第30話 朝起きるとそこには――
「――くん? ――きよう?」
朝。
俺がゆるゆるとしたまどろみの中にいると、声が聞こえた。
女の子の声だ。
穏やかで心地よい、聞いているだけで幸せになるような、天使のごときハニーボイスだった。
半ば夢うつつな曖昧な記憶の中で、「あれ? ここは実家じゃなくて一人暮らししているタワマンだよな? お手伝いさんはいないよな?」などと思っていると、再び声が聞こえた。
「正道くん、朝だよ。そろそろ起きよう?」
ああ、ああ、うん。
そうだった。
意識が急速に覚醒を始め、俺はすぐさま状況を把握した。
そういや、昨日は桃花が俺のタワマンに泊まったんだったけか。
目を開くと、思った通り桃花がいた。
ベッド脇で少し前屈みになって、俺の顔をにこやかな笑顔で見下ろしている。
高校の制服にエプロンを身に着けているのは、朝ご飯を作ってくれていたのだろう。
昨日の夜に作ってもらった晩御飯が半端なく美味しかったことを、俺は自然と思い出していた。
「おはよう桃花。ふぁ……」
脳が酸素を求めて自然とあくびが漏れ出でてしまい、俺は慌てて右手で口を覆った。
「ふふっ、おはよう正道くん。グッモーニン♪ よく眠れた?」
「ああ、ぐっすり。桃花がベッドから出て行ったのも気づかなかったよ」
「ふふん。起こさないように細心の注意を払ったからねー」
「悪い、朝から気を使わせちゃったみたいで」
「わたしは育ちがいいから、家主さんに迷惑かけたりはしないんですー」
桃花が両手を腰に当てて、ちょっとドヤった顔で言った。
とても可愛らしい。
「残念ながら育ちがいい人間は、自分で育ちがいいとは言わないんだよなぁ」
「それはそうかも? まずもって正道くんが、ぜんぜんそんな素振りを見せないもんね。超お金持ちでほんとびっくりしたし」
「俺の場合はマジで言ってもいいことないからなぁ。いやほんと……」
「実家が太すぎるのも大変だねぇ。あはっ♪」
桃花が楽しそうに笑った。
ちらりと時計を見ると6時半の少し手前。
目覚まし時計の鳴る時間=いつも起きる時間のわずかに前だ。
「もしかしなくても、目覚ましをかけた時間を確認して、起こしにきてくれたのか?」
「だって目覚まし時計の音って、鳴った瞬間にドキッてするでしょ? やっぱり朝は平和に起きれるなら起きたいもん」
「サンキューな。桃花のおかげで、今日はいつになく気持ちよく起きられたよ」
気が利くというのは、こういうのを言うのだろう。
俺も見習わないとだ。
「よかった♪ 朝ご飯ももうすぐできるから、顔を洗って支度してね」
そう言うと、桃花は軽やかな足取りで俺の部屋を出て行った。
途端に部屋が静寂に包まれ、そのことになんとも言えない寂しさを感じてしまう。
さっき見た桃花の笑顔が、脳裏にふっと浮かんだ。
昨日までは寂しいとかそんなことは、一度も思ったことがなかったのにな……。
妙な感情を吹き払うように俺は大きく息を吐くと、
「目覚まし時計以外で起きたのは久しぶりだな。よしっと、せっかくの気持ちのいい朝だ。ぐずぐずしてないで顔でも洗ってくるか」
ベッドから起き上がると、洗面所に向かった。
こんな爽快な朝なんだ。
うだうだしていてもいいことないよなっ!
顔を濡らす冷水は南アルプスの雪解け水のごとく気持ちよく、おかげで妙な気持ちはすぐに吹き飛んでいった。
OK。
いつも通りの俺だ。
俺は顔を洗うと軽く身支度をすませ、リビングに向かった。




