第3話 維持・補修
「数時間前――。
「あーあ、今日も雨か。嫌だなあ」
窓を叩く雨を眺めながら、ドリイは身支度を整えていた。
ゴーン。……カーン、カーン、カーン。
村の教会から、長く低い鐘の音が一度。続いて短く高い鐘の音が三度、雨空に響いてきた。
「もう8時ね。そろそろ出発しないと」
棚に置いてある愛用の杖、「アズライトブルー」を手に取る。
魔法学校の卒業祝いに両親から贈られた杖だ。先端には、天然のアズライトを錬成した大きな魔導石がはめ込まれている。ドリイの一番のお気に入りだ。
杖を持って部屋を出ると、父親がいつものように事務仕事をしていた。
「お父さん、今日の私の仕事は?」
「まずはスオミさんの畑の水路だな。昨日からの雨で崩れているかもしれん。そのあと、アネットさんの裏山を見て、帰りにハシムさんの畑を手伝ってやるといい」
父は依頼書に目を落としながら答え、それをドリイに手渡した。
「もー、今日は午後から孤児院で読み書きの授業なのに。また『泥い』って馬鹿にされそう」
「仕方ないだろう。村に一人しかいない土魔法使いなんだから」
「それはそうだけど……」
ドリイは不満げに頬を膨らませた。
ローブのフードをかぶり、杖を手に外へ出る。
幸い、雨はまだ小降りだった。
自宅を兼ねた村の助役事務所を出て、ぬかるんだ道を10分ほど歩き、スオミさんの畑へ向かう。
「あー、やっぱり崩れてる!」
畑の脇を通る土水路は、山の斜面に沿って造られている。
雨が降ると、山から流れ込む水に土が削られ、水路の壁が崩れるのはいつものことだった。
今回も同じだ。
水路の一部が崩れ、堰き止められた水があふれて芋畑に流れ込んでいる。
このまま放っておけば、間違いなくスオミさんに雷を落とされる。
「はあ……面倒くさいなあ」
ドリイは小さくため息をつき、杖を構えた。
『Earth Move』
呪文を唱えると、詠唱に応じて杖の先端にある魔導石に魔法陣が浮かび上がった。
淡い光が土の表面を走る。
準備は整った。
ドリイが意識を集中させ、魔力を流し込むと、水路を塞いでいた土がゆっくりと動き始めた。
流れを妨げている土を取り除き、崩れた壁を元の形に整えていく。
やがて、堰き止められていた水が再び水路を流れ始めた。
「ふう……。これで、ひとまず元どおりね」
ドリイは息をついた。
『Clear』
魔導石の魔法陣が消え、杖の光が収まった。
これで『Earth Move』の行使状態は解除された。
続いて、ドリイは杖を構え直す。
『Compaction』
魔導石に別の魔法陣が浮かび上がり、杖が再び淡い光を放った。
ただ土を元に戻しただけでは、次の雨でまた崩れてしまう。修復した箇所の土を締め固める必要があった。
杖に魔力を通すと、地面が淡い光を放つ。
力をかけすぎて水路の形を崩さないように。かといって、弱すぎて土が緩いままにならないように。
ドリイは流し込む魔力を慎重に調節しながら、少しずつ作業を進めた。
一通り終えると、杖の石突きで修復した箇所を軽く突いてみる。
コン、コン。
土が締まっていることを確かめ、ドリイはうなずいた。
「うん。これなら大丈夫そう!」
もちろん、雨が降り続けば、また崩れる可能性はある。根本的な対策をしたわけではない。それでも、ひとまず当面は持ちこたえてくれるだろう。
『Clear』
魔法陣が消え、杖の光が収まった。
「よし、これで一箇所完了!」
ドリイは満足げに修復した水路を見渡した。
……が、すぐにその表情が曇った。
水路の先に目を向けると、崩れている箇所がまだいくつもある。
一つ、二つ、三つ……。
数えていくうちに、だんだん嫌になってきた。
10箇所はあるだろうか。いや、もっとあるかもしれない。
「もー! これじゃ、お昼までに終わらないじゃない!」
雨音の中、ドリイの嘆きが畑に響いた。
それからもドリイは、崩れた水路を見つけるたびに足を止め、土を動かし、締め固める作業を繰り返した。
水路に沿って補修を続け、一通り見て回った頃には、1時間以上が過ぎていた。
ローブは雨でぐっしょりと重くなり、裾も袖も泥まみれ。
冷たい雨に体温を奪われ、指先まですっかりかじかんでいた。
寒い。疲れた。
「えーん。これじゃ本当に『泥い』だよ!」
ドリイは思わず叫んでしまった。




