18話 荒野からの来訪者
ダークゴブリンたちが村の住民として馴染み、週休二日制のシフト表が本格的に回り始めてから数日後のことだ。
詰所でベンゾウを相手に、これからの村の労務管理について追加講義を行っていた俺のもとへ、一匹のゴブリン兵が息を切らせながら飛び込んできた。
「村長! 大変だべ! ダクネ隊長が荒野の巡回中に生き倒れの人間と魔族を発見しただよ! いま連れ帰られたとのことだよ!」
「生き倒れ? 人間と魔族が?」
思わず眉をひそめる。
どういうことだ。
死の荒野で、人間と魔族が一緒に行動していたというのか。
「ダクネ隊長の話では、大人の人間が一人と、魔族の子供たちが数名……! 全員、意識がないとのことだよ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺はベンゾウと顔を見合わせた。
ただ事ではない。
椅子を蹴るように立ち上がり、そのまま詰所を飛び出す。
近くにいたシズナも異変を察したらしく、すぐに後を追ってきた。さらにマツナさんやホムラたちも合流し、気づけばちょっとした人だかりになっていた。
村の入り口へ駆けつけると、ダクネ率いる警備隊が数人の身体を急造の木製担架に乗せて運び込んでいるところだった。
「――!」
その姿を見た瞬間、俺の思考が一瞬だけ停止した。
灼熱の太陽に焼かれた肌。
ひび割れた唇。
痩せ細った身体。
だが、その奇抜な髪型には見覚えがあった。
頭頂部の髪だけを長く伸ばし、鋭く逆立たせたモヒカン頭。
アルティーナの街で見かけた、あの男だ。
そして男の腕の中には、小さな角や尻尾を持つ魔族の子供たちが抱き寄せられていた。まるで何よりも大切な宝物を守るかのように。
男自身は骨と皮だけになりかけているというのに、その腕だけは最後まで子供たちを離さなかったのだろう。
「おい、これって……」
俺が呆然と呟くと、隣にいたシズナが小さく息を呑んだ。
「あ……」
その顔を見ただけで分かった。
彼女も気づいたのだ。
「リョウジ様、あの方です……! アルティーナの広場で、魔族の子を逃がそうとして捕まっていた、あの時の人間です!」
シズナの声はわずかに震えていた。
あの日、俺たちは目の前で理不尽を見た。
だが、何もできなかった。
俺の力不足ゆえに救うことを諦め、その事実は彼女の胸にも深い後悔として残り続けていた。
その男が今、こうして俺たちの目の前にいる。
「マツナさん、すぐに水を用意してください! ホムラ、子供たちを冷房の効いた詰所へ運ぶんだ! シゲ爺は白菜のスープを大急ぎで頼む!」
俺は一度深呼吸して頭を冷やし、矢継ぎ早に指示を飛ばした。
不思議なほど迷いはなかった。
今度こそ、この手を伸ばさなければならない。
そう魂が理解していたからかもしれない。
詰所の簡易ベッドに寝かされ、冷房の心地よい風に吹かれるうちに、モヒカン男の瞼がゆっくりと持ち上がった。
乾き切った唇がかすかに動く。
「……ここは、どこだ……。子供、たちは……」
「安心しろ。子供ならみんな無事だ。隣の部屋でちゃんと寝かせてある」
男は視線を彷徨わせたあと、安堵したように大きく息を吐いた。
そして、俺の後ろに控えていたシズナへ目を向ける。
その瞬間だった。
濁っていた瞳に、はっきりと光が戻った。
「あんた……あの時の、広場にいた……」
「はい……。あの時は、お助けできなくて、本当にごめんなさい」
シズナが深々と頭を下げる。
するとモヒカン男は、傷だらけの顔を不器用に歪め、小さく笑った。
「なんであんたが謝るんだ……。そうか、あんたは無事だったんだな。良かった……」
男は目を細めた。
「ああ、本当に良かった。あの街の連中は魔族と見れば容赦しねぇからな。ずっと心配だったんだ」
自分だって死にかけていたはずだ。
それなのに真っ先に他人の無事を喜ぶ。
一体どれだけお人好しなんだ。
ゴロツキそのものの見た目とは裏腹に、その言葉には一切の棘がなかった。
そこにはただ、純粋な優しさだけがあった。
曲がったことが嫌いで、一度決めたら最後まで貫き通す。
そんな男なのだと、少し言葉を交わしただけでも伝わってくる。
やがてシゲ爺たちが作った炊きたての握り飯と、疲労回復効果のある白菜をたっぷり使った温かいスープ、そして冷たい井戸水が運ばれてきた。
食事の匂いが広がった瞬間、別室で休ませていた子供たちも目を覚ました。
彼らは最初こそ怯えたような目をしていたが、モヒカン男の姿を見つけると一斉に駆け寄り、そのまま用意された食事へ飛びついた。
握り飯を抱えるように持ち、口いっぱいに頬張る。
スープを零しそうな勢いで飲み干した。
誰も喋らない。
喋る余裕すらないのだ。
それほどまでに飢えていた。
モヒカン男もまた負けじと飯をかき込み、水を何杯も飲み干した。
そしてようやく空になった器を置く。
「ぷはぁっ! 生き返った……!」
大きく息を吐き出しながら、丸く膨れた腹を叩く。
「なんだこの美味ぇ飯は! 身体の芯から力が湧いてきやがるぜ!」
その顔には、ようやく人間らしい血色が戻り始めていた。
一息ついたのを見計らい、俺は真剣な面持ちでモヒカン男へ向き直った。
「改めて自己紹介をさせてもらいます。俺はこの村で村長をやっている加治木リョウジといいます。あなたは一体どうやってここまで来たんですか」
