16話 シフト表
ダークゴブリンたちを村の住民として迎え入れてからというもの、村の空気は目に見えて変わっていた。
以前は物静かだった通りも、今ではダークゴブリンたちの笑い声が聞こえてくる。
賑やか——そう言ってしまえば簡単だが、それは単なる騒がしさではない。生き物の気配が、村全体に根を下ろしはじめた感覚だった。
村の至る所で、ゴブリン警備隊の姿が見受けられる。
短い脚で忙しなく巡回しながらも、その目は鋭く、手にした武器の扱いにも無駄がない。
鬼人族の子供たちは最初こそ距離を取っていたが、今では彼らの後ろをついて回り、奇妙な親近感すら芽生えつつあった。
ダークゴブリンたちは、それを邪険にすることもなく、必要以上に近づくこともなく、ただ淡々と“役目”を果たしている。
秩序は、音を立てずに生まれる。
この村でもまた、その兆しが静かに息づきはじめていた。
しかし、まあ、何事も例外はある。
「お前は昨日、詰所勤務だっただろ!」
「違うだよ! おらは昨日、一日中櫓に立ってただ!」
「まあまあ、落ち着いてください」
詰所の前も、朝から賑やかだった――いや、正確には騒がしい。
レベルが上がったことで、村に新たな施設を設置できるようになった。
そのひとつが、この「詰所」である。
村の警備を担うダークゴブリンたちが二十四時間常駐する施設なのだが、思わぬ問題が発生していた。
詰所には簡易ながら冷房設備が備えられており、炎天下や夜露に晒される外回りと比べれば、天国のような環境だったのだ。
結果――
詰所勤務を巡って、希望者が殺到した。
公平を期すため交代制を導入したものの、数が多いせいか認識の齟齬が頻発し、こうして口論に発展することもしばしばある。
「ああ、これはこれは村長殿」
仲裁に入ろうとしたところで、丸眼鏡をくいと押し上げながら、一体のダークゴブリンが頭を下げてきた。
「いやはや、お恥ずかしいところをお見せしてしまい、誠に申し訳ありません」
彼の名は――ベンゾウ。
丸眼鏡がやけに似合う、少し猫背気味のダークゴブリンだ。
ちなみに、この名前は俺が付けた。
というのも、ダクネ以外のダークゴブリン数名を鑑定してみた結果、彼らの多くには「名前」が存在しないことが判明したからだ。
マツナの話では、通常の魔物に固有名詞はなく、ダクネのように名を持つ存在は“ネームド”と呼ばれる特殊個体なのだという。
しかし、それでは困る。
百を超える大所帯を「おい」「そこの」で呼び分けるなど、無理がある。
――なら、付けてしまえばいい。
そうして、俺は勝手に名付け親になった。
ベンゾウは、特別に頭が切れるわけではない。
ただ、丸眼鏡を掛けていた。それだけの理由だ。
……子供の頃に観ていたアニメのキャラに似ていたから、というのは本人には秘密である。
「いつもこんな調子なのか?」
「ええ……数が多いもので、皆、自分の持ち場を完全には把握しきれていないのです」
ベンゾウは困ったように肩をすくめた。
「シフトは作ってないのか?」
「シフト……ですか?」
通じていない。
この時点で察した。
――これは、文明レベル以前の問題だな。
「いいか。まず毎日持ち場を変えるのはやめるんだ」
「ほう……?」
「内勤と外勤は、五日に一度交代させる」
「五日……ですか?」
ベンゾウは眼鏡の奥で目を瞬かせる。
「しかし、なぜ五日なのです?」
「いい質問だ」
俺は指を一本立てた。
「五日働いて、二日は休みを作るためだ」
「休み……?」
「毎日働くのは不健全だ。たまには何もせず、ぐーたらする日があったって罰はあたらんだろ?」
ベンゾウは、しばらく黙り込んだ。
その表情は、雷に打たれたかのようだった。
「……働かなくて、よい日が……存在する……?」
「当然、存在するだろ」
断言すると、彼は震えるように息を吸った。
「なんと……なんと慈悲深き制度……!」
いや、大げさだ。
「それを分かりやすくまとめたものが、シフト表だ」
「シフト表……」
その言葉を、宝物のように噛み締めるベンゾウを見て、俺は内心ため息をついた。
――これは、村づくりというより、社会づくりだな。
ダークゴブリンたちに、人として――いや、村人として生きるための基礎を、ここから一つずつ教えていく必要がありそうだった。
俺は覚悟を決める。
「……よし。今日はまず、シフト表の作り方からだ」
異世界で、まさか労務管理の講義をすることになるとは。
人生、何が起こるかわからないものである。
「――とまあ、こんな感じだ」
そう締めくくり、俺は黒板代わりの木板に視線を落とした。
目の前には、ベンゾウを筆頭に選抜された詰所の文官候補――要するに事務員見習いたちが並んでいる。
全員がダークゴブリンだが、背筋を伸ばし、借り物の紙と炭筆を握る様子は、どこか初々しくもあった。
今日の講義は、シフト表の作り方と仕事の在り方について。
誰が、いつ、どこで、何をするのか。
それを明文化し、全員で共有する――たったそれだけのことが、彼らにとっては革命的だったようだ。
「休み……休み……」
「働かない日が、正式に許される……」
小声で反芻するように呟く者もいる。
どうやら“休日”という概念が、まだ完全には腹落ちしていないらしい。
そんな中――
「本日の昼食は、おにぎりですよ」
柔らかな声とともに、戸口にシズナの姿が現れた。
「……!」
「つ、ついに米が食えるのか!?」
場の空気が一瞬で変わる。
静まり返っていた室内に、ざわめきと期待が走った(主に俺の)。
「よし、今日の講義はここまでだ」
「ありがとうございました、村長殿!」
一斉に頭を下げるダークゴブリンたちに手を振り、俺は立ち上がった。
――正直に言えば。
レベルが上がったことで得られた恩恵の中で、俺が一番嬉しかったもの。
それは、詰所や便利な施設でもない。
作物一覧に、“稲”が追加されたことだった。
しかも、追い風はそれだけではない。
先日、ダークゴブリンたちが死海の森から捕獲してきたのは、鶏によく似た魔物――コカトリス。
最初に見たときは、
「なんちゅうもんを持って帰ってきやがった!」
と、思わず怒鳴りそうになった。
だが、よくよく話を聞けば、コカトリスは非常に希少な魔物であり、一度懐けば、毎日新鮮な卵をいくつも産んでくれるという。
問題はただ一つ。
――とにかく懐かない。
しかも凶暴ときた。
しかし、俺には切り札があった。
魅了のトマトである。
餌に混ぜ、半信半疑で与えてみたところ――
驚くほどあっさり、懐いた。
今では首を傾げてこちらを見上げ、卵を産むたびに誇らしげに鳴く始末だ。
米に、卵。
これで醤油があれば完璧なのだが――
さすがにそこまで贅沢は言えない。
それでも。
本日の昼食は、炊きたての白米で握ったおにぎりと、ふんわりと焼き上げた卵焼き。
この世界に来てから、ようやく“まともな食事”と呼べるものにありつける気がする。
胸の奥から、じんわりと湧き上がる喜び。
思わず跳びはねそうになるのを、必死でこらえた。
――ああ。
村を作るっていうのは、こういうことなんだな。
剣でも魔法でもなく、
飯と、仕事と、休み。
それらが揃って初めて、人も魔物も生きていけるのだ。




