第53話「ねぇ正道くん。修二って誰?」
桃花の実家の町工場に通うようになって早10日が過ぎた。
俺はこの日も桃花の宿題を片手間に見てあげながら資料を読み込み、精査し、何か見落としがないかを懸命に探していた。
しかしどれだけ探しても、俺はどうしても取っ掛かりすら見つけることができないでいた。
いたずらに時間だけが過ぎていき、同時に俺の中には大きな焦りが生まれていた。
「絶対に理由があるはずなんだ。それはこの資料のどこかにあるはず。だからあとは答えを見つけるだけの簡単な作業のはずなんだ。なのに俺はどうして手がかりすら見つけられないんだ? 父さんなら、修二なら、きっとすぐに見つけるはずだ。なのに俺は――」
「はーい! そこまで! 休憩タイム~!」
と、突然桃花が大きな声で言った。
びっくりした俺は、目を落としていた資料からハッと顔を上げた。
すると桃花が心配そうなまなざしで俺を見つめていた。
「どうした、そんな顔して」
「どうしたもこうしたもないですぅ。そろそろ休憩しないと身体に悪いよ?」
「別に休憩なんてしなくても、まだまだ余裕だ」
「ぜんぜん余裕じゃないし? さっきから独り言を言ってたの、気づいてた?」
「え――」
「ほら気付いていない。それに眉間にしわが寄って、怒ったみたいなすごく怖い顔してるよ?」
桃花が俺の頬をつんつんと指でつついた。
「……ごめん、ぜんぜん気づいてなかった」
「うんうん、元の優しい顔に戻ったね♪」
「悪い、なんか感じ悪かったみたいで」
「謝らないでいいってば。ってわけだからー、紅茶でも飲んで少し落ち着こう?」
机の上を見るとお盆の上には――入れたてなのだろう――カップに入った紅茶が湯気を立てている。
桃花が紅茶を入れたことにすら、さっきの俺は気付いていなかったらしい。
さすがに周りが見えていなさ過ぎだ。
これは一息入れる必要がありそうだな。
「わかった、そうする。少し根を詰めすぎてたみたいだ」
「そうそう、気分転換は大事だよ」
「だよな」
俺は両手を上にあげて大きく伸びをした。
バキバキバキっと凝り固まった身体が盛大な音を立てる。
「わっ、すごい音~♪」
「俺もここまでバキバキなのは初めてかもだ」
「じゃあしっかりとティーブレイクしないと。あ、クッキーもあるよ。って言っても、正道くんがお土産に持ってきてくれたのなんだけど」
「だったら今日のクッキーは実家で来客用に出してる物だから、桃花も気に入ってくれると思うぞ」
「なにそれなにそれ! ライオネル・グループの本家で出されるクッキーとかすっごく期待しちゃうんですけどー!」
というわけで俺は桃花と、クッキーをつまみながら桃花の入れてくれた紅茶をたしなんだ。
根を詰めすぎて疲れた身体に、かぐわしい香りとともに紅茶が染み渡っていく。
「美味しい。桃花は紅茶を入れるのも上手だな」
「えへへ、まーねー。来客用のお茶とかも頼まれたりするんだ~」
「そいつはすごいな。桃花はこの工場の営業に一役かっているわけだ」
「いわゆる看板娘ってやつ?」
「間違いないな」
「えへへ~」
俺が断言したのが嬉しかったのか、桃花が恥ずかしそうに頬を染めた。
と、そこで会話が途切れ、しばらくお互いに無言で紅茶をすする時間が過ぎていく。
張りつめていた気持ちがだいぶんほぐれてきたところで、桃花がおずおずと尋ねてきた。
「ねぇ正道くん。修二って誰?」
「なんで桃花がその名前を――」
肩がびくりと跳ねた。
桃花のではなく、俺のだ。
桃花の口から飛び出た双子の弟の名前に、俺はあからさまに動揺していた。
「さっき正道くんが独り言で言ってたから。お父さんか修二ならすぐに見つけられるって。なのに俺はって。だから気になって」
「俺はそんなことを言ってたのか」
俺は思わず苦笑した。
自分では気づかなかったが、そんなことを口に出していたなんて、さっきの俺は相当、煮詰まっていたらしい。
「親しい人なんだろうなって思ったんだけど、なんだかすごく辛そうに聞こえて、わたし見てられなかったの。だからお茶でも入れようかなって思って」
真剣な眼差しでジッと見つめてくる桃花に、俺は「気のせいだろ?」と最初は適当に誤魔化そうとして、
「……そうか」
だけどうまく言葉を紡げずにいた。
真剣に俺のことを心配してくれている桃花に、適当な誤魔化しを返すことは「正しくない」とそう思ってしまったから。
桃花に嘘をつきたくない。
桃花を裏切りたくない。
桃花と過ごしたこの1か月が、俺にそう強く思わせてきたのだ。
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