したくもない光景が脳裏を過ったかのように目を閉じた。
「詳しいことは話したくねぇが、とにかくそこであいつらの母親に会った。自分たちはどうなってもいいから子供だけは助けてくれって、床に頭を擦りつけながら何度も頼まれたんだ。泣きながらな」
ガザは苦笑したが、その笑みは酷く痛々しかった。俺は何も言えない。そんな話に軽々しく言葉を挟めるはずがなかった。
「そんなもん見せられて、見捨てられるわけがねぇ。そうだろ、大将!」
その後、ガザは奴隷として捕らえられていた子供たちを逃がそうとしたが計画は失敗し、捕らえられた末に暴行を受け、子供たちと共に荒野へ捨てられた。
それがあの日、俺たちが見た光景だった。
「情けねぇ話だ。結局、あいつらの母親たちは助けられなかった」
自嘲するように呟いたガザの声には、今も消えない後悔が滲んでいる。
「オレはあいつらの母親と約束したんだ。何があってもガキどもだけは守るってな。だから何が何でも守り抜かなきゃならねぇ」
そう言ったガザはゆっくりと部屋の中を見回した。木造の壁や手作りの家具、窓の外に広がる穏やかな村の風景を眺めながら、静かに続ける。
「……大将。この数日、あんたらの村をじっくり見させてもらった。鬼人族もダークゴブリンも人間も関係なく、みんなで笑って働いて同じ飯を食ってやがる。そんな光景を何日も見てきたから分かるんだ」
そこでガザは立ち上がると、俺の前で深々と頭を下げた。その姿は風来坊としての意地も誇りも捨て去り、ただ子供たちの未来のためだけに頭を下げる一人の大人そのものだった。
「オレはケジメをつけるため、いつかこの村を離れる日が来る。……だが、あいつらだけはここに住まわせてやってくれねぇか。この村なら安心して託せられると思ったんだ。あいつらの母親たちの命懸けの願いを……どうか聞いちゃくれねぇか!」
顔を上げたガザの目には曇りがなかった。
自分の命よりも、まず子供たちの未来を優先する。その姿を見ていると、以前ガザが言っていた、“大人が子供を守るのは当たり前だ”という言葉を思い出す。
まさにその言葉通りの男だと思い、俺の頬は自然と緩んでいた。
「頭を上げてくれ、ガザさん。俺も、村のみんなも最初からそのつもりです。この村はまだ何もないけど、幸い敷地だけはいくらでもある。子供たちには腹一杯美味いもんを食わせて、週休二日制……いや、子供だから毎日が休みですね。全力で遊んでもらいますよ」
ガザは目を見開いたまま俺を見つめていた。
「それに、うちの村を気に入ってくれたなら、ガザさんだっていつでも歓迎します。ケジメをつけて帰ってきたくなったら、その時は遠慮なく戻ってきてください」
しばらく黙っていたガザだったが、やがて鼻を鳴らすと傷だらけの顔を不器用に歪めて笑った。
「へっ……。とんでもねぇお人好しの村だぜ、ここは」
その笑みは、この村へ来てから一番自然なものだった。
その瞬間、久々にレタの声が脳内へ響き渡る。
〈子供たちを正式に村の住民として登録してもよろしいですか?〉
「やけに嬉しそうじゃないか」
〈それはもう。ダークゴブリンたち以来の新たな住民ですから〉
レタの弾んだ声が脳内に響く。
なんだかテンションが妙に高い。
「……大将?」
あ……しまった。
ついいつもの癖で、ガザが居るにも関わらずレタと普通に会話してしまった。
虚空に向かって話していた俺を見て、ガザが不思議そうに首を傾げる。
「誰と話してんだ?」
「えっと……」
「リョウジ様は、女神様の信託を聞くことが可能なんです」
助け舟を出してくれたのはシズナだった。
ガザは「ほぉ」と感心したように目を丸くする。
「ほへぇ。そりゃすげぇや」
驚いてはいるが、疑っている様子はまるでない。
普通なら絶対に信じないような話なのに。
本当にこの人はお人好しなのか、それとも人を信じる度量が大きいのか。
少し心配になるレベルである。
〈魔族の子供たちを正式に村の住民として登録しました〉
レタの声が再び響く。
〈これで村の住民数が増加しました。この調子でどんどん増やしていきましょう〉
「どんどん増やしていきましょう、じゃないんだよ」
思わず苦笑が漏れる。
相変わらずレタの中では、村の人口増加は最優先事項らしい。
「さすがにレベルは上がらないか」
住民が数人増えた程度では、【村作り】のレベルは上がらないようだ。
まあ、焦る必要もないだろう。
この村はまだまだ発展途上だ。
いずれ住民も施設も増えていくはずである。
「ガザさんも、しばらくは村に居るんですよね?」
俺がそう尋ねると、ガザは少し意外そうな顔をした。
「いいのかい?」
「もちろん」
俺は即答した。
「この村には同年代の男がいないんです。できれば友人になってほしいくらいですよ」
ガザは一瞬だけ目を見開く。
それから照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「オレでよけりゃ、こっちから頼みたいところだぜ」
そう言って差し出された大きな手を、俺はしっかりと握り返した。
長年剣や拳を振るってきたのだろう。
その手は硬く、ごつごつとしていた。
「んじゃよぉ」
ガザがニヤリと笑う。
「そのかたっ苦しい敬語は終いにしようぜ、大将」
「確かに、友人相手に敬語は変か」
「だろ?」
俺も思わず笑ってしまう。
「それじゃ、これからもよろしくな。ガザ」
「おう」
ガザは満足そうに頷いた。
日本にいた頃の俺は、人付き合いが得意な方ではなかった。
学校でも。
社会人になってからも。
気付けば周囲との関係は希薄になり、友人と呼べる相手もいなくなっていた。
だからこそ思う。
まさか異世界に来てから、この歳になって友人ができるとは想像もしていなかった。
村ができた。
仲間ができた。
そして友人までできた。
最初はただの成り行きだったのに。
気付けば俺は、一人ではなくなっていた。
窓の外では、夕暮れの村に子供たちの笑い声が響いている。
その声を聞きながら、俺は静かに目を細めた。
生きていれば人生何があるか分からないとは、本当によく言ったものだ。




