13話 一か八か
「お、おいレタ! あの結界は本当に大丈夫なんだろうな!? ちゃんと、ダークゴブリンの侵入を防げるんだろうな!」
自分でもわかるほど、声が上ずっていた。喉の奥がひりつき、言葉が乱暴に吐き出される。冷静さなど、とっくに霧散している。
アパート周辺では村人たちが息を殺し、遠くでは結界に阻まれたダークゴブリンの群れが、黒い塊となって蠢いていた。
〈……ある程度の強度は、保証します〉
「そんな曖昧な答えを聞いてるんじゃない!」
俺は叫んだ。
「大丈夫なのか、そうじゃないのかだ! 不可視の壁は――あの結界は、破られないんだよな!?」
返答は、すぐには来なかった。
ほんの一瞬。だが、その沈黙は、やけに長く感じられた。
やがて、申し訳なさを滲ませたレタの声が、直接脳裏に響く。
〈当然ながら、結界には“強度”という概念が存在します〉
「……っ」
胸の奥に、冷たい刃物を差し込まれたような感覚が走る。
要するに――相手が、その強度を上回る力を持っていた場合、結界は破られる。
それだけの話だ。
「くそっ……!」
怒りとも、恐怖ともつかない感情が一気に噴き上がり、俺は思わず物見櫓の手すりを拳で叩きつけた。乾いた音が虚しく響く。
「村長、ここは私がなんとかする!」
「はぁ!? “なんとか”って……相手の数、見えてるだろ!」
振り返った先で、ホムラはすでに覚悟を決めた顔をしていた。
俺の制止など、最初から聞くつもりもないらしい。
次の瞬間、彼女は物見櫓の縁に足をかけ、そのまま迷いなく飛び下りた。
「お、おい!」
「すまん、村長! いまは話している場合じゃない!」
その声は、どこか吹っ切れたように明るく、そして恐ろしいほど潔かった。
櫓の下には、すでに三人。ホムラの仲間である女戦士たちが、武装を整えた状態で待機していた。
彼女たちは短く言葉を交わすと、互いにうなずき合い、そのまま北側――ダークゴブリンが押し寄せる方角へと駆けていく。
「……何考えてるんだよ」
思わず、呟きが漏れた。
「たった四人で……どうこうできる数じゃないだろ……」
無謀だ。あまりにも無謀だ。
そう頭ではわかっているのに、彼女たちを止める術を、俺は持っていない。
胸の奥に、どうしようもない苛立ちが溜まっていく。
それはホムラに対する怒りであると同時に、何もできず、ただ見ているだけの自分自身への怒りでもあった。
「……どうすりゃいい」
縋るように、物見櫓から村を見渡す。
目に入るのは、食料庫代わりの小屋、いくつかの家屋、簡素なアパート。屋外調理場に井戸、そして――役に立たない女神像。
あとは、村を支えるために作った、いくつもの畑だけ。
――畑。
その一文字が、脳裏で妙に引っかかった。
「……」
一瞬、迷いが走る。
だが、次の瞬間には、覚悟がそれを押し潰した。
「……一か八か、やるしかない」
俺は梯子を掴み、勢いよく物見櫓を降りた。
足が地面を踏みしめるのももどかしく、一直線に小屋へと走り出す。
この村を――
ここで暮らす人たちを守るためにも、やるしかない。
それが、村長である俺の役目なのだから。
「リョウジ様!」
小屋へ向かって駆けている最中、不意に背後から呼び止められた。
聞き慣れた――いや、今は聞きたくなかった声だ。
走りながら振り返ると、土を蹴散らしながら、シズナが必死の形相で追ってきていた。息は荒く、それでも視線だけは真っ直ぐに俺を捉えている。
「なにやってんだ! お前もすぐに避難しろ!」
俺は声を張り上げた。
「ヤバそうなら、マツナたちと一緒に逃げるんだ!」
「嫌です!」
即答だった。
迷いも、逡巡もない。あまりにもはっきりとした拒絶に、思わず足がもつれる。
「なっ!? こんな時にわがまま言うな!」
「我儘ではありません!」
シズナは走りながらも、声を震わせず言い切った。
「私たちは、この村を失えば……もう、行く場所などないのです」
一瞬、言葉が詰まる。
彼女は唇を噛みしめ、しかし視線を逸らさなかった。
「……ですから、お願いします。私にも、手伝わせてください」
その声には、懇願以上のものがあった。
恐怖を呑み込み、覚悟を固めた者だけが持つ、重みのある響き。
ここで言い争っている時間はない。
俺は歯噛みしながら、短く息を吐いた。
「……わかった。ただし条件がある」
シズナは一瞬、息を詰める。
「本当にもうダメだと、俺が判断した時は――必ずマツナたちを連れて、どこか安全な場所へ転移しろ。いいな」
沈黙。
ほんの一拍の後、彼女は強く頷いた。
「……わかりました。でも、その時は――」
彼女は目元に力を込め、声を強める。
「リョウジ様も、一緒です!」
「ああ」
俺は即座に答えた。
「その時は、頼む」
「はい!」
短く、しかし確かな返事だった。
それから、ふと首を傾げる。
「――ところで、今はどちらへ向かわれているのですか?」
「小屋だ」
「……小屋?」
状況を考えれば、至極もっともな疑問だろう。
シズナの顔には、「なぜこの緊急時に」という困惑がありありと浮かんでいた。
だが――そこにこそ、起死回生の一手が眠っている。
「……さすがに、大量だな」
小屋の中に足を踏み入れ、俺は思わず呟いた。
毎朝収穫した作物は、すべてこの小屋に運び込まれている。
簡素な造りの建物だが、今やここは村の命綱とも言える食料庫だ。
【村作り】ギフトによって生み出された作物は、常識外れだった。
普通の野菜なら数日で衰えるところを、一週間が経過してもなお、瑞々しさを失わない。常温保存にもかかわらず、まるで今朝採れたばかりのようだ。
「……この緊急時に、野菜の確認ですか?」
さすがに、シズナの声には困惑が滲んでいた。
無理もない。説明すれば長くなるし、今は一秒でも惜しい。
「説明は後だ」
俺は手早く指示を出す。
「そこの籠を持って、ついてきてくれ」
俺は野菜の詰まった籠を一つ背負い、さらに両脇に二籠抱え込む。
ずしりと腕に重みがかかるが、構っていられない。
シズナも事情を察したのか、無言で籠を抱え上げた。
――これは、賭けだ。
成功する保証はない。
だが、他に手はない。
俺たちは小屋を飛び出した。
背後で扉が乱暴に揺れ、乾いた音を立てて閉じる。その音すら、今は置き去りにしていく。
再び、走る。
籠の中で野菜がぶつかり合い、鈍い音を立てるたび、心臓まで揺さぶられるようだった。
目指すのは、村の北側。
黒い森を背に、ダークゴブリンの群れが牙を剥く場所――死の気配が、風に混じって流れ込んでくる方角だ。
逃げるのではない。
迎え撃つためでもない。
ただ、村を守るために。
この手に残された、最後の可能性を試すために。
俺たちは全速力で駆けていく。