「おう、こいつはご丁寧に。 オレはガザ。見ての通り、しがない風来坊さ!」
ガザは照れ臭そうに鼻の下を擦った。
「あの日、あの街のクソ領主に“荒野流し”にされちまってな。このガキどもと一緒に、身一つで大荒野へ放り出されたんだ」
そう言いながら、隣に座る子供たちの頭を大きな手で優しく撫でる。
その手つきは驚くほど丁寧だった。
「オレ一人だけなら、これも運命かって諦めてたかもしれねぇ。だが実際は違った」
ガザは子供たちを見つめた。
その視線には迷いも後悔もない。
「この子らには何の罪もねぇ。子供ってのは大人が守るもんだ。そうだろ、村長さんよぉ?」
俺は黙って頷いた。
否定できるはずがない。
「だからオレはこんなところで死ねねぇと思ったんだ。この子らを西にあるっていう魔族の街――ミガロへ送り届けるまではな」
そこまで話したところで、ガザは何とも言えない顔をして頭を掻いた。
「なのにこの有様だ。情けねぇ話だぜ」
苦笑しながら肩を竦める。
「ロックバードに追われ、水も食料も尽きてよ。最後はもうダメだと思った。そしたら見たこともねぇ真っ黒なゴブリンどもが何処からともなく現れたんだ」
ガザはダクネへ視線を向けた。
「ありゃビビったぜ。さすがのオレも終わったと思ったもんよ」
腕を組んで壁に寄りかかっていたダクネが鼻を鳴らす。
その様子に小さな笑いが起きた。
だが俺には、あの日からずっと引っかかっていた疑問があった。
「ガザさん」
「ん?」
「あなたは人間だ。そしてミガロは魔族の街だ」
ガザがそっとこちらを見る。
「仮に奇跡的に死の荒野を越えられたとしても、人間のあなたが受け入れられる保証なんてなかったはずだ。それどころか、街に近づいた瞬間、その場で殺されていた可能性だってある」
この世界では人間と魔族は敵同士だ。
その常識を、この世界で生まれ育ったガザが知らないはずもない。
知っていてなお命を賭けたのなら。
その理由を俺は知りたかった。
ガザは少しだけ目を見開いた。
そして数秒考えるように黙り込む。
やがて、呆れたような顔で口を開いた。
「それがどうした?」
「え?」
「大人が子供を守るのは当たり前じゃねぇのか?」
ガザの声は落ち着いていた。
だが、その一言は妙な重みを持っていた。
「自分の命が惜しいからって、村長はそんな理由で子供を見殺しにできるのかい?」
俺は答えられなかった。
ガザは続ける。
「それとも何か? 魔族だから放っておけばいい。そんなくだらねぇことを言う連中と同じだって言うのかい?」
シズナの眉間にむっと皺が寄った。
――いや、シズナだけじゃない。
ホムラも。
マツナさんも。
ダクネも。
シゲ爺も。
この場にいた全員が一斉にガザを睨みつけていた。
ガザはその空気に気付き、慌てて両手を上げる。
「おっと、勘違いするなよ?」
そして豪快に笑った。
「分かってるさ、お嬢ちゃん。この人はそんな人じゃねぇ」
シズナたちの視線が少し和らぐ。
「目を見りゃ分かる。これでもオレは世界中を放浪して、色んな連中を見てきたんだ」
ガザはゆっくりと周囲を見渡した。
「だが未だかつて、人間と魔族、それに魔物まで一緒になって暮らしてる村なんざ見たことも聞いたこともねぇ」
ダークゴブリンたち。
シズナたち魔族。
そして人間の俺。
そこにいる全員を順番に眺める。
「あんたらがこの人を村長と呼んで慕ってることくらい、一目見りゃ分かるってもんだ」
「つまり、大人としての責任を果たしただけだと?」
俺が尋ねると、ガザは即答した。
「おうよ!」
その返事に一切の迷いはない。
自分を英雄だと思っているわけでもなければ、称賛が欲しいわけでもない。
ただ、自分が正しいと思ったことをやっただけ。
それだけなのだ。
だからこそ、その言葉は信用ができた。
しばらくの沈黙が流れる。
だが、それは決して居心地の悪いものではなかった。
「……ふっ」
最初に吹き出したのはホムラだった。
そして次の瞬間――。
「ハハハハハ!」
豪快な笑い声が詰所に響く。
「気に入ったぞ、人間の戦士よ! 実に見事な心意気だ!」
ホムラは楽しそうに笑った。
ダクネも深く頷く。
その強面には、同じ戦士として最大級の敬意が浮かんでいた。
「命を賭して弱き者を守るか。見上げた男だ」
シゲ爺も感心したように何度も頷いている。
マツナさんは柔らかな微笑みを浮かべていた。
そしてシズナ――彼女は静かに笑っていた。
長い間胸に刺さっていた棘が、ようやく抜け落ちたような顔だった。
あの日、救えなかったと思っていた男は生きていた。
しかも最後まで信念を曲げることなく。
それが彼女には何より嬉しかったのだろう。
俺はそんな皆の姿を見ながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
そして自然と口元が綻ぶ。
「ガザさん」
「ん?」
「あなたは最高に馬鹿で――最高に格好いい大人だよ」
一瞬だけガザが照れ臭そうに視線を逸らした。
「へっ。褒めても何も出ねぇぞ」
だが、その顔は少しだけ嬉しそうだった。
詰所の中に笑い声が広がる。
人間も。
魔族も。
魔物も。
誰もが同じ空間で笑っている。
それは、この過酷で不条理な異世界にはあまりにも似つかわしくない光景だった。
だからこそ――どこまでも温かかった。




